46:理想のカタチ
あの後、アリュートは自分の家族が暮らす家へと帰って行った。
外交官だけど、グルディから一番近い交易都市・マニャムの領主の客人としてそちらで生活しているそうだ。
マニャムは養蚕業で有名な都市で、その交易は莫大な利益を生み出すらしい。
マニャム蚕の絹織物は特別美しいと評判だ。
……結納物資としてもらったマニャム蚕の絹織物(の反物)は大事にとってあるので、これでウェディングドレス作れるかな? もっと必要なのかな??
そういうことに知識がまるでないので、まあ最終的には売って結婚資金の足しに、ともちょっとだけ考えてる。
アリュートともに外へ出た私は、夕暮れから夜の帳が降り始めた空を見上げて、きゅっと唇を噛んだ。
自分であれこれしているつもりでも、今回の、結婚? とか結納? のことは正直主導権を握られっぱなしだ。
私をどんなことからも守るなんて言ってくれた2人だけど夫婦とか恋人ってそういうものだろうか。
和子の両親はまず当てはまらなかったし、イリスの両親は母親がいないから夫婦の云々はわからない。
辛うじてわかるのは祖父母夫妻だけど、仲睦まじいし互いに助け合って、互いに競い合って、そういうのがきっと私が目指したい夫婦の形だと思うんだ。
――私の夫婦ってものの、理想だと思うんだ。
勿論和子も結婚したことはなかったし、夢見たくらいはある。
でもぼんやりとしたものなんだ。
憧れは、あまりにも遠いもので、あまりにも尊いもののような気がしていたから。
でもイリスに生まれ変わって、今、それが目の前にある。
私は、守られている。
生まれてすぐ、両親に守られた。兄に守られた。祖父母に守られた。
そして成長して今、恋した人に、恋してくれた人に守られようとしている。
多分、それは悪い事じゃない。
でも、きっとこれだけじゃだめなんだと思うんだ。
私は、守られている。
でも私も、守りたいんだ。
踏み出した先で、何があるかなんてわからない。
千里眼じゃないし、未来を見通す力もない。
失敗だってするだろうし、成功もするだろうし。
そんな日々を、分かち合っていける。
そんなのが理想なんじゃないのかな。
「……夫婦って難しいですか、グレイナスさん」
「一概には言えない」
数歩進んで、私はひとつのテントの横で足を止めた。
そうして投げかけた疑問に静かな声が応えた。
グレイナスさんは――守るために、なりふり構わなかった。
それも一つの、道だったんだろう。
「私、そういうのまだわからないです」
「だろうな」
「でも、フェルが守るって言ってくれて嬉しいので、私も守りたいなと思います」
「そうか」
「グレイナスさんが目指す“守る”形とはきっと同じにはなれませんが、努力していきたいと思います」
「……そうか」
「命を投げ出して、などとは約束できません」
そうだ、私は。
命がけで、仲間を守って死んでしまったことを、和子は後悔しなかった。
でもイリスになって、守られた人はどう思ったんだろうと思った。
護られて、母を失ったイリスだからこそ思うんだ。
「一緒に何かを成し遂げられたらいいな、と思いました」
「できそうか?」
ふっと笑った気配がする。
私は、ようやくグレイナスさんの方を向いた。怖くて、見れなかったんだ今まで。
フェルとの関係を否定されるんじゃないか、私を否定されるんじゃないかって。
でもそんなことはなかった。
グレイナスさんはいつも真っ直ぐにこっちを見て話をしてくれていた。
ずっと私を見てた。
多分、見ていてくれたからこそ、否定されるんじゃないかって自分の自信のなさが、グレイナスさんを見る目を曇らせていたと自分でも思う。
彼はお兄ちゃんで、彼はいずれ一族を継ぐ人で、彼は彼の子供の父親であり彼の妻にとって夫であり、私にとって大好きな人の、大切な人だ。
だから彼も、大切な弟が幸せになれる相手だろうかと思ってみていたに違いない。
それを理解するのが遅いのは、きっとまだ私が子供だから。
「できるかどうかはまだこれからです」
「そうだな」
「フェルの恋人として、彼に恥ずかしくないようにふるまうところから始めたいです」
「それは大丈夫だろう」
「……できればあのスキンシップにまだ慣れそうにないんですが」
「そこは注意しておこう」
くすくす笑い始めたグレイナスさんに、ああ、笑い方が似てるなあと思った。
勝手に壁を感じていたのは私だったのかもしれないし、実際に壁が作られていたのかもしれない。
でももうそんなことはどうでもよくなっていて、私も思わず笑った。
「……フェルの毛色のせいでな、ちょっと揉め事もあるんだ。おそらくあいつはそれをお前に言わないだろう」
「揉め事……ですか?」
「我々一族はそんな考えはないが、一部の獣人族はかつての皇帝国を取り戻そうという活動をしている。フェルはその皇帝一族の血を受け継いでいることを濃く示す、あの毛色をしているからな。故にすでに大勢の娘が挨拶と称してフェルに気に入られようと最近族長に打診してきたり不意打ちで訪問してくる始末だ」
「そう、なんですか……」
「お前とフェルが気持ちを通じていることは知っていた。いずれはそういうことになるのかもしれないということも想定していた」
「えっ?!」
反対してたんじゃないんだ?!
