35:彼女は多くを望まない。
ギルドで私一人でもできそうな依頼を受けて、ついでに隣の商業ギルドに行ってみる。
そうすれば先日の受付嬢が私を覚えていてくれたのか、見つけて手招きしてくれた。
「こんにちは、アルトをお探しかしら?」
「こんにちは! そうです、おいでですか?」
「ええ、先ほど市場調査から戻ったところでギルドマスターの所に報告へ行ったの。もう戻ってくるからそこでお待ちなさいな」
「ありがとうございます!」
そんなに待つことがないならそれもいいだろう。
幸い私が受けた依頼は急ぎのものじゃないし。
ヌマガエルの肉を買ってきて欲しいだからね……肉屋で済むわ! なんで依頼した。
でもまあ確かに美味しいよねヌマガエル!
ハンリエ村に行ってロットルさんの所で買えば肉屋で買うよりも安いしね。
ついでに自分ち用にも買って帰ろう。そんでから揚げにしてもらうんだ!
それにしても新商品かな、へー、プレゼント用包装された毒消し薬とか誰得なんだろう……。
「おや、私に客人とはイリスちゃんでしたか!」
「こんにちはアルトさん、メルティ。グルディの街での生活はどうかなと思って」
「ええ、ええ、快適ですよ。皆さん親切にしてくだって、もうアパートも借りましたしね」
「え? 行商じゃなかったんですか?」
「……そうでしたね、うーん……。いえ、イリスちゃんを信用していないわけではないというか……」
「いいですよ、まだ会って数日の仲なんですし」
「……本当に賢いお嬢さんだ」
苦笑するアルトさんの裾を、メルティが引っ張った。
相変わらず彼女はしゃべらない。
紹介されたときに“喋れない”と言っていたから、何か原因があるんだろうけど。
「少し歩きましょうか。ついでにグルディの街を教えていただけるとありがたいのですが……」
「ギルドマスターさんとお話してるなら、私から聞けることなんてないと思いますけど」
「ははは、色々な視点は大事ですよ!」
メルティを挟んで歩いて市場へ行く。
もうある程度時間は過ぎていたからほとんどの店は終わっていたけど、そういえば市場調査してきたんじゃないっけ?
「……アルトさん、もしかしてアマンの実を探してたんですか?」
「おや、バレてしまいましたか」
「……」
「前にも言いましたけど、市場には出てないですよ」
「そうですね、自分の目でも足でも調べて、聞いて、そしてやはり無いと実感しました」
アルトさんは少しだけ困ったようにへにょりと笑った。
色んな人が行きかう大通りで、市場はもうどんどん片付けられて、これから依頼をこなしに行くであろう冒険者の姿とか行商人の人が旅立つ姿が見られた。
「イリスさんはアマンの実を見たことは?」
「……ありますよ」
隠す必要は感じなかった。
買いたいと言われても困るけれど。
霊峰に行けば手に入るのは事実で、それは隠されてはいない。ただ入れる人物が限られているだけだ。
「なんと!」
「どうしてアルトさんはそんなに欲しがるんですか? 貴族の人に渡すためですか?」
「……いいえ。イリスちゃんはアマンの実の効果をご存知でしょうか。万病に効くと聞いたのです」
「え? そんな効果ないですけど」
「…………。え?」
「ないですけど」
アマンの実の効果は魔攻/魔防アップだったはず。しかも時間制限付きで。
私の返答に、アルトさんは固まってしまった。
メルティもものすごく困った顔と、そして悲しい顔をしてしまった。
◇◇◇
私の言っていることが信じられないというのでじゃあギルドマスターに聞いてみてくださいというと、ギルドマスターも実は食べたことがないのだという事実を知らされた。
じゃあ、ということでシンリナスさんに証言してもらおうとロウウルフの集落を訪れて、長老だと紹介した上で話を聞いてもらうことにした。
長老の護衛として今日はフェルと、お兄さんのグレイナスさんがシンリナスさんの両脇に控えている。
「客人よ、アマンの実を薬として求めているということは理解した。では何故か」
「……娘は、先だっての流行り病で声を失ってしまいました。行商人を目指すこの子にとって致命的。アマンの実を用いれば治ると風の噂に聞いたのです」
「では商業に用いるつもりではないと?」
「神に誓って」
なんだそういうことか、と思う反面、でもそれじゃあメルティの声は治らないんじゃないか。
病気で失ったということは、もしかして治癒魔法で治るんだろうか。
「イリス」
「えっ、あっ! はい!!」
「アマンの実を持っておるか」
「はい」
霊峰に実っていることはシンリナスさんも勿論知っているんだろう。
おじいちゃんが知っているくらいだし。
私はアマンの実を一つ取り出して、差し出されたグレイナスさんの手の上に置いた。
私があっさりと取り出したことでアルトさんは驚いていたようだけど、あえてそこはスルー。
「確かにアマンの実であることを、長老シンリナスが証言しよう。だがそこにいるイリスが言う通り、アマンの実にそのような治癒の力はない」
「そんなっ……!」
「残念だが、事実」
「ああ、メルティ……すまない……」
場の空気が沈んだものになる。
そりゃそうだよね、最愛の娘の声が失われたままだなんて。
少し考えて、私はシンリナスさんに尋ねた。
「魔法で治すことはできないんでしょうか」
「……ふむ。どう思うグレイナス」
「は。可能と思いますが……正常と回復魔法の併用により病によって負ったダメージを回復するという考えがあるかと思います」
「ふむ、教会連中には頼ったのか?」
「残念ながら、そんな強い回復魔法を使用できる方にお会いするだけの寄付金も、治療代をお支払いすることも一介の行商人風情では……」
ふるり、と左右に首を振ったアルトさんは、顔色すら悪い気がする。
っていうか治療で魔法かけてもらうのにお金がかかることは聞いたことがあったけど、そんなべらぼうに高いのか。
まだまだ私の知らないことが、世の中にはたくさんあるんだなあ。
自分が回復魔法を使えるからってやっぱりほいほい使っていいものではないようだ。
教会を敵に回すとまた面倒そうだしね!
