53:ボスバトル 3
私の前に、フェルとアリュートが立った。
そして私の隣に、アズールがいる。
なんだか急激に、頼もしくて怖いものなんてなにもない、みたいな気分になった。
勿論、相手は前世は凄腕の魔法使いにして百戦錬磨のリッチで、さらに暴走状態で危険極まりないんだけどね。
「イリス、状況はきちんと後で説明しろよ」
「する」
「ケガの手当もね」
「勿論する」
「なら、いい」
フェルは視線を外さず、剣を握る手を強めた。
ここがどんなところか、彼は知ったらどんな反応をするんだろう?
そういえばバーラさまが私の呪いとか言ってたけど、アリュートは知ってるのかな?
そもそも呪われてるって自覚はないんだけど、って思考がそれた。
「相手は不死者、魔法を使う。とても強いよ」
「承知」
「不死者と室内戦なんてツイてないね。でもまあ、僕の家族の責任ってやつかなー」
アリュートが踏み出して、鋭い一撃でマッヒェルの腹部を凪いだ。
感触はあるのに飄々とした表情をしている相手が不気味だったのか、嫌そうな顔をしたアリュートが下がれば今度はフェルが上から袈裟懸けに剣を振り下ろす。
流石に叩き切られるのはいやだったのか、ゆるりと上げた片手でその剣は弾かれた。
こうしてみると、規格外の強さだ。
その時代にはこんなのがごろごろいたんだろうか?
いや、化け物だから使い捨てられた、ということはそうじゃなかったんだろう。
一歩間違えたら、きっと私もああなるという訓示だろうな。
それにしても私が習った範囲では、人間族は突出した魔力や肉体を持たない分群れで――とあったけれどマッヒェルは、特殊だったのかな。
……それは、少し、寂しいことなのかもしれない。
「イリス、何を考えている?」
「えっ」
「後でちゃんと聞いてあげるから、今は集中しようね」
優しく微笑んでくれたアリュートが、細身の剣からいつの間にか両手にダガーという形に持ち替えて駆け出した。
右手で切り付け、相手の魔法を避けつつ左手でまた斬りつける。
それは浅い攻撃だけれど、相手の集中を削ぐには十分な攻撃の形だ。
「何か方法はあるのか、あれを退かせるだけの」
フェルが問う。
そりゃそうだよね、リッチ相手に物理攻撃を続けるなんて相当無茶な話だ。
業物の魔法剣でもあれば別だろうけれども、それでも相手は不死者なんだから倒す方法がなければとっとと撤退が最善。
けれど撤退するにもリッチ相手に無傷なんてできるはずもない。
でもフェルは、私に何か方法がある、と確信しているような顔つきだった。
どんな方法を見せてくれるんだと言わんばかりだ。
何その信頼。ムカつくほどカッコいい。
「ある。時間を稼いで」
「わかった」
なにを、とは聞かないんだね。
そんな絶対の信頼を寄せられたら、張り切っちゃうじゃないの。
フェルとアリュートが、マッヒェルが強い呪文を唱える前に詠唱の邪魔を続ける。
それを煩わしいと時折大きく魔力の波動で彼らを弾き飛ばしては小さい魔法でどんどん傷つけていく。
視界の端でアズールも加わって、皆が小さな傷を負って、だんだんと息が荒くなっていく姿を捉えても。
私はただひたすらに、魔力を練った。
取り出した杖を横に持つようにして、神に捧げる歌かのように呪文を紡ぐ。
経験値が違う。
魔力の絶対量が私の方が上でも、現状ではどっこいどっこい、もしくは負けているならば。
魔力の質で勝負するしかないし、失敗は絶対にできない。
彼らが寄せてくれた信頼に、応えるのもまた信頼だと思う。
「うぁっ……!!」
「アリュート!」
例え壁に叩きつけられて悲鳴を上げたアリュートがいても、傷だらけで膝をついたフェルがいても。
彼らは私がそれを案じて詠唱を止めてしまうことをきっと良しとはしないだろう。
私だっていやだ、全員で帰るんだ。
アズールが私の目の前に立った。
大きい魔力の波動を、超音波をぶつけて緩和した。
けれど、それはアズールにとっても最後の力を振り絞ったのか。
私の目の前で、飛ぶ力も失ってへたりこんだアズールに、感謝の気持ちを後で伝えよう。
『どうした、どうした、どうした? 我はまだ、ここにおるぞ。立っておるぞ。ぬしらが言うた化け物は、本物の化け物になってここにおるぞ!!!』
……ああ、この人は。
ずっと、きっと寂しかったんだろうなあ。
道を間違えてしまって多くの人に迷惑をかけたけれど。
きっとこの国に来て、温かさを知ってしまって、止まれなくなったんだろうなあ。
