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クラッシュー3

騒々しい昼食も終了し、まだその余韻が残っているのか、レベンは未だに頬が緩みっぱなしである。シュタンも思い起こしてみれば、嵐のように登場し、嵐のように去っていったパースについて、今となってはいい思い出であると感じることができた。

「なんか今、パースがもうこの世にいなくなって……」

「それ以上言うな。あいつの無念、晴らして見せよう」

 遠くから渡り鳥の鳴き声に似た叫びが二人に聴こえてきた。しかし、二人は何一つ気にすることはしなかった。

「とりあえず、ジュイスさんの所に戻るか」

「そうねぇ。それにしても、お腹いっぱいだわ~」

 (きびす)を返し、レベンを先頭にして、ジュイスの家までの道のりを辿っていく。

「迷わないように」とシュタンの口煩さに、レベンは嫌悪感を示しながらも、朝来た道と同じルートを辿った。太陽が少し動いただけの空だというのに、その様子は、朝見たときとは様相がまったく変わっていた。

 朝の日差しは、春の温もりを隠そうと、雲が太陽を横切り、わざわざ日差しの強さを弱くしようとしていた。しかしながら、現在。太陽は、眩しさを背にしながら走っていく少年少女たちや、仲良さげに歩く若夫婦や老夫婦の影を大きく伸ばし、強みを帯びてきた日差しは、ベランダでたなびく白いシーツを乾かしていく。

 また、空模様と比例して街模様も大分変わってきていると、周りを見渡しながらシュタンは感じた。夜を彩るであろう、装飾品やライトが柱だけでなく、普通の民家にまで巻き付け、飾られている。また、明日のコンテストに向けて、どんどん人が増えてきているように思えた。だが、そのほとんどの人々は、荷物を抱えて走り回ったり、バインダーを見合わせて何かを話し合ったりするなど、準備を進めている人がほとんどだった。

「なあ、レベン」

「なに?」とレベンは振り向く。長く伸びた黒髪が、フワッと春の温もりと踊るように舞い上がる。

「コンテストで何を演奏するんだ? 一応、練習はしておきたいからな」

 レベンとシュタンが歩いているその横を、警察官が自転車で颯爽と通り過ぎていく。その姿が通り過ぎてから数秒後に、道端にひっそりと存在感を放ち続ける花が、春の日差しを浴びながらゆっくり揺れる。

「一曲限定らしいけど、まあ、『Alchemy』にしたわよ」

「お前、『Alchemy』って!? アウトロはどうするんだよ」

「え!? ギターで簡単に弾けるでしょ。テロテロって」

 レベンは左手の指を滑らかに動かし、エアギターを演じてみせる。『Alchemy』とは、かつてアネロが出した曲の中でも一番初期に当たる曲である。当時は衝撃的なデビュー曲だったらしく、今でも弾き語りで演奏する人は珍しくない。さらに、この曲は学校の合唱教材としても使われることが多いため、非常にポピュラーな楽曲である。イントロは簡単なアルペジオから始まる。しかし、曲の終わり、つまりアウトロは、単音が複雑に絡み合うため、ギターで弾くにはかなりの練習量が必要とされている。

「あのな、あのフレーズはギターだと難しいんだ。一日だけでできる代物じゃない」

 そう断言すると、シュタンは胸の前で腕を組み、拒絶の反応を見せる。いくつか頭の中にあのアウトロを演奏する案はあるものの、この状況で言ってしまえば命取りになりかねない。

「じゃあ、どうするのよ。あのアウトロが無くちゃ、曲は成り立たないわよ」

 レベンは藁にもすがる様な上目遣いをシュタンに使う。シュタンはたじろぐ必要性は感じられなかったが、レベンの意欲からは逃げられそうもない、とシュタンは悟った。

「やりたくはないのだが…、一応妥協案がある。聞くか?」

「もちろん!」レベンは瞳をキラキラと輝かせる。

 シュタンは一呼吸置いて、

「まず一つ目。アウトロの部分はギターのバッキングだけで終わりにする。ま、これが一番現実的だろう。

そして、二つ目。これは、現実的ではないが、そのパートだけを弾く楽器を手に入れる、ということだ。単音が弾ける楽器じゃないと俺はどうもできないがな」

「う~ん」とうなり声を上げながら、レベンは考え込む。シュタンは、余計にこの討論を拗らせてしまったのではないかと危惧を感じた。ひたすらにレベンは考え込む。その傍らでシュタンは、その答えを待つ。

