26:ばいばい
兄さんの斬撃が、核であろう玉を真っ二つにした。
小さなガラスの割れるような音がして、あっという間に塵になったのを見るとああ、魔法で作られた品なんだななんて改めて思った。
終わったのかと思うと、急に肩が痛い気がした。
アズールが私に寄り添って「ごめんね」と言うかのように頬ずりしてきた、可愛い。
くるり、と部屋全体を見回して。
あっけないな、と思う。
部屋の中はひどい状態だけど。
ゴーレムが暴れた結果、ところどころ砕けてる。
きっとあれもこれも、ゴーレムも、ダンジョンが修復するんだろうけど。
全く動かなくなった石の塊に、私は近寄った。
ナーシエルと兄さんが、宝物があるか見てくるなんて言ってた気がする。
でも私はするべきことがあって、おじいちゃんがそっと肩に手を置いてくれた。
「手伝うことは、あるかね?」
「これ、の、中に、骨が、」
「そうか」
声が、思いのほか掠れた。
伸ばした手が触れた部分が、がらんがらんと崩れて、土がぱらぱらと指の間を零れていく。
「下がりなさい」
「……う、ん」
このまま触れれば壊れてしまうゴーレムに、私が圧し潰されると思ったんだろう。
おじいちゃんに引き寄せられるままに、私は下がった。
でも視線は、ゴーレムだったものの胴体から見える、白い、白い骨に釘づけだ。
1人分じゃない。
何人分だろう。
きっと古いものがたくさん、混じってる。
リリが、ゴーレムの向こう側で、靄なのに、泣きそうな顔をしている気がした。
わかってたし、わかってるのに、今更目の前にするとどうしていいかわからない。
おじいちゃんが、私の目の前に立った。
一閃。
まるで目に見えない、そんな斬撃だった。
兄さんのとはまるで違う、とても速い。
それによってゴーレムだったものが、本格的に崩れ落ちた。
そして中から、いくつもの骨が転がり出る。
アズールが、キュゥイ、と小さく細く鳴いた。
「リリ」
『……』
リリは答えない。
私は、重くなった足を動かして、進む。
砂みたいな泥と石でぐちゃぐちゃになったそこに、私は膝をついた。
手も服も、汚れたけど、土をどけて掘っていく。
これも違う、これも違う、あれも違う、それも違う。
骨だけじゃない、指輪とか、手錠だとか手枷足枷、色んなものも出てきた。
どんどん出てくる骨をないがしろにするわけじゃない。
でも私が求めているものではなくて、ただただ横に避けていく。
どれもこれも大人の骨だ。
といっても私は医療技術を持ってるわけじゃないから、きっとそうだろう、くらいの感覚だけど。
こつんと指先に触れる骨。
嗚呼、嗚呼。
ああ、これだ。
なんでか、わかった。
「リリ」
白くて、小さくて、それだと思った頭蓋骨を両手に収めて持ち上げて、同じ視線になるくらいにした。
ああ、これがリリだ。
私の、友達。
こんなに汚れて、ずっとずっと、ひとりぼっちだったリリだ。
「リリ……」
『……見つけてくれて、ありがとう』
骨に触れるようにして、リリがそっと私に近寄ってくる。
そうすると、不思議なことに彼女の姿がはっきりと見えた。
色はわからない。
でも狼人族らしい顔立ちに、ふわふわした毛に、長い裾のワンピースを着てる彼女の姿が見えた。
そして、そして彼女は。
泣いてた。
それをはっきり認めて、私も自分が泣いていることに気が付いた。
『泣いちゃだめだよ、イリス』
「だって、リリ」
『おねがい、私、イリスに送って欲しい』
「だって、だって!」
『おねがい、私の大事な友達だもの』
そうだ、お別れなんだ。
彼女の願いを叶えるということは、彼女とお別れなんだ。
本当に理解していたはずなんだけど、今更分かった気がする。
ほんのちょっとしか一緒に過ごしていないし、そもそも生者と死者なのに、交わることのない話だったのに。
でも今、私はリリに行って欲しくないなんて思ってる。
それじゃいけないってことはわかってるのに、寂しくてたまらない。
だって、私の友達。
初めてだったかもしれないトモダチ。
「……リリ……」
『ね、お願い。私が、逝けるように』
「……うん……」
リリが、泣いてる。
お願いって、泣いている。
「もし、神さま、いらっしゃるなら――」
不遜な言葉だと自分でも思った。
でも、いるならどうしてこんな悲しいことが目の前にあるんだろう。
全部が全部を救えるわけじゃない。
そんなことはわかってる。
でも目の前にいる私の友達が、こんな目に遭ったことが理不尽にしか思えない。
「どうか、私のともだちの、旅立ちを。安らかで、温かに、してください」
『……』
「その魂を、優しく迎え入れてください。……リリ、……リリ、私のおともだち。もっと話したかった。もしあなたが生きてたら、一緒に色んな所に行きたかった。笑って、泣いて、きっと喧嘩だってしたと思う。だけど、だけどね……」
ひくっと喉が引きつれる。
泣いちゃだめだ、今は泣くんじゃなくて伝えきゃ。
だってもう、リリにはこれが最後なんだから。
最後なんだから、リリを困らせるようなことはしたくない。
「やっぱり、いやだよぉ……!」
わかってる、わかってるのにさ。
やっぱり私はだめだった。
だって寂しいよ。
寂しいんだよ。どうしようもなく寂しいんだ。
『イリス』
「ごめん、ごめんねえ……! でもリリがいなくなっちゃうのが、こんなにっ、寂しいなんてわかってなかったの!!」
『イリス、ありがと』
「リリ……!!」
『私もね、寂しいよ。リリもね、色々思い出したんだ。イリスは知ってたのかな、うん、わかんないけど、でもね、私友達なんていなかったから、イリスが友達って言ってくれて嬉しかった』
「うん、うん……!」
『だからね、ちゃんと逝くよ。だからね、イリスに見送ってもらいたいよ。』
リリは、私なんかよりもずっと大人だ。
ただちょっとだけ魂が触れ合って、わかりあっただけの関係で、でもこんなぐずぐず泣いてわがまま言う私なんかと全然違う。
私は、私だってわかってる。
涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、頷いて、頷くしかできなくて。
「さよなら……」
ようやく言えた別れの言葉。
どんな祈りの言葉よりも、まっすぐに伝えたかった私の言葉。
それにリリは満足そうに笑ってくれた。
ふわりふわりと光って散っていくそれは、まるで蛍みたいだ。
リリの魂と骨が、光って、輝いて、散っていく。
そんなリリは私に手を伸ばして、頬を撫でるようにして「泣き虫」なんて言った。
自分だって泣いてるくせに。
本当はもっと生きたかったって思ってるくせに、そんなわがままを言わないで。
しょうがないんだって全部受け入れて、ひとりだけ大人になって、さっさといなくなっちゃうくせに。
『イリスは、元気でいてね。あんまり早く来ちゃだめだよ。リリの分までいろいろ見てきてね』
「……っ、うん、」
『これ、あげるから』
ちくんと耳が痛みと熱を覚えた。
リリの光が耳に集まったみたいで、あれっと思った時には手のひらにあった骨は、霧散していて。
目の前にあるのは、自分の土まみれに汚れた手だけだ。
まるで初めから、何もなかったみたいに。
それなのに、そっと優しい声が、聞こえたんだ。
『ばいばい』
遠くで兄さんとナーシエルが、喜ぶ声がしたのに。
私には、まるで届かない遠い世界の事みたいだった。




