40:ふり幅が大きすぎる。
首はとりあえず特徴はなかった。
頭蓋骨に咬み傷があったので、獣が頭をまるかじりしたってことなんだろうと思うが、割と新しいものだった。
ちょっと吐き気がする。
さっきのサンドイッチを出してしまいそうだ。出した方が楽なのか?
わからないけど、これは“対象者”の誰かだと思った。
この人物の首から下はこの部屋には見当たらない。
だがよく見れば、手だけとか、指だとかが転がっていて、そのうちのひとつはまだ原型を留めていて指輪をしていたのでそれを遺品として持ち帰ることにした。
何かの唾液でどろっとしていたのでちょっと触るのを躊躇せざるを得なかったけど、ここは覚悟を決めるしかない。
近くにあった衣服だったであろう布切れにそれを包んで、インベントリに入れて部屋の外へと出た。
小さな小部屋がたくさんある、が、扉はない。
音と気配はするものの、近くはない。
もう少し先に進んだところのようだ。
私が落ちた場所は、こうした小部屋の多い一角の突き当りだった。
これで進んだ先に敵がわんさといたらもう詰む。
いつでも永劫氷河を発動できるように魔力を貯めて、ゆっくりと周囲を注意しながら進む。
生臭さはどんどんひどくなるけれど、それは敵に近づいている証拠でもあって、私の緊張もどんどん高まっていった。
獣臭さ、青臭さ? 生臭さ?
それから悲鳴、懇願、獣の唸り声。
小部屋の集まりだった一角から、広い所に出た。
そこからまた道がいくつにも続いている。
そしてその広場らしいところに、無残な死骸が転がっていて、ところどころ食いちぎられた痕も見えた。
ぎゃぁぎゃぁ騒いでいたのは、ノールだ。
陰獣ってノールのことか! わかりづらい!!
ノールは、ハイエナが二足歩行してるみたいな魔獣でとても短気で凶暴で、群れで行動する。
弱者を狙うのが大好きで、いつだっておなかを空かせていて危険だ。
女と見ればいたぶり犯し孕ませたり食い殺す。
男は集団で襲っていたぶって食い殺す。
子供なんてもってのほかだ。
下手したら孕ませて生まれたノールと人間のハーフブリードすら食べてしまうとおじいちゃんは言っていた。
ぞっとするね。
集団で襲ってくるから、不意をつかれたりすると危険極まりない相手だ。
でも今は何かに夢中みたいだから、そっちに注意が向いているうちになんとかしたい。
何に夢中になってるんだろう?
もしかしたら救出対象者がまだ生きているんだろうか。
だとしたら永劫氷河は撃てない。巻き添えで凍らせちゃったらまずいもの。
なら使ったことはなかったけど、雷系の魔法を使うのがいいかもしれない。
痺れる程度は諦めてもらおう。
それにしたって位置を掴めないと直撃したらダメだし。
そして私が様子を窺うと、そこには裸の女性が2人いて、エルフの女性がもう一方を抱きしめるようにして守っている姿と、その2人を庇うようにして立つフェルとアリュートの姿を見つけたのだった。
彼らは女性たちを庇う形で立っている。
どうやらエルフの女性は正気のようだけど、もう1人の人間の女性はぶつぶつと何かを呟いて下を向いたままだ。
これではこの集団ノールを相手に逃げるのは厳しいに違いない。
アリュートもフェルもボロボロだ。
「あっ、フェル……!!」
ノールの一撃で、フェルの片手剣が折れた。
思わず声が出れば、当然私の方にも一部のノールが振り返って気付かれる。
歓喜の声? なのか、べろんと長い舌を出して唾液をだらだら垂らしたノールが駆け寄ってくる様はなんともおぞましかった。
私はそれを避けて、この際フェルたちに合流するべく突進する。
肉体強化の魔法を足にかけて、とにかく捕まらないことを優先に。
私を掴まえようとするノールの爪が首元を掠めて、私のショートマントを剥ぎ取った。
熱い、痛い。
きっとあの爪を掠めたんだ。
でも立ち止まるわけにはいかない。
捕まれば、もっと厄介だ。
私は初潮を迎えていないから、美味しい子供の“お肉”にされるに違いない。
食われてたまるかってんですよ!