例えるとするのならば、指揮者と演奏者の関係だろうか。シュタンが空を仰ぎ見ながら、くだらない思想を重ねる。指揮者が道筋を示さなければ、演奏者は自分たちが表現したい演奏だけをしてしまうだろう。逆に、指揮者が道筋を示したら、今度は、その道筋に沿って演奏するために、演奏者が自分の演奏はどうすればよいかを考え、その答えの探索をするのだろうか。

「じゃあ、一つ目の案でいいわよ」

 いきなりレベンの声が聞こえてきたので、シュタンはそのまま頷こうとした。しかし、そのままレベンは続けた。

「でも、二つ目の案ができる状況になったら、そっちを優先してよね」

その言葉を聞いて、シュタンは動きを止めようとした。が、後の祭りだった。頷くことを止められなかったシュタンは、後に続いた言葉についても了解の意を示してしまった。付加条件は後に、主要条件として君臨することが多々あることは常識だというのに。

「じゃあ、明日は頑張りましょう!」

 意気込んで歩くレベンの足音は、ビリビリとシュタンの耳に刺激を送った。

 ひたすら第一区を目指して歩き続けている間、二人は明日のコンテストの演出について勝手に話を進めていた。

「だから、ストロボはいらないって!」

「効果的に魅せる為には必要じゃないのか?」

「美意識がない男は、こういう時に役に立たないのよね。あ~あ、話しているこの労力がとても無駄のように思えるけど」

「散々な言い草だな、オイ」

 ちょうど第二区と第一区の境が見えると、大きな影が、第一区の街並を黒く染め上げている。その影に向かって歩こうと、第一区に入ろうとしたときだった。

「レベンちゃん! それにシュタンさん!」

突然、響いてきた叫び声が二人の耳に届いた。それと同時に、向こうからジュイスがシュタンとレベンの元に走ってきた。

「どうしたんですか」

 シュタンは、息を整えようとして俯いているジュイスに言葉をかけた。レベンは心配そうにその様子を眺めている。

「あの…ね………が……なくなっ……よ」

 ジュイスは、早く伝えたい気持ちが先走ってしまい、途切れ途切れの言葉を口早に、そして乱暴に二人へと投げかける。

「ジュイスさん、ゆっくりでいいですよ」

 レベンがジュイスを落ち着かせようと、レベンはゆったりとした言葉で、上下に動く背中をさすった。ジュイスはその言葉が聞こえたのか、一呼吸置いて、俯いたまま口を動かし始めた。

「クスナがいなくなってしまったの!」

 悲痛なジュイスの叫び声が、二人の鼓膜を通じて、心に弾丸のような衝撃を走らせた。しかし、俯いていたジュイスが顔を上げると、その衝撃の強さと共に、街に溢れる様々な音が消えていくような気がした。

 ジュイスはいつも通りの、あの微笑を絶やしていなかった。


 ジュイスの言葉を聞いてから、何か行動を起こさなければいけないと、全身全霊で分かっている筈なのに、二人はすぐに動くことはしなかった。いや、できなかったと言った方が正しかった。その言葉の真偽が分からないからだ。その真偽を確認する方法も、この状況を生み出したジュイスに質問しなければいけない。そういった要因が、特にシュタンの頭の中を掻き回している。

