クラッシュー2
レベンが玄関を飛び出すと、シュタンはその傍で渋い顔を作り、腕を組みながら時計の針を確認していた。レベンが覗き込むと針は九時半を指していた。
「さあ、行くぞ」
外向きではない、いつもの低い声で言いながら、シュタンは進行方向を向いていた。
「分かっていますよ~だ」
悪戯に笑ってみせるレベンではあったが、もうすでにシュタンは先に歩いてしまっていたため、シュタンの後ろ姿にその声は弾き飛ばされ、悪戯な笑顔は、雲ひとつ無い青空に虚しく消えていった。
「さっさと来いよ。置いてくぞ」
レベンは苦虫を食いつぶしたような表情を地面にだけ見せつけて、シュタンに追いつくために、シュタンの歩くスピードの三倍のスピードで歩いた。
「そんなに、頑張って歩いて大丈夫なのか? これから結構歩くぞ」
シュタンは追いついてきたレベンを見ながら、どこか笑っていた。
「甘いわねぇ~。私はシュタンと違って若いからね。有り余る体力たちが、『早く私を消費して~~!』って叫んでいるのが聞こえてくるもの」
シュタンは愛想笑いだけレベンに見せてあげた。それを見たレベンはどこか誇らしげに笑い返していた。
「で、シュタン」
「なんだ、唐突に」
「さっきのやりとりはどこまでが本当なの?」
「さっきのやりとり?」
「そう、ジュイスさん家でやったでしょ。もう忘れちゃったの?」
レベンがニターッと笑った。シュタンは少し考え込んだ後、手をポンと叩いた。
「ああ、学生時代のようなやり取りのことか。で、どこのやり取りの内容を気にかけているんだ?」
「……よ」
レベンはたまたま横にあったショーウインドウを見ながら呟いた。レベンの表情だけでなく、忙しなく往来する人の姿も映している。
「聞こえないのだが」
シュタンはわざとらしく耳に手を当てた。レベンはプルプル震えだした。
「デートとかそんなこと言っていた時よ!」
レベンは一生懸命叫んだ。いつもの声が広がりやすい声なため、その叫びはアンシュタンテ第一区全ての人の耳に届いた。
「あれか。まあ、本部の話や家庭菜園、DVDの話は全部嘘だ。そんなことぐらいわかっているだろ」
「家賃の話は?」
「あれは本当だ」
シュタンは一気に暗い顔になった。その表情から、シュタンの手持ちの寒さがレベンになんとなく伝わってきた。
「じゃあ、シュタン。デートは?」
「あれも、本当だ」
シュタンは黒い帽子のつばを、自分の納得のいく位置に直すように左手で触った。
「まったく、モテない男は辛いわねぇ~」
「それは、お前も同族だ」
「いやいや、私はモテモテよ。だって……」
「どうせ、パース辺りがそんなことをお前に吹き込んだだけだろ。モテるやらモテないやら、そんな話は俺にとって、どうでもいいんだよ。まあ、学生時代にそのような浮いた噂が一つもできなくて、落ち込んでいた人には分からないのだろうな。俺の気持ち、いや、考え方……それよりも、生き方なのだろうな。まあ、つまり、仕方のないことだ」
シュタンは周りを見渡しながら、何かを探しながら長々と口に出していた。平日のこの時間帯にしては行き交う人は多かった。その事だけに気を取られていたシュタンは、レベンの方向には顔を向けなかった。向かなくとも、レベンが今、どのような表情をしているかが分かる。向かなくとも何かしら……
「あんたは口が悪いのよ」
反応することは予想済みだった。
「だから、あんたは女子から『シュタン君はいつも無愛想で、何考えているか分からないよね。しかも、何か話し出したとしたら、毒しか吐かないのよ。あいつが話しながら通った地面にできるものは道じゃないわ。沼よ! 底なし沼!』って」
「お前の妄想はすごいよ。一応、尊敬しておこう」
シュタンは困った様子の表情を作り、両手を上げて、降伏の意をレベンに伝えた。レベンは「フフン」と鼻で笑った。
