後ろ姿は翠色
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「翠先輩、こんにちは」
あたしはツマンナイ授業が全て終わった放課後、もう飛ぶようにして部活に行く毎日だったりして。
「あれ? 茜ちゃん、早いね」
「え? 翠先輩? 『早いね』って?」
――えっと、えっと……『早いね』って、翠先輩からの質問の意味がワカンナイ……
「いや、あの、だってさ、まだホームルーム終わったばっかりじゃん? まだ放課後になったばっかりだしさ」
――あ、そういう意味の質問だったのね……
「えへへ……あたし、部活だけが楽しみですから」
――そうなの。あたしが飛ぶようにして行く場所は……それは、翠先輩に会える美術室だけだもん……
実は、あたし、そこで放課後に美術部の部活をワクワクしながらする毎日が楽しみで学校に来ているようなもんなの。
★★
――あたしね、翠先輩が描く綺麗な絵に憧れて入部しちゃったんだけど……
そうなの、翠先輩ってば、写実的なのに幻想的な、もう有り得ないくらいに美しい絵を描く人なのね。
――でもね、あのね、翠先輩ったら……
「あり? 茜ちゃん?」
――何でなのか、どうしてなのか……
「ねえ? 茜ちゃん? えっと、あの……」
――いつもいつも、奥田恭子先輩ばっかり描いてるのよ……
「お〜い、茜ちゃん?」
「え? あ……翠先輩、何ですか?」
「いや、あのさ……黙ってボクを見つめたりしてさ、どうしたの?」
――イヤだ、あたしったら……無意識に翠先輩を見つめちゃってたかも……
「あ、あ、あの……翠先輩?」
――きっと今日も翠先輩ってば……
「茜ちゃん、なあ〜に?」
――何を描くか分かってるけど、でも、あたし……
「えっと、あの……今日は何を描くんですか?」
「しょんなにょ、ひみちゅでちゅ」
「きゃはは! 翠先輩ってば、いきなり意味ワカンナイしぃ〜!」
――あぁ〜あ、ノンキに笑っているあたしだけれど……
あたしには翠先輩が描くモチーフは今日も決まりきっているって分かっているの。
――きっと今日も、やっぱり今日も……いつもどおり、奥田恭子先輩の絵を幻想的に描くんだろうなぁ〜って……
★★
「そういえばさ、今日ね、奥田部長お休みなんだってさ」
「え? 奥田恭子先輩、今日はお休みなんですか?」
「そうみたいなんだよ。さっきね、奥田部長は休みだってさ、奥田先生が言いに来てくれたんだよ」
とてもヤヤコシイ話なんだけれど、美術部の部長は奥田恭子先輩なの。
でね、美術部の顧問の先生も奥田って苗字なのよ。
――でもね、偶然に同じ苗字なだけで、奥田先生と奥田恭子先輩は親戚じゃないらしんだけど……
「翠先輩? どうして奥田恭子先輩、部活お休みなんですか?」
「奥田部長さ、風邪ひいちゃって学校休んだんだってさ。だから、今日さあ、いつもの後ろ姿描けないし……」
――じゃあ、翠先輩、あたしを描いてください!! ホントに真面目な話、お願いだから!!
「あり? 茜ちゃん? 急に怖い顔なんかして、どうしたの?」
――お願いだから、あたしを描いてくださいなんて……あたし、のど元まで出かかっている言葉なのに、あたしは勇気が全然足りなくて……
言いたいのに言えない葛藤みたいなアレのせいで、あたし、翠先輩から言われてしまうくらいに強ばった表情になっているみたいなの。
「あ、そうだ……今日さ、茜ちゃんを描いてもイイ?」
「は? はい? はわわ? あぶびば?」
「茜ちゃん? 『あぶびば』って……え? 何、それ?」
――えぇ〜!? ウソでしょ!? そんな、いきなり、もう、唐突に夢叶っちゃったりしたりしてイイの? あたし、思わずビックリみたいな……
「あうあう……あの、え? あばびぶばべ、あうわうわ……もちろん、はひ、あのです」
「あはははは!! 茜ちゃん、茜ちゃん!! 何を言ってるんだかワカンナイよ」
「だってぇ……突然の翠先輩からの言葉にビックリしちゃったから……」
「っていうか、茜ちゃん? どうしてビックリとかしちゃったの?」
――あうあうあうわ……あたしの思い悩んだ半年は何だったのかしら……
「あれ? ねえ、茜ちゃん?」
「え? えっと、翠先輩、あの……あうあうわ……」
「まあ、細かいことなんて何でもイイや。んじゃさ、茜ちゃんの後ろ姿が見えるようにさ、ボクよりも前の席に座ってもらってイイ?」
「あ、はい!! 今すぐに座りますから!!」
あたし、翠先輩の気が変わらないうちに、ドタバタと慌てて翠先輩の前の席に座ったの。
★★
――きゃ〜、きゃ〜、きゃぁ〜!! うふふ……えへへ……
「ああ、背中に心地好い視線が……」
あたしは翠先輩から見たら3つ先にある前の席に座っているの。
――翠先輩は夢中になってあたしの後ろ姿を描いてくれちゃってるんだけど、その視線が気持ちイイなんてもんじゃ焼きなの!!
「あうあうわぁ……あたし御乱心みたいな……」
「は? 茜ちゃん? ゴランシンって?」
「ぎゃふん! 翠先輩、何でもないです! もんじゃ焼きとか気にしないでください!」
「へ? 茜ちゃん? も……もんじゃ焼き?」
――しまった!! もんじゃ焼きって、あたし、言葉に出して言ってなかったのに!!
