36:大人になるということ。
霊峰への訪問許可を貰って3年。
あっという間に3年が経った。
私は10歳になり、獣人のしきたりで成人だからと近所から縁談の話を申し込まれることも増えた。
でも実際には成人の儀は種族ごとに定められた年齢だから、私は15歳になったらなんだけどね!
種族ごと、と定められてる理由はそれぞれの性質によるもの、としか言えない。
人間族の女性でいえば初潮が12歳前後で(栄養状態から)遅くても15歳、だから嫁入りも出産も可能だということでそれが成人の儀となっている。
獣人族でいえば彼らは早熟なので9~10歳には初潮を迎えるので、成人の儀とされている。
だから獣人族は同族同士でいえば結婚が早い気がする。
フェルのお兄さんとか今3人の子供がいるよ! 会ったことあるけどすごい可愛かった!!
では混血はどうなるのか、と問われればまあ種族は生まれた見た目でもうわかるのでその種族に準じた成長をするのだ。
私でいえばハーフエルフと人間族の混血だけど、人間族だね!
とはいえ、混血にはそれなりに影響はある。
私は獣人とエルフと人間と混じって、一番人間族の素養が強いけれど身体能力と魔力に獣人とエルフが影響してると思われる。
でもまあ、ちょっとだけ成長が他の人間族に比べて早いだろうからって結婚の申し込みがあっても嬉しくはないんだけどね!!!
勿論おじいちゃんとお父さんがお断りしてくれているので私は直接それに関わっていないけど。
私は私で冒険者としての経験を積むのに忙しいからね!
トラウマになっていたリリのダンジョンも、独りで攻略することができた。
といっても入るのにはおじいちゃんが一緒だったんだけどね!
吾輩ここでお茶を飲んでいるよーとか言ってマジックテント出して1Fで優雅にくつろぎ始めた時には私だって唖然としましたよ?
さて私はといえば、セレステも正式に加わって従魔を連れた子供冒険者としてちょっと名前が売れるようになった。
『剛腕の妹』、『暴君の孫』『暴虐の孫』という誰かの付属品からは脱した感じ!
ちなみに家族はやっぱりあっさりとセレステも受け入れてくれました。
うちの家族の包容力、パネぇっす!
あと、親愛度が上がるのが早かった割にまだアズールもセレステも念話を覚えられません。
今の所親愛度はアズールが9、セレステが7。
でもなんとなく意思疎通は出来ているので不自由はない。
あとアルトさんとメルティ父娘はなんとこのグルディに商店を構えた。
メルティは成人したら行商で修行するようだけど。
そのメルティは私と同い年だった。
今では結構仲が良くなって、私がダンジョンで手に入れたものを買い取ってもらってる。
こうして私は、結構生活基盤ができてきているのを感じるのと同時に“大人になってきている”ことを実感せざるを得ない。
勿論成人したからと言っていきなり実家を出て行かなきゃいけないなんてことはない。
そんなことを言ったらうちは次兄以下全員成人してるけど実家暮らしだからね!