グレイナスさんのその言葉に思わず声を上げてしまえば、彼は少しだけバツの悪そうな顔をした。
「俺は外部の者に冷たいとはよく言われる。妻にもよく窘められるが……お前には、ロウウルフの男の妻としてしっかりしてもらいたいという気持ちもあったから、余計に辛く感じさせたかもしれない。詫びておく」
「え、いいえ、あの、え?」
「もうアナタ! いつまで他所のお嬢さんを立ち話させておくんですか!!!」
「イザベラ」
「ごめんなさいね、この人ったらこういう強面の癖に更に不器用で寡黙で伝えなきゃいけないことを上手く伝えるのが下手なものですからね。ほらアナタ、後は私がイリスさんに説明しますから子供たちとお肉捌いといてください!!」
「おい」
あんまりな言われように、グレイナスさんはどうやら嫁の尻に敷かれるタイプの夫らしい。
イザベラさんは、同じ狼人族の女性で黒い毛並みはゆるりと長毛の、美人さんだ。
ほら早く、と急かしてグレイナスさんを追い出したイザベラさんは、私の手を取ってずんずんと歩き出した。
「全く要点を得ない話ばっかりするから、横でイライラしてでしゃばっちゃったわ。ごめんなさいね、イリスさん」
「いえ……」
「こうしてふたりで話をするのは初めてよね? じゃあまずは自己紹介から改めて! 私はイザベラ、狼人族のサキナスの娘でグレイナスの妻よ。それで早速本題なのだけどね」
イザベラさんは、どうやらせっかちらしい。
そしてよく喋る人だ。
で、話をまとめると。
シンリナスさんが健在な上にその息子のレイリナスさんもいるというのに、フェルを族長にすべきだという不敬者が増えたことで調査が入った。
その結果、王政復古を願う派閥が存在していて、はっきりと皇帝家の特徴である白銀の毛色を持つフェルを象徴として押し出そうということだったらしい。
だから別にそれで兄弟が不仲になったりはなかったけれど、フェルは家族に迷惑をかけていると気に病んでいる様子で、家族は家族でそんな水臭い遠慮なんぞして、とやきもきしていたんだそうだ。
だけれど流石に族長云々は気が早いと考えたらしい派閥の連中は、今度は女でフェルの気を引こうとしてきたんだそうだ。
代わる代わるフェルを訪れる女性陣に一族もフェル自身もうんざりしていて、フェルは私といつか付き合うだろうからそれまでの隠れ蓑で兄弟で同じ嫁を持つことにしたと噂を流したりもしたそうだ。
実際にイザベラさんはそれを了承したけれど、結納を正式に交わすつもりはないと明言もしていたそうで、ただそれはイザベラさんを邪魔に思う人がもし行動に出たら危険極まりない宣言だろうとグレイナスさんが怒った、というのが真実だそうだ。
派閥が暴力的な行動を厭わない団体であれば、フェルの周囲の人間が危険にさらされるわけだから行動は慎重に……とフェルが気にするから彼に内緒で行動していたら、なんと私と結納を勝手に交わしてしまったと事後報告。しかもアリュートも込み。
それでグレイナスさんがまた怒ったのだ。
お前は妻にする女の安全ひとつ考えてから行動できないのか、と。
ところがフェルはフェルでグレイナスさんが私を妻にするということに反対していると思っていたから、兄弟でその認識の違いとか考えの甘さとか、とにかく説教と話し合いとすり合わせが行われたのが今日、ということだったらしい。
イザベラさんは「本当に不器用な兄弟よねーぇ……」と呆れ顔だった。
「まあまとめたらそんな感じよ!」
「ありがとうございました、なんだか疑問が解けました!」
「そう? それならよかったわ。可愛い義妹ができるのは私も嬉しいから。私の子供たちにも貴女が親切にしてくれたってちゃんと聞いているのよ、いつもありがとう。噂の件で貴女は私のことを良く思っていないと思っていたから、ちょっと避けちゃってたけど……今度からはいつでも相談に乗るからね。人妻の意見も結構役に立つと思うわよ?」
「……じゃあ早速聞いていいですか?」
「なあに?」
「狼人族ってスキンシップ激しめですか?」
「そうねえ、……ふぅん、そうねえ!」
にやぁっと笑ったイザベラさんは、私に色々教えてくれた。
そう、ほんっとーぅに色々と。
そうか……覚悟しておこう、かな……。