「それは、本当なのですか」

 シュタンは、少し暗い声のトーンで、ジュイスの言葉に難癖をつける。レベンはシュタンとジュイスの間に挟まれているような立ち位置で、オロロと双方を素早く見る。

「もちろん本当よ。どうして、こんな嘘をあなた達に()かなければいけないのかしら。ああ、私が目を離さなければ…」

 困惑したように答えるジュイスだが、その表情は、已然、変わることはなく、後悔の言葉を延々と繰り返す。

ジュイスが二人の目の前に現れて何分経ったのだろうか。大きな影が、三人の頭上へと近づき、第二区に一番遠い位置にいるジュイスの顔を、段々に青黒く染めていく。

「でも私、ジュイスさんが嘘を言うなんて信じられないよ」

 レベンがシュタンに耳打ちする。確かにここで嘘を吐く必要はないと、シュタンも感じていた。しかしながら、その考えをそのまま受け取れることもできない。

「なら、あの微笑はどう説明できるんだ?」

 シュタンはレベンの耳元で囁く。

「そんなの気にしなくていいんだよ! とりあえず今は、ジュイスさんの声に込められている感情を信じようよ」

 シュタンはその力強いレベンの言葉に、思わずその顔を凝視する。この状況で、どうしてそんな言葉が、ジュイスに対して思いつくのか、シュタンには分からなかった。

「どうして、そんなに怖い顔をしているの?」

 レベンは困惑した表情で、シュタンの顔を覗き込む。

 シュタンはレベンに気を止めずに、ただ地面を見つめるばかりで、動くことはしなかった。自分が動く理由が、どこにも見当たらない。

 今、何をすることが正解なのか。何も浮かばない。これではまるで、迷走する指揮者にそのまま、従うべきなのか。はたまた、自分の意思で道筋を開拓していくべきなのか。どっちつかずの三流演奏者ではないか。

 音が無くなった世界に、一つの音が二人の耳に飛び込む。

 その音源の方向に顔を向けると、ジュイスが俯むき、うずくまるようにして咳き込んでいた。

「ジュイスさん!」

 レベンがすぐに傍へ駆け寄る。シュタンはその様子を、通行人に紛れ込むように、その場から見下ろす。

「……ゴメ……ン……ね。余計な心配……かけちゃって」ジュイスは途切れ途切れの声を振り絞る。

「いいえ。そんなことはありません。落ち着いたら、一回深呼吸しましょう」

 レベンは笑って、添いよるように言葉をジュイスに語りかけた。ジュイスはまだ苦しい様子で咳き込んでいる。

「シュタン」

 レベンが低い声を発すると同時に、鋭くシュタンを睨みつけた。シュタンからは、少女の目や表情は、全て影と交じり合い、その様子を窺い知ることはできない。

「早くクスナ君を探しに行ってよ。私はジュイスさんの看病をしているから」

 レベンは時間を惜しむように、早口で言い切った。シュタンは帽子を深く被り直して、表情をレベンに見せないようにした。

「だが」

「いいから早く!」

 レベンは叫んだ。時間が一瞬止まったような気がした。通行人もコンテストの準備をしている人も、その場に居合わせた人全員が立ち止まって、シュタンたちに注目している。

 レベンはそのまま鋭い眼光でシュタンを見続けた。シュタンは、顔を帽子の中に深く入れ、何かを考えている様子だった。

「…仕方ない」

 ボソッとシュタンは呟き、ジュイスとレベンの傍を駆け抜けていく。

「そうだった」

 シュタンは、急いでレベンたちの下へと駆け寄っていく。

「これ、預かっといてくれ」

「う、うん」

 シュタンは、レベンにシュタンお手製の巾着袋をレベンに預けて、また走り出した。二人を束の間の風が包む。その風を受け、靡く髪を掻き分けて、レベンは笑った。その頃には、周りの様子も元に戻っており、様々な音が行き交い始めた。

 

 シュタンは訳も分からず、第一区の中をひたすら走り回っていた。先程は、ジュイスの件について了承したものの、冷静に考えれば、探す手がかりもないまま探しに行け、と無理難題を突きつけられてしまったようなものだ。その判断を急かしたレベンへの憤りが徐々に沸き上がってくる。そのためだろうか。クスナの行方を探れるような手がかりを考える頭も、どこか遠くに置き去りにしている。

 このままでは(らち)が空かないと考えたシュタンは、第一区にいる人に聞きこみをしようと考えた。明日の準備に追われて足早に進む人々に、

「申し訳ありませんが、これくらいの背丈の少年を見ませんでしたか」

と片っ端から話しかけた。しかしながら、大抵の人は無言で首を横に振り、中には顔をしかめ、「一体、何度聞くんだ」と罵声を浴びた。

 どうやら、ここで叫んだって、地上絵を書いて訴えたって、解決への道筋に到達することはないとシュタンは悟った。

 シュタンは足を止めて、子どもがトランペットを始めて吹くように、大きく息を吸い込んだ。耳に入ってこなかった音が少しずつ流れ込む。そして、吸い込んだ息をゆっくりと吐き出し、回るようになった頭で考える。

 クスナはいなくなったのではなく、迷子になっているだけではないだろうか?