「まあ、分かればいいのよ」
レベンは、胸を思いっきり前に張った。続いて、腕を組んで、唇の右側の口角を上げる。その後、レベンはシュタンの前を歩き出した。どこにでも行くことができそうな軽い足取りの割には、足音がいつもより大きかった。シュタンは何も言わず、レベンの後ろを歩きながら、ずっと辺りを見渡した。
昨日、この街に着いたときのことを思い出す。アンダンテは本部に近い街だ。賑わっていることぐらいは知っていた。だが、泊まる場所も無いぐらいに盛り上がっているとはそれなりに異常だとは感じていた。
しかしながら、今では納得している。現在、この街に立ち込める人々の喧騒は、不思議と心地のよいものであった。明るい表情に比例して響く弾む声。レベンほどの聴力をシュタンは持ち合わせてはいないが、そんな気分になっていた。
「ねえ、シュタン。発見したわ」
理由は人それぞれ違うけれども、レベンの声もどこか明るい。
「唐突がどうもお好きなようだな、このお転婆娘は」
「表現が古いわよ。もっと現代的に!」
「知らん。お前の要望など聞き入れる余裕など無い」
「そんなこと言っていいのかしら? シュタン」
レベンはそう言うと、後ろを振り返り、シュタンに見せつけるかのように、人差し指を飛行機雲に割れた空に立てた。シュタンの目の前で。
「情報次第では、変えとないことは無い」
シュタンが感情のこもってない音声を出した後、レベンは一度「コホン」と咳払いをして、口を開いた。
「なんと、楽器の部品専門店を発見したわ!」
満足げな表情を見せるレベン。
「レベン、よくやった! お前はお転婆娘などではない! こう……なんというか……この世にある言葉で表現してしまってはもったいないくらいの女性だぞ、お前は!」
シュタンはレベンの表情に若干のイラつきを覚えたものの、部品店が見つかった嬉しさが脳内に蔓延していた。
「ちゃんとこの世にある言葉で表しなさいよ~」
シュタンとレベンの二人は笑っていた。理由はそれぞれ違うけれども、笑える理由ならどちらも持ち合わせていた。今のこの街の中ならば、その理由を聞かれようとも、誰にも異質な目で見られることは無い気がした。
「カラン、コロン」とくすんだ、響かないベルの暖かい音が店内に響いた。ベルの音が止むと、店内にはジャズの音楽に満ち溢れていた。
「いらっしゃい」
シュタンとレベンが、威勢のいい声の方向を見ると、大きな荷物を運んでいる姿が目に留まった。
「悪いな。コンテストやらで忙しいんだ。こいつを店の奥に置いてきちまうから、ちょっと待っていてくれ」
そう言って、店主は店の奥へと消えていった。
「ジャズは跳ねるビートを心にまで感じるわ。ね、シュタン」
レベンがシュタンのいた方向に目をやると、すでにシュタンは店内の物色を始めていた。右手を軽い握りこぶしにして、その右手に顎をそこに乗せる。左手で商品を取って、目を大きく見開いた後に、目を細めて、その商品の細部まで把握する。そして、最後に目を瞑った。レベンは黙って、シュタンとは反対の方向に歩みを進めた。
そして、レベンは窓を眺める。埃と光が作り出す空への滑走路に右手を伸ばす。残った左手を胸に当て、店内から外へと零れてしまいそうなジャズの音楽に、足踏みをシンクロさせて、ハミングを乗せた。光の滑走路から飛び立つメロディーが、あの空の割れ目に吸い込まれていく様に、帰ってきた店主は腕を組んで聞き入っていた。
流れていたジャズが、次の曲に移り、レベンがハミングを止めると、一つの拍手が店の中で大きく鳴り響いた。
「嬢ちゃん、とても綺麗な声をしているな。もしかして、『金糸雀』かい?」
レベンは照れた表情を店主に見せた。店主は口元に立派な髭を生やしていながら、頭のてっぺんは、それと反比例しているかのような様子であった。
