第十章 帰還への行動
明のアパートから直線距離にして約一キロ。住宅街から少し外れた場所に小高い山がある。その頂上には神社があり、“行くための試練”と言わんばかりに長い石段が存在している。平日の参拝客は多くはないが、正月には一帯に住む住人達が初詣に来るくらいの規模はある。
そこへ向かおうと言いだしたのはもちろん明。嘘か真か。マンガ、アニメの類には、神様をテーマにしたものは多々ある。もしかしたらと小さな望みをかけて、明たちは長い石段を前にその先を見上げていた。
明はリュックの位置を直すように肩を動かす。チラリと横を確認すると、相変わらず男物の服を着こなしているネフィエの姿があった。左右に立ち並ぶ木々。その枝から新緑の葉が茂り、自然のトンネルを作りだしていた。太陽の光を遮り気持ち的にも涼しく感じる。時折吹く風が葉を揺らし、演奏しているようだ。
「行くか……」
意を決したように、明は石段を駆けていく。一段一段軽い足取りでけっていった。
「ここを上るの?」
石段を何段か上ったところでネフィエが口にした。振り返ると、遥か上に見えるゴール地点を見ている彼女がいる。
「そうだな」
「長い階段ね。こういうところこそ、あの動く階段があってほしいわね」
愚痴るネフィエ。
「罰当たりな事を言うなよ」
「冗談よ」
そう言い、ネフィエが石段に足をかける。同時にサラサラと葉が音を鳴らした。その心地よい音に、彼女は「わぁ」と声を発した。
「落ち着くわね」
一歩、また一歩と上りネフィエは周りを窺う。そんな彼女を見つめ、明は安堵の息を吐いた。
(昨日のこと、大丈夫かな?)
腰に手を当て、上ってくるネフィエの表情を窺う。すると、視線に気づいた彼女もこちらを見つめてきた。
「なに?」
「い、いや、なんでもない。それより、行こうぜ」
明は急ぎ足で階段を上った。
「ちょっと待ってよ!」
一段とばしで、跳ねるように十数段上ったのちに振り返ると、一段ずつ丁寧に上るネフィエが必死に後を追っていた。
頂上に着くと、明は曲げた膝に手を当て肩で息をしていた。息を上げる本人の横では、平然とした顔をしたネフィエが立っている。情けないと言いたげなのが手に取るようにわかる。
「と、とりあえず着いたぞ」
二人の目の前には立派な鳥居。神社の入り口に相応しい風格がある。
鳥居の前で立ち止まった明は、数カ月ぶりに訪れた神社の風景を見渡す。参拝客はほぼおらず、チラホラと老夫婦が窺えるのみだ。
「ここがあれ? 明の言っていた神様の居住区ってやつ?」
ネフィエはそう言うと、鳥居に手を当て中を覗くように腰を追った。
(別に、そんな覗き見るような体勢取らなくてもいいのになぁ)
相変わらず自分の新調した服を着込んでいる彼女の後姿を眺める。そんなネフィエの隣から、明は鳥居をくぐった。「行くぞ」と敷き詰められた石のカーペットを歩いていく。
「い、いいの? 神様のいる場所なんでしょう? 勝手に入ったら怒られるんじゃないの?」
「大丈夫だって」
警戒する彼女に明は軽いノリで答えた。しばらく考え込むネフィエ。
「はやく」
「明が言うなら」
手招きして促すと、上目使いでネフィエが口にした。
(そういえば……)
近づくネフィエを見つめ、明は奇妙な感覚に襲われた。
(こいつって、異世界では“魔族”って種族なんだよな? “魔”の者ってことだろう? そんな魔族が神様を祭る神社に来るってのも、不思議なもんだな)
若干身を縮め挙動不審ながらに歩くネフィエ。そんな彼女を明は見守る。
(魔族って言われているけど、どう見ても普通の女の子なんだよなぁ。もっとも、向こうの世界の魔族も一括りじゃないとは思うんだけどさ……。別に悪さをしているわけでもなし、毛嫌いする理由が見当たらないんだよな)
ジッと彼女の行動を伺い、明は先日の出来事を思い返した。
(俺は、魔族とかわからないし、エルネスタの事情も知らない。そんな俺が、こんな無責任な事考えちゃいけないことなんだけど)
先日対峙したラーニャのことを思う。当時は、“手段を択ばないヤツ”との考えを持っていた。しかし――。
(向こうには向こうの事情もあるんだろうな。でも、もし――)
ようやくネフィエが明の隣までやってきた。彼女は本殿を見据えた後で売店を見据えた。おみくじコーナーに興味を示している。
(もし、異世界の魔族がネフィエみたいなら――)
「明? ちょっと、聞いてる?」
ネフィエが目の前で手を振ってきた。ハッとなった明は、ビクッと体を震わせて彼女を見据えた。
「何を呆けているの? 大丈夫なの?」
「あ、あぁ……。この後どこに行こうかと考えていたんだよ」
誤魔化す明に、ネフィエは「ふぅん」と返してきた。