 地味な作業が続くだけでしかないトランペットを直す作業を見たがる、といった興味に従順なクスナのことだ。きっと、起きてから何もすることがなくて、思いつくままに街を徘徊しているうちに、どこかに迷い込んでしまっているのだろう。

ジュイスさんも大げさに言いすぎだと思ったが、孫がいなくなったのだ。混乱してしまうのも仕方ないだろうとシュタンは感じた。

 さて、これからどこに進むべきか。ふと上を見上げると、「ようこそ第十二区へ」と長い年月を超えて書かれたままの文字たちが、シュタンを見下ろすように聳え立っていた。今更、第二区の方向へと進んでも、無駄に時間を消費するだけだと考えたシュタンは、第十二区の中へと入っていった。

 第十二区に入ってから、シュタンはさっきまでみたいに無闇に走ることはせずに、早歩きで街の隅々まで見る方法にした。どこかの路地裏で座って猫と戯れている可能性も少なからずあるだろうと、シュタンなりにクスナの行動を予想した。しかしながら、隠れやすい路地裏を覗いてみても、黒猫がニャーと雑に喉を鳴らして人に甘える素振りも見せずに、青いゴミ箱の上にふてぶてしく陣取っては、顔を拭いて大きな欠伸をするのと同時に、体を前後に大きく伸ばす姿を見るだけだった。

 空は徐々に、その透明感溢れる青空を失っていった。街灯が二回、三回と点滅した後に、その光は街中を薄っすらと白く染め上げていく。その街の周りでは、深海を連想させるような青と夕焼けの赤とが混ざり合って、辺り一面に燃える紫色の炎を浮かび上がらせていった。その様子に気を止めずに、シュタンはひたすら歩き続ける。その様子は、当初抱いていた、ジュイスへの懐疑心やレベンへの憤怒に関する感情などが混ざり合って、どこかに埋めてきてしまったようであった。

 夢中になってクスナを探していたシュタンがふと我に返ると、今自分が第何区にいるのかが分からなくなっていた。どこにいるか手がかりを探すも、現在地を示すような地図や案内板はどこにもなかった。街中には買い物帰りのお母さんや誰かと遊び終わった子どもたち、家路を急ぐ車の数が増えていった。

 人波に紛れながらも必死にクスナを探す。同じ様な背丈の男の子を見つけても、それはどこか別の無垢な少年で、一応クスナのことを聞いては見たが、やはりクスナのことは知らなかった。

 どうすればいいんだ。もう日が暮れているのに。しかし、手ぶらで帰るのも……。

 シュタンは焦っていた。このまま帰ろうにもクスナが心配で帰ることはできない。しかし、クスナを探すにも手がかりが一つとしてない。地面を蹴る音は自然と大きくなり、どうすればいい、どうすればいい! と頭の中で連呼しながら、わけも分からずに歩いているときだった。

「こちらに来てください。シュタンさん」

 その瞬間シュタンは後ろを振り向いた。いきなり少年の声が耳に飛び込んできたのだ。

 そして、目線の先には暗い路地へと消えていく少年の姿。

 あれは、クスナなのか? しかし、どことなく似ているような……。

 あまりに曖昧な手がかりではあるが、何もヒントがない今よりはマシだ。

 シュタンはその少年の後ろ姿を、藁にもすがる思いで追った。


 シュタンは体を揺らしながら裏道へと入っていった。「クスナ」と名前を呼びながら、左右に注意を払いながら進んだ。空き缶は無造作に捨てられており、シュタンの足に当たると、乾いた音を周りの建物に反響させながらどこかへと転がっていってしまった。

 いつまで歩けばいいのだろうか。疲れたシュタンは壁にもたれかかった。この裏道は、住宅街に潜んでいるにはあまりにも長過ぎだ。天を仰いだ後、地面を見てみると、暗い部分と微かに明るい部分との境界線が目の前にあった。裏道の出口は近い。

「クスナはどこまで行ったんだ?」

 憎まれ口を一人呟いてみたものの、胸の内で湧き上がっているのは、この非科学的な出来事が終わる高揚感だけだった。

 クスナに会って、理由を問いただせばそれで終わり。なんて美しい終わり方なのだろう。

 シュタンは疲れた足のことなど気にせずに、その明るい空間に向けて走り出した。どこかに消えていた空き缶をもう一度蹴飛ばすと、思いっきり遠くまで飛んでいった。シュタンはそれを追いかけるように走り続ける。