フェルとアリュートも私に気が付いたんだろう。
駆け寄る私を迎えようと押しやって道を作ってくれて、耐えている。
あと少し、あと少し!!
なんでこんなにこいつらいるんだろう!
「ひ、」
捕まった。
そう思った瞬間、べろりと首から頬にかけて生臭い舌が私のことを舐めた。
そしてにたぁと笑うノールの、下半身が。
私の足に擦り付けられる。
え、ちょっと、待って。
気持ち悪い気持ち悪い、何を欲情してんだこのノール?!?!?
子供でもいいって?!?!
魔獣にもそういう趣味のやつがいるってこと?!
思わず背中と言わず全身にサブイボが出るのを感じた瞬間、私は別の腕に掴まれて引き寄せられた。
「――……イリスっ……!」
「フェルっ!」
引き寄せられて、抱き寄せられた。
私を奪われたノールが、奪い返そうと咆哮を上げて持っていたモーニングスターを振りかぶり、そいつに私たちの背後から剣を突き出したアリュートが倒す。
瞬間的に倒れたノールから、またノールたちが襲ってくる瞬間私が呪文を完成させた。
「雷の咆哮!!」
紫がかった雷が、私の前方に放たれる。
バチィっと派手な音を立てて私たちに襲い掛かるノールと、その後ろら辺にいた連中が倒れた。
そして私の魔法にたじろいだ後方のノールが、逃走を始める。
襲ってくる連中もいたからそれをアリュートが倒しつつ、私は意外と怖かったんだろう、自分の体ががくがくと震えるのをようやく感じた。
そんな私を抱き留めたままのフェルが、私を抱きかかえたまま「行くぞ。」と言った。
「え、あの、ちょっと、どこに……」
「この先にある魔力の泉だ。あそこで体勢を立て直す」
「フェル、あの、」
「黙ってろ」
正直怖い。
私を抱きかかえている手はとても優しいのに顔はすごく強張ってる。
降りて自分で走れると伝えたいけど、それも却下されそうだ。
「あの、アズール、アズール、が」
「……あのハルピュイアか」
「アズールは強いけど、心配だから」
「大丈夫だ、まずは魔力の泉で体勢を整えてあのハルピュイアのことも探す」
「……わかった……」
フェルの有無を言わさない声に、私も頷くしかない。
エルフの女性は無言でうなずいて、私の方を見て何かを言いかけた。
私もそれに応じて挨拶くらいはと思ったけど、なんて言っていいかわからなくて取りあえずお辞儀した。
っていうかフェルは、どうしてこんなに怒ってるんだろう。
「泉はこの先にある」
「え、あ。そうなん、だ……?」
まあ生物が生きる上で水は欠かせないし、ノールだって例に漏れず水は必要だ。
ってことは奴らも来るんじゃないのかなと思ったけどどうやらこの階はフェルに言わせると、魔力の泉の部屋は魔獣が寄ってこない安全地帯でもあるんだそうだ。
水場はほかにあるから、とりあえず手当と怪我人を安静にさせることを優先させたいらしい。
◇◆
泉は、まるで整備された噴水のようだった。
どこかの観光用の泉に似た、とても綺麗なものだ。
まあるい大きなドーム状の核を中心に、そこから水が出てくる部分が複数個所会って、ドーナツ形に水が溜まっている。とても綺麗な水だ。
と思ったらドーナツ状の部分にスライムがたゆたってた。
どうやら彼(彼女?)が水を常に綺麗にしてくれているようだ。
しかもなぜか私と目が合うとお辞儀っぽいことをしてくれた。
え、何このスライム知能あるの?