まあピッキーさんも増えて、お金の問題が片付いて結婚出来たら兄妹でお金を出して新居の資金一部をもらってもらおうと考えてるのはドム兄さんには内緒だ。
おじいちゃんとお父さんで土地を探しているのも内緒だ。
鍛冶師としてドム兄さんもすっかり一人前なわけだから、結婚のべらぼうな資金さえ溜まっちゃえば暮らすには困らないはずだし。
ピッキーさんの実家がある村では鍛冶師を募集していたそうなので、きっとそっちになるんだろう。
大人になるって何だろうか。
前世で和子は、和子の常識の中で成人間近だったけど大人になるってなんだかわからなかった。
ただ漠然と、“予備”扱いされるのが嫌だったから大人になればそこから逃げられるんだって思ってた。
逃げて、どこかで働いて真面目に暮らしていたら良い人と出会って結婚して、家庭を作って、そんな甘っちょろい夢を見てた。
ところが異世界に召喚されて、物理的に世界観が一転する羽目になって。
親の束縛も否定もなくなったのに、今度は「C級だから」って否定されて、でも体は大人なんだから自分のことは自分でやれって何も知らないところに放り出された。
色んな人に出会って、見た目も普通だった私はちやほやされるなんてなくて、優しい人も勿論いたけど、私が夢見ていたようなことは全然起きなかった。
それでもいつかはなんて思ってたら、そのままぽっくり死ぬことになっちゃって、今度は転生して幸せなわけだけど、まあ波乱万丈なスタートだったんだってことくらいだったわけだけど。
チートがあったわけじゃない。
優しい家族に囲まれて、裕福ってわけじゃないけど不自由なく暮らせて、でもこれは“ずっと”続くわけじゃない。
私が年齢を重ねるってことは皆も年齢を重ねるってことだ。
いつまでも、今のまま――なんてことはあり得ない。
大人になったら、って夢想は当然してた。
名うての冒険者になって何不自由なく自由に暮らしていくんだ、とか。
フェルに告白して実っちゃうかも! とか。
外の国はどんななんだろうとか。
大人になるってなんだろう。
最近、妙に不安だ。
はだしのまま窓から投げ出すようにして、ぼんやり空を見上げた。
バスクェッツェリの森から木漏れ日が差し込んで、今日も綺麗だ。
その隙間から青空が見えるし、小鳥たちが囀ってる。
「あっ、フェル……!」
そんなに遠くないところにフェルの姿が見えて。
慌ててサンダルを取り出して駆け出した。
この間ダンジョンに行ってくるってアリュートとうちの鍛冶屋に来てたからちょっとだけ、心配で。
勿論フェルたちは強くなって、もうシルバーランクだし、大丈夫だってわかってるけど!
怪我とかしてないかなとか、そんなことを心配しちゃうわけで。
「フェル!」
「……イリス?」
「もうダンジョンから戻ってたんだね! どうだった? ケガしてない?!」
「……ふっ、」
「あっ、なんで笑うの?!」
「俺よりも先にダンジョン踏破までしたお前が、そんなに今にも死にそうな顔で心配してくるからだ。……俺もアリュートも怪我はしていない。元々ダンジョン探索よりも救出が依頼だったからな」
「うっ、そ、それでもさ……やっぱり心配じゃない。踏破したっていうけど、私は……兄さんとおじいちゃんがいたからだし……」
「最近一人で、あのダンジョンを踏破したんだとお前の兄に聞いた」
フェルがくしゃりと私の頭を撫でた。
彼は、私のトラウマを知っているから。
すごく。
凄く優しい目で、私を見て、笑ってくれた。
「頑張ったな」
「………っ、うん!」
フェルは、相変わらずカッコいい。
一族の中でその毛色から正当な後継者の毛色なんだから次の族長はフェルにすべきだとか、そんな人たちが現れちゃってお兄さんと一時険悪になったとか色々噂を聞いた。
それでもそれを表に出すこともなく、フェルは着実に力をつけて――そう、遠くないうちに外に出ていくんだろうと私は予想してる。
フェルは、お兄さんを尊敬している。
お兄さんの子供たちを可愛いと思っている。
おじいさんを、お父さんを尊敬している。
一族を、とても大事にしているから。
その毛色が先祖の色だと言われても、それを愛しく思うことはあってもそれを使って驕ることなんてない。
そんな素敵な人だから、きっと出ていく道を選ぶんだと思う。
