キミがいない
寒い日だった。
町はとっくに寝静まる時刻。人通りもまばらに、街灯が寂しそうにささやかな光を漏らしている。いつもより三十分ほど遅かっただろうか。塾の授業が終わってそそくさと岐路に向かう仲間たちの姿もなく、がらんとしたホームはよそよそしく、見慣れたはずの、見慣れない駅は落ち着かない感じがした。
みね子は一度、ぶるりと犬のように身を震わせて壁伝いにベンチに避難する。腰を下ろすと膝裏がひやりとして飛び上がって、誰もいないのに辺りを見回してもう一度、身を硬くしてそろりと、お尻を確認しながら浅く座る事にした。
デコレーションケーキ箱を脇に置いて、ようやく一息。視線を上げると薄明かりの外は鉛色の雲。頼り無さげだった雪もいつの間にか止んで、転々と、足跡が雪化粧に落ちている。
また降るだろうか、もう降らないだろうか。受験生にクリスマスなんて関係ないけれど、家に帰ればケーキくらいはあるし、何よりこういう日は雰囲気が大切なのだ。寒いのは苦手だけど・・・
はっとして三度、身を硬くする。ケーキ箱を傾けないように、思い立った事柄を確認するためにも急いでホームの中ほどへ。
駅自体は町の中心部だが、今から乗る路線は本数が少ない。急いで時刻表を確認して、次の電車の到着時刻から現在時刻を差し引いて・・・途方に暮れてしまった。
次の電車が来るまでたっぷり二十五分。いつも乗っている電車がとっくの昔に発車した事はわかっていたが、次の電車までもが発車した後とは思ってもみなかった。
「タイミング悪いな」
全くその通り・・・?
思ったものの、口に出した覚えの無い見知らぬ声で、思わず隣を確認した。
さらりと、頬にかかった髪を耳に掛ける。露わになった横顔は端整で、思わず目を見張ってしまった。
実際、どれくらいの時間見惚れていただろう、困ったような視線をみね子に寄越すに至ってようやく、我に返って今度は恥ずかしさで目も合わせられなくなってしまう。
そのままベンチに逃げようとも思ったが、あれだけじろじろ、それこそ穴が開くほど見ておいて何も言わないのも失礼だと思ったし、かと言って、初対面の相手に世間話をするのも図々しいし。結局、視線も合わせずまんじりともせず電車が来るまでの間を、でくのように突っ立っていた。
あの後も・・・
「っと、ごめんなさい」
危うくぶつかりそうになって半歩ずれる。
相手はみね子のことなど気にもせず友だちとのおしゃべりに夢中に、行ってしまう。その背中が人波に乗って見えなくなるのを確認して、ようやく進行方向に視線を戻す。
白昼夢に浸っている場合ではない、今は学校なのだから。放課後の、昇降口に向かう波に逆らい、みね子は三年の教室棟に向かっている。別ルートを使えばもっとスムーズにたどり着けるのだが、今は急いでいるのと、目指す相手の下校を阻止する事も兼ねての最短ルート。
ようやく通りやすくなるといよいよ間近。何度来ても緊張するルームプレートたち、深呼吸をして足を踏み出す。
そこはいつ来てもひんやりと静まり返り、行き交う人もまばら。ほとんどの生徒が教室内に、しかも参考書とにらめっこしている姿は異様としか思えないが、みね子もああなるかと思うとそれこそ、信じられない。
ひとつ、ふたつ・・・記憶しているクラスナンバーを確認して。でも、さすがにここで大きな声を出す勇気までは持ち合わせていないので、そろりと教室に顔だけ突っ込んで恐る恐る声を掛ける。
そんなに大きな声を出したつもりは無かったのだが、それでも教室中の視線を集めてしまう。その中の純は帰り支度の真っ最中、急いで鞄の蓋を閉めるとみね子のいる教室の入り口まで、人のいい笑顔を見せてくれる。
「やあ、みね子くん。どうしたのさ、こんなくんだりまで」
「あの、ごめんなさい!」
思い切りかぶりを振るとざわりと、好奇に目の色が変わったのがわかる。純はびっくりして視線を泳がせているが、そんなもので注目は逸らされる筈がない。
「ごめんなさい、何て言うか・・・あんな所で駄々こねて。子どもだったの、あなたに恥かかせちゃって本当に反省してる。でも決めたの、わたし、あなたについて行くわ」
「ちょっと待って!ストップ!・・・何を言っているんだきみは?」
「ここで言っちゃってもいいの?」
手を胸の前で組んで小首を傾げる。純はみね子の鼻先に突き出した手もそのままに右を向いて、左を向いて。いつの間にか廊下中もの視線が釘付けに、教室の中も溢れんばかりの顔、かお、カオ。
「と、とにかく場所を移そうね、ね、ね」
くるりと方向転換をされて肩を押されながらスタコラ。通り過ぎる無数の目はぎらぎらと、受験生と言うものはあまねく死んだ目をしていると思っていたのだが、そう言う訳でもないらしい。