「どこか悪いところでもあるの? 無理する必要はないわよ」
心配してくれる彼女に、明はまたもや呆然とした。
「な、何よ」
頬を朱に染めるネフィエ。その様子を眺め、明は腕を組んだ。
「いやね、なぁんか急に優しくなったからさ」
「ぶ、無礼な! 私は前からこうだったわよ!」
「そうだっけ?」
ワザとらしくオーバーリアクションしてみせる。すると、ネフィエは頬を膨らませ、ガシッと明の腕をとった。
「行くわよ!」
力任せに引っ張るネフィエだが明は動じない。しかし、抵抗できてしまえる分痛みが余計に発生した。
「い、痛いって、離してくれって!」
「ふん! 優しくないんだからいいでしょう?」
ネフィエは「うぅ~」と喉を鳴らして明の腕を引っ張っている。
「怒るなよ」
「怒ってない!」
明がゆっくりと前に進む。すると、徐々に赤くなっていたネフィエ耳元が、元の肌色に戻っていくのが分かった。しかし、彼女は明から手を放すことはなかった。
「強引なエスコートは、相手が嫌がるんじゃなかったっけ?」
明は、かつて自分が言われたことを思い出してネフィエに告げる。ハッとなった彼女の手から力が抜けるのが分かった。
「う、うるさいわね! わかっているわよ、そんなこと!」
モノを投げるかのような動作で、ネフィエは明の腕を離した。再び今度は頬を赤くした彼女は「フン」と鼻を鳴らした。
「安心しろって、これくらいどうってことないからさ」
手をヒラヒラさせ、明は本殿へと向かった。
「行こうぜ」
体を反転させた明は、下腹部で手を組んでいるネフィエに声をかけた。
「うん……」
少しだけ頷いたネフィエは小走りで明を追い、彼の隣を歩いた。そして、境内を掃除している巫女さんに挨拶をしてから二人は賽銭箱の前までやってきた。
「何この箱……隙間があるようだけど」
賽銭箱の隙間から中を覗こうとするネフィエ。明は慌てて彼女を引きとめた。
「覗くなって、恥ずかしい」
「そうなの?」
あっけらかんとした表情のネフィエはゆっくりと体を引いた。そして、明は目の前にある鈴に繋がっているしめ縄を握り、力一杯揺らした。
――ガランガランガラン!
お世辞にも心地よい音ととはいえない、なんとも力強い音が鳴り響いた。その後は財布から小銭を取出し、置くように賽銭箱へと入れた。
二礼二拍手一礼。
(邪魔されませんように……。あと、ネフィエを元の世――)
それで一旦思考を停止させた。目を開けた明は、そっと解放された本殿奥を見据えた。はっきりとは見えないが、立派な像が見える。
(これは、神頼みにはできないか……。俺がやらないといけないんだしさ)
合唱を解き、明は手を下ろした。すると、服の袖をちょいちょいとネフィエに引っ張られた。つぶらな瞳が向けられている。
「なにやったの?」
賽銭箱と、鈴。そして、明を順番に確認しているネフィエ。
「お金を投げると、何かあるの? それとも、寄付か何か?」
「違うよ。まぁ、願掛け、ってやつかな?」
ネフィエは唇に手を当て考え込んだ。
「簡単に言うと、お願いだな。“こうなりますように”“上手くいきますように”とかさ」
簡単な説明をする。
「何をお願いしたの?」
「そう言うのは言わない方が良い」
そう伝えてネフィエにお金を手渡した。
「やってみろよ。願い事を口に出すなよ?」
ネフィエは渡されたお金をマジマジと見つめる。つまむ形でお金を持ち、賽銭箱の真上に持っていって落とした。
カシャ、チャリン。
賽銭箱内で跳ねた賽銭が、賽銭箱底にたまっているお金に当たって音を出した。ネフィエは慌ててしめ縄を握り、回すように振った。あとは、明がやったのと同じ動作。
(魔族が神頼み、か……。傍から見ると、本当に奇妙な構図だな)
彼女の背後からその様子を眺め、明は微笑む。合唱を解いたネフィエはクルリと振り返り、満足げに駆け寄ってきた。
「終わったわよ」
「うん……。で、何を願いしたんだ?」
興味本位で聞いてみる。すると、ネフィエはスッと唇に人差し指を当ててウインクした。
「言っちゃぁダメなんでしょう? 秘密よ」
「ねえ、明」
鳥居をくぐり、神社を後にしようとした時に声をかけられた。振り返ると、狛犬を凝視するネフィエが目に入った。
「何してんの?」
「うーん……この置物がほしいわ」
衝撃の一言に明は耳を疑った。
「え、なんて?」
「これがほしいわ」
お座りをして石段方向を見据える神使を指さすネフィエ。
「無理です」
と、当然ながら即答。
「これは神社のモノで持って帰れるわけじゃないんだよ。だいたい、何でこんなものがほしいんだよ?」
「カッコいいからよ。強そうじゃない」
呆れる明だが、ネフィエは真顔で答えた。
「人形使いの力で使役とかできないの?」
