5:世界と魔力
リリファラパルスネラ。
そう名前を付けようとおじいちゃんが言って、おばあちゃんが「ふざんけじゃないよっ!」と激怒したその日のことをロットルさんはよく覚えていると言った。
結局のところ、妥協案としてつけられたリリファラ。
それがイリス・ベッケンバウアーの母の名だ。
祖母アマンリエによく似た金の髪を持ち、祖父ジャナリスと同じ黒曜石のような目をした可愛い赤ん坊だったとロットルさんは教えてくれた。
祖父の話は、要約すればこうだった。
それなりの名前ある冒険者夫婦の一人娘は、両親の影響か冒険家になって聖都で運命の人を見つけたと、鍛冶屋の青年と結婚を決めた。
父と母の馴れ初めだ。それは私も知っている。
人間族との婚姻ということで次々に生まれる孫に祖父母は大喜びで、一時サーナリアから聖都に育児の手伝いに行っていたくらい幸せな家庭だったらしい。
「今も幸せであるけどね」
そうふんわりと嬉しそうに言うおじいちゃんが、優しく頭を撫でてくれる。
でもその後、少しだけ辛そうな顔をした。
「ロットル、吾輩はリリファラのことをこのイリスにどう話したら良いのか悩んでいるのだよ」
「何を悩んでいるのだね?」
「イリスは、この歳で考えればとても賢く、そして魔力を有しているのだよ」
祖父の言に私はぎくりとしたし、ロットルさんは渋い顔をした。
この世界で魔力というものを持っている存在は、貴重だ。
種族によっては魔法を使えるけれど、それは生まれつきの才能によって大きく左右されると言われている。
けれど、私は知っている。
『前世の私』の知識が、知っているのだ。
なにをって?
魔力の増やし方を、だ。
前世、命を失った、私を召喚した世界。
あちらの世界も剣と魔法の世界だったわけだけど、彼らは今いるこの世界よりももう少し色々な研究が進んだ世界。
強大な“悪意”というものを人類から吸いあげて、それらを廃棄することで平和を保っているような世界だった。
吸いあげた悪意が野生動物などにとり憑くことによって魔物化するという事態になって問題視された。
そもそも悪意を吸い上げるという魔法が開発されたのは世界中で戦争が起こったかららしい。
だから魔物が生じたからといってその魔法を停止するわけにはいかないし、施術した魔法使いが他界している以上下手なことをしたら余計なことが起こるかもしれない。
というわけで、一般には秘密にされたまま魔物退治をするという職業が発生し、ギルドが発生し、とそちらはそちらで独自の発展を遂げることにつながったのだ。
それでも討ち漏らした魔物が強くなっていって結局のところ『じゃあ他所から連れてきた連中に退治を任せちゃえばいいんじゃない?』という結論にどうしてそうなった。
まあ要するに、そこに至るまでの研究の中で『魔法力をより強力に成長させる』研究も成されたのである。
結論から言うと、誰もが魔力は有している。
それは生命力と共に存在するもので、全くないと言われる存在のほうが稀有だったのだ。
全くない人の場合は、身体能力がものすごいだとか生命力に満ち溢れているだとか、まあ特に弊害はなかったのだけれど。
それで魔力は全身に巡らせる修練を続けると、それなりに増えるということが研究結果で証明されている。
その研究から冒険者たちが成長し、そこからさらに異界の『勇者』たちを育成したりも当初はしていたようだ。
ただし、低年齢からが望ましいとされある程度の年齢がいってからの修練はさほど伸びが見えないという悲しい研究結果も出ている。
とにかくその理論は、こちらの世界でも当てはまったようだ。
以前の私は年齢上あまり伸びなかったので、こちらの世界では面白い様に伸びる伸びる!!
