3:『家族』
イリスたちが暮らすのは、獣人族の国『サーナリア』だ。
その端の方にある、それなりの大きさの町で暮らしている。
基本的には人間が暮らす町と変わらない。
そう兄たちは言っていた。
ただ、この街は獣人ばかりなので医者がいないという。
どうして、という彼女の問いに兄たちは苦笑していた。
それに答えてくれたのは祖父、ジャナリスだ。
カラスの獣人族、真黒でつやつやとした羽を持ち、最近視力が落ちたとかでモノクルを掛けている。
この世界の獣人は、まんま獣人である。
ケモナーが喜ぶタイプの獣人であり、擬人化系ではない。
つまり。
まんま頭部はカラスである。
種類的にはハシボソカラスかなーなんてイリスは思うが、口には出さない。
シュッとしていて身長的には180cmあるだろうか。
いつも見上げてしまうが何とも優雅にカップをつまみ、茶を飲む。カップは孫たち人間族が使う物よりもやや細長いけれど。
大きな羽は背中だ。翼人とも獣人族の中で鳥種族は呼ばれるらしい。
祖父は学者らしいが、冒険者でもあったそうでその見識のすごさはこの獣人の国有数の存在で、町暮らしなのもこの町の冒険者学校で教鞭をとっているからだそうだ。
「イリス、獣人というのはね、とても身体が強いのであるよ」
「強いとお医者さんがいらないの?」
「ケガをしても薬草ですぐに治っちゃうんだよ。だからこの国でお医者さんは暇になってしまう。首都は他の種族も多く訪れるから、いるけどね」
「ケガと病気は違うでしょう?」
「病気にも強いのである」
「すごいね」
「だけどそれを自慢に無理をしちゃうやつは少なからずいるからね、そんなのに巻き込まれないように気を付けて行くのであるよ。アイセル、ビッケル」
「おう、わかったよじーちゃん!」
「イリス、良い子にしてるんだぞー。兄ちゃんたち今日もごちそう獲ってくるからな!!」
「はぁい」
兄たちに頭を乱暴に撫でられる。
多分、イリスに説明をしているようで兄たちへの注意がきっとジャナリスのメインだったに違いない。
この国では農耕よりも狩猟が主だ。
目の前に広がるのは大森林。
国と呼ばれてはいるが、バスクェッツェリの大森林、と呼ばれるものの中に国が作られたのだ。
獣人族に王はいない。
各種族の代表者が長老と呼ばれ、その長老たちと長老たちの中で選ばれた大長老による長老会議で国の方針が定まるのだ。
「さて、今日は吾輩は冒険者学校に行かねばならないからね。イリスはおばあちゃんといるかね? それともお父さんの工房を見てるかね?」
「おじいちゃんの書斎にいていい?」
「ああ、ああ、構わないよ。それじゃあイリスでも読めそうな本をいくつかと、お気に入りの絵本を出しておこうね。お前が本を好きになってくれてお祖父ちゃんは嬉しいなあ!!」
「まったくこの本の虫は……!!」
「おう、アマンリエ。今日イリスは書斎に居たいというからね、よろしく頼むよ。吾輩も書斎に居たいものだよ」
「何言ってんだい、ジャナリス。今日はミーアテクトが学校に来るからアタシも行くんだよ」
「ええっ、じゃあイリスが一人になってしまうねエ。しかし工房も……ううむ」
アマンリエと呼ばれた口調の荒い美女は、なんと祖母である。
エルフは長命らしく、いくつになっても変化がないんだとか。
そしてイリスと呼ばれた幼女は、彼らの心配を理解している。なんせ中身は20代。享年は19だけど。
女の子であることを隠して暮らす幼子を、おいそれと他の子供たちと遊ばせられないのだ。
どこでぽろりと少女がヒミツを口にしてしまうかもしれないし、秘密を誰かが見てしまうかもしれないのだ。
周囲を信じていないわけではない。
というよりも、周囲を巻き添えにしているのをどうも恐れている、というのが正しいのか。
まだ幼いから説明は難しい、と考えているであろう祖父母に、私わかるから! なんて言い出さない。
空気を読むのは日本人として培ったスキルに違いない。
「大丈夫、ちゃんとお留守番するよ!」
「イリス……」
「お腹すいたら、おうちお隣だもん。一人で帰れるよ」
「ごめんねえ、イリス……吾輩急いで終えて帰るからね」
「悪いねえイリス。今日は学校に私たちの昔の仲間も来るものだから、2人とも来てほしいって言われてねえ……お前も連れていければいいんだけど、あんな阿呆と会わせてお前の教育に悪いと思うとどうにもねえ……」
「??」
ミーアテクト、という人も冒険者だったのか。
どんな人物かは不明だが、アマンリエの言い方からするに大分癖があるに違いない。
ちなみに祖母は暴虐という二つ名を持つ凄腕の冒険者だったらしい。
暴虐ってどうなんだ、と思うが要するに敵を圧倒するほどの実力で少し乱暴な言葉の方が二つ名としては効果があるのだと祖父がほめたたえていた。
