12:人間模様、時々幽霊
ほんのちょっとだけ流血とかの残酷表現があります。
この練習用ダンジョンは、一階がグリーティング的に弱い敵で二階が虫系、三階が今いる場所だ。
その日のうちに三階まで進んで先ほどの食事をしていたわけだけど。
なんせ虫とか食べたくなかったからね……?
ともかく、地下に伸びる形式のこの場所で、私たちより先に入った冒険者団はここ数日いないしそれより前に入った人たちは全て出口側で確認が取れていると入口の衛兵さんは言っていた。
ということは、後続のパーティである可能性が出てくる。
私の為におじいちゃんの講義と、そのほかダンジョンで必要な事柄を教えながら進むのはとてもゆっくりなもので攻略目的でないのだから後続の冒険者団がいたなら追いつかれたとしても不思議じゃない。
攻略され済みで大した魔法具が期待されるわけではないので人気でないにしろ、貴重な素材が手に入る可能性を考えれば冒険者が来ないわけではないのだから。
とはいえ、これが冒険者ではなく偶然に魔獣同士の戦いが悲鳴に聞こえる場合だってあるわけで、私たちは慎重に悲鳴が聞こえた方向へと戻ったのだ。
そしてそこで私が見たものは、確かに人間だった。
だがそれはもう驚きの状態だ。
私たちが狩った蛇――アマフェニアよりももっとでかい、巨大としか言いようのない蛇が一人の冒険者をまさに飲み込もうとしている瞬間だったのだ。
皮鎧に身を包んだ男たちが阿鼻叫喚で、巨大なアマフェニアとそのほかの毒ガエルやリザードマンに囲まれている。
そしてついでに仲間割れしているようだ。
そうこうしている間にも、下半身を飲み込まれつつある人が叫んでいた。
「じいちゃん、イリスはどうする?」
「連れていけばよいであろ。十分に戦力になるとお前さんも知っているじゃろう?」
「……そこは心配してない。俺が心配してるのは――」
「それこそ吾輩らが担わねばならぬ部分。ヘイレム、先ずはあれを吐き出させるのである」
「わかった。とはいえ、あのサイズはこの階層の主か?」
「そうじゃな、あれはこの階層の主『アマフェニア・クイーン』で間違いないのであるよ」
まんまの名前だった!!
っていうかクイーンってことは雌なんだ、あれ……。
誰か確認したのかな。
とか思った私の疑問に気が付いたのだろう、おじいちゃんはやんわりと微笑んで「この階層のアマフェニアはあれの卵から孵ったものであることを学者が確認しておるよ」と教えてくれた。
「さて、行く前に簡単な作戦を決めて行くかの。良いか二人とも――……」
◆
リザードマンの三叉槍が、ひとりの冒険者の足を突き刺した。
響き渡る悲鳴に、別の冒険者が自分の身を守りながら後退して、そばにいた子供を殴り飛ばした。
それを私は近づきながら見て、眉を顰めてしまったのは言うまでもない。
彼らは全員で5人の、大人と子供の混在パーティだった。
そして聞こえてきた言葉が、私にそんな表情をさせたのだ。
「てめえが! 罠をなんとかしねえから!!」
「おれはちゃんと言った! 解除もできない、迂回しようって!!」
「それをなんとかするのがてめぇの役目だろうが!! この状況をなんとかしろよお!!!」
それは土台無理な話だ。
だって、もうこの状況は最悪一歩手前だ。
どうやら入り口付近にあった敵を呼びよせる罠を彼らは踏んでしまったらしい。
索敵系を任されていた少年がその罠を発見、解除が不可能と申請したにも関わらず無理に進んで敵を呼んでしまったところで運悪くアマフェニア・クイーンが現れた。
そして彼らが騒げば他の魔獣の探知にひっかかり、彼らがケガをすればそれにまた魔獣たちが群がるという悪循環。
ちなみに私たちも罠は見つけていたし、どうするか話し合った結果解除については次に勉強しようねということで迂回した。
この階層は水生生物が多い水辺を模したゾーンで、足元は泥濘、動きが制限されることもある。
だから罠を無理にどうこうしなくても、迂回ルートが発見され済みである以上無理を押して進む必要性がないのだ。
ではなぜ後続の彼らはそれをしなかったのか?
答えは恐らく、面倒だったから、だ。
三階層程度の魔物ならなんとかできるだろうという慢心もあったのかもしれない。
私はアマフェニア・クイーンの前に立つ。
大の大人の抵抗を物ともせず飲み込む姿は、いっそ優美だ。
飲み込まれかけている冒険者はもう首しか出ていない。
「兄さん!」
「おう!」
飛び出す兄に防御魔法をかけ、私自身も周囲のリザードマンや小さな(といっても外のに比べれば大きい)アマフェニアの注意を引き付けて、風の魔法を利用してその場から少し引き離し集めたところで睡眠を掛け、さらに麻痺を掛けた。
正直、全部がかかるとは思っていない。
一部でも減ればめっけもん、である。
なにせ私自身は戦力外だ。
手にした魔法もデバフ系と補助系に特化した。
理由は簡単、強くてニューゲームとか思った時もありました。でもそれは間違いでした。
ちらりと横目でヘイレム兄さんの方を見る。
アマフェニア・クイーンに飛びついた兄さんが、力任せに飲み込まれかけていた冒険者を引きずり出してそれをおじいちゃんが受け止めたのだ。
信じられる?
