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「早まってはいけません。小さな怪我でしたら私にも手当できますが、崖はいけない。自分の体は大事にしてください」

 ベリルが女に近づいて言えたのは、そのくらいのことだった。

 線の細い女は、薄く開いた唇を、不安げに揺らして、首を傾げる。

「何……?」

「あんたが飛び降りそうに見えた、らしいよ」

 メリンダが女に答えて、固い靴底を鳴らして草を分けて崖に近づく。

「ってか、こっちの方が落ちそう」

 草に埋もれていたベリルの首根っこを掴まえると、メリンダは彼(外見は彼女)を引きずり出して、女から見えるようにしてやった。

「助けが必要?」

 メリンダが女に問う。慌てているベリルと、冷ややかにすら見える平静なメリンダを見比べて、女は瞬きして言葉を返した。

「いいえ、私、飛び降りじゃありません」

「だよなー」

「そうか? そうなのか? 大丈夫か?」

 ベリルは、近寄ろうとするが、メリンダに掴まれているので手足をばたつかせるだけで終わってしまう。

「私はベリル、魔術師の手伝いをしている。こちらはメリンダ。魔術師だ。何か悩みがあるのであれば、助けになろう」

 口が自由なので、ベリルは一息に言ってしまう。メリンダが後ろで大きくため息をついた。怖い、だが、飛び降りそうな人間を前にしていることの方が、ベリルには怖かった。

 女が瞬きして、唇を動かした。

「私はマクレーンです」

 マクレーンは、ほのかに笑ってみせる。

「飛び降りたりしません。貴方の勘違いです」

 ベリルはその言葉を疑う。

 勘違いと言うわりには、マクレーンが崖を離れようとしないからだ。

「そこで、何かあったんですか?」

「いいえ? 何も」

 ベリルが重ねて問うと、ようやく、マクレーンは崖を離れて歩きだした。

「あの、どこへ行かれるんです?」

「帰ります」

「あの、よかったら、お話でも。気が晴れるかもしれません。パンのおいしい店があるので」

 しどろもどろにベリルが言うと、メリンダがため息を美しく重ねる。

「ベリル」

 名を呼ばれるだけでも、とがめられているのが分かる。小さい子供になった心地で、ベリルは首をすくめた。

 やりとりに気がとがめたのか、

「ごめんなさいね、私がご心配をおかけしたのもいけなかったんです」

 叱らないであげて、とマクレーンが振り返った。

 メリンダは不機嫌、というよりも関心がなさそうだったが、ベリルが気にするためか、三人で先程とは別の店に入ることになった。

 甘味処のようだ。初めて見る店に、ベリルはそわそわして、店員が生産中の、蜜のかかったケーキなどに目を奪われる。

 だが、途中で、マクレーンとメリンダの冷えた空気を思い出した。

 咳払いして、おもむろにベリルは真剣な顔をした。

「何か、悩みがあるのではありませんか」

 誰にだってあるだろうに、そんな切り出し方をしてしまった。占い師でもあるまいし。

 ベリルはちょっと後悔したが、マクレーンはあまり気にしていなかった。

 グラスの縁についた水滴を、指先でなぞっている。

「ちょっと……先日、彼とうまくいかなくて。口論をして」

「それでも、崖から飛ぶのは……」

「飛んでいません。むしゃくしゃしたので、深呼吸していただけです」

「もうちょっと、危なくないところでやった方がよいのでは」

「それもそうですね、ご心配をおかけしました」

 マクレーンは問題などないと言いながら、陰のある笑みを浮かべる。

 ベリルは彼女を呼び止めて、席についてもらったものの、どうしたらいいか勝手が分からない。メリンダが、おろおろするベリルを一瞥して、メニューを読み上げる。

「何食べたい?」

「あまり、喉を通らないので」

「水だけ? ふうん」

 メリンダは興味がなさそうなので、ベリルが代わりにメニューを指さす。