わかるよ。
だって、独りは悲しいものね。
認めてもらえないってのは、怖くて――認めてもらえたら、有頂天にだってなるじゃない。
でも、やり過ぎたんだよ。
『さあ、さあさあさあ! 小娘よ、もうお前を守る盾はいない。諦めて――?!』
「――“我が望むを叶えよ、我は請う、吹き荒べ凍える風よ、そは女神の吐息、非情にて絶対なる牢獄よ! 我が敵を捕らえ、永久の嘆きを与えよ”」
きんっ、と目の前の杖が私の魔力を受けてふわりと浮き上がり、輝いた。
私が知る限りの魔法を組み合わせて構築した、そう簡単に破れない檻を作り出す。
倒せないなら、――問題を先延ばしだと言われても。
「無常なる氷の牢獄!!」
ぱきん、と音がした時には完成だ。
マッヒェルは、私が作り出した氷の箱に閉じ込められている。
それはまるで棺のようなデザインだけれど、そこまで考えていたわけではないのできっとそれは潜在意識でできあがったものなんだろうと思う。
だってこれは、溶けない氷。それをコンセプトに作り出したんだ。
だから、内側から強力な力で私以上の力で押し負かすということはできると思うけれど。
ひたりと手を当ててそれがどんなものか確認しているのであろうマッヒェルの表情に焦りはない。
寧ろ面白いおもちゃを見つけたかのような顔だ。
杖を握り直し、私は続けて詠唱する。
「軌道を描く光」
今度は無詠唱で十分だ。
なにせ、今の私たちにマッヒェルは倒せない敵だ。
でもこうやって捉えてもそう長い時間はもたないはず。
なら、弱らせるしかない。
不死者なマッヒェルは、聖属性攻撃、もしくは光属性攻撃に弱いだろう。
勿論その対策もしているだろうし、普通の攻撃なんてもってのほかだ。
『ぬ!』
狭いその空間でろくに身動きも取れないなら、直撃だ。
光は反射を繰り返し――小さなダメージを、マッヒェルの中に蓄積していく。
無論、決定打と言うわけでもないしちくちくして不快だなあくらいなんだと思う。
でもこれは私の狙いそのものだ。
『く、く……これで我に勝てるとでも?! 塗りつぶしてくれるわ、このようなか細い光線など!!』
「いいえ。私は私の詠唱の邪魔さえされなければいい」
『なんだと?』
「――“深淵なる闇に眠りし魂よ”――」
『?! や、やめろ!!』
「――“我が声を聴きたまえ、我が願いを耳にせよ”――」
『やめろ、やめ……!!』
「――“目覚めよ、汝が名は”――」
小さな光の粒が私の周りをシャボン玉のように浮かんで、消える。
その粒は私の詠唱が進むにつれて増えて、そしてマッヒェルの周りにも現れる。
これは、目覚めの呪文と呼ばれていて通常は闇魔法とか呪いで深淵の眠りについてしまった相手にかけて、魂ごとゆさぶり起こすというだけの術だ。
魂に干渉するので難易度は高めだけれど、目覚まし魔法と言っても過言ではない。
まあ取り憑かれたりした人にも有効だ。とはいえ、どちらの魂が肉体の持ち主か見定めれないととんでもない結果を招くので要注意。
私がこの魔法を使ったのは、マッヒェルという人物と話がしたかったからだ。
リッチになって、暴走している今の状態は、いわゆる悪霊みたいなものだ。
それを大人しくさせるために魂を揺さぶって、冷静にさせてみた。
勿論、これを使われると不死者は相当なダメージを負うので私としては一石二鳥と言ったところか。
万が一、彼が冷静にならなくても冷静になってもなんとかなるだろう、という見通しなので甘いと言われればそれまでだ。
『どうして……どうして我の願いを誰も聞いてくれんのだ……』
ぽと、と乾いたはずの肉体から、涙が零れるのを私は見た。
どうやら目覚めの呪文は成功したらしい。
とはいえ、いつ暴走してもおかしくない御仁なのでまだ氷の牢獄はそのままに。
へたりこんだ老人(にしかもう見えなかった)の前に、私が近づけばフェルたちの視線が厳しくなったけれど、それを制して私はゆっくりと彼の名前を呼んでみた。
「マッヒェルさん。あなたの願いは、叶っていたじゃありませんか」
『……なに?』
「そりゃ、バーラさまの愛情は無理でしたけど」
彼のマッヒェルになる前のことは、誰も知らない。
誰にも知られたくないという彼の願いを、皆が受け入れたから。
この国で生きたいと願った。
それを彼の後見人となった虎人族は快く受け入れた。
むしろ自分の娘を娶らせても良いとさえ思ってくれていた。
