交錯
学校から駅までの大通りから、枝道に入って少しの所にその店はもう何十年も前からあった。人通りもまばらに、車通りはもっとまばらな店先いっぱいに粗末な机と椅子が広げられているのがおなじみで、ラムネにソーダ水、お好み焼きとお団子。今の時期ならかき氷が美味しいお客は、もっぱら地元の子どもと、若宮学園の生徒。だから悠などは店名を聞いても、道筋を教えられてもわからず、ようやくたどり着いた頃には汗びっしょりで、木陰で頬づえを付いて読書に没頭している純の涼しそうな顔を見て慌てて、取り繕うように息を整える。
「お、おまたせ・・・どうしたの、急に呼び出したりして」
「遅かったね。やっぱり道がわからなかった?」
「この辺り、全然歩いた事無いから・・・って!どうしたの!?その顔」
顔を上げた拍子、手から離れた頬に痛々しいほどの真っ赤な手形。
純は慌てて手を戻すが、今さら見なかった事にする事は出来ない。ばつが悪そうに、やりにくそうに片手で本を片付けるが、悠は強引に手首を掴むともう一度確かめようと力を入れると、純も負けじと力を込めて頬にべったりと付けたまま動かそうともしないので、おかしな力比べのようになってしまう。
「た、大した事じゃないから・・・気にしないで」
結局は、悠が諦めたところでバランスが崩れ、あわや二人仲良くひっくり返る所をすんでの所で留まって何とか体制を整えたものの二人とも息が荒い。
「とにかく!冷やした方がいいよ、絶対」
言うが早いか店の奥へ向かうと、しばらくの後にハンカチを握りしめて戻って来た。ひんやりと水に浸したそれを純の頬に押し当てるとようやく安心してか、純の向かいに深く座り込んで一息をつく。走ってきた汗が未だ引かない、純は頬をも冷やしてますます涼しそうなのに、もしかしてと見上げると、悠は日の当たる位置に座っていて、純は木漏れ日の下。・・・少し純に接近して、一緒に日陰に入れてもらう。
「ね、ちょっとは良くなったでしょう」
そっとハンカチをどかすと、ほんの気持ちだけ赤みが引いたような気もして、その間にハンカチ冷やしついでに注文していたかき氷が届けられると純は、少しだけ顔を曇らせる。
「熱は引いたけど・・・何でおれまで宇治金時なの」
「もしかして、嫌いだった」
「好きだけど・・・プリン・ア・ラ・金時を注文しようと思ってたから、残念」
「なにそれ・・・メニューには載ってないよ」
「ふふん、裏メニューなんだ、知ってるのはここの常連くらいだよ」
「へぇ、覚えておこう。それで、どうしたの、こんな所に呼び出したりして」
「うん、きみに頼みたい事があってね」
「な~に、改まって」
「うん、九月に学園祭があることは知ってるよね」
「まだ七月だよ?」
「生徒会はほとんどが裏方仕事だから、今から準備に入らないと間に合わないんだ、夏休みもあるし」
「それじゃ、今が一番忙しい時期?」
「まだまだ、これからだよ大変なのは。それで、頼みなんだけどね」
ことりとスプーンを置いて、改まる。一拍おいて目を合わせた顔はいつになく真剣な眼をしていて、いつの間に、こんなに張り詰めていたのだろう?悠ばかりがお気楽なまま、いつもどおりふざけ合っていたのか。
「きみには、ゲストとして参加して欲しいんだ」
視線を合わせたままに、スプーンですくったまま一寸も動かせなかった氷がぼたり、と落ちる。もうほとんど溶けていたそれは、テーブルの上に落ちてすぐに水たまりになる。
遠くの喧騒が急に大きくなるが・・・どれも今の悠にはあまりに遠い。
いけない、と思った時にはもう遅く、引き込まれて戻る術も無くなっていた。純の顔はいつもどおり、それなのに目だけが真剣に、悠を射抜き、逸らしたいと思っても絡め取られた視線は、一寸も動かせない。
「ボ、ボクがそんなに簡単に承諾すると思う?」
「やっぱり、穏便には済ませられないか。・・・本当はね、みね子くんからきみに、やんわりお願いするつもりだったんだけど、このとおり断られてしまってね」