日々修練を積めば積むほど魔力の質も量も上がっていくのを感じるのがついつい面白くて繰り返していたら自分でもちょっと引くくらい、周囲と差ができていた。
いや、うん……ほら、前の世界では『C級』って言われて冒険者にまで笑われたからさ……。
悔しかったんだよね……で、ほら今子供だから伸びるんだってことが嬉しくてだね……。
勿論制御もできるし、この世界の人間は鑑定能力があるわけでもないので早々バレないけどおじいちゃんとおばあちゃんはなんとなく感じているようだった。
それに前世の記憶があるせいか、どうしても幼児らしくない私を心配していることが多々あった。
母を恋しがらないことも、心配させる原因なんだろうと思う。
「確かに、イリスちゃんはおとなしくてとても賢いようだねえ」
「そうですねえ、ドットルとリットルがこのくらいの年頃の時は、走り回って沼地に落ちてヌマガエルたちの顰蹙を買っていたような気がしますけどねエ」
「リリアンナ、やはりそこは女の子であるから」
「え?」
「……そうか、そういうことか。私たちにも秘密にしていたのは、そういうことなのだねえ」
「すまない」
ああ、そうか。
私の性別は隠されていた。
それは、おじいちゃんの親友だというロットルさんにまで。
それはそれだけ秘密にしなければいけないなにかが存在するんだろうか。
まだ私は、よく知らなかった。
「そうかそうか、女の子か……では、リリファラの件もそういうことなのだねえ」
「ヘイレムがわざわざ聖都で冒険者になったのも、その件について調べたいという本人の強い希望があったからなのだよ」
「そうだったのね……では猶更、私はイリスちゃんには難しくてもきちんとお話はしておくべきと思いますよ」
「そうだねえ、私たちにも秘密にしていたこと、訪問の回数を減らしたことは我々を慮ってのことだろうと想像はつくが……ジャナリス、水臭いなあ」
「本当にすまないと思っているのであるよ」
「その奇妙なしゃべり方はなんなんだい?」
あ、その喋り方はもともとじゃないんだ?
「孫には賢く見られたいのである!!!」
「実際お前さんは賢かろうに、その喋り方がむしろ阿呆のように見えるがね」
「ロットル、あんまり辛辣にならないの。当時が無理でも今こうして頼りにしてくれているじゃあないですか」
「む……」
私は、どうしていいかわからない。
「では、ロットルたちには吾輩の言葉を聞きながら、時にイリスにわかりやすく説明をしてもらう手伝いをお願いしたいのである」
「任された」
「はい、お任せくださいな」
◇◆
リリファラは幸せだった。
当時すでに5人の息子を得て、愛する夫は勤勉で子煩悩であり鍛冶屋としては成功を収めている。
しかも6人目を授かって、次は弟だろうか妹だろうかと嬉しそうに息子たちもまだかまだかと喜んでくれている。
子育てに追われる一人娘が遠い地に暮らすのは寂しいことこの上ないが、婿殿は人格的に実直で好ましかったし、6人目が生まれたら一時鍛冶を休んでサーナリアで自分たちの所で休暇を楽しみたいなどと言ってくれていて何も不満などなかった。
家族が幸せでなによりだとジャナリスもアマンリエも笑顔が絶えない日々だった。
所が、6人目が無事生まれて――珠の様な女の子だと全員で喜んだのも束の間。
どこかの貴族だと名乗りもしないで身分をちらつかせ、未だ名もない赤ん坊を寄越せと言ってきた。
金なら言い値で払おうじゃないかとまで添えて。
魔力を有する人間族の赤ん坊だったから、だ。
貴族や王族は他種族と婚姻をすることがある。
それはいわゆる政略結婚というやつで、だが異種族婚で人間族以外は子を成すことが難しい。
無いとは言わないが、少数しか生まれないのが現状である。少子化の波が王族を悩ませていた。
そこで“生み女”と呼ばれる身分の低い人間の女が、他種族の女貴族や王族と褥を共にすることが暗黙の了解になっていた。
人間族の女は相手の男の種族を選ばずにその種族の子を成す上に、多産だからだ。
