飛んで火に入る嵐の予感
ばんっと、背中を力任せに叩かれて少しむせて、それでも何とかスタートを切ったはいいけれど、もう姿も見えない。それでも闇雲に走って中庭を駆け抜けて、その後姿を視界にとらえた時には思った以上の距離を作られていた。
どこをどう通って行ったのか、いつの間にか三階渡り廊下の彼と、未だに草を踏み分けている悠。地の利が不利に働いている事は日を見るよりも明らかで、なえる気持ちと悲鳴をあげそうな鼓動を誤魔化しながらようやく追い付いた時には、扉に手を掛けようとしている瞬間だった。
「純!」
息が切れて、悲鳴のようなになってしまう。純はさして驚いた様子も無く向きを変えて、ゆっくりとした動作で扉に掛けていた手をおろす。
悠の手は飛び出しそうな心臓の辺り、なだめるように手を添えてじっと目が離せない。
その時、校内アナウンスが二人の間に割り込んできたのだ。「辰村みね子さん、至急生徒会室まで・・・」
今度こそ息が止まるくらい、びっくりして音の出て来た辺りを見上げて、何かがある訳でもなく視線を下げて、純の背中越しに看板の文字が目に入り、すうっと体温が下がるのがわかる。
「どうかした?」
少しだけ首を傾けて目を細める。悠はぐっと、倒れそうな意識を持ち上げて目も逸らせない。
ふと、純が視線を悠の後ろに移す。少しだけ呼吸がしやすくなったか、さわさわと人が集まってきているのが背中越しに伝わって来る。
と、
「あれ?何であなたたちがここに居るの」
勢いつけて両肩をたたかれて、うわあ、とバランスを崩してしまう。驚いたというか、呪縛がとけたと言うか。
「なによ、人をバケモノか何かみたいに。で、どうなったの」
「え・・・なにが」
「何がじゃないでしょう、じれったいわね!」
ぐいと腕をつかんで立たされて、一歩、二歩。再び純の顔が近付くと肌に刺さるような視線と張り裂けそうな心臓の鼓動。
「なに?」
「ちょっとだけ、すぐ済むから。・・・ほら悠、早く!」
「うん、その・・・純、だよね」
「笠間、ユウって言うんだ?」
「はい!ずっと・・・あこがれたたんです」
ざわりと空気が揺れる。
「あなたのえんぎ・・・」
「ユウ!本気なの?」
「ユウ!そんなにも彼のことを?」
「ユウ!惚れてるのかぁぁぁっ」
最後の部分はどうやら、悠の独り言に終わったらしい。そうなると問題の多い爆弾発言しか残らない。悠は見るからに、しまった!という顔で津波のように押し寄せる暴徒、もとい生徒の渦に巻き込まれてすぐに見えなくなる。
すかさず、何人かが納めようと果敢に飛び込んだりもしたがそんなものではどうにもなるまい。
「ねぇ、みね子くんどういう事?」
「あなた・・・無事だったの。どうもこうも。こうなったらもう駄目ね、自業自得だわ」
「でも・・・鎮めないと」
「それが出来てりゃ苦労しないわ」
「うん。君は見てればいいよ」
そう言った後は一瞬で、スローモーションのように鮮やかだった。
渦の中心に手を伸ばすと、正確に悠一人をするりと抜き取り、そのままぎゅっと、固まったままの悠を抱き寄せたのだ。
「そういうことだから」
あっけに取られて、目を丸くしている生徒たちにひらひらと手を振って、後ろ手の生徒会室に見えなくなってしまう。
しばらくは誰も動けず、何も言えず。
・・・
「か・・・関係者以外は立ち入り禁止!」
そう言って、蒼白なままでつづいて生徒会室に押し入ったのは誰かと思えばタキガワ副会長。しかし沈黙は破られた。再びさざめきだす生徒たちは今にも扉を突き破りそうな勢い。それに声を張り上げて対抗むなしく飲み込まれているのは。
「ちょっと大丈夫?・・・だめよ、中学部の生徒がこんな所にいたら」
「ム!あなた失礼っ!」
せっかく引っ張り出してあげたのに手をはたかれて、続いて生徒会室へ。きょとんと状況が飲み込めないみね子をぐいと押し込んで、扉をしめてひといきついているのは丸い顔。
「あ、早いうちに謝っておいた方がいいよ、アヤセ先パイしつこいから」
「あらためましてようこそ、若宮高等部生徒会へ」
「はぁ?」
もう、何が何だか。
「一つ聞いていいかしら。あなたの事、五分と経たずに追いかけて行ったはずなんだけど・・・いつの間にわたしを呼び出したの」
ふふ、と笑ってポケットから携帯電話を取り出す。
「放送委員と連絡取り放題。便利だよね、これ」
ナルホド。
扉の向こうは変わらずさざめいていても、入ってまで来る無法者がいない所は伊達に進学校を名乗っていないだけある。
無事に開放されて今はみね子にべったりと張り付いている悠と、正面には純と、タキガワ、アヤセと、丸い顔。
「紹介をしておくね。メガネの彼がタキガワ、二年生」
「・・・次期会長こと、現副会長だ」
「こっちの何というか・・・小柄な彼女がアヤセ、同じく二年生」
「全っ然!フォローになってないわ・・・会計よ」
「対して大柄な彼はコミヤマ、君とおなじ一年生」
「あはは、反論できないな・・・書記だよ」
そして改めましてとみね子に向き直り、
「でもって僕が、生徒会長」
「会長!説明してください!」
待ってましたとばかりに食いついてきたのはタキガワ。
「さっきのは・・・あれしか思いつかなかったんだよ」
「ずるいですよ・・・って違う!違わないけど、彼女の事です!」
「うん、スカウトしようと思って」
「会長ぉ!メンバーは四人、ちゃんと揃ってるわ」
「だから五人目。ヒーローは五人一組、これ常識」
苦虫を噛み潰しているタキガワと、目と口をまんまるにしているアヤセ、呆れて物もいえないのはみね子も同じ。理屈も道理もあったもんじゃない、まるで子どもの理屈ではないか。
「会長、第二書記ってちゃんと言わないと」
「解りやすく言うとそういう事。どうかな」
「どうかなって・・・あなた本当に生徒会長?わたし担がれてない?」
「残念ながら、本当なのよね」
「ま、すぐにこのタキガワが取って代わるけれど」
「あはは・・・こんな感じだけど、チームワークはいいんだ」
「みね子、どうするの」
どうと言われても。本当にこんな、まるでお笑い新喜劇な面子が生徒代表なのか?それより、どうして今さらのようにみね子がスカウトされないといけない?
「・・・考えさせて」
「うん、待ってるよ」
警戒を隠そうともしないみね子に、それでも笑顔を崩さない純。
怪しい、いかがわしすぎる。何か裏があるとしか思えないなら、その正体を確かめるまでは慎重に越した事は無いだろう。
目を投げると、ガラス越しに枝を伸ばした新緑眩しい五月も初め、波乱と混乱と嵐の予感。とにもかくにもただでは済まない何かが、みね子の背中で顔色をうかがっている悠によってもたらされる予感がみね子にはしていた。