49:皮肉な宝石
何度も思い出したように、和子は母親の愛情をよく知らないで育った。
予備扱いされて、まあ食事も与えられたし衣服も生活に必要なすべても与えられた。
全てが、姉の二の次だったけれども。
だから、イリスがリリと魂を触れ合わせて感じた優しい抱擁や褒めてくれる、そんな僅かな温かさすら実を言えば羨ましかった。
だってそれは、イリスも知らない母親のぬくもりというやつだから。
勿論、イリスの場合はその分ほかの家族がたくさんの愛情をくれたので私としては不満を言うつもりはない。
和子だった時には、たくさんの不満しかなかったけど。
「リリは私を友達と笑ってくれた。私に残った魔力を使って加護もくれました」
そして友達も、できた。
イリスの人生は、和子の頃に比べたら格段に不満のない自由な暮らしだ。
「リリのお母さんなんでしょう?」
ここにいるのがバーラパーラネラドルスキリエという女帝であった女性であることは、外の亡霊たちに言われて確定なのは理解している。
それでも本人のクチから告げてもらわないといけない。
私を意識してもらわなければ。
死霊女王となった女帝は虚ろなままに悲しみを振りまいている悪霊となっているわけだから、自我を取り戻してもらって対話のきっかけをつくり、最大の効果としては成仏してもらうことだけど……さすがにそれは望み過ぎなので、せめてバーラパーラネラドルスキリエという白狼族の女性として誇りを取り戻してもらいたいと思っている。
勿論、危険がないわけじゃない。
侍女であったキャラフラさんが彼女の悲しみにつられて自我が保てないと言っていたくらいの狂気にも似た悲しみだ。
これらを一度でどうにかなんていうのは最高位の僧侶とか死霊使いとか、伝説の勇者の仕事だ。
青みがかった霊体であるキャラフラさんたちと違って、同じように亡霊なんだけどもっとはっきりくっきりしている女帝陛下はもっと濃い青色だ。
顔色が悪いとかそういうレベルじゃない。
肉体がまるであるかのように構築されているけれど、ゾンビとかではないからそれは霊体に過ぎず、死霊の女王なんだから普通のゴーストとかよりもずっと強力だ。
ゲーム的に言えば、レイスっていうのは魔法使いによって魂を云々っていうのが定説だけど……。
この場合、そういう魔法を仕掛けられていたのかなってちょっと思う。
だって不自然でしょう。
閉じ込めて生き埋め――それだけでも十分非道だけど、その閉じ込めた大岩にかけられた独自性たっぷりの封印魔法。
あれは“出て来れないように”したものじゃないと思う。
そしてそこで生き埋めにされた人が全員亡霊になって、しかも自我を保っているというのがなにより不自然なのだ。
レイスを作り出して、何がしたかったのかまではわからないけど。
少なくとも、閉じ込めて殺害する以外にバーラパーラネラドルスキリエという女性は何か実験されたように思う。
まあ、現代にいたってそれを解明するのは学者の仕事で、私の仕事じゃない。
レイスはドレインみたいな能力と魔法攻撃があるのがゲームで定番だけど……。
バーラさまはどうかな?
ゆっくりと立ち上がった、霊体の塊であるその体はとても肉感的に見える。
生身だよと言われれば納得してしまいそうなほどに。
死霊なんだから、肉体は無いんだけどゆったりと立ち上がって、私の前に立っただけだ。
それだけなのに優雅極まりなく見えるのは、私が余計な緊張をしているのは、相手がきっと『女帝』だという一般庶民で日本人的なアレのせいだ。
生前来ていたドレスはきっと最後は簡素なものだったんだろう。
豪奢な銀の毛をなびかせた、白狼族の女帝はそれはさぞ美しかったに違いない。
だけど怜悧なまなざしは、それを生み出す目まるでガラス玉だ。
足はないように見える、そして浮いている。霊体だからか。
そして、私は念のために精神防御の魔法をわずかに身に張っておく。
僅かというのも私がその手の方法が苦手だから、であって。これはあの死霊使いの教本に書いてあったほんの初級中の初級だ。
双子の加護があるから多分大丈夫だと思うけど……。
『 』
「え?」
『 』
女帝が、口を開いた。
だけれど音が出て来ない。
おかしいな、声帯があるわけじゃないから声というか……念話はできるはずなんだけど。
これだけ冷静なんだから、暴走状態になっているってこともないし……。
あ、焦点があってきてる。
うわ、ぎゅるんって目玉(?)が動いた。
半開きの口からなんか奇声出てる?