獣人族も多産であるが、なにより人間族の場合は魔力を継がせる特性があると知れ渡っていれば、生み女としての価値が上がるのは頷ける話だった。
そして個人の意思などそこにはない。
生まれた赤ん坊は正妻の子供として育てられるので、母親と名乗ることは許されない。
用が済めば捨てられることもあるし、運が良ければ身分の低い愛妾として一生を終えることもある。
だからこそ赤ん坊や幼児のうちに養子に迎えてそう言った役目を与えたがる王侯貴族が存在することをジャナリスとアマンリエは知っていた。
知っているからこそ、激怒した。
母たるリリファラも、父たるマックも当然激怒して追い返したのである。
だが相手はどこの国の貴族とも名乗らなかった。
ただ貴族だと言っただけだ。
早々に怒鳴り散らして追い返したのは危険な事だったなと思った矢先に、襲撃に遭って――子を奪われまいと、産後間もない体でリリファラは抗い、そしてそれが原因で命を落としたのだ。
襲撃に関しては物盗りの仕業だろうと役人はそう片付けたが、家族の誰もそれで納得は出来なかった。
だからまたイリスを、他の子供たちを何かしら報復も含めて狙いつけるようであるならばこの地に留まる理由はないと一家の大黒柱・マックはそう判断してジャナリスとアマンリエのいるサーナリアに身を寄せたのだ。
長男は家族の安寧が大切だと思いつつも、自分は冒険者になって家族を害した者を探りたいと聖都の冒険者学校に入学。
そして、サーナリアに着いてからも家族は再びこんな襲撃があってはならないとイリスを周囲には男の子でもあるかのように見せて育てる。
男兄弟の末っ子がさも男の子だと言わんばかりに。
だが、言葉が喋れれば、顔立ちを見れば、それは成長と共に誤魔化せなくなっていくだろう。
それに本人にいつまで隠しておけるだろう。
◆◇
「……とまあ、こんなものなのだよ。イリス」
「イリスのせい、なの?」
「そうじゃあない。嫌がる母親から無理矢理娘を連れていく人が悪いんだ」
「でも、」
「ただ知っていて欲しいと思ったのかもね、イリス、吾輩の娘は、お前のお母さんは、お前と家族をとても愛しているよ。それを知って欲しいと思ったのだよ。わかっている、吾輩の我儘だ」
そうだろうか。
そうだろうか。
きっと良い人だったのだろうと、イリスの母親像は想像できていた。
単純に、和子の影響から“母親”ってものを受け入れがたかっただけで、父や兄たちが今でも愛している、それがきっと答えに他ならない。
それをわかっていながら受け入れていなかったのは、前世の記憶の影響を受けているから。
でもそれは私本人にしかできない言い訳だ。
魔力を持った娘が生まれたというだけで着け狙われた挙句にその娘を庇って死んでしまったなんて、ものすごく愛されていたんだと思う。
愛されていた、んだ。
愛されて。
和子は愛されたかった。『おかあさん』に。
イリスは愛されていた。『おかあさん』に。
ぐるぐる視界が回るような、気持ち悪さが襲い来る。
私は一体何を見て、何を感じて、何を考えてきたんだろう。
私は和子じゃなくて、イリスだ。
和子だったけど、イリスなんだ。
わかっていたはずなのに、わかっていなかった。
「ああ、イリス……顔色が良くないね。すまない……」
呟くように言うおじいちゃん。
それに痛ましいような視線を向けるロットルさん。
違う、違うのに。
違うと声を大にして叫びたいのに。
そうも言えない私が、また嫌だ。嫌な部分が増えていく。
「しかしねジャナリス、そういうことならばシンリナスを頼るべきだね」
「……シンリナスかあ、吾輩嫌われておるからの」
「そんなこたぁない、明日にでも行ってみろ」
「気が進まんなぁ」
シンリナスってのは人なのか、場所なのか。
きっと人なんだろうけど、もう私は考えられない。
ぎゅっと握りしめた自分の手は、記憶の中にある私の手よりもずっと小さくて、丸い手だった。