「ここは分からないが、さっき別の店で食べた丸パンは、食欲がなくても、サラダを挟むと食べやすくなった。そういうもののほうが、いいだろうか」

「ごめんなさい……気を遣ってもらってしまって」

「気にするな。私も、人に奢られて、楽しい思いをさせてもらった。メリンダにはすまないが……」

 ベリルは本日さっきまで幽霊だったのだ。自分で持ち合わせがあるわけもない。メリンダにこれ以上賄ってもらうのは申し訳ないが、他に手だてもない。ベリルはメリンダを上目で見やる。メリンダは緑の目を細めて、ため息をついた。

「レモン水にしたら? 気分がちょっとはマシになるかも。私もそれにしようかな」

「酒はやめておけよ」

「テーブルの縁つかんで真面目に言うなよ」

 ぶつぶつ言いつつ、メリンダがマクレーンを促した。

「それでさ。崖から飛び降りるのはやめ、ってことでいい?」

「はい。そもそもそんなつもり、ありません」

「ふられたって、この村の人に?」

「ふられてません」

 苦笑して、行き違いがあったのだと、マクレーンが答えた。

「喧嘩をしてしまって。仲直りしたいんですけど、なかなかうまくいかないの」

「自分の意志で崖に行ったの?」

「えぇ。それがどうか……?」

「ん、ちょっと、ね」

 そうして、マクレーンの肩口をじっと見ている。マクレーンの表情がこわばる。

「何、か?」

「いーや、別に」

 ぽつりぽつりと身の上話めいたこと――どこに住んでいる、とか――をしてから、マクレーンは落ち着いた様子で、席を立った。

 今度はもう、ベリルも引き留めない。引き留める理由がなかったのだ。


「何でそんなに気になるわけ」

 レモン水だけ飲んで店を出て、辺りを歩き回っているうち、メリンダがベリルのシャツの襟首をつかまえて、そんなことを言った。

「気にならないか?」

「別に? 何か、怪しいってこと?」

「怪しいというか、そういうことではなく」

 引っかかるのだ。この違和感が何なのか、ベリルはうまく整理できない。

 一番説明がつく言葉で言うと、

「助けたいではないか」

「ふーん。いいけど別に。男ってそんなもんかね」

 メリンダはずいぶん、マクレーンに対して否定的である。ふてくされたふうに聞いてきた。

「私が崖のところで悩んでたらどうするの?」

 ベリルは想像する。憂いを帯びた緑の目、寂しげな背中。飛び降りたりはしないだろうが、そのままにしておくのも不安に思える。

「そうだな、私は一度店に戻って、バスケットにパンと飲み物を詰めてもらって、改めて迎えに行こう。もし賑やかなところに連れていくと、本当のことを言わなさそうだから、一緒に野原でお弁当だな」

「何だそれ。お前、生前からそんな感じだったの? 可愛いこと言ってるけど、その外見に引きずられてるの?」

「そうだな……」

 そうかもしれない。ベリルは頷く。

「外見がおっさんだった頃は、怪しかろうと思って、自分では貴殿を見守ることしかできなかっただろうが。今は、ほら、小娘の格好だろう? 多少、そういう、バスケットを持って出かけるようなことをしても、気味悪くないかなと思ってな」

「そっか。まぁ、私も、あいつには違和感があるし……」

 ぶつぶつ呟きながら、メリンダがいくらか気をよくしたように、ベリルの背を力強く押す。

「腹が減らない? どこか寄ろうよ」

「さっきはレモン水だけでいいと、言ったじゃないか」

「あれはあれ、これはこれ。どこか、いい店知らない?」

「初めに話をした店くらいしか、私は分からないが」

「そこ、気に入った? じゃ、そこにしよう」

 メリンダが何を考えているのか分からないが、ベリルは、ひとまず彼女の機嫌が直ったようなのでほっとした。奇妙な道連れができたものだ。

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