いやこれ、ちょっと待って、これは。
「……干渉ッ?!」
まさか、バーラパーラネラドルスキリエに接触したらとか、それともこの部屋に入った時からか。
発動条件は不明だけど、何かが彼女を暴走させようとしている。
入口の魔法陣は私が解除したし、入った時にそんなモノは感じ取れなかった。
「キャラフラさんっ、この部屋にあった不自然なモノってなんですか!!」
『な、なんですって?』
「いいから!」
詳しく説明なんてしてられない。
どうやら目の前の女帝が変な声を出したりぐるんぐるん目玉を動かしたりするのはただ私を驚かそうとしているわけじゃなくて、恐らく強制的に暴走させられそうなのをこらえているからだ。
だけどそれがいつまでもつのか? 戦闘になったら勝てるのか? あるいは友達のお母さんを無理矢理成仏(物理)させるのか?
じゃあどうにかできるまで逃げる?
色々な選択肢が頭の中を駆け巡る中で、とりあえずもし変なもの、があるなら。
それが解除の鍵なんじゃないかとキャラフラさんを頼ったわけだけど、そんなものがあったかな?
『も、もしやその玉座にある宝石ではないかえ? 生前、バーラパーラネラドルスキリエさまは幽閉した女帝に唯一大きな宝石を寄越すとはなんという嫌味なのかとおっしゃっておられた。我らは女帝陛下に対する最低限、帝国家に対する尊敬の表れかと思うて……』
「玉座ねわかった!!」
最後まで聞かず申し訳ないと思ってるよ!
でも命の危険が目の前にあったら、優先順位ってものがあるじゃない。
怪しいものかどうかなんてわからない。
だってここは、バーラさまの魔力で満たされた部屋で、そのバーラさまを操ろうとする魔力なんて混じっちゃってわかりゃしないんだ。
でもキャラフラさんが言う通り、簡素な石造りの――もしかすれば、当初は木材や藤材くらいは使っていたかもしれないけど――部屋と石造りの玉座にはあまりにも似合わない、豪奢な赤い宝石がちょうど座ったら隠れる位置に飾られている。
勿論、玉座と呼ぶにはあまりにも簡素な、飾り彫すらないものに、だ。
なんて似つかわしくない。
なんて皮肉めいた。
バーラさまが嫌味だというのも納得だ。
苦しむバーラさまに背を向けるのは、正直危険かなと思うけれど逃げる選択肢を捨ててしまった私にはもう前進しかないのだ。
お母さんの形見のナイフを構えて、玉座によじ登って突き立てる。
パリッという音がしてナイフは石に到達がなかなかできず、攻撃を仕掛けた私を拒むように軽い電撃が体中に走って痛かった。
それでも魔力対魔力なら、私だって負けはしないのだ。
「こ……ンの! くそった、れええええええ!!!」
リリを悲しい目に遭わせただけでなく、そのお母さんまでもなにしてるんだと。
正直前世はそれほど上品なわけではなかったので、今イリスとしてはおばあちゃんの教育の賜物で普段は淑女を心がけるけどね?
思わず、罵倒だってしたくなる日もあるってこと!
よく言うじゃない、女はコワイ、ってね! あれ、意味が違うかな。
ともかく、私の魔力がそれを上回ってナイフがぶつかれば。
後は、急激に爆発するような光が出て私の目がくらんで――私は、なんとも情けないことに気を失ってしまうのだった。




