38:緊急依頼、発生。
あの罵倒事件から半年。
平和な日が続いてる。
アルシェンティさんとアマルシェさんのことはその後のことはわからないけど、とりあえず私の気持ちは落ち着いた。
それでもあの日は悲しくて泣いて、ピッキーさんのおかげで元気になれたけど泣いた顔では外に出られなかったので家で大人しくした。
ヘイレム兄さんは何度も私に謝ってくれた。
それから、フェルとアリュートとは顔を合わせてない。
相変わらず私が避けている状況に近い。
会わずにいたら、今度は気まずくてしょうがない。
それにまだ自信がない。
これでいいんだろうと思う。
初恋は実らないって、前世で雑誌に書いてあった。
未熟な精神が経験不足の所為で上手くいかないんだってあった。
前世の記憶分大人のつもりだったけど、私はイリスだから、やっぱり経験不足だったんだろうと思う。
だから、フェルに再アタックするにせよ諦めるにせよ、今は落ち込んでる場合じゃないことはわかった。
ピッキーさんに励ましてもらって、身内の贔屓目だけじゃなくて、私にはそれなりに私なりの魅力があるんだろうとも考えた。
身なりはまあ、成長もあるからとりあえず清潔にすることを前提に髪の毛は伸ばして行こう。
ちょっとだけヘアアレンジなんてしてみたりもした。可愛いヘアピンもつけたりした。
化粧はしない。大人になってからでいい。
……大人に、かあ。
とりあえず、お金は稼げるようになろう。
私の根底には、『三宮和子』の記憶がある。
夫の稼ぎに依存しながら少ないと罵って、長女に多大な期待を寄せて次女には予備だと当たり前のように言い放つ女性の姿だ。
ああはなりたくないと思ってる。
かと言って和子はそれに反した女性になれていたかと言えばノーだったけど。
内気で人見知りで化粧っ気も無くて、気弱な人間だったから。
今は――今はそう、ちょっと間違った感情だけど、イゴール兄さんとピッキーさんが理想の女性像だ。
イゴール兄さんはお母さんそっくりなんだと思う。男の人だけど。
綺麗で優しくて、怒るべきところと許すべきところを知ってる人だ。
ピッキーさんは明るくて前向きで、諦めずに頑張ることを知ってるけど無茶は決してしない。回り道だって道なんだからと言い切れる人だ。
私は、どんな“大人の”女性になるべきなのか。
それは、少しだけ見えてる気がした。
今の私は、子供だ。
それも本当に子供だ。
見た目も、中身も、なにもかも!
夢を見ることは悪い事じゃない、だけど現実を見ることも大事だ。
両方を、バランスよく。それが難しいことだということは和子で百も承知の経験済みだ。
だけど、私はその経験を知識として持っている、『イリス』だから。
いつか、フェルに見合う女の子になれる日が来るかもしれない。
フェルを理想の王子様扱いして、それを押し付けていた私がいたのかもしれないし。
再会した時にちょっとでも……目を見て、話せるくらいには。
だから私は依頼を頑張ってこなして、女を磨くんだ。
教養はおじいちゃんとおばあちゃんから、世界のことはヘイレム兄さんと父さんから。
おしゃれは、イゴール兄さんから。
女冒険者のことはピッキーさんから。
勿論他の兄さんたちだって色々教えてくれた。
ドム兄さんは酔っ払いの対応とか、アイセル兄さんは値切り交渉の仕方、ピッケル兄さんは良い皮の選別方法とか細工の仕方だったりとか。
……うん、生活能力は高くなってる気がする。
アズールも狩り得意だし。セレステのおかげで移動は楽だし。
荷物はインベントリ∞だし。
最悪マジッグバッグを作ることができるからそれ売れば生活もできそうだし……。
変わらず魔力の修練を続けているおかげか自分でも驚くほど魔力の使い方が上手くなったし量も増えたので、魔法に関してはちょっと自信もある。
例のトネリコの枝で作った弓での魔法の矢もあれはすごくいい。
魔力がたくさんある私だからできる話だけど。
そして魔力の使い方が上手くなった分、消費が少ないから普通に魔法の矢を撃つよりも同じような威力でたくさん放てるのはとても利点だし。
命中度も普通の弓矢で練習したから結構当たるようになったし。
背丈はどのくらい伸びるんだろう。
お父さんや兄さんを見る限り、低くはなりにくそうだけど。
今、焦ってもしょうがない。
わかっていても焦る気持ちと、冷静になる気持ちと、両方がバランスをとれないのが未熟な証拠なんだろうと思う。
できることを着実に。
他の同い年の子供に比べればきっと落ち着いて、賢く見えるだろう私は中身がちょっとだけ違うからなのであって、神童とかそういうわけじゃないんだから。
驕ってはいけない。何度もそう言い聞かせる。
「イリスー、おつかい行ってきてー」
「はぁーい!!」
勿論、普通の子供らしくお使いだってこなしちゃうよ!