大人になって選べる道を、ちゃんとフェルは選んで歩んでいるんだなあ。
……カッコいいなあ。
「フェル、ちょっと……疲れてる?」
「うん? ああ、いや……」
「依頼が大変だった? 呼び止めてごめん」
「いや、そうじゃない。イリスは心配性だ」
「そ、そうかな?」
「見合いの申し込みが最近酷いのと、一族の中で俺と兄貴で一妻多夫となって一族を盛り立てたらどうだという案も出て割れている状態なんだ」
「……え?」
「しかも義姉さんがそれも良いと言ってしまったらしくて兄貴が怒ってるから面倒なことになってる」
「そ、そうなんだ……」
「俺の毛色は、お前も知っての通り一族からすれば大切な色だ。だが他の種からすれば呪われた色だし、……爺さんが、無念はお前が見つけてくれたと聞いてるから。もういいだろうと思ってる自分もいるんだ。でも過去をよりどころにしてるメンツもいるし、しがらみに縛られるのは嫌だけどそれもいいかと諦める気持ちもある。まあ、正直なところ何も決まっちゃいないんだけどな」
「フェルは、カッコいいし! 優しいから!」
苦笑するフェルは、だからもう自分は流されるままでいいなんて思って欲しくなかった。
私の声にちょっとだけ驚いた顔をするフェルは、慌てたように私の手を取ってゆっくり歩き始めた。
そうだね、往来じゃちょっとね。
「フェルにいいところはいっぱいあるよ。毛色なんて考えなくてもいい。毛色だってすごく綺麗だと思うし、カッコいいと思うし、ロウウルフの男の人としてフェルは魅力的だよ。皇帝の毛色とか関係ないよ」
「……ありがとう、イリス」
「私だって! フェルのお嫁さんになれたら、嬉しいと思うもん!!」
周りに誰もいないような街角で、大きい声じゃないけど、意を決して伝えた気持ち。
誰かのために犠牲になって欲しくないし、だからと言ってきっといなくなるときは誰にも言わない彼に何も言えないままは嫌だったから。
もっと本当は、雰囲気とか、色々考えてたんだけど。
今しかないって思ったから。
「……イリス、」
「っ」
でも。
フェルは違った。
びりっとした空気は、相手が怒っているのを如実に伝えていた。
真っ直ぐに交わしていた視線は、いらだちを隠しもしない。
グルル、と喉を鳴らして怒っているフェルの声は、低く威嚇する時のようだ。
「冗談でも、言っていいことと悪いことが、ある」
「冗談なんかじゃっ、」
「なら尚の事悪い!」
「!」
「お前は、――お前は、」
そんなに強く否定しなくたって。
そりゃ、胸もないしまだ人間族じゃ子供だ。
優しくしてくれていたのに、それはまあもしかしたらイゴールの妹だから。
他種族とはいえ子供だったから。
友人だと思ってくれていたから?
伝えた私が悪いのか。
そうか。
私が、悪いのか。
ぴし、と私の中で何かがヒビ割れた音がした。
「……ごめん」
「イリス」
「ごめん、ごめんなさい」
「イリス、違う」
「っ、ごめん、なさい!」
涙が零れた。
正直、ショックだった。
断られることくらいは予想してた。
だって私、美人じゃないし。
魔力くらいしか取柄ないし。
フェルは世が世なら皇子さまだし。
だけど、だけど。
どこかで、今までいろいろおしゃべりとか笑い合ったこととか、そういうのから。
淡い期待もしていたし、断られるときもやんわりとで、きっとこれからも良い友達でいられるとか。
そんな甘い期待を、胸に抱いていたんだ。
涙を溢した私のことに怯んだフェルが、ちょっとだけ落ち着いたらしくて私を宥めようと手を伸ばしてくれた。
でも今は、触れないで欲しい。
宥めて甘やかして、そんな風にして欲しかったんじゃないと意固地な私がいる。
甘えてそこから隙をつくなんて上等な真似ができる女じゃない私は、やっぱりただのオコチャマなんだろう。
だから、フェルが伸ばした手が空を切って、私は彼から距離をとるために後ずさって。
視線が、交わる。
どうしてフェルは驚いた顔をするんだろう。
私が当たり前のように、彼の慰めを受け入れて、愚かな自分を恥じると思ったんだろうか。
わからない。
わからないから。
私は――
「ごめんなさい」
背を向けて、走って逃げるしかできなかった。
あの日のままではいられない。
私たちは、もう、何も知らない子供じゃない。
それを、突きつけられた気がした。




