7:狩人の一族
狩人たちのほとんどが、狼人族だった。
どの人も屈強そうで、そんな彼らと岩石イノシシを従えるようにおじいちゃんについて大き目な家に迎えられた私の視線は、私よりも少しだけ年上そうな狼人族の少年に釘付けになっていた。
狼人族は身長的には180cm越えがほとんどで、狼の頭に全身を黒に近い色の毛で覆われ、その指先には鋭い爪がある。
衣服を着ていても隠せない屈強な肉体を持って戦闘に臨む狩人の一族なのだと聞いている。
鋭い眼差しに、口から覗く牙は確かに狩人らしい強さを感じさせた。
でもその少年は、大きな椅子に座り肘をつく老練な狼人族の男性の傍らに付き従うように立っているその少年は、毛色が淡い紫を帯びた白だ。
鋭い目つきで私たちを見ているけど、敵意はない様子で、どちらかというと寧ろ好意的なんじゃないかな?
大きな大人ばかりの空間で、私の目は彼に釘付けだった。
「久しいな、シンリナス。今でも友と呼んでよいかね?」
「当然だろう、ジャナリス。寧ろ貴様のその不精が我らの友情をないがしろにしていたのだ」
「だがお前さんは吾輩がよその種族から嫁を貰ったことに憤慨しておったろう」
「ふん、おれが言っていたのはそういうことではないわ! 相変わらず察しの悪い!」
「ではどういうことであろうか?」
「貴様が婚姻の儀をきちんとする気がないと言ったからではないか!!」
なんだなんだと思ってちゃんと話を聞いてみたら、どうやらこれはおじいちゃんが悪い。
どうにもシンリナスさんというのも言葉が足りなかったみたいだけど、よその国からお嫁さんを貰ったんだから森林の民として迎えるためにも婚姻の儀式をちゃんとするべきだと言ったらしい。
ところがおじいちゃんは聖都で結婚式をしたんだからそんな儀式なんてしないですぐにでも冒険がしたいっていうことで喧嘩別れしたんだとか。
しかもその後シンリナスさんのところにはおばあちゃんが頭を下げに来て、2人はとっくに顔見知り。
知らないのはおじいちゃんだけ。「なんだとう?!」と叫んでいたけどこればっかりは……。
どうやらおばあちゃんも言おう言おうとしたようだけど、おじいちゃんも頑なだったみたいだしね。
「それで? 今日はどうした」
「……むう」
「お前らももう下がれ、我らは和解したし旧友だ。こやつがおれを害することは万が一にもありえんわい」
「イリス」
周囲の大人が去って、大きな椅子に座ったままのシンリナスさん、少年、反対隣りの大人と少年の4人と私とおじいちゃんという空間になって。
私はおじいちゃんに名前を呼ばれて、一歩前に出る。
ここに来る前に言われていた。ちゃんと自分であいさつをする、それが狼人族に対する礼儀で、できる限り族長と話す時は目を離してはいけないよと。
「イリス・ベッケンバウアーです。翼人族ジャナリスの孫です。5歳になりました」
「ジャナリスの孫か。アマンリエから聞いておるが、するとお前が末の孫になるのか」
「はい、私の上には兄が5人います。皆とても元気で優しい、自慢の兄たちです」
「お前はジャナリス達と同じグルディで育ったのだったな。どうだ生活は」
「とても楽しいです」
「近隣には獣人族ばかりだが、人種の問題は生じていないか」
「はい、ご近所に住まう方々は皆さんとても優しいです」
「そうか」
子供の口はそう達者じゃない。
正直さしすせそを発するときは失敗しそうだが、そこはまあ、子供だからと笑って許してほしい。
だから言葉は短く明確に。これ大事だよね!
私は真っ直ぐに、シンリナスさんを見る。
とてもとても大きな存在のように思えた。
岩石イノシシと対峙した時は情けないことに狼狽しまくったものだけど、目の前にいるのはきっともっと敵になれば厄介な存在だ。
静かで、でもきっと一瞬で今の私を狩ることができる存在。
目を離したらいけない。反らしては、いけない。
灰色の目が、ぎょろりと見降ろして私を観察している。
ぬぅ、と私の腰ほどの太さがありそうな腕が伸びても、私は動いてはいけない。怖がってはいけない。
だってこの人は、おじいちゃんの“友達”だ。
「賢い子だな、ジャナリス」
がっしりと頭にその大きな手が乗ったと思うと、力強く撫でられた。
温かい。そして、とても優しい。
頭はぼさぼさになったけど、ああ、この人に認めてもらえたのだとわかった。
「この子のことで相談にきたのである!」
「何も問題ない様に見えるが」
「この歳にしては随分と賢かろう」
「愚かであるよりもずっとましだろう」
「女の子なのである」
「……なるほど」
あっさりと性別を聞いただけで、問題を理解するのか。
そんなにも魔力を持った人間の平民というのは問題視されるものなのか?