「いいえ~、違いますよ。あそこで部品を眺めている男の仕事の助手をしているのです」
「ほほお~。それはもったいないな」
「まあ、オーディションも受けていませんからねぇ」
「そりゃ、宝の持ち腐れだぜ、嬢ちゃん。じゃあ、明日のコンテストは出ないのかい?」
「あ、それは出ます」
店主は「ガハハ」と豪快に笑うと、店が少し揺れた。そんな気がした。
「嬢ちゃん、面白いな。名前は?」
「レベンです! ピチピチの十九歳です!」
「レベンか。よし、覚えた。俺はトムだ。よろしくな」
トムがレベンに右手を差し伸べたので、レベンも右手で応じた。
「すいません、店主。ピストンはここに置いてはいませんか」
「で、こいつはシュタン。老けて見えるかもだけど、二十一歳だよ!」
「人をこいつ呼ばわりとは・・・・・・最低だな」
不満を漏らしながらも、シュタンは袋の中から磨かれたトランペットを取り出し、カウンターの上に置いた。トムは全体を見てから、そのトランペットを手に取り、ピストン部分を押した。
「うん。取り替えれば、大丈夫だろ。待っていな」
トムは一度、カウンターの上にトランペットを置くと、シュタンが先ほど眺めていた商品の方向へと向かっていった。「そうそう、これだ」と言っているような口の動きをし、カウンターのところへと戻っていった。
「こいつ、お前の楽器か?」
「いいえ、依頼品です」
「ということはお前、整備士か」
「まあ、一応そんなもんです」
トムは一度舌打ちをした後、袋からっピストンを取り出し交換の作業に移った。
「お前も大変だな。こういう風に楽器を大切にできない奴らほど、整備士に家でもできるような簡単な修理をやらせるんだよ。整備士はもっと、大きな仕事をしていればいいんだ。教会のオルガン修理とか、そういうでかい仕事でいいんだよ」
こぼれてくるトムの愚痴にシュタンは鬱陶しさを感じたが、それよりも、トムの手の動きの方が気なってしようがなかった。
遅い。そして、その豪快な性格ゆえか、作業も大雑把過ぎる。
「あの、すいません。交換作業は自分にやらせてくれませんかね。自分への依頼なので」
シュタンはついに耐え切れず、言葉を出してしまっていた。
「別にいいだろ。俺だって、整備士の資格ぐらい持ってんだから」
「依頼は自分が受けましたので、よろしくお願いします」
シュタンが強くキッパリと言うと、トムは自分の淋しい頭に手を当てた後、二回小さく頷いた。
「物好きだな、お前」
「あいつの想いは、自分が承ったので。申し訳ありません」
「その真っ直ぐな眼差し……嫌いじゃないぜ」
トムは「フッ」と渋い笑いを演じ、シュタンはすぐにトランペットを手に取った。
その後、ジャズの音楽だけが優雅に、その空間を支配した。シュタンは欠けたピストンを取り外した後、トムが持ってきた新しいピストンを丁寧に取り付けた。レベンとトムは何も言わず、その様子を見つめていた。
「さてと」と、シュタンが呟いたと同時に、左手をトランペットに当て、目を瞑った。意識を左手に集中する。ジャズは曲を変えても、優雅さは失わない。
「あいつ、何やっている?」
トムがひっそりと欠伸をしていたレベンに聞いた。
「楽器と対話しているんです」
「なんだ!? そのファンタジックな行動は」
「さあ。これは本人談なので、私にはさっぱりなんです」
トムが口をあんぐりしている様子がレベンには分かった。シュタンと出会った頃の自分もそうだった。ただ口を開けて、その光景を目に焼き付けることしかできなかった。
「水、貰ってもいいですか」
レベンはやさしい微笑をトムに向けた。
赤、青、黄、様々な色が行き交う。
目の前で廻る。そして、落ちる。
水の波紋が広がる。
波紋が鼓膜を刺激する。
一つの線が無数となり、一つの点に集まる。