人間サイズを余裕で飲み込んじゃう大蛇から力任せに、素手でだよ?
強化系の魔法一切かかってないからね?
大事なことだからもう一度言う。
素の状態で、素手で、階層の主から力任せに獲物を奪い返しちゃうんだよ。
そんな人が身近にいたら「強くてニューゲーム!!」とか言ってられないよね。
私自身の素養が高いのは、恐らく祖父母から色々引き継いだ母の遺伝子と、人間族としてはタフな父という優れた素地が活かされた結果の上に、前世の異世界経験が記憶として活かされたというだけの話だ。
とはいえ、アマフェニアもリザードマンも、他に毒系のカエルとかが音と血の臭いにつられてどんどん出てくるのは正直ありがたくない。
「もう良いぞ、イリス!!」
「はい!」
おじいちゃんが大きな声で合図する。
ヘイレム兄さんが不思議な顔をしたけれど、陸地に上がるようおじいちゃんが助けた人たちを含め指示を出してくれているようだ。
私はそれらを視界の端に捉えて風の魔法を使って身体を浮遊させ、僅かな高度を得て魔法力を全開にする。
これでもかというくらい魔力回路をフルに開ききって、全身に魔力を巡らせる。
抑え込んでいた力も含めて放出する感覚は、研ぎ澄まされて指先へと集めるイメージを強め、そして小さく、息を吐き出す。
そうして生み出された青白い、申し訳程度の小さな光がまるで水滴のように水面に落ちるのを私も見た。
私自身も和子が本で読んだだけの記憶によって使った初めての範囲魔法だ。
前世では魔力が足りなくて知識はあっても使えなかった。
ぐんぐん指先に集まるその感覚に、ぐるぐると体内を巡っていた熱が急激に遠のく感じ。
なんとなく、貧血に似ているけど体は苦しくもなんともないし、意識は冴え渡っているものすごく奇妙な感覚だ。
前世であった魔力の枯渇状態になる感じもないし、どうやらこの世界で繰り返しやっていた魔力の増幅は功を奏していたらしい。
私が使ったのは、氷魔法。
放たれた光の粒は水面に落ちて、瞬間で水辺を広範囲に凍らせた。
魔法の名前は永劫氷河。ギリシャ神話と同じような名称が異世界にもあるんだと思って学んだのはいい思い出だった。
……使えない魔法なのに、って自嘲した悲しい思い出は! 今! 払拭された!!
さておき。
私の魔法はこれが完ぺきだったのかは不明だ。
だってこの魔法は異世界のもので、あちらでは使っている人間を見たことはなかった。
だからどうなんだろう、これ。
でも私的には成功だと思うんだよね、おじいちゃんのいる周辺はおじいちゃんが防壁を魔法で張ってくれたからそれ以外は凍り付いてる。
そう、蛇もリザードマンもカエルも。あのアマフェニア・クイーンも。
水面も粗方凍っているから、その下の肉食系お魚とか半魚人も出て来れないはずだ。
どうだ! と凍った水面と地面をツルツル苦戦しながら渡って兄さんの前に立てば、呆然としていた兄さんが私をゆっくりと見下ろして――ぱあっとその顔を満面の笑みに変えた。
「すごいなイリス!! 本当にすごいぞ!!!」
「へへ、役に立った?」
「おう、おう! こんなすごい魔法、都でも見たことねエよ!」
「さすが自慢の孫なのであるよ」
「じゃあ次は傷の手当だよね? どうする? 移動できそう?」
「うーん、不本意じゃがここで少ししておいた方が良かろう」
改めてみた彼らは、獣人族(山羊と猿)が2人、人間族が2人、ダークエルフ族の少年が1人。
瀕死なのは獣人族で、三叉で刺されたのが人間族、子供を殴り飛ばした人間族は無事だ。
ダークエルフ族の少年も殴られたところ以外は目立った傷もない。
どうやら獣人族2人を盾にしたようで、瀕死ながらも食われかけていた猿族を庇うようにして山羊族が人間族の男たちを睨みつけている。
わぁ、仲間割れってやつか……正直巻き込まれたくはないよね!
でも見捨てるのはちょっと後味悪いし、兄さんもおじいちゃんも余裕の表情だからきっと大丈夫。
「どうじゃなイリス、彼は助かるかの?」
「えっ」
あ、私が治療すること前提か!
