67:異端
体の中に、もう一人別のナニかがいる。
そう思うくらい、さっきの自分は、アズールは、普段の自分じゃなかった。
高揚していたと言われればきっとそうなんだろうと思う。破壊衝動、強者であると誇りたい気持ち。
違う、あれは誇りたいんじゃない。
驕りだ。あの感情は自分の中にあったものなんだろうか? わからない。
キュルルルル、とアズールが私の隣で慰めるように頬を擦り付けてくる。
私は、膝を抱えてただ座っているだけ。
――あれから。
私の魔法とアズールの追い込みで、コウモリたちは蹴散らした。
勿論、フェルやアリュートの活躍もあったからこそだけれど。
そして幻惑と混乱から回復しきれていない黒竜族の皆を引き上げて、申し訳ないけど縛って正気に戻るのを待っている状態だ。
ミドリアーナさんも気を遣ってくれたらしく、私は壁際で座ってさっきの感情に対して怖いと思うばかりで……やっぱり、私は弱い人間なんだと再確認して、それがまた嫌で自己嫌悪に陥っているという負のスパイラル。
「隣、いいかなあ」
「……レラジエさん」
「うん、久しぶりに盾を振り回したからね、私も少し疲れてしまって」
意外と音も立てずに、程よい距離で座ったレラジエさんは私の方を見て笑う。
多分微笑んだんだと思うけど、竜人族のその顔はやっぱりちょっと怖いな。
アズールはいつの間にか小鳥状態に姿を変えて、私の肩に停まっていた。
レラジエさんがどうして私の隣に来たのかわからない。もしかしたら私の魔力が凄かったとか、そんな話がしたいのかもしれない。
でも、私はそんなの今は聞けるだけの余裕はなくて、また膝を抱えてそこに顔を埋めただけだった。
「私は黒竜族の中でも変わり者と言われていてねエ」
「……」
「盾を操る術は、同年代では群を抜いていると言われ将来を期待されたよ。私もそれが誇りだった」
「……」
「黒竜の一族は守りに長け、そして学問に長けた一族だ。私も幼いころから父から学び、己でも学んだ。学ぶのは楽しいね、知らないことを知ることができる。世界が広がり、そしてふと気が付くと自分の歩んだ道はなんと狭く、己が生きるその場はなんと狭い事かといつも思うよ」
急に、自分のことを語りだしたレラジエさんに、私は何の相槌もうたない。アズールもただ私に寄り添うだけ。
だけれど、彼の低めの声は不思議と柔らかく私の耳に入り込んでくる。
優しくて、柔らかくて、どこか――寂しそうで。
「学問を修めるうちに、私はある結論に達した。それはね、種の存続を願うならば同種に限る必要はないのではないかというものさ。竜人族は一夫一妻、それも同種であることを条件にしがちでそれ以外を排他しようとする面があるから私のその考えは、異端そのものだったんだろうね」
「……」
「私は私の中に棲むおかしな者に侵されているのだとまで言われる始末さ」
「……」
「そして私もそうなのかと思い悩んだ時もあったかな」
ぎくりと竦んだ私のことを、彼は気付いているのだろうか?
自分の中にある、異端なもの。それはちょうど、先ほど私の中で聞こえてきたあの主張そのもののようで、それに今まさに思い悩まされている私のことを指し示しているのだろうか?
いや違う、これは、レラジエさんの体験談であって。
でも態々そんな話をしてくるということは、少なくとも彼は私の悩みを察したとでも言うんだろうか。
ちらりと膝から顔を少しだけずらしてレラジエさんの方を見れば、彼は私の方を見てはいなかった。けれど、彼の尻尾だけが機嫌良さげに振られているのがなんとも不思議な光景だ。
「ねえイリス。自分のことは自分が良く知っている。けれどね、他人もわからない自分のことは、誰よりも一番に知れるけれど――やっぱり、わからなくて模索するものなのだと思うよ」
「も、さく……?」
「そう。そうやって己を知り、受け入れたり抗ったり。そうして誰よりも自分を知っていく。そういうものなんじゃないかなあと私は思うんだ。先人たちの書物を紐解いているとそう思えてきたというだけの話なのだけれどね。それこそ、私の都合良い解釈なのかもしれない」
他の誰も知らない、自分自身。
自分が自分を知っている、というのは――最初に、自分を知るから。誰よりも先に、知るから。
だから、他人にはわからない自分を知る。
そういう、こと、だろうか?