何とか喉から絞り出した声はからからにかすれて、すべてを見透かすように笑った顔を作る純はあくまで余裕で、それまであまり手をつけていなかった氷をすくって口に運ぶ。
「本当はばれないようにしたかったんだけど、きみを誘い出す目的だけにみね子くんを利用したんだけど・・・ばれちゃった」
「そんな・・・事するなんて、らしくないよ」
「らしくなくても・・・おれには手段を選んでいる時間は無いんだ。だからね、ど~うしようかと思ってたんだけど」
にこりと、人のいい笑顔が今は怖い。純は鞄に目を移すと何かを取り出して、悠はそれに息をのんで純の顔に目を戻す。
「この写真、懐かしいだろう?千夜先パイが生徒会長で、きみも潜入していたよね、おれと初めて会った日。みね子くんに見られちゃって。・・・ここからはおれの目測なんだけど、きみ、もしかしてみね子くんに話してないんじゃないの」
悠がさっと青くなったのを確認してから、たっぷり一拍置いて話を続ける。
「他の皆がきみの事を雑誌モデルのユウだと思っている事はおれも知ってるし、否定しないのはきみの勝手だ。・・・千夜先パイに憧れる気持ちは凄くわかるよ、例え嘘でも、日の当たる場所に居たい気持ちもわかる。でもそれって、本当はきみの物じゃないだろう?雑誌モデルのユウは千夜先パイできみじゃないって、彼女にだけは言っておいた方がいいんじゃないのかな」
いつの間に、顔も見れない。うつむいたまま、それでも純の視線が痛いくらいに胸に刺さって来る。
「みね子に・・・話したの」
「適当に誤魔化しておいたよ。でも、次に詰め寄られたら正直自信がないな。彼女、押しが強いから」
おどけて見せるが、その瞳からはゆるぎない意思があふれていて、選択の余地はない。
純は言うだろう、悠が誤魔化しても、みね子は知りたがっているから。そうしたら・・・嫌われたくない、絶対に。たとえ押し寄せる波を目前にした砂の城でも、それを護るためならば、何をしたっていい。だけど・・・
「・・・一つだけ聞かせて。純が欲しいのは千夜の代わりとしてのユウ?それともボク?」
「言わなきゃわからない?」
だけど
「・・・いいよ。ボクは何をすればいいの」
「難しい事じゃない、おれはただ、最後の学園祭を盛り上げたいだけなんだから」
今はみね子に、会いたい・・・
まだ目が腫れているのか、みね子の視界はまだ少しだけにじんでいた。空は少し困ったように、みね子を心底心配してくれている顔で微笑んでいる。それを見ていたらようやく気持ちも落ち着いて、そうしたら本当に、待ち合わせに遅れた上、ろくな話もしないままにいきなり泣き出した事がどうしようもないくらいに恥ずかしくて、何からどうお詫びをしたらいいものか。
「・・・ごめんね」
「気が済んだ?」
「うん、おかげさまで・・・って!空、そのこげ茶色い甘い染みはもしかして」
「あはは、実はこれ、気持ち悪いんだ・・・着替えてきてもいいかな」
改めて見ると、みね子の手の先にあった筈のソフトクリームはコーンだけに、しかもみね子の制服は全くの無事なのだから、思いっきり空の制服に押し付けたのだろう、ほんとうに・・・
更に赤くなってがっくりとうな垂れると、耳にくすぐったい声がわずかに届く。そっとうかがい見るとレジの向こうで、アルバイト店員らしき少女が二人、こそこそと突っつき合っているのを見て改めて、ここがコンビニエンスストアの中であった事に気を思い出して、あの二人は事の一部始終を見ていたわけで・・・今度こそ顔が上げられない。
「ごめんね、待たせちゃって。本当に、今日体育の授業があって助かったよ、汗臭いけど」
「・・・ごめんなさい、早く出た方がいいわよね」
ちらりと、レジの向こうをのぞくと慌てて視線がそらされる。そっぽを向いて誤魔化した所で今さらなのに、みね子は空と顔を合わせて更に縮こまる。
「・・・出ようか」