「無理です」
今にも噛みつきそうな狛犬を見つめ、明はため息をついた。
「とにかく、これは持って帰れないんだよ。諦めてくれ」
お菓子を目の前に「ノー」と言われた子供のごとく、ネフィエは狛犬を見つめ続けた。
「置いていくぞ」
階段手前で振り返り明はネフィエに声をかけた。渋る彼女だが、ようやく足を上げ明を追った。
向かってくるネフィエを待っている間、何者かの視線を感じた。しかし、その姿を確認することはできなかった。
「気のせいか?」
□
住宅地に一旦入り、しばらく歩いていると公園が見えた。母親に連れられた子供が数人見受けられる。遊具で遊ぶ子もいれば、母親と共にベンチに座っている子もいる。
「休む?」
公園の入り口へたどり着いた明はネフィエに提案した。彼女はしばらく考え込んだが、その後静かに申し出を受け入れた。
「ちょっと、飲み物買ってくるわ」
少し離れた場所に自動販売機がある。それに指を向け、小走りでその場所へと向かった。ダミーの空き缶が丁寧に並べられ、「つめた~い」と表示されている。「どれがいいかな?」としばらく目を右往左往させ、結局お茶を二本購入した。
片手に一本ずつのボトルを手に、待っている連れの元へと向かう。その内一本を彼女に渡すと、「ありがとう」と告げられた。
受けとったネフィエは、ペットボトルを頬に当て「冷たい」と呟いた。気温的には暑いわけではない。歩き回ったせいだろう。ネフィエの言葉に、明もジワリと汗をかいていることに気付き額を拭った。
「座ろうか」
公園の隅に開いているベンチがあった。そう提案すると彼女も賛成してくれた。歩きはじめると、黙って明の後ろをついてくる。
「あぁ! 見つかんねぇな」
ドッと腰を落とした明は、背をベンチにもたれて天を仰いだ。ギラリと輝く太陽が視界に入り目を閉じる。ネフィエの反応を待ち耳に神経を集中させた。しかし、彼女からの反応はない。
そっと目を開け僅かに首を傾けて彼女を窺う。ネフィエは思いつめた顔をしていた。
「どうしたんだよ?」
お茶を一口含んだ。喉を潤わせ、明は再びネフィエの反応を待った。彼女も明と同じくお茶を口にした。そして、しばしの沈黙の後口が開く。
「あのね――」
神妙な面持ちで切り出し始める。そんな彼女の言葉に、明は「うん」と反応し、先を促した。
「もしね――」
ネフィエはペットボトル内でたゆたうお茶を見つめている。何度も口を開けては閉じ、頭を強く振っていた。
「どうしたんだよ?」
体を起こして明が尋ねる。つばを飲み込んだネフィエは、意を決したように口を真一文字に結んだ。
「明と一緒にいて、思ったの……。人間と話し合いはできないのかって……。もし、仲良くできたなら――。こんなこと思うと、エルネスタのみんなに変な目で見られるかな? 変な奴って思われるかな?」
ネフィエは少し悲しそうな顔をする。
「おかしい、かな?」
自傷的な笑みを浮かべ、明に顔を向けてきた。
「おかしくはないさ。それは、立派なネフィエの考え方だろう? そんな顔するなよ」
そう言うと、明は一旦間を置いた。
「俺は、エルネスタの人間じゃないから、こうやってネフィエと話ができるのかもしれない。もし、俺がエルネスタの人間なら、こうはいかなかったかもしれない」
明も自分の想いを口にし始めた。ネフィエを真っ直ぐ見据える。
「でも、もし俺とお前が逆の立場だったとしても、多分同じ考えになるんじゃないかな? だってさ――」
明はもう一度言葉をきった。周囲を伺い頬を軽く掻いてみせた。
「だって、なに?」
今度はネフィエが先を促してきた。
「それは、ネフィエがその考えに至った考えと同じだよ」
誤魔化して答える。その答えに不満とばかりに、ネフィエは「言ってよ!」と体をゆすってきた。
「言わないよ。よくよく考えたら恥ずかしいな、これ」
言った、言わないの押し問答を続けているとボールが転がってきた。それはネフィエの足もとで止まり、彼女もその存在に気付いた。覚束ない足で少年が駆け寄ってきて、黙ってネフィエを見つめている。
「はい」
拾い上げたネフィエがボールを少年へと差し出す。
「ありがとう、おねえちゃん」
笑顔を見せた少年がペコリと腰を折った。
(本当、普通の女の子じゃないか……)
走り去っていく少年を笑顔で見送るネフィエ。手を振る先では、少年の母親が「お礼は言ったの?」と子供に聞いていた。
「行こうか。こうしている間にも、あいつら行動しているんだろう?」
勢い良く立ち上がった明は一気にお茶を飲みほした。顔を上げた明の視線の先に、大きな建物が目に入る。公園を囲う木々で何の建物か標識は見えなかった。
「そうね」
明に同調し、ネフィエも立ち上がった。




