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とても久しぶりの更新ですみません!
多少文体は変わっちゃってますが、また不定期ですが更新再開していきたいと思います!!
アズールが時計の前まで飛びあがり、ふわりとホバリングする。
それは何回見ても不思議なくらい綺麗な光景だ。だけど、なんでだろう。
妙にドキドキとするこの感じは、高揚感とはまるで違う。
これは、不安だ。
「アズール、離れて!」
私が叫ぶのと同時に、アズールが何かを察知して上を向き、素早い動きで何かを避けた。
アズールは威嚇するかのように鋭い声を発して、警戒を怠らずに私の傍に戻ってくる。
ばくばくと、私の心臓が早鐘を打つ。それは、アズールから感じ取ったものなのかわからない。
「どうした、イリス」
「わからない。でもなにかいる」
『見えませんよぉ?』
「いる」
アズールは警戒を解かない。それどころかひどく恐れてもいるような気がする。
私も彼女も上をじっと睨みつける。
ぐるぐる回る時計じゃない。
その上だ。
私たちの警戒を受けて、フェルとアリュートも構えた。
紅い輝きが見える。
だけど、それは蝙蝠とはまた違う色だ。どこかどろりとしたようなものを湛えた、気持ちの悪い赤だった。ゆったりと降りてきたのは、白い肌をした人間の女だ。
美しい顔立ちに、真っ赤な唇に、そこから生える牙。
そして、腰から下は巨大な――蜘蛛の腹。
「なんだい、ありゃぁ……」
『あ、あ、あんなの見たことないですよ!?』
レラジエさんの呆気にとられたような声に、ミドリアーナさんが悲鳴のような声が被さる。
その女の蜘蛛は私たちを見下ろして、ニタァ、と笑った。
笑みを浮かべただけなのに、ぞっとするのはその姿のせいなのか、或いはあれが恐ろしい敵だからなのか。
そこは私にはわからない。判断できない。
とにかく、恐ろしくて体が震えるということはなかったけれど気持ちが悪くて仕方がない。
だけど目が離せない。
逸らしたら、食われる。
そう思った。
「あれは、なんなの……まるで神話に出てくる、ファンティッチェみたいだわ」
震える声で、シトリーンさんが言ったそれをバルバスさんたちが咎める事はなかった。
そんな私たちの怯えるさまを見て満足したのか、或いは今はおなかが空いていないのか――そいつは私たちに姿を見せただけでまたするりと天井へと姿を消してしまった。
上部がやけに暗く、何も見えないのは目を凝らしてようやく理解した。
灯りを覆い隠すように、あの蜘蛛が何重にも糸を巡らせていたのだ。
時計とは、関係なさそうだけど。
しばらく喉を鳴らして警戒を続けるアズールが、緊張状態から逆立てていた羽毛をゆっくりと鎮める。視線はそのまま、上を向いていたけれど。
「……行った?」
小さくアリュートが私に尋ねてくるので、私も頷いた。
フェルが嫌そうに鼻を鳴らしたところをみると、あいつからは悪臭がしていたのかもしれない。
「行ったみたい。今、遠視を使って追ってみたけど……真っ暗でよくわからないけど、私たちからは遠ざかったのだけは見えた」
「なんなんだろうね、あれ。……今まで見たモンスター図鑑にはいなかったと思う」
アリュートが図鑑で見たことがないというのなら多分新種のモンスターなのかもしれない。
ほかの誰も、あれがなにかなんて瞬時に応えられなかったのだしそれが妥当なんだと思う。
鳥肌が酷くて、私も思わず自分を抱きしめるようにして腕を摩った。
「シトリーンさん、ファンティッチェってなんですか?」
「えっ?」
「さっき、言ってましたよね?」
「え、ええ……あの、古い子供向けの絵本なんかに出てくるバケモノなのだけれど。知らない?」
「いえ……フェル、アリュート知ってる?」
「いや、知らないな」
絵本と言われてもぱっと思い出せないから土地柄の問題なんだろうか。
私たちの答えに、シトリーンさんが困ったようにするのを今度はミドリアーナさんが引き継いだ。
『それ、創世記の一節なんですよ』
「え? そうなんですか!? 詳しく!!」
『昔々、そのまた昔。神がこの世界をお作りになった時、創造神は生き物を作り、暮らしを見届けると子供たちである数多の神々に後を託して眠りにつかれました。けれど託された神々はまだ若く、失敗も多く、彼らを信仰する人々と共に努力をせねばならなかったとされています』
ミドリアーナさんが話してくれた内容によると、神々が失敗するたびに人々の負の念が処理できずに魔獣になり、そして散らすことのできなかった負の念が大きく固まって恐ろしい魔獣となったのだという。
それは一種類と言わず何種類もいて、事実として大きな被害を出すような凶悪な魔獣で、絵本に描かれたのはそういう類のものだったんだとか。
ぶっちゃければ、神様の手を離れた危険生物だから近づかないようにねという教訓というわけだ。
で、ファンティッチェとやらは暗がりからやってきて人を攫って食べちゃうぞ、ってことで夜の闇の中、綺麗なお姉さんが手招きしていても着いて行ってはいけないよ……という絵本らしい。
なにそれただのホラーじゃないの?
「……それがあれに似ているのか?」
『でもおもしろいですねえ、私が生きていた頃の絵本が、現代にまで残ってるだなんて!』
嬉しそうなミドリアーナさんだけれど、私は全然嬉しくない。
だってもしそれがそうなら、とんでもなく強いモンスターであるっていうことは間違いない。
肌で十分感じとってるけどね!
情報によれば蜘蛛が出るのは6階からだっていうのに、まだここは3階。
つまり、あいつは神話通りの生き物かどうかはともかく、階層を自由に行き来しているという可能性があるわけで……。
それとも、今まで探索に来た冒険者たちが食われていなかっただけなのか。
いや待て、ミドリアーナさんが見たことないって騒いでたんだから違うかもしれない?
「また、振動?」
下の階層から響くそれを、再び感じる。
ふと、森の動物たちを思い出した。
「……そういえば、動物たちって強いやつが現れると逃げるよね」
「そうだな、食われないために。……おい、まさか」
「この下に、もし恐ろしいやつがいたとしたら? ダンジョンが力を与えたモンスターが生まれたとしたら……あいつは6階層から、ここまで逃げてきたっていう可能性は?」
私が口にしたそのあってほしくはない可能性。
だけどそれは、自分でも妙に生々しい。
かしゃん。
時計が、突然落ちて全員がそちらを見る。
高い所から落ちたせいで時計の針はあちこちに散らばり、本体はひしゃげている。
ミドリアーナさんが悲鳴を上げたけど、私たちは何も言えなかった。
落ちた時計の針が動きを止めたかと思うと、小さく震えた。
足元が、また揺れる。
それを見て、フェルが確信を抱いた声で言った。
「あいつは、腹がいっぱいで俺たちを見逃したんじゃない。ちょうどいい足止めの獲物がいたから生かしといたんだ」
私たちは顔を見合わせて、ぞっとする。
足元の揺れが、少し大きくなったような気がした。