「ここは……」

 蹴飛ばされた空き缶が止まった場所には、白と赤に塗られた枠組みがあった。その中には、名前も知らない野草が溢れていた。さらに、錆びたチェーンに繋がれたペンキの剥がれたブランコ。動くことを忘れてしまった時計台。そして、奥のほうではアナリーゼに聳え立つ塔のような大きな木が一本たっていた。

「公園……なのか?」

 公園と思われるその場所は、何一つ整備されている様子もなく、誰もいないようだった。錆びたブランコは風に煽られ、甲高い音をたてながらぎこちなく揺れる。野草の間からは絶え間なくバッタが跳ねていた。シュタンは引き寄せられるように、奥にある大きな木へと近づく。

 近づいて見ると、やはりその圧倒的存在感にシュタンの体は釘付けにされた。なんて凛々しい姿なのだろうか。花は青々とした輝きで、幹は自由気ままな枝が伸びるその全ての方向を支えている。どんな色にも染まらないものを体現しているかのようであった。

 凄い……。一体どれだけに時間をすごしてきたのだろうか。

 木を見上げると月が昇っていた。シュタンは幹に触れ目を閉じた。この木が持つ温もりが、手の平から全身へと伝わっていくのが分かった。

今回は、歩いて仕事から戻ってくること自体が予想していない出来事であった。加えて、そんな日々を過ごしていく中で、こんなにも異質な出来事に巻き込まれる。

 シュタンは自然と溜め息をついていた。この木がそう仕向けてくれたのか。それだけで何か救われた気分になった。そして、ゆっくりと木の周りを歩き始めた。もう少しこの木について知りたかった。

 木の幹や枝をじっくり眺めながら木の周りを半分程歩いたところだった。足元に人が蹲るような影を見つけた。踏み出していた足を急いで戻した。そして、その姿をすぐに確認した。

「嘘……だろ?」

 シュタンは自分の目を疑うことしかできなかった。

今見ているものは夢か? はたまた現実か?

そこには木に寄りかかって、タンポポの絨毯で眠るクスナがいた。


「着いた……」

 すっかり暗くなった景色の中で、その一言を出さずにはいられなかった。普段から荷物を背負っているが、火とを背負うのはこんなに大変だとシュタンは思っていなかった。

レベンはただただうるさいだろうな。ジュイスさんには何と言ってクスナを庇おうか。沈痛な面持ちで待っている二人のことを想起しながら、シュタンは玄関のベルを鳴らした。

 庭では、鶏が安堵に満ちた表情で、安らかに眠っていた。「今日はいい夢が見られるかい」とシュタンは頭の中で呟く。「もちろん」とシュタンに鶏が今にも言い返しそうだった。

「いつまで探してんのよ!」

 レベンが大声を出しながら玄関を飛び出して表れた。

「おい、クスナが起きるだろ」

「へ?」

「う、ううん……」

「起きたか」

 シュタンはゆっくりとクスナを地面に降ろした。クスナは目をごしごしとかいた。

「たっく……お前のせいで起きただろう」

「ごめんね。まさか寝てるとは思ってなくてさ~」

「だ、大丈夫です」

 クスナは大きな欠伸をしながら言った。

「あら、玄関が騒がしいと思ってきたら、お帰り。二人とも」

 後ろから歩いてきたジュイスは、あの時と同じ微笑を、一つたりとも崩さないまま言った。

「ただいま~」

「ど、どうも……」

 クスナが元気よく返事するその横で、シュタンは懐疑心を抱えたままジュイスの言葉に答えた。

「さて、みんな揃ったことだし、晩御飯にしましょうか」

 居間についてからは、全てが昨夜と同じだった。賑やかな夕食をとり、それぞれの部屋に戻っていく。違う部分といえば、帰ってきて早々にレベンの怒声が飛んで来たことと、夕食のメニューが、焼き魚のマヨネーズ和えという独特なおかずが出たためか、レベンが浮かない表情で淡々と食事をとっていたことぐらいだろうか。