「いや、あの……翠先輩が描いてるもんじゃ焼きとか、じゃなくて、もんじゃ焼きはオイトイテ……翠先輩の心地好いアレとか、翠先輩の視線が素敵にアレとか……あぶびば!?」
「だから、茜ちゃん? だから、『あぶびば』とか訳ワカンナイし……あははははははは!!」
――いやん、いやん、いやん!! あたし、どんどんドツボみたいな……
「ああ、そっか。うんうん、分かったよ」
「え? 翠先輩?」
「茜ちゃんはトイレでしょ? 我慢は体に良くないからさ、トイレに行きたいならさ、ほら、早く行ってきなよ」
――あっちゃぁ……あたし、スッカリ忘れてたわ……
実は、翠先輩、とてつもないくらいに天然ボケかましまくりな人なの。
「っていうか、翠先輩? もんじゃ焼きとか、心地好いのとか、視線がアレとか、あたし的に……それらとトイレ、全く結びつかないんですけど……」
――うん、百歩譲っても結びつかないわよね?
「うん、あたし、大丈夫。だって、あたし間違ってないもん。もう、太っ腹に千歩譲っても結びつかないもん」
「っていうかさ、後ろ姿って趣あってイイよね。部活中にボクより前の席へ座ってくれるのってさ、奥田部長だけだからさ……だからね、何だカンだでさ、いつもは部長を描いているんだけどさ……」
――ああ、やっぱり翠先輩はブッチギリの天然だわ。だって、会話がアサッテに飛びまくりだもの……
「茜ちゃんの後ろ姿ね、部長とは違ったイイ感じの趣がアリアリで……うん、ボクは気に入っちゃったかもだもよ」
――あぁ〜あ、翠先輩ってば、『かもだもよ』とか、ヘンテコな日本語使いまくりボケかましだし……
「っていうか、ちょっと翠先輩!?」
「え? 茜ちゃん、なあ〜に?」
「だから、翠先輩、ちょっと待ってください!」
「あ、そっか。茜ちゃん、やっぱりトイレなんだね?」
「ああ、もう!! ですから……この際、きっぱりトイレは忘れてください!!」
「んじゃ、茜ちゃんは『あぶびば』なのかな?」
「ああ、もう!! あぶびばも忘れてください!!」
「そんじゃ、茜ちゃん? 一体全体、どうしたっての?」
――あたし、大変だわ! 有り得ないくらい大変なことに気づいちゃったわ!
「あれ? 茜ちゃん?」
確かに翠先輩より前の席に座って部活をするのは奥田恭子先輩だけなのよね。
「お〜い? 茜ちゃん?」
――だって、あたしを含め、他の部員たち、その全員が翠先輩より後ろの席に座って部活をすることが常日頃だもん……
「お〜い、お〜い、茜ちゃん? いきなし考え込みだしちゃってさ、どうしちゃったの?」
――あたし、どうしよう……やっぱり大変なことに気づいちゃった……
「っていうか、あたしのヤキモキ半年間って何だったの?」
「へ? 茜ちゃん? 今度は何を言い出しちゃったの?」
「あたしは美術部に入部してからの半年間、毎日毎日、毎日毎日……」
――あたしも翠先輩から綺麗で幻想的な絵にされてみたいって、毎日毎日、毎日毎日……
「言いたくても言えなくて、毎日毎日ヤキモキしてた半年間」
――きっと翠先輩は奥田恭子部長のこと好きなんだわって思ってたのは……そんな、まさか、あたしの早とちり?
「あ、まさか……もしかして茜ちゃん? もしかしたらさ、茜ちゃんは深刻な悩み事を抱えてるとか?」
――翠先輩は有り得ないくらいの天然なんだけど……
「あのさ、ボクで良かったら相談にのるけど……」
――でも、今みたいに親身になってくれるから素敵なの……
「翠先輩、ホントですか?」
「うん、本当のホント」
――やっぱり、あたし……
「ボクなんかで良かったらさ、茜ちゃんの相談にのるよ」
――うん、間違いないわ。あたし、翠先輩のことが好き……
「じゃあ、翠先輩……あたしを翠色に染めてください。お願いします」
――半年間も我慢していた気持ちが、その本当の気持ちが……今、たった今、しっかり解ったから……
あたしは翠先輩の方に振り向いて、
「あたしを翠先輩色に、翠先輩一色に染めてください!!」
なんて、あたしったら、自分でもビックリするくらいの大きな声で言ってしまっていたの。
――そっか、やっと解ったわ。あたし、翠先輩の素敵な絵も好きだけど、それよりも、翠先輩のことが大好きだったのね……
「えっと? 茜ちゃん?」
「はい、翠先輩? な……何ですか?」
「御乱心とか、描いてるもんじゃ焼きとか、心地好いのとか、視線がアレとか……」
――え? え? 翠先輩ってば、今度は何を言い出しちゃったの?
「後ろ姿を翠一色に染めてとか、あぶびばとか……茜ちゃんの日本語は難しいね。あはははは!!」
「いやぁ〜ん!! 翠先輩ってば!!」
あたしの決死の告白なんてソッチノケで、翠先輩、急にオナカを抱えて笑いだしちゃったの。
「いやん、もう……天才と天然は紙一重みたいな?」
と、一言だけ呟くと、あたしは再び翠先輩に背中を向けて、この日は心地好い翠先輩の視線を浴びながら描かれ続けたの。
――っていうか、あたしの告白……台無しかも……
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