「それでわたしね、考えたんだけど特権なのよね、生徒会って。よく考えたら学校を動かしちゃうんですもの、誰でもなれる訳じゃないのよね。そりゃ確かに、面倒だろうけど、なんて言うのかしら。ふっ切れたって言うか、やってみようかなって、逆境楽しんじゃおうって思ったの。ところでこれ、逆方向だと思うんだけど」
くるりと、今度は自分で方向転換すると純が行き場の無くなった両手を、びっくりしたジェスチャーみたいに顔の横に広げている。
「で、でもこういう込み入った話は静かな所の方が・・・」
「何言ってるの、仕事でしょう?行くわよ」
今度はみね子が純の背中を押しながら。今来たばかりの道をさかのぼり、再び好奇の目にさらされながら、さらに進んで生徒会室まで。だが、いざ扉を目の前にしてぴたりと、止まってしまわれてはみね子も前に進めない。仕方なく横にずれて純の顔を覗きこむと、
「やっぱり帰ろうよ~」
情けない顔を作る純をじろりと睨んで、構わず扉を勢いつけて開ける。
「あ・・・良かった~もう来てくれないかと思ったよ」
「厚顔無恥も甚だしいな。何しに来たんだ」
「とか言いながら、タキガワ先パイも嬉しいんだよ」
「あのなぁ、コミヤマ?」
「ごめんなさい!」
頭を上げると揃って、豆鉄砲を喰らった顔をしている。
「特権だけ利用して仕事しないなんて、甘い考えを改めて来ました。今日この時からは生徒会の一員として学園のため、頑張りたいと思いますので宜しくご指導お願いします!」
もう一度、深く頭を垂れる。その向こうには沈黙、面食らう事は承知の上だけど。頭上を思い空気がよどんでいる。ふう、と息を吐いた音と、仕様がないな、と言う声にようやく顔を上げる。
「今度こそ改めまして、ようこそ若宮高等部生徒会へ」
手を広げて道を明けてくれるコミヤマ、照れたようにメガネの位置を直すタキガワ。歓喜に胸が昂ぶる。振り返って純の顔を・・・
「・・・どういう事?」
不機嫌を隠そうともしないでアヤセが、純の脇をすり抜けて、みね子を追い抜かして指定席に鞄を置いてじろりとみね子を睨みつける。
「あなた私の話を聞いてなかったの、それとも記憶がなくなっちゃったの?」
「聞いたし、覚えてるし、学習したからここにいるんです。わたしはここに仕事をしに来たんですもの」
はぁ、と重い息を漏らして聞き分けのない子どもに噛んで含むように続ける。
「あなたに何が出来るの、この学校の事何にもわかってないくせに」
「わからないから!・・・純粋培養の連中には思いも付かないようなヨソモノの意見を持っています。文句は、それを聞いてからでも遅くないでしょう?」
あからさまに眉根を寄せたが、意見を聞く耳はまだ持っている様子。みね子は一同を見渡して深呼吸で、激しく波打つ鼓動を落ち着かせる。
最奥の席、一つだけ向きが違うそれは議長席だろうか、それならいつもは純が座っているのだろうか。でも今日は純も、脇の席に落ち着いて促してくれている。みね子はゆっくりと議長席に着いて、
「先日、純先パイ・・・生徒会長は劇をやりたいと言って、わたしはそれに賛同しました」
「だからそれは無理・・・」
「タキガワ、最後まで聞きましょう」
「アヤセ先パイ、ありがとうございます。・・・確かに、今のままでは無謀です。でも、ちょっとずつ時間を作っていけば出来ると思うんです。いえ、皆さんが仕事をさぼっていると言いたいわけじゃなくて、仕事をきちんとこなしていても、長い間蓄積されて、繰り返されれば隙と言うか、余裕が出ているはずなんです。まずは生徒会長!」
「はい!」と縮こまる所をみると、自覚はあるのだろう。
「会長とはよく、放課後お会いしますよね。今日もさぼろうとしてましたよね」
「そう言えば、今日は来てますね。会議でもない限り来ないと思ってました」
「コミヤマ君が言うなら間違いないわね。先ずは会長には、毎日ここに来て仕事をしてもらう事。それだけで随分余裕が出てくる筈です、言いだしっぺなんだから、出来るわよね?」
しょぼんとしながらも、頷いたのを確認して続ける。
「それともう一つ、生徒会の仕事は放課後、下校時刻までで間違いないかしら」
「原則、そうなってるな。多忙時には休み返上もあるし逆に、暇な時は暗黙の了解で自由解散もする」
「そこを、改善するんです。一年の行事予定は四月には出来てるんだから、計画を立てて、忙しい時に休みを返上しなくて済むように、暇な時はこの先の行事予定を進めておくんです。そうすれば劇の練習する時間も出るんじゃないかしら」
「理想論だな・・・だが、やってみる価値はあるだろう」
「すごい・・・そんな事考えても見なかった。僕、中等部でも生徒会やってたけど、今のままで馴れちゃってたんだね」