◇◆◇
夕方、私がロットルさんのところで新作の絵本を見せてもらってそれを近所の孤児院に持って行った帰りに繁華街で久しぶりにフェルの姿を見た。
アリュートが隣にいるのかと思ったら、隣にいるのは綺麗な狼人族の女性で、腕を組んで歩いていた。
私の足は、そこで止まる。
あれは、確かグレイナスさんのお嫁さんだ。
あんなに親密そうに、そうか、彼はやっぱり一族の為に、それとも。
変な感情が、ぐるぐるした。
羨ましいとか、妬ましいとか、そういう嫉妬の感情は勿論、どうして、とフェルが自由であって欲しいと願ってしまう自分がいたりだとか。
それこそ、フェルに対する理想の押し付けだったんじゃないのかと自分を嘲笑う自分の声もあって、もうぐちゃぐちゃだ。
それまでロットルさんの新作絵本にはしゃいだりとか、孤児院の子供たちが喜ぶ顔にほっこりした気分だとか、そういうものが全部ふっとぶ勢いだった。
彼らが遠のいていく。
ここで明るく『こんにちは!』って挨拶ができたなら、私は成長したんだなあって自分でも思えたはずなんだけど。
結局、立ち竦んで落ち込んで、あの時から何も変わってなかったんだなあとまた落ち込んだ。
とぼとぼと、家路について。
落ち込んだ顔のままじゃ家族にまた心配かけちゃうと玄関で大きく深呼吸。
留守番をしてもらっていたアズールとセレステにはきっとバレちゃうし、家族だって気付くだろうけど、表面上だけでも繕いたいのは私の意地だ。
でも――私のそんな気持ちは、またぶっ飛んだ。
家に入ってリビングの大家族用の大きなテーブルの上に金銀財宝宝物が乗っていたのだから。
しかもそれはフェルとアリュートが持ってきたもので、どうしてなのかは彼らに聞きなさいとイゴール兄さんはにやにや笑って話にならない。
ピッキーさんはちょっと頬を膨らませて、ドム兄さんは苦笑して、アイセル兄さんとビッケル兄さんはいいんじゃないのーとか言って、ヘイレム兄さんは難しい顔してた。
父さんは、なんにも変わらなくって。
でも皆言うのだ。
「これがなんなのかは、きちんと2人に会って聞きなさい」って。
会いたくないって言ってるのに?!
でもぱっと見、いくら冒険者として頑張ってても結構な金額だよねこれ。
マニャム蚕の絹織物に、宝石類に、これなんだろう鉱石?
それになにこれ貝細工? こっちは銀製品?
換金したら相当な金額になりそうで怖いなこれ!!
慌てて私は家を飛び出した。
家族は笑ってた。
笑い事じゃないよ、こんな高額な品なんなんだろう。
まさか慰謝料のつもりなんだろうか。
だとしたら突き返さないといけないけど、その方法間違えたら今度こそ絶縁コースじゃないか。
そんなのは私は望んでない!
でもフェルを追っていくのはちょっと先ほどの光景があったから気が引けたので、アリュートを探すことにした。
まずは冒険者ギルドに行ってみた。
そこで誰かが見かけたという情報があるに違いなくて。
「アリュート? ああ、さっき相棒の小僧と一緒にカウンターで依頼を受けてたぜ」
「そうそう、緊急の救出依頼だってよ。あいつ等礼儀正しいから結構こういう依頼でギルドに頼られること多いからな」
ざわざわとしているギルドの酒場。
そこで他の冒険者が教えてくれたことに、私はちょっと眉を顰めた。
依頼で救出に向かったというなら受付に聞けば場所は教えてくれるだろうか。
それとも守秘義務が、と言われるかなと思いつつ聞いてみたらあっさりと教えてくれた。
なんと行先はダンジョンだ。
どこかの商人(ここが守秘義務だった)の依頼を受けたパーティが潜ったけれど、既定日になっても戻ってこないからその家族から救出依頼が出たんだそうな。
確かに既定日までに戻ってこないと命の危険、もしくはもう……ということで緊急だとギルドが判断して見かけた冒険者たちに声をかけているらしい。
何回も救出依頼をこなしていたフェルとアリュートにもギルドから依頼の声がかかって、彼らは快く向かってくれたそうだ。
「イリスさんも良ければお願いできませんか」
「え?」
「救出依頼なので、ギルドからは依頼を受けた方に必ず報奨金をご用意しています。依頼人からは、依頼人が希望する人物の生死を問わず連れ帰った場合に報奨金が支払われます。人物が死亡していた場合は死亡証明または遺品の回収をお願いしています。見つけられなかった場合は、ギルドからの金子で納得していただくようですけど……」
正直、救出依頼というのは美味しくない依頼のひとつだ。
ダンジョンに潜るという危険に加え、傷ついた人物を助けて戻るというのは至難の業とも言える。
だから大勢に声を掛けるのは定石。
宝物よりも人命救助の名誉、大勢からの感謝、ということでギルドではお金より功績ポイントを多くくれるというので有名だけど、人気もない。
なにせ功績ポイントが多いよと言ってもそれは生存救出だった場合であって、死亡だった場合は殺してきたんじゃないのかという疑惑だとか、遺品をくすねたんじゃないのかという疑惑とか(これは実際には結局ダンジョンが遺品である装備品を飲み込んじゃうからなんだけど、遺族はそう納得してくれないことが多い)そういうトラブルがつきものだからだ。
「……依頼を受けたパーティの数は?」
「……アリュートさんと、フェルさんだけで今はまだ探している状態です」
「わかりました、行きます!」
アズールとセレステはどうしよう。
今は、急がないといけない。
けれど急ぐためには回り道だって必要だといつもおじいちゃんは言っていた。
準備をしないで死地に飛び込むのはバカのすることだって兄さんも言ってた。
だから私は、依頼を受けて即座に家に戻っていつもの仕事用の鎧を着こんで、アズールに声を掛けた。
セレステに飛び乗って、家族にはダンジョンの救出依頼に行ってくると告げて、大慌てでダンジョンに向かったのだった。




