20:あおいとり
倒れ伏したハルピュイアは、荒い息で私たちを睨んでいた。
ところどころ綺麗な羽毛は血にまみれ、鋭い爪は欠けたものがあり、足は骨が見えていた。
啄ばまれたのか、むしり取られたのか。他にもそんな傷はいくつもあった。
どちらにせよ酷い有様だ。
破れる前までは同じ群れの仲間であったろうに、負けた途端に傷だらけの個体は足手纏いとしてエサに変わってしまう、それがこのダンジョンの中の秩序なのだろうか。
きっともう長くない。
羽の色と同じ青い目は、生きることを諦めてはいない。
諦めずここに飛び込んで目の当たりにした冒険者を前に、食われてたまるかと言わんばかりに睨んでくるその目は正直怖いはずなのに好感が持てた。
「リリ」
『なあに』
「従魔の契約方法を教えて」
『いいよ』
リリは何が面白かったのか、コロコロと笑った。
私の発言に兄さんが面食らった顔をして、近づいてはいけないと慌てていたけど私はリリに手招かれるままにハルピュイアの許へと歩み寄った。
キュゥイ、と甲高いけれど小さな声が私を威嚇する。
睨みつけ、牙を剝くその姿は誇り高い。
「生きたいなら、私に協力して。私もこの世界を生きていきたい」
呟くように言った。
リリは教えてくれた。このハルピュイアは知性が高いと。きっと人語を理解していると。
群れを良くしようとして、その考えは先行的過ぎたのだと。
まるでおじいちゃんが聞かせてくれた、最後の女帝・バーラパールネラドルスキリエのようだ。
先駆者となったけれど時代が追いつかなくて駆逐されてしまった女。
そして何より、リリが助けたがっているのを感じた。
波長が合って、魔石の魔力分でより明確になった彼女との意思疎通から私とリリの繋がりが強くなったからだろうか。
これが影響されているからなのかどうかわからない。
でも私は、リリの願いを叶えてあげたいと思った。
生きたいと願う私とハルピュイア。
自分でありたいと願うリリとハルピュイア。
ハルピュイアはじっと私を睨むように見る。
キュイ、とか細く鳴く姿は、もう命の灯がいつ消えてもおかしくない。
もう時間がないと向こうも思ったのか、意を決したように私を見て頷いた。
キィン、と周囲の魔石が私の魔力に応じて輝いた。
「誓いを此処に。汝は我が身の下へ、我が身は汝と共にある」
特別な呪文は、ない。
ただ誓うだけ。
そうリリは言った。
魔力を流し、私とハルピュイアを繋ぐ目に見えない糸を紡ぐイメージでいいと。
ハルピュイアが目を閉じた。
繋がった、と思った瞬間に彼女のイメージが私の脳内に飛び込んできた。
これは?
真っ暗な中から眩しい光が見えて、ああ、これは卵から生まれた時なのか。
たくさんのハーピーたちがいた。
飛び回るその姿に憧れた。視線の先にはあの赤いハルピュイアもいた。
ああ、ああ、あの空を駆けたい。この群れはこのままじゃだめだ。
仲間を守らなければ、スキュラとラミアにいい様にされてしまうのに。
どうしてみんなわからない。
そんな悔しさが伝わってくる。
「そっか」
そうだね、独りは辛いよね。
独りは、時々無力だよね。
精いっぱい頑張ってるのにって言っても、誰もわかっちゃくれない。
結果を出さなきゃ、認めてもらえない。
うん。
「わかるよ。――とっても、わかるよ」
私の声に、ハルピュイアが驚いて、初めて泣きそうな顔をした。
その瞬間、ああ、私たちは分かり合えたのだと感じた。
瞬間、一番近くにあった魔石がとりわけ強く輝いたと思ったらその光が飛び出てくるように私とハルピュイアの間に出てきて一層強く輝いた。
眩しい。
そう思った私は。
遠くに、兄さんが名前を呼ぶのを聞いた気がした。
◇
目を覚ますとそこは雪国でした。
なんてことはない。
どうして私はそんなボケたことを考えるんだろう。もう癖なんだろうか。現実逃避の。
木目が見えた。
ってことはここはダンジョンじゃない。
確か私はハルピュイアの従魔契約をしようとして、魔石が光って。
「目が覚めたようじゃの」
「チチチ」
「おじいちゃん……?」
「魔力の枯渇じゃな。大丈夫、誰も怒ってはおらんからの。だから……謝らなくて良いよ」
「……? うん……」
どうしてそんなことを言うんだろう。
っていうか看病してくれていたのかな。頭がまだぼーっとする。
そうか、魔力枯渇で気を失ったんだ。
でも謝らなくて良いっていうのはどういうことだろう。おじいちゃんのその反応に、私は首を傾げた。
いや謝らないといけないんじゃないのかな。私が勝手に魔力枯渇する事態を招いて、止めてくれた兄さんの静止を振り切って感情が赴くままに契約したんだし。
「ハルピュイアは?」
「ここにおるよ?」
「チチチ!」
「え?」
目の前にいるのは青い小鳥。文鳥くらいのサイズだ。
その青い小鳥の胸元に、まるでペンダントかのような宝石が光ってる。
あの従魔の魔石、だ。
ってことは。
「え、小さくなった?」
「ふむ、どこまで覚えておるのかね?」
「え、ええと……みんなが止めるのを聞かずに契約の口上を言ったところで。私とハルピュイアの間にすごい光が出て……」
「うむ、光が止むとお前さんが倒れていて、傷だらけだったはずのハルピュイアが全快した状態で気を失っておった。その光の粒みたいなものがハルピュイアの中に吸収されたかと思うと、その小鳥になってしもうたのであるよ!」
「えええ……」
「吾輩らではリリと交信はできんので、これがどういう状態であるかは不明であるな。しかし過去の文献から察するに、従魔は主の要望で姿を変える能力を得るのだと言うからイリスが望めば元のハルピュイアになるのではないかな?」
チチチ、と可愛らしく鳴く小鳥は、宿屋(だと思われる)の棚から私の手に止まり首を傾げた。
どうしたのと言わんばかりのその姿は可愛くて、思わず顔がにやけるほどに。
「あなたはあのハルピュイアなのね?」
「チチチ!」
「そっか、これからよろしくね!」
「チチチ!」
「名前をつけてみてはどうかね? 従魔の契約ではその種としてではなく個として結びつきを強めるために行うともいうからして」
「名前、名前かあ……」
青い、鳥。
私が元々いた世界では、幸せを呼ぶなんて言われてもいたっけ。
童話の内容なんてあんまり覚えてないけど。なんだっけ、男の子が青い鳥を探して旅をして、自分にとって何が大切かを見つけるとかそんな内容だった気がする。
うーん、主人公の名前がいいかと思ったけど、そうか、男の子か。
それに鳥の名前じゃないしな……。
「アズール」
「チィ!」
「うん、アズール。よろしくね!」
「ほうほうアズールであるか。吾輩の孫をよろしく頼むのであるよ」
おじいちゃんが、優しく笑う。
なんだろう。
おじいちゃんが、少し悲しそうだった。