だとしたら、私が見たくない自分と言うものから目を反らしていただけなんだろうか?
今まで感じたこともない、この気持ちの悪い感情も。
「違う、私、わたし……あんな、」
「イリス」
「私、敵は倒さないといけないと思った。殺されるわけにはいかないから。食べられるわけにはいかないから。でも、だからって……退いてくれたら! それで良かった、はずだったのに……」
「イリス」
小さな声だった。もっとはっきり、違うと言いたかったのに。
なんでこんなに私の声は小さくて、不安に揺れていて。まるで……それが正しくて、否定をする私が悪いみたいに。
「私たちの中に、敵を排除したり淘汰したりする本能は少なからずあるよ。全くないという者は、それこそ進化の果てにある者じゃないかなと私は思う」
「……レラジエさん」
「だからね、君が君を嫌ってしまったりなんかしないでくれるといいかなって思うよ。私の勘違いかもしれないけどね」
「でも、……でも」
「怖い時は怖いと言えばいいんじゃないかな」
大きな手が、私の頭を撫でる。
ちょっと揺れたせいで、アズールが文句を言っていたようだけれどレラジエさんが気にする様子はなかった。
目を細めて笑う姿は、私たちと変わらない。
「君には素敵な恋人たちがいるだろ?」
「……私、彼らと釣り合いたくて」
「さっきの魔法は凄かったからねえ、君は十分すごいと思うけどな」
「レラジエさんに護られなければ落ち着いてできなかったと思う」
「それは光栄」
嬉しそうに答えるレラジエさんはちょっと気障ったらしいのに、嫌な気はしなかった。
この人、本当に変わりものなんだなあ。そして多分私のことを『変わり者仲間』みたいに思っているんじゃなかろうか。まあマイノリティには違いないと思うけど……。
(あのなにか、は私だったんだろうか? それとも違うんだろうか?)
勿論、答えなんて出ない。
でもそれで私は私を嫌わなくても、良いんじゃないかとレラジエさんが言ってくれたことは何故かすとんと落ち着いた。
「生き物はね、勝ち得て生き残るものだと私は思うよ」
「レラジエさん?」
「さてそろそろ休憩終わりにしようかな。仲間の様子を見てくるよ」
「えっ、あ、あの……」
「私は異端で疎まれてはいるがね、やっぱり仲間は心配なんだよねえ」
よいしょ、なんてちょっと年寄り臭さをわざわざ出しながらレラジエさんが笑った。
それは、結構寂しそうだ。お父さんは彼を見捨てていないけれど、その考えを認めていないし彼の所為で故郷を出てきたと思っているし、多分きっと皆そうなんだろう。
だっていつも、レラジエさんは、列から少しだけ……離れていたから。
「レラジエさん!」
「うん?」
「もし、もしもだけどね」
「うん」
「どうしても! 家族が欲しくなったら!」
フェルたちが近くにいるのを、私はちゃんと知っていて。
こんなことを言うのはどうかな、なんて思ったけど。
この人の寂しさは、どこか私が知っているものだったから。
「私たちに相談してみたらいいと思うよ!!」
「……おや、」
レラジエさんが目を丸くする。
それから、ゆるりとその目を細めて笑った。
「これは困ったなあ、嬉しいことに逆プロポーズされちゃったかな?」
「ちっがーう!!!」
でもやっぱりこの人は、私なんかよりもずっとずっと余裕があって。
それがちょっと、悔しかった。
ちなみに逆プロポーズのつもりなんて、本当にない。
ただ、彼が群れを離れて独りになってしまうなら、と思っただけのことだったんだけど。
(ああ、うん……そうもとれるか……)
「ねえイリス、どういうこと?! どういうこと?!」
がくがくとアリュートに肩を揺さぶられながら、私もちょっと反省したのだった。