「うーん。シンリナスさん」
「なんだ」
「他言無用で、私が魔法を使うのはアリでしょうか」
「好きにしろ」
相変わらずこのおじいさんカッコいいよね!
にやりと笑っている辺り、私が回復魔法を使ってあげたいと思っていることを察していたに違いない。
グレイナスさんは相変わらずフェルに懐く私が嫌いみたいで、冷たい目で見てくるのが心にダメージを与えてくるけど。
フェルはやってあげたらいいと頷いてくれた。
癒された!
「アルトさん、アルトさん」
「……イリスちゃん……」
「たとえどんなに利益が出ることであっても、私のことを口外したり吹聴したりしないと約束してくださいますか。絶対のお約束はできませんけど、私も回復魔法が使えます」
「な、なんですって!」
「約束してくださるのなら、使ってみたいと思うんです。メルティの為に」
「メルティの為に……」
やらない後悔よりも、やる後悔の方がいい。
リリみたいな、もうどうすることもできないことよりも。
やってみて、私の力不足なら、もっと努力の方向も見えてくる。
でもやって治るのなら。
やってみる価値はあると思う。
でもその結果、アルトさんが私という魔法使いを情報として売りに出すというのであれば、それはまた別問題だ。お断りだ。
そんな人じゃないだろうと思いたいけれど、念には念を入れて約束しておかなければ。
そんな私の意思をくみ取ってくれたのか、アルトさんは驚いて呆然としたけれど、すぐに顔を引き締めて大きくうなずいてくれた。
「勿論ですとも!」
「それじゃあ、グレイナスさんもシンリナスさんも、お願いしますね」
インベントリから取り出すのは、ニュンペーさんからもらった杖だ。
そしてこの杖には、柄に小さく文字が刻まれている。
“どうかできうる努力で救いを”とある。
それは、杖にもともと刻まれている美しい文様とは別の、誰かが彫った不格好なもの。
だけれど、私にとってとても価値ある言葉。
こんな強大な魔力を秘めた杖なのに、それを託した人のその真摯な願いはただ強ければいいというもんじゃないんだという、私の甘い考えに添ってくれているような気がしたから。
全部を救える勇者なんかじゃないことは百も承知だ。なんせこちとらC級勇者だったんだ。
だけど、世界を滅ぼす魔王を倒せなくても、畑を荒らすイノシシ退治くらいはできる。
それで救われる人がいるという事実を、私は忘れない。
ありがとうと言ってくれた人がいたことを、私は忘れていない。
できることを、していこう。
その為に、この杖の力を振るうのだ。
それを杖の元の主も願ってくれているに違いない。
「なんて……なんてすごい杖だろう……」
呟いたアルトさんの声も、眉を顰めたグレイナスさんも、ただただ面白そうに笑うシンリナスさんも、驚いた顔のフェルも、不安そうなメルティも、当たり前のように私の肩に止まってドヤ顔してるアズールも。
「生命よ、生命。駆け巡るその流れ。時に添って、時に遡って、癒し、震え、溢れいでよ。全回復!!」
最近、回復魔法は蘇生まで使えるようになったんだよね。実はね!
ちなみに蘇生は死者を復活なんてさせない。
死にそうな怪我でも治すってだけの、ものっすごい回復魔法ってだけなのだ。
まあそりゃそうだよね、死者を甦らせるだけの魔法があったらもういくらでも死に放題になっちゃうじゃん。
まあ今回は初めて練習じゃなくて全回復の魔法を使ったので呪文もしっかり間違えずに言った。次からはもう無詠唱で大丈夫だと思う。流れは掴んだ。
眩い光がメルティに集まっていたから、成功だと思うんだけど……。
「その齢で全回復をモノにしとるとはな、さすがはアマンリエの孫というところじゃな」
あれ、そこはジャナリスの孫だって言わないんだ!
結果から言えば、成功だった。
とはいえ、もう何年もしゃべっていない人間がいきなり饒舌に喋れるわけで無し、ひゅーひゅーと掠れた音が出た。
それだけで終わったがそれは十分な成果だったと言えるようで、アルトさん父娘にはとても感謝されて、いつでも二人の所から買うときは30%オフにしてくれるというありがたい約束を貰った。
ついでに杖の入手経路をそっと聞かれたけどそこはにっこり笑って終わらせた。
しょぼいなと小さくシンリナスさんが言ったけど、あまり大きな見返りを期待しては落胆が大きくなるだけなのだ。
小市民は小市民たることを忘れずに暮らせば幸せになれるのだ!
「……イリスは、着実に強くなっているな」
「フェル?」
「俺も、負けてはいられない」
そして、なによりも初恋の男の子は――とてもカッコよく笑って褒めてくれたので、私は最高に満足だったのだ。