「一つ!・・・忘れてないかしら。新参者のあなたが足を引っ張る勘定、入れてないんじゃない?だから・・・」
不敵な笑顔をみね子に向けて、思わず心臓が跳ね上がって飛び出すほど。
「一週間でたたき上げるわ、逃げ出すなら今のうちよ」
「・・・望む所よ」
すっと、アヤセが手を差し出したのでみね子は宜しくとばかりに握り返そうと思ったのだが。ぱん、と叩かれてきょとんとしてしまうと、
「次は反対側の手、それから腕。まさか知らないの?あなた幾つよ」
腕をぶつけ合って、反対の腕も。それから手を取り合って飛び上がったり、地域によって色々あるらしいが。ギャルとギャル男中心に広まっている若者独特のあいさつは、みね子には良くわからない。
「それじゃぁ今日はこの辺で」
その一言を合図に、部屋の中に張っていた緊張がほぐれる。みね子はぐっと、体を伸ばして頭を切り替えて、急いで帰り支度を始めるが、頬の辺りにじりじりと視線を感じるような。
「・・・?わたしの顔に何か付いてるかしら」
「いや、何て言うか・・・千夜先パイを思い出した」
穴が開くほど見ていた挙句、何を言い出すかと思えば。純は大げさに首をひねって腕組している。みね子は失礼承知で指を指して、
「いいこと?度を過ぎたおべんちゃらは、けなしてるのと同じよ。・・・全く、何処をどう見たらわたしがあんな美人に似てるって言うのよ」
「だから悠が・・・」
「何?」
「いや。悠はどうしてる、元気?」
「・・・それがね、あの子あれからウチに帰って来てないの。だから、これからお見舞いがてらに行こうと思ってるのよ」
あからさまに話を逸らされたのだが、みね子は気付かなかった。鈍いことを差し引いても悠の事が、ずっと引っかかっていたのだ。見せて、と請われて心うつろなまま住所をメモした紙切れを純に渡す。だが、そんな事はアヤセの知った事ではない。猫のように機敏に反応したかと思うと食って掛かる勢い。
「ちょっと待って!今、ウチに帰って来るって言ったわよね」
「ギクリ!」
「一年生の間でそう言う噂があることは知ってたけど、まさか本当に!?」
「あれ、みね子くん内緒にしてたんだ」
「ちょっと!(小声で)なんて事言うのよ、穏便に済ませようと思ってたのに」
「な!許せない、抜け駆けだわ」
今度こそ本当に、飛びかかって来た所をすんでの所でコミヤマが背中から捕まえて、一度は縮こまったもののみね子は事なきを得たがアヤセはじたばたと無駄な抵抗を続けている。
「アヤセ先パイ、ユウ・ファンクラブだったんですか」
「ファンクラブって、そんなのいつの間に」
「入学式にユウが現れたその瞬間よ、非公式だけど。ともかく!私も行くわ」
とか言いながら、何とかコミヤマを振り切って、鏡を見ながら身づくろいを始めている。
「そう言う訳なら、僕も行こう。愛しのローレライが病床とあらば、はせ参じなくて何とする」
「って、タキガワ先パイ、真っ先に振られたんですよね、有名ですよ。みね子ちゃん、帰りが暗くなると危ないでしょう、僕も行くよ」
芋ヅルよろしく、いそいそと身づくろいをし始める面々、おとなしく黙っている、と言うか口を挟む隙を見つけられないからといって好き勝手に言ってくれるが。
「だめよ!今日は駄目、わたしひとりで行かないと」
「とか何とか。二人っきりになろうったって、そうは問屋が卸さないわ」
「誰にも邪魔されたくないのは確かだけど。アヤセ先パイ、目が怖いわ」
「まさか、ユウをて、て・・・手篭めにしようとしているのではないだろうな」
「あのね・・・何処からそう言う発想が出てくるのよ。タキガワ先パイ、メガネ光らせないでください」
「今日は止めておいた方がいいんじゃないかな」
鶴の一声、いやさ純の声に押し合いへし合いしていたみね子、以下三人は顔を上げる。純はメモをみね子に返すと、自身の携帯電話の画面をよく見えるように掲示する。
「今調べたんだけど結構遠いよ、時間もかかる。あんまり遅くなっては先方に失礼だろう?日を改めた方がいい」
珍しく、正論。以下三人はしおしおと、帰り支度を再開して、みね子だけがまだ迷っている。だって、今日中に会わなければ。昨日は、もしかしたら、と待っているだけだった。いや、昨日も今と同じように迷う振りをして先延ばしにしてしまったのだから。決心が鈍らないうちに会わなければ。
「そうね」
今日会わなくちゃ聞けないかもしれない、ユウの事。
心の中はそう言ってるのに、口をついて出たのは全然違う言葉。足の向かう先は全然違う方向。考えて、悩んで、迷って、落ち込んで・・・みね子は皆を騙し、自分を騙して、何くわぬ顔で真っ直ぐ家に帰った。