私にはわからなくて、思わずおじいちゃんを振り返る。
そうしたら今度は髪を直すようにしておじいちゃんが私の頭を撫でて、笑った。
「シンリナス、リリファラはこの子を守って逝ってしまった。吾輩も、アマンリエも、婿殿も他の孫たちもこの子を厄介者扱いする気はない。目の前に相対しイリスを寄越せと腕づくでくるならば、吾輩も容赦はせんが……」
「ふん、惰弱で狡猾な都の者どもには反吐が出るな。案ずるな、このサーナリアにあってイリスの身柄に何かあれば、必ず我ら狼人族が表立って動いてやる。この子供は生まれがどこであれ、サーナリアのグルディで育った森の子供だ」
「よしなにお願い申しあげる」
「長老が一人、シンリナス。確かに承った」
どうやらシンリナスさんはこの国を統べる長老たちの1人らしい。
それからシンリナスさんは左右を見て、私を見る。
「イリス、きちんと挨拶をしておらんかったな。おれはお前の祖父ジャナリスの友、狼人族の長、シンリナス・ロウウルフ。これは息子で次期族長のレイリナス、そしてこの2人は孫のグレイナスとフェルナンドだ」
「ようこそ、狼人族の集落へ。我らは狩人ゆえ、町から町へ移動が多いのです。あなたのおじいさんはとても優秀な狩人でもあるのですよ」
「……グレイナスだ、集落の中で変なことをしなければ、好きにするといい」
「フェルナンドだ」
紹介された中でフェルナンドだけが、私に手を差し出してくれた。
ふわっとした毛が少しくすぐったかったけど、私は喜んで握手した。
少し見上げる背丈で、目の色は鳶色で、ああ、素直に綺麗だと思った。
「お前の兄、イゴールとは会ったことがある。その時、妹と出会ったら力になってやって欲しいと言われている」
「えっ、お兄ちゃんと?!」
聞くと、フェルナンド(愛称はフェル)と友人とで狩りをしてその毛皮を売りに行った際にグルディに来ていた行商人が買い叩いたそうだ。
狩りの腕はともかく、商人と値段交渉などしたことがなかったフェルたちは良い様に買い叩かれそうになったところをイゴールが間に入り適正な値段になった。
ということで恩があるのだとフェルは言っていたが、兄は兄で「実は妹がいてね、」とその恩に対してこっそりこういう活動をしていたそうだ。
あれ、そういうのから『魔力を持った人間の女子』がいるって漏れてくんじゃないかなあと思った。
でもまあ今回は問題なく、なのかな。
上手くいったと言ってもいいんだろう。
「そうそう、シンリナス。土産の岩石イノシシは今回傷も少なかろう」
「うむ、上物だな。大きさはまあまあか。近年、ヌシのサイズが小さくなっている気がする」
「それについては問題だが、あの岩石イノシシを狩るのにはイリスが手を貸してくれたのであるよ。だから傷を最小限に抑え仕留められたのである」
「ほう!」
「吾輩、この子を冒険者にする所存。いずれは自らを守ることを覚えねばならぬのであれば、それが手っ取り早かろう。師にはうってつけの者を呼んでおるから学校には通わせないが、いずれは遺跡への許可証を貰いたい」
「わかった、覚えておこう」
あ、冒険者になりたいって自分で言わなくても道筋ができた。
「冒険者になるのか。じゃあ俺と一緒だな」
「フェルも、冒険者?」
「ああ、狩人として一人前にこの前認められた。冒険者ギルドへの登録もそれで許された」
「じゃあ、いつか一緒に冒険できたらいいね!」
「ああ。岩石イノシシを倒したというなら、きっとお前も優れた狩人になるだろう」
「フェル、その子はあくまでジャナリス殿が倒した手柄の一部を与えられたに過ぎない。過大評価は良くない」
「……はい、兄上」
どうやらフェルと違ってグレイナスさんは厳しいお兄さんのようだ。
私は、おじいちゃんに言われるままにフェルに手を引かれて狼人族の集落を案内されることになった。
フェルはお兄ちゃんに言われたからなのか、私にとても優しくて。
ちょっとぶっきらぼうだけど、幼心にきゅんとした。
……あ、これが初恋なのかも。
そう思った瞬間だった。