独りぼっちだったと思っていた彼は、受け入れられて、有頂天になって、忘れてしまったんだろうか。
「虎人族の集落で過ごした日々は、苦痛でしたか」
『……いいや』
「あなたの魔法を、恐れる人はたくさんいたんでしょうね。すごい使い手だもの。でも褒めてくれる人もいたでしょう?」
『アルミアの連中は、誰も。ただ恐ろしい、おぞましい、まるで人間族ではないようだ、と俺を蔑んで、』
「サーナリアでは?」
『……サーナリア、では……?』
私の声に、ぽかんとした表情を見せたマッヒェルはゆるりと視線を巡らせて、言った。
『マシナという虎人族の女が、俺を見つけて、手を差し伸べてくれた。俺が恐ろしい魔法を使うと知っても、すごいすごいと笑っていた……そう、マシナも、アルデも、ディージャも、ジャスティルも、皆、驚いてもそれだけだった……』
「あなたが人間族の名前を捨てて、サーナリアの名前が欲しいと言った時は?」
『アルデが、喜んで名付け親になろうと言ってくれた。マッヒェルとは、サーナリアの古い言葉で優しさだと……そうだ、優しいお前に似合いの、名前、と……』
「そう、あなたは優しいのね、マッヒェル。みんなの名前を今でも忘れていない、優しいヒトなのね」
『でも俺は、彼らよりも、陛下が、』
「でも忘れられないのね、みんなを」
『恨まれている。俺はそれだけのことをした』
「そうね、国は滅びたし、それはたくさんの血が流れた」
そんなことを言ってはまた暴走するぞと睨むフェルに、それでも私は気付かないふりをする。
そうだ、気付かないふりを続けていることで、マッヒェルは問題を先送りにして、自我を失ったバーラさまをそばに置いて傷の嘗め合いのようなそんな人生を送るつもりだったんだろう。
やってしまったことは、もう戻らないのだから。
でもそれは、違うと知っているんだ。
この人は、とても賢かった。賢過ぎた。
「マッヒェル、賢者の卵。貴方が罪を認め、雪ぎたいのであればいくらでも道はあると思うの。偉大な魔法使いとして、過去の罪を認めることはとても難しいし、今ではもう裁ける人はいないけど」
『……賢者の卵? 偉大な魔法使い? お前はなにを……』
「少なくともあなたの魔法は優れていて、使い方を間違えなければ、多くの人の救いとなるの。そして不死となったあなたはいくらでもこれから研究していける存在だわ。命を救う薬を生み出すだけの知識と知恵もあるし、時には人にそれを教えるだけのこともできるはずよ」
ちゅるぴぴぴ、といつの間にか小鳥状態に戻ったアズールが私の肩に止まる。
どうやらアズール的にはもう戦闘は終わったと思ったんだろう。
満身創痍なところを悪いけれど、陛下を呼んできて、と言うとアズールは飛んで行った。
そしてすぐさま現れたバーラさまは、落ち着いたマッヒェルを見て眉を顰める。
そんなバーラさまを見て、マッヒェルが縮こまる。
何だこの構図。
「あの、陛下。マッヒェルさんの激情で色々ありましたけど消滅は正直私の実力では無理で、今、会話できるくらい落ち着いてもらうことは成功したって言いますか……」
『マッヒェルよ』
『は……はい……』
『汝の罪に裁きを下す』
あれー。もう裁く人いないとか言っちゃったんですけど。
まあ、女帝陛下は当事者だからいいのか……?
困ったように私が一歩下がると、バーラさまがマッヒェルの前に立った。
狭いだろうに、牢獄の中で土下座するマッヒェルさんを見ると時代劇を思わせるなあ……。
『罪人、マッヒェル。そなたはそこなイリス・ベッケンバウアーの従魔として彼女に付き従い、そして時に師として数多のことを教え、そして守るのじゃ』
『は、はは……!! 畏まりましてございます!』
『うむ、その娘はファナリナスの末と結ばれるということは、余の身内となる娘。世が世であれば皇帝を支えた立場やもしれぬ。それをそなたに護ってもらいたい。……そなたの願いを、このような形でしか応えられない余の狭量を許せ』
『……もったいなき……お言葉……!!!』
いやちょっと待ってよ、感動の展開のとこ悪いんだけど。
おかしくない? ねえおかしくない???
なんで私付とかになっちゃうの? ねえねえどういうことですか!
私が目を見開いてバーラさまを見て唖然としていると、彼女は嫣然と微笑んだ。
『それではイリスよ、そなたは余と少しばかり話をしよう。……そなたの不満も、不安も、余が解決してやろうぞ』
「え、いや、ちょっと待ってください!!!」
どうしてこうなった。