夕食を終え、部屋に戻ろうとするレベンに、ジュイスがまた一番風呂を勧めた。レベンは、「いいんですか?」とニターッと笑って、甘い誘惑を受け取る。それをシュタンが嫌味を含めた言葉で挑発する。そしてジュイスは、今朝のような微笑をシュタンに向けて嗜め、それをクスナが見て笑う。

「明日には、こんなやり取りも無くなってしまうんですね」

 笑いがまだ残ったままのクスナが、ジュイスに淹れてもらったコーヒーを飲むシュタンの隣で呟いた。

「お世話になっている俺らにしたら、早く出て行かなければいけないのだがな」

「別にいてもいいのよ」遠くでジュイスの声が聞こえてきた。


シュタンは部屋に戻った後、クスナにトランペットを返そうと考えた。今なら、クスナは起きているだろうし、朝になってしまうとクスナはずっと寝てしまう。タイミングはここだろうと腰を上げた。

シュタンは巾着袋を探すものの、どこにも見当たらない。一応、クスナは依頼者だ。その人が大切にしているものをどこに置いたかも忘れてしまっているなんて……。シュタンは焦り、激しく右手で、右足を叩き続ける。そして、頭を左手で掻き始めた。ああ、何をやっているのだ。右足と同じぐらいの痛みと後悔がシュタンを攻撃する。

「あ、シュタン。これ、クスナのトランペット」

 突然、背後のドアが開いたと思うと、風呂から上がったばかりなのか、少し火照った表情とピンクのパジャマを着たレベンが巾着袋を持って立っていた。

「あら~。もしかして、エロ本でも探していましたかぁ~?」

 レベンは、口元に手を当てて、「プフフフ」と息を漏らしながら笑っているのが、シュタンの耳に聞こえてきた。

「その論理の飛躍に疑問を呈する」

「何? その言葉。私、難しい言葉はよく分かりません」

「今、機嫌の悪い俺に向かって放つ言葉か?」

 シュタンは振り向いて、しかめっ面をレベンに見せつける。

「はいはい。私が悪うございましたよ~」

 レベンはそっぽを向いて、口を尖らせたが、すぐに、機嫌を取り戻したかと思うと、シュタンの部屋へと入り、近くにあったイスに腰をかけた。

「まあ、そいつを持って来てくれたことは有難いが……。何で、お前がトランペットを持っている?」

「え、忘れているの? クスナを探そうと走り出したとき、私に渡して言ったじゃない。『これヨロシク』と死を覚悟して戦場に赴く軍人のような口振りで」

レベンはシュタンに巾着袋を渡しながら、シュタンの口調をそっくりそのままリピートする。

「そうだったか?」

「『そうだったか?』じゃないわよ。何で忘れているのかしら。もしかしてシュタンは鳥類の化身なの? 三歩歩いたら忘れてしまう的な」

「いちいちつまらない喩えと俺の口調を真似するな」

「真似するな」

 レベンはシュタンの表情を作って、低く野太い声を発する。「あら、私ってダンディー路線もいけるじゃない?」と勝手に呟く。

「自信家のレベンさん。とっとと寝なさい。俺は早くこいつをクスナに渡したいし、それにお前も、明日の朝も歌わなきゃいけないだろ」

「ああ、明日はサボるわ。コンテスト当日だし、準備しないとね。それに部屋に来た理由はちゃんとあるし」

 その後の言葉を続けずに、スッとレベンは夕食のときと同じような、何かにとりつかれた表情をしていた。

「理由ってなんだよ」

「クスナ……というよりジュイスさん事かな? そのことで情報を共有したいのよ。ちょっと私、気になることを聞いたから」

「気になること? 少し聞かせてもらおうか」

 レベンは「うん」と小さく頷いて、話を始めた。

「私ね、ジュイスさんを家に送って行った後、聞き込みをしたんだ。あ、勿論ジュイスさんが落ち着いてからだよ。で、誰に聞こうかな~って考えて、思いついたのが、部品専門店のトム店長。で、急いでお店に行ったの。

 そしたら、案外暇だったらしくてすぐに話を聞いてくれたわ。私なりにより簡単に、より正確に伝えたわ。そしたらさ、『ああ、ジュイスさんか。それはいつものことだから気にするな』と言われたのよ。しかも、『ジュイスさんはこの界隈では有名だぞ』って。どうしてだと思う?」