アリュートはこの部屋の横にまた小部屋みたいのがあったから、女性2人を連れて休ませてくると言って姿を消した。
「イリス」
スライム相手に思わずお辞儀をし返していた私を気にする様子もなく、フェルはいきなり上着を脱ぐと私を抱き上げて、その水の中に落とした。
そういや魔力の泉は回復だのなんだのに特化してるんだっけ。消毒になるのかな。
「ひゃ?!」
いきなり脱いだフェルにも驚いたしずぶ濡れにされたことにもびっくりだ。
非難の目を向けようとすると、ちょうどその噴水のおかげか私とフェルの視線が同じになっていることに気が付いた。
そして思いのほか、フェルの顔が私の近くにあるということにも。
「ちょ、フェル……」
「どこ舐められた、触られた」
「え、えっと」
「なんであんなとこに居た。他に何もされてないか」
フェルは脱いだ服を水に浸して、私の顔やら首やらを拭き始める。
ずぶ濡れなことは気持ち悪いし、フェルがごしごし力任せに拭いてくることも痛い。
でもそれが心配からそうしてくれているんだとわかって、そんな場合じゃないってわかってても、嬉しかった。
「いたっ……」
「……さっき爪でやられたのか。ノールの爪は雑菌があるからな、消毒を――」
「だ、大丈夫だよ。私状態異常無効の効果のアクセサリつけてるから、そういうのは大丈夫。ただちょっと傷が痛いからあんまりこすられると……うひゃ?!」
「そうだな、魔力の泉は消毒もできるんだった。傷はまあ……治るって話だが……ついでだ、こうしとけばいいだろう」
「ななななななんで、なんっ、なんっ、なめっなめ?!」
「落ち着け、切り傷は舐めてなんとかするもんだろう」
「しないよ?!」
ノールに舐められたときはぞわっとしたのに、フェルが、私の傷をべろりと舐めたのにはなんだか違うぞわっとしたものを感じた。
いやじゃなかったけど、なんていうか、ものすごく、恥ずかしかった!!!
獣人族的には傷は舐めときゃ治るくらいの感覚かもしれないけど、止めていただきたい。
主に私の心臓の為に!
「イリス」
よく考えたらびしょ濡れの私を半裸のフェルが抱きしめるような感じで首舐めるとかなんか超恥ずかしいシチュエーションだった!!!
顔まだ近いし!
思わずぐいっと顔を押しやれば、不満そうなフェルの顔が指の間から覗いていた。
「も、もう大丈夫だよ!」
「ほう、そうかい。じゃあ――」
「ひゃっ?!」
手のひらが、舐められる。
その感触に手を引こうとすれば、フェルが手首をつかんでそれを許さない。
手のひらから指の間、指先へと丁寧に這わされる舌の感触がぞわぞわと私の中で変な感覚で、逃げたいのに逃げ出せなくて、とにかく今きっと私の顔は真っ赤に違いない。
「フェ、フェ、フェル……!!」
「イリス。どうしてここに来た。お前は救出依頼とか受けてなかったろ」
「そ、それは、そうだよ!! 私はフェルとアリュートに会いたくて、探してたら依頼を受けたって聞いたから……!」
「そうか。じゃああれを受け取るんだな?」
「へ?!」
受け取るって……あの金銀財宝?
いやいや理由がわからないのに受け取れないでしょう。
そう言おうとする私に満足そうに笑ったフェルがいて、そんな笑顔を見たのは久しぶりで、そんな場合じゃないのにまたときめいた。
「フェ、フェル、受け取るって言ったって私あれが何か――」
「ちょっと黙れ」
「えっ、あの、」
ぐいっと襟元が寛げられる。
えええ?!
当たり前のように私の首元(怪我していない方)に顔を寄せたと思ったフェルが、甘噛みをしてきた。
「んっ!」
少しだけ、牙が食い込んで痛い。
あ、これ血が出たなと思ったけどフェルの舌がまたその傷を宥める様に舐めてくる。
フェルの吐息がダイレクトに私の首から耳にと感じられて、恥ずかしい!
そこだけ私の身体じゃないみたいに熱くなっているのを感じた。
「んっ、ん……あ、ふ、や、だあ! やだったら! やっ!」
「……よし、これでいい。」
「やだって言ったのに!! 痛い!」
「しょうがないだろう、こうするのが狼人族の習わしだ」
「なにが?!」
もうわからない。
恥ずかしくて爆発しそうだ。
フェルは甘ったるく笑いかけてくるし!
意味が分かんないよもう!
「で、ノールになにかされたりしなかったか」
「ないよ!」
「フェルー? なんだかイリスちゃんがすごい怒ってる声がするけどー……って何してるの!」
「アリュート!!」
フェルがおかしくなった、と訴えるとフェルに心外そうな顔をされた。
だってつい最近フラれたんですけど!
そんな私たちの温度差に気が付いたのか、アリュートは笑って私に近づいて。
そして膝まづいて、私を見上げてこう言った。
「イリス、僕らはね、キミに求婚しているんだよ」
……。
な、なんだってー?!?!?!?!