整備する前と後で、見える景色に変化はなかった。つまり、修理は成功。このトランペットが奏でる音色、つまり、クスナが望んでいる音色に翳りをつけずに済んだということになる。
一つ呼吸をおいて、トランペットから左手を離そうとしたその時だった。指先から体全体にかけて、血の流れが逆流し始めるような感覚にとらわれた。
オレンジ色に染まる一本の木。
二つの影は忙しなく動く。
走り行く轟音。
響かない足音。
水溜りが虚空を跳ねた。
血の逆流が収まってくると共に、シュタンの脳内に断片的な映像が一気に流れ込んだ。その後、強い吐き気と眩暈に襲われ、その場でうずくまった。
「ほら、シュタン。水よ」
レベンは右手に持っていた水をシュタンにそっと渡した。トムは、ただその様子を、腕を組んで眺めていることしかできなかった。
「悪いな、レベン」
「いつものことでしょ」
シュタンは水を一気に飲み干した。次に、ゆっくり深呼吸をする。目を開いて、黒が強めに出ている茶色の床を見つめる。目の前を鮮やかな色をした点が通り過ぎて行く。赤、青、黄色……不規則に動き回る。
「お、おい。椅子に座るか?」
やっとのことでトムは現在の状況を理解し、開くことのできなかった口から、今までの声に比べてすこし細い声が出てきた。
「いえ、大丈夫です。もうすぐ、直りますので」
シュタンは、トムに右手の手の平を見せた。そしてシュタンは、顔を上げて、気丈に笑って見せた。
「何も無ければ、それでいい」
トムは腕を組んで、二回頷いた。
「そうよ。ここでくたばったら、明日のコンテストに私一人で出ることになっちゃうじゃない」
「何だ、この整備士も出場するのか?」
「もちのろんです。職業は整備士っぽいですけど、この男には、奏曲師という幻想も心の中で渦巻いていますから」
「幻想なら遥か昔に置いてきたさ」
シュタンは低く、暗い声で呟く。その隣では、トムが腕を組んだまま唸っていた。
「訳が分からないな。奏曲師の資格だって簡単に取れるものじゃないだろう。男ってやつは、いつでもロマンを追い求めている者だろう? 俺だったら、整備士よりも奏曲師を選んで活動するけどな」
レベンは何か言いたそうなシュタンを差し置いて、悪意に満ちた笑顔をトムに見せつけた。
「なんで、そんなに笑顔なんだ」
「いやぁ~、これには面白い訳がありましてね」
「おい、何を言い出す気だ、レベン」
シュタンが静かに立ち上がる。目の前の景色にテレビの砂嵐のような物が入ってくる。そして順を追うように軽い眩暈が襲ってきた。
「急に立ち上がるからよ」
「お前のお転婆モードはいらないことまで言ってしまうからな。それを止めるために、自分の体なんか気にしていられるかよ」
「なに、それ。まさか……私を信用していないの!?」
「その点については仕方が無いだろ」
レベンはわざとらしく口をパクパクさせ、目を大きく見開いてシュタンを見る。シュタンがそのレベンの目を見る。
「死んだ魚のようだな」
シュタンがボソッと呟くと、隣でトムが豪快に笑った。レベンは頬を膨らませて、どんどん顔が赤くなっていく。
「いいのか、レベンが茹であがっている様子だが」
「魚から蛸に、ランクアップしたということですよ」
「何だ、そりゃ」
「自分がそう思っているので、ただそのまま言葉にしてみました」
シュタンはかぶっている帽子の角度を少しだけ直した。
「お前の感性にはついていけないな」
「恐縮です」
「褒めてないぞ」
二人はレベンのことなど忘れて笑っていた。すると、それは突然だった。
「ゴーン、ゴーン」と店の中にジャズとは違う、重い音が鳴り響いた。
「お、もう十一時か。面白い客が来ると、時間が経つのも忘れちまうな」
「そうだ、シュタン! 早く受付済ませなくちゃ!」
レベンがその場で駆け足を始めてしまうくらいに早口になっていた。シュタンは慌てる様子も無く、ゆっくり入ってきたドアのほうに