縋るような山羊族の人の視線を受けて、私はおじいちゃんから猿族の人の方へと視線を向ける。
うわ、下半身がもう溶け始めてる。
しかも強い力で締め付けられたのか、骨はもう粉々だろう。ひゅーひゅーと苦し気な息を吐き出すそれはまさに瀕死だ。
山羊族の人の方はところどころリザードマンや蛇に食いつかれ毟られたのか、肉がない部分も多いし内臓がはみ出している。
正直スプラッターでグロテスク、閲覧注意状態である。
まあ私は血抜き作業&皮剥ぎで鍛えられてますけどね! でもこれが意思疎通できる相手であるというのは、だいぶ違った。
ごくん、と生唾を飲み込む。
からからに喉が渇く。
まあ、見たことがないわけじゃない。
和子が、だけど。
モンスターに蹂躙された村を助けに行くって時には、火系のモンスターだったから中途半端に焼かれた人の死骸がごろごろしていたり、モンスターによって肉体的に蹂躙されている女性や、生きながら食われる人の姿を見てしまったこともあった。当時は吐いた。
だから、今動けるから。
「猿人さんは毒を抜いてからの治癒術でイケると思う、山羊人さんは取りあえず止血薬とサラシかなにかでこれ以上内臓が出てくるのを抑えてもらって猿人さんのあと。人間族の人はサハギンとかリザードマンの三叉に毒があるかどうか、兄さんに診てもらって解毒薬を飲むかどうか決めればいい」
「正解じゃな、治癒魔法はできそうかね?」
「大丈夫、まだ魔力に余裕がある」
「わかった。良かったのうお前さんら。吾輩も孫息子も治癒魔法系はまったくだめでの! このままでは仲間のふたりは命を落とすところであったよ」
敢えておじいちゃんが仲間のという言葉を強調する。
様子から察するに急ごしらえのパーティなのだろうか。それにしては兄さんとおじいちゃんの彼らを見る目が厳しい。
ダークエルフの少年は俯いたままだ。
だけどそれを気にしている時間は惜しい。
「ごめんね、山羊人のおじさん。もう少しだけ待っててね」
「いいんだ、コイツを頼む……」
「うん。おじいちゃん、アマフェニア・クイーンの毒って普通のアマフェニアと同じ? もっと強い?」
「同じであるよ。ただし毒袋の大きさも巨大である以上、彼に打ち込まれた毒の量は通常のアマフェニアの比ではないと考えるのであるよ」
「はい」
解毒と呼ばれるのは生活呪文の一つに考えられている。
シャワー代わりのあれと同レベルと言うとちょっとアレだけど、日常生活に解毒が欠かせないからだ。
毒草だったりちょっとした中毒症状だったりと。
我が家では主婦をしているイゴール兄さんの実力により食中毒という言葉が無縁なので、実際に使われるのを遠目に見た、くらいしかない。
医者いらずの国なのは、こういう魔法が割と誰でも使えるから、というのも加担していると思う。
魔力の消費が本当にちょっと程度なら少ないのだ。
きらきら光るものが猿人族の人を包む。
実際にこの魔法を使うのは初めてだったけど、成程、術者は相手の毒が抜けていくことを感じ取れると本に書いてあったことを実感した。
周囲の人の目にはただ輝いているであろう姿は、術者の私からすると色が違って見えるのだ。
危険を示す赤が全身にあった彼の体から、その色が薄れていく。
それにしても真っ赤だ。ぐんぐん魔力が吸われていく。
これがゲームなら、既定の量のMP使って一瞬なのにね。
そういうものじゃない。毒の量で魔力が消費されていく。
でも私の鍛えた魔力量はそれでもまだ余りある。ああ、だからおじいちゃんは私が周囲に見つかるとなんて心配したんだなと今更また理解した。
「よし……」
誰にでもなく呟く。
次は治癒魔法だ、と言ってもこの世界の治癒魔法というのは万能じゃない。
使ったら完治! なんて簡単なものじゃない。
骨折ならばある程度元の位置に戻してやらないと、そのままの状態でくっつく可能性がある。
漫画とかみたいに光ったらわあ元通りなんて展開が本当は望ましいけどね!
そして当然そうなったら術者よりも被害者の方が辛い。
なのでここでも魔法を使う。
治癒魔法の前工程、正常。確か呪文としては、『ただしきものは、正しき場所へ。』だった。
つまりこれを使うと大体だけど、元の位置に戻るのだ。割れた花瓶とかの修復で使われるこれも日常魔法だ。
骨折にもよくこれが使われてる。獣人族はこれを使ってもらって骨をくっつけた後は薬草を使うという大胆さなんだよね! これが一般的。
というわけで私も正常を使って猿人族の人の骨の位置を戻していく。
これもまた日常魔法がこうなのか、術者には色がついて見えた。
そうしてこちらの方が難しかったのかずいぶん時間がかかるなと少しだけ焦る中、小さな声が私の頭に響いた。
『あぶない』
「えっ?」
『あぶない アマフェニア・クイーン うごく』
「兄さん、アマフェニア・クイーン!」
「?!」
聞いたことのない声。
正常が終わるのと、アマフェニア・クイーンが表面を覆っていた氷を砕いて、私たちにその大きな口を向けて襲い掛かるのは同時だった。
私の声に反応したヘイレム兄さんが、「キエエエェェェエエエイ!!!」と気合を発してその巨大な牙を受け止めた時には正直チビるかと思った。
そして私の視線の先でふわりと揺れていた少女の幽霊が兄さんの気合にかき消されたのも、見たのだ。