 シュタンは答えに困っていた。いきなりレベンから質問が飛んでくると思ってもいなかった。しかし、それよりも頭の中に描かれていたのは、「クスナを探して」と必死に懇願してきたジュイスの表情だった。あの時の違和感が浮かんでくる。

「正解はね、『ほら吹き』。トムはクスナなんて見たこともないし名前も聞いたことも無いと言い張っていたわ。加えて、それは何か植物の名前か、なんてつまらない冗談ぶちまけて笑っていたし。

 もう、私。どうしたらいいか分からなくなっちゃって、その後町をプラプラしていたけど、その間考えたの。で、結局たどり着いたのが、私は、私が見ているものを信じようって。だから、ジュイスさんは狂人じゃない。クスナもここにいるんだ、って」

話し終えた後、レベンは力強く笑っていた。憤怒、不安、その他大勢の負の感情を抱えているに違いないのに、どうしてこうも受け止め、自分で答えを出すことができるのだろうか。そして、前に進もうとしている。シュタンはレベンの真っ直ぐな瞳を、正面から受け止める中で、モヤモヤする感情が生まれていた。

「なんだ、その非科学的な話は。それを俺に信じろとでも言うのか?」

「別に、信じろ、だなんて言わないわよ。だってシュタンは、こういう話嫌いでしょ」

「確かに」とシュタンは腕を組みながら不機嫌な様子で話を途切れさせる。

「シュタンは何か無いの?」

 レベンのその言葉を聞いた途端、シュタンは一気に体全体が固まったのが分かった。

自分が見たものといえば、大きな木の傍でクスナが眠っていた、という内容だけだ。

ただそれを口にすればいいのに口が動かなかった。何が邪魔しているのか。時計の針が作る音を重ねる毎に、レベンの得体の知れない期待に目を輝かせる、その視線が痛かった。

「別に収穫は何も無かった。俺が手に入れたのは疲労と落胆だけだ」

 やっと口にできた言葉は、この話を終わらせるのに十分に値した。レベンは、「あっ、そ」と言うと同時に、意気揚々としていた表情が一気に落ち着きを取り戻した。落胆というよりも正常に戻ったという印象を受ける。

「じゃあ、この話は終わり。明日のコンテスト、よろしくね。『やっぱり、俺は出ない』とか言わないでよ」

「一度、了解したんだ。言葉と行動は曲げない」

 レベンは一度安心したような表情をして、「おやすみ」と言った。扉の閉まる音が部屋に響き渡る。 

 シュタンは、時計を見た。短い針は九時を指している。九時といったら子どもは寝てしまう時間だ。そのことを知りながらも、シュタンはクスナの様子を確認するために、彼の部屋に向かった。

 ドアを開くと、廊下は暗く静まり返っていた。ゆっくりドアを閉めたつもりでも、その音は廊下全体に響いてしまう。よく耳を澄ましてみると、隣の部屋からレベンの鼻唄を歌っているのが聞こえてきた。さらに、クスナの部屋に向かう途中にある階段を通じて、下の部屋からはジュイスが聞いているのであろうか、無機質なラジオの音声が聞こえてきた。

 気づいていなかった。いや、気づこうとしなかったのではないか、とシュタンは暗い道を見つめながら考えていた。一度結論付けたら、それが答えであるとしてきた。他の意見など関係は無い。自分が答えだと、そんな硬すぎる頭で今までの人生を歩んできたのか。

 だが、もう少し柔軟になってもいいのではないだろうか? 今の自分は少しばかり自分の殻を守り過ぎているのではないだろうか。

 いつの間にか足を動かすことを忘れていたシュタンは、思い出したかのようにクスナの部屋へとゆっくり歩く。そして、クスナの部屋の前を通りかかった時、二回ドアを軽く叩いた。乾いた木の音が周りに広がっていく。

 数秒たっても反応は何もなかった。そこでシュタンは、もう一度二回ドアを叩いた。今度は先程よりも少し力を込めて。それでも、返事はない。

 やはりクスナは眠ってしまったのだろうと、シュタンは部屋の前を後にし、無機質な音声や明日の高揚感が満ちた唄、そして軋む木材の音が溢れる廊下を通って自分の部屋に戻っていった。


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