50:へいか と わたし
それは、夢のような光景。
いいや、これは夢だ。
和子が、いつも姉がそうされているように母親に褒められ愛され、母を挟んで姉と3人、手を繋いでかいものする道を帰るのだ。
普通の家庭のような、ワンシーン。
決して叶うことはなかったけれど。
ただ、そんな風な日常が欲しかっただけだ。
諦めたのはいつからだったんだろう。
空想の世界でだけ、彼女は友人も恋人も作れた。
ゲームや小説をいくつも見たりやったりしたものだ。
でも、現実は――……現実?
私はそこでハッと目を覚ました。
心配そうに覗き込んでいる女性に、ぎょっとした。
だってそれは、まあ普通に考えて彼女しかいないのだけれど、でもだって。
だって、まさか死霊の女王に膝枕されてるなんて誰が予想できた?
しかもおろおろするその姿はまるで普通の人のようで、冷たくて何の感情も見せなかった目は今にも泣きそうだ。
ぎょっとして体を急いで起こして、思わず座るバーラさまを正面に正座してしまった。
冷たい石の床はすごく痛い。
「え、え、待ってどういうこと……?」
『おお、おお、目覚めたか。余の不徳の所為とは故、そなたのような娘御にかような負担をかけたこと、ほんにすまなかった……リリファラパルスネラの友人と名乗るそなたの、名を教えておくれ。余は知っての通り、最後の女帝、愚かな指導者であったバーラパーラネラドルスキリエである』
「わ、私はイリス・ベッケンバウアーです。ファナリナスさまの子孫である男性と、縁あって婚約いたしました。ですので、ええと……まったく知らない縁でもないと言いますか……いえ、リリと友達になった方が先なんですけど……。あれ、違うそうじゃなくて! いやそうなんだけど……!!」
あまりの展開に動揺して、しっちゃかめっちゃかな自己紹介だ。
私っていつも本番に弱いんだよね……あと突発的な出来事とか動揺したらもう躓きっぱなしというか……。
いつの間にかアズールも小鳥姿で私の肩にいるし。
いやこの部屋入る時にはアズールはキツかったみたいでその場で飛んでいたから待機させてたんだけどね。
そういえば、部屋を満たす冷気もずいぶんと穏やかになって……ただの洞窟の中みたいだ。鬼火が飛んでるけど。
『うむ。それと先に一つ謝っておかねばならぬ。そなたを傷つけぬようにそこらにあった布を用いたのじゃが、その際にそなたの魂に触れ――幾分か記憶を見てしまった』
「え、はい。それは別に……」
『そうか、そう言うてくれるか。すまぬな。……娘の姿は、確かにそなたの記憶にあった。あれは、逝けたのか。余と同じで、たゆたうだけの存在になってしまっていたとは気づかなんだ』
「それは、……それは仕方ないと思います。陛下はこの地に封印されておられたのですし……あの、レイスにされたということは理解なさっているご様子ですが……」
『うむ……何から話そうか』
◆◆◆
もともと、改革は急激に始まったと言うには緩やかであったし、ただ急がずにはいられない情勢でもあったのは事実だ。
それでもバーラパーラネラドルスキリエの起こした行動は、根気強い説得により人々に少しずつ浸透していった。
後の研究者による黒狼族から婿を入れたことによる反発は、実は真実と異なる。
雑兵とも言われるような前線兵士の一族から選ばれた誉と一般市民からのウケは良かったのだという。
勿論、政治にかかわることは苦手であったのでそちらは夫君として名ばかりであったのだけれども、その戦闘能力の高さと見目の良さから女帝の夫君となった一般兵士は“見出された英雄”として、将軍として人々の希望ともなったのだ。
反発がなかったわけではないが、そうやって一つ一つ話し合いに重点を置いて片付けていったところでひとりの人間族が仕官してきた。
正確には、虎人族の領域にボロボロの姿で現れたその男を保護し、看病したところで恩を感じた男がこの国の民になりたい、この国に尽くしたいと言ってきたのが始まりだ。
男は魔力が高いゆえに、人間族でも持て余された挙句に利用されて殺されかけたのだという。
しかもそれが実の両親だというので獣人族は驚いた。
その戦闘能力の高さに注目がいくが、獣人族はとても家族思いだ。
それ故に彼らは家族のために戦いを厭わず前線に赴き、そして勇敢に戦うのだが――敵から見れば、狂戦士の集団にも見えたのかもしれない。
真実として傷ついた男を手厚く看護した獣人族に対し、男はいたく感激したのだという。
流石にいきなり信用は難しいだろうと彼はよく働いてくれて、その知識も惜しみなく出してくれたという虎人族の証言により男はとうとうバーラパーラネラドルスキリエの前に膝をつくことを許されたのだ。
それは、人間族との戦争もひと段落付きそうだという頃だった。