と、すかさず生チョコソフトクリームが二人の鼻先に突きつけられる。あごを引いて正面衝突は免れたものの、何事かと顔を上げるとソフトの向こうからきらきらした視線が痛い。「サービスですぅ」と、勝手に押し付けて、さっさとレジ奥に戻ってまた、ひそひそ話。
「仕様がないから、急いで食べて出ようか」
「その方がいいわね」
残念そうな顔をよそに、頭が痛くなるほどの勢いで食べたのはみね子も初めてだった。
外に出ると、傾きかけた日差しはまだ暑くて、自然と足は公園の、噴水の側に向かっていた。巻き上げるしぶきは時に高く、低くを繰り返しながら、縁まで近付くと少しだけしぶきが飛んで来て気持ちがいい。けれどそこに、座るとなると話は別。向かいのベンチに並ぶ事にしたのだが、隣同士となると顔色をうかがう事も出来ない。
「その、本当に・・・空には何てお詫びしても足りないわ」
「いいよ、そんなの。あ、でも聞きたい事はあるかな。・・・何があったの?」
そろりと首を廻らせると、無言で促す顔。改まって聞かれると、別に何があった訳でもなく、そう答えると今度はう~ん、と首を傾げてもう一度。
「それじゃ質問を変えて、どうして遅れたの」
「それは、生徒会の用事が抜けられなくて」
「それなら、前もって言ってくれれば時間を遅らせたのに」
「急だったから、立て込んでたし」
「それで。何があったの」
「何って・・・」
二度目の質問はさっきよりもゆっくりに、言って含ませる言い方は苛ついたときの空の癖だ。どんな答えを欲しがっているくらいはみね子にもわかる。わかるけど・・・
「・・・別に何も。ただ、学園祭のことで話し合いをしていただけで」
「どんな話?」
「・・・」
つらつらと、空が上手くコントロールしてくれたせいかみね子自身、落ち着いて思い出すことが出来た。後になって思い出すと確かに、腑に落ちない点はあるものの、むきになる程でもないように思えて、ますますどうして、泣いてしまったのかがわからない。
「それで、純をひっぱたいてきた訳だ」
「ごめんなさい」
「いいよ、ザマーミロだ」
にっ、と空が人の悪い顔を作るものだからつられてみね子も頬がゆるむが、空はすぐに顔を引き締めて話を戻す。
「それで、どうするの。その先パイの言う事はすべて当たっています、身に余る腕章をさっさと返して尻尾巻いて逃げます?」
「誰が!」
「それじゃ、正面切って謝りに行く?」
「・・・それって、格好悪くない?」
「一生懸命に何かしようとしてる人の事、みねちゃんは格好悪いと思う?」
言葉に詰まると空は、満足そうに続ける。
「格好悪くても、往生際が悪くても、何かを貫き通す事って大変だよね。今のみねちゃんみたいに落ち込んだり、迷ったり。でもね、ただ闇雲に走るだけじゃ意味が無いんだよ。独りだとね、そうなりやすいんだ。行き着く先が崖だとしても、気が付いたときにはもう遅い、止まれない。だから今日みたいに時々は壁にぶつかって、止まって、これでいいのかなって考えて。・・・そうやって考えるきっかけをくれるのは自分と、時々誰かが居るじゃない?それは嬉しい一言だったり、そうじゃない時の方が多いよね。でもね、その誰かはみねちゃんを気にかけてくれているんだよ、好きじゃなきゃ声を掛けようなんて思わない。でもやっぱり、反発したくなるかもしれない。そんな時は冷静に考えてみて、冷静になれそうもないときは今日みたいに俺を呼んで。もしも、みねちゃんが間違ってると思った時は俺が止めるから、押し流されて、一緒に落ちちゃわないようにね」
今度は本当の、心からの笑顔を見せてくれる。心の奥にくすぶっていたわだかまりをも溶かすような言葉はすう、と音もなくみね子の体に風を通し、胸が熱くなるのを感じて、こらえようと、嬉しいのに微笑み返す事も出来ない。
「でも。意外だったな、あのみねちゃんが泣いちゃうくらいに落ち込むなんて」
「ち、違うわ、落ち込んで泣いた訳じゃなくて・・・あれは、気が抜けたのよ」
からかい口調を一変してきょとんと、意味がわからないと顔が言っている。みね子は再び泣きそうになっていた事も忘れて真っ赤になって、しおしおとうつむいてしまう。