ダンジョンで出会った2人はパーティを組み、各国を回り、ダンジョンの踏破までは至らなくても相当な貢献をして結婚してここに落ち着いたんだとか。
そして口は悪いが、祖母の方が夫にぞっこんである。
「ほらジャナリス、弁当忘れるんじゃないよ!」
「忘れていないのである。アマンリエのお弁当はいつも吾輩の心のオアシスなのであるよ」
「……っ、き、今日はアンタの好きなイワイノシシのサンドイッチだよ! 残したら承知しないからね!!」
「おお、嬉しいのである!」
「……いってらっしゃい」
イワイノシシってここらあたりでは怪我人を続出させる危険生物と呼ばれていた気がするなあなんて思ったイリスは、聞かなかったことにして用意された絵本を手に2人に手を振ったのであった。
◇
イリスは途中お腹が空けば隣の自宅に戻り、工房を覗いて次男のドムに「おう、帰ったのか」なんて頭を撫でられて「台所に行けばイゴールのやつが作ったサンドイッチがあるぞー」とついでに抱き上げられた。
直ぐ上の兄、イゴールは今買い物に行っているらしい。ベッケンバウアー家の主婦役を担ってくれているのだ。
彼女の感覚では前世では姉しかいなかったし、姉妹仲は悪くはなかったものの特別妹として大事にされた記憶もなかったので兄たちのこの年齢差を気にしない愛情は戸惑いと嬉しさでいつも照れくさくなってしまうところだ。
だが汗まみれで頑張る父と兄の姿は、イリスにとって尊敬の対象だ。
前世の父親が、母親の姿にビクつき娘を生け贄にするようなタイプだっただけに余計に。
『和子』の父親は平凡なサラリーマンだが、母親の方はちょっとエキセントリックな人だった。
長女至上主義というのか、次女である彼女はあくまで“予備”なのだと公言して憚らないそんな人だった。
姉は姉で母親の束縛があったので、妹である彼女をどう思っていたのか正直なところはわからない。
結局のところ、『和子』は家族というものがよくわからないものだと思っていた。
世間的には常識とは違う一家なのだということを理解したが、ホームドラマに出てくるようなあったかい家族なんてものは無縁だったからそれがどんなものなのかは想像しかできなかったのだ。
それは転生して今実感する。
あったかいなあ、と。
けれど、イリスとして幸せを感じる中で『和子』の記憶が母親に対してだけ冷たくなる。
死んでしまった『イリスの母親』と前世の記憶にある『和子の母親』は別物だ、と理解していても母親という存在を避けてしまっているのが現状だった。
子供らしくない上に母親を恋しがらない少女は正直ちょっとおかしいんじゃないのかな、とイリスはこの世界の常識的にどうなんだろうと思うのだがどうしようもない。
そんな彼女を家族は受け入れてくれているのだから感謝しかない。
まあ祖父母がずっといてくれているから母親を恋しがる必要がないと思われているのかもしれないけれど。
サンドイッチを頬張って、コップに注いだ水を飲む。
それだけの作業だが5歳児の体というのは難儀なものでなかなか小さな手は自分の記憶にあるような動きはしてくれない。当然だけど。
行動と言動は記憶によって大人びてはいるものの、子供である故かそれに引きずられることも多い。
こうやって自分は『和子』の部分を無くしていくのかもなあなんて思わずにいられない。
まあそれはともかくとして胃袋を満足させたところでまた祖父の書斎へと行く。
あそこは情報の宝庫だ。
そう思って互いの家を繋ぐ二階のつり橋を渡ろうとしたところで、ばさっと大きな音がした。
そして自分の足が宙に浮く。
「今、帰ったばかりであるが――イリス、お祖父ちゃんと少しおでかけしよう」
「おじいちゃん、どこ行くの?」
「吾輩の古き良き友人のところだよ。お前の好きなヌマガエルが獲れる場所であるよ」
祖父の声は優しいが、珍しく行動が唐突だ。
と思ったら。
階下の方で知らない男性の声で「ここにお前たちの孫がいるのかー! 小さいのもいるって聞いたから……」と騒ぐ人の声に続いて祖母の「招かざる客を紹介するつもりはないよ!! カエレ!!!」という怒号が聞こえてきた。
後は、お察しというやつなんだろう。
とりあえずそういえば近所の獣人の人たちとは挨拶もよくするが、祖父の友人というのは初めてかもしれない。
ちょっと楽しみになってきた! そうワクワクする少女の様子に気が付いたのか、ジャナリスは大きく翼を広げて高度を上げたのだった。
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まだ逆ハーレム状態ではないですが、徐々に・・・徐々に!!
週1~2ペースで更新していきたいと思います。