誰もが夢見た落ち着いた世の中が来ると思えるほどに、手が届く。
そんな時期だ。
男もそんな世を望んでいたと言う。
自分が迫害されず、こうして異種族でも受け入れてくれる人たちと仲良く暮らして行きたいと。
ゆくゆくは自分の娘を嫁がせようと思うと笑った虎人族の老人を、バーラパーラネラドルスキリエは忘れない。
あれは穏やかな始まりだった。
そう、穏やかな崩壊の始まりだった。
◆◆◆
「でもまとめると、その男の人が陛下に惚れちゃってフラれたから暴挙に出たってことですよね!」
『身も蓋もないのう……』
「キャラフラさんたちは気付かなかったんですか?」
『陛下はそういう事柄は、何も相談してくださらなかったゆえ……。陛下の美しさに懸想する男は絶えず、彼もまた涙を飲んでどこかで折り合いをつけると思うておったので黒幕とは思わなんだ』
ああ、魔性の美ってやつですかね。
たしかに落ち着いたバーラさまは穏やかな雰囲気を持った、それでいて私を心配するその様子は可憐な感じだ。
なのに見た目は厳かな美女とか……すごいな……。
とにかく、謁見を許されたその人は一目惚れしてしまった女を口説くのに失敗して、ここからは予測に過ぎないけれど……レイス化させて暴走によって自我を失わさせて、自分のものにしてしまうつもりだったんじゃなかろうか。
レイスになるにはいくつか条件があることは、教本に載っていた。
魂と肉体を分離させて生み出されたケースが、今回の例だと思う。
この場合、なんとも言いづらいのだけれど成仏は難しい。
何故なら、ゴーストではないからだ。
自ら望んでなった場合を含めて、レイスには亡霊になった『未練』がないに等しい。
亡霊になった人は未練を満たしてもらえれば成仏できるわけで……リリみたいに。
ところがまあ、未練というか色々あったけれどバーラさまは亡霊になってどうこうしたかったわけではなく、悲しみに飲まれて死んだところで魂を分離させるという術をかけられたとみていい。
だから、まあ。
成仏するというよりも、浄化魔法で強制的に消滅、になるのが一番近いのかもしれない。
一体その男というのは何がしたかったのかと言えば、永劫にバーラさまを自分のものにしたかったんだと思う。
狂った愛情だね。
しかし惚れた女一人を手に入れるために、人々を操心して疑心暗鬼に持ち込ませ、家族をバラバラにして殺害した上に幽閉して生き埋めにするとか……。
恐ろしい魔力を持っていたに違いない。そして恐ろしく屈折した愛情と執着心を持っていたに違いない。
「それで、その男の人は……その、随分時代が進んでしまって今頃罠が発動したとなると……、」
『あれは死霊使いであった。人間族に居た頃の名は思い出したくもないと捨て去り、この地にてマッヒェルと名乗っておった。マッヒェルは生前言っておった。余が死を迎えたところで、家族の元には戻れない。永劫に自分のものとする。ただ一度でいいから愛してくれればそれで許せたのに、もう戻れない……とな』
「……」
レイス化したバーラさまは、生者と接触すると暴走するようにあの宝石にそう術がかけられていた、と推測して。
ではそのマッヒェルという男はどうやってバーラさまを永劫に自分のものとすると言い切ったんだろうか?
或いは何かしらの術で輪廻転生をして、ここを監視しているとか?
いいや、そうじゃない。
「バーラさまは正気だよ、絶対アナタなんかに連れ去らせたりなんかしないんだから」
『正気を疑うのは貴様の方よな、小娘』
『マ、ッヒェル……そんな! どこから!?』
バーラさまが困惑した声を上げた。
声と言っても念話だけれどね。
それに対して私と男は答えない。
お互いに、視線をぶつけたままだ。
私の背後――つまり、例の玉座のその背後にゆらりと現れた黒い影。
それをバーラさまはマッヒェルと呼んだ。
そして私の考えが正しかったならば、この死霊使いの男は。
恋に狂ったこの男は、自分にすら術をかけたのだ。
「友達の願いをようやく叶えられそうなんだから、邪魔をしないでいただきたい」
『ほう、我を前に饒舌に喋るとはなかなかに肝の据わった娘よな』
「うるさい、ストーカーリッチ」
「ストーカー? 耳慣れぬ言葉を使う。時代の問題か……まあ良い、陛下が正気であるとは少々面倒であるが……小娘、貴様を殺せば弄りやすかろう!」
ゆらりとぼろの黒衣を揺らして、呵々と笑った不老不死のアンデッド――リッチはどう考えたって強力なボス級の敵である。
だけど忘れてもらっちゃぁ困るんだ、私は回復特化の勇者なんだから。
いいや違う。
今の私は勇者だけど、回復が得意な魔力たっぷりの冒険者。
「アズール、行くよ!」
「キュゥィィィィィイイ!!!」
一歩も引けない戦いだって、たまにはあるんだから!