「だ、だって空ったら、へらへら笑ってて・・・それを見てたら何だか気が緩んじゃって」
「・・・それ、誰彼構わず言ってるの?」
「まさか!って言うか、人前で泣いたのなんて初めてだもの・・・」
「それって・・・」
一瞬、空の口元がにやけたように引きつって、慌てたように手で隠してそっぽを向いてしまう。
「何よ!笑う事ないじゃない」
「いや、そういう訳じゃなくて」
「何よ、馬鹿にして!」
恥ずかしいやら何やら。みね子も負けじとそっぽを向くと慌てたように向きを変える音がして、視界の端にあたふたと手の先が見える。
「いや、ごめん。機嫌直して、からかったりして悪かったよ、反省してるから、ね。まだ話が終わった訳じゃないから」
そろりと覗き込むと、まだ引きつったままだが努力の跡は見えるから。きちんと向き直ってこぶしを硬くする。
「・・・とにかく、頭下げに戻るなんてまっぴらだわ」
「はぁ~。俺、いい事言ったと思ったんだけど。話聞いてた?」
「でも、逃げるのはもっと嫌」
どうするの、と半ば呆れた声の空に、にいっと笑って見せて、
「共同戦線!そうよ、初めからこうすれば良かったんだわ。折れる、じゃ駄目だし、逃げる、は意味が無い。だから歩み寄る、のよ、素敵じゃない?」
真ん丸く見開かれていた目がふっ、と細められる。少し困ったようにうつむいて指を組み替えて、ゆっくりと上がる視線はみね子を正面から受け止める。
「ほんと、敵わないな」
「?」
「みね子のそう言う所が好きだよ。初めて会った時から、これからもずっと。・・・変だね、このあいだ久し振りに会った時には言えなかったのに、こんなに簡単な事だったんだ」
沈みかけた日差しはまだ暑くて、目は自然と公園の、噴水を探していた。縁まで近付くと少しだけしぶきが飛んできて気持ちがいいだろう、だけどみね子は探せない。空の瞳から一歩も動けないままに、うろうろと記憶の中の噴水を探している。
プルル・・・と、場違いな、突然の聞き馴れた音楽に気が逸れたが、みね子にしか聞えていないのか、空はまぶたさえも動かさない。
音はメロディに、軽快な電子音は鳴り続け、空の視線がほんの一瞬だけ、逸らされた。みね子は慌てて、逃げるようにワラにも掴むように鞄を探ると、光りながら着信を知らせる携帯電話を取り出した、が・・・
素早く重ねられた手から頑なに、意思が伝わって来る。まともに顔も見れないのに、目を合わせてしまう。
「本気の告白、初めてじゃないんだけどね。クリスマスの夜、覚えてる?みね子、にぶいから」
「やだ、からかわないで・・・」
「もう一回、言おうか?」
「いい!・・・ちゃんと聞こえてたから」
ぷつり、とメロディが止まったが、みね子は気付いていない。それに合わせるようにもう一度、空は視線をみね子の後ろ、公園の外に移ろわせるが、うつむいてしまっているみね子には走り去る足音も聞こえない。
緊張して、耳が痛い。何の音も聞こえない、頭が働かない。だけど・・・
ぽつり、と落ちた言葉は確かにみね子の口から、それはみね子の意思とは関係なく、けれど確かに本心だった。
「・・・空のことは好きよ。今はびっくりしてるけど、嫌じゃないと思う。でもね・・・多分泣くわ。わたしを待っててくれるヤツなんだけど、弟みたいで、わたしが居ないと全然だめで。顔を上げるとね、そいつの顔が浮かぶの。だから今の気持ちを正直に言うと・・・泣かせたくない」
「好きなの?」
「好き、の違いがわからないの」
真っ直ぐに、逸らさずに見つめる空は少し寂しそうな、怒ったような顔をしていたが。
ふう、と息を吐いて肩をすくめると仕様が無いな、と言ってくれる。
「いいよ、今は。でも覚えておいてね、俺の気持ちも。引き止めちゃってごめんね、送るよ」
「・・・大丈夫よ」
「おねがい、今日くらいは送らせてよ」
長く伸びた影法師は寄り添うように、丸い街灯の外に出ると闇に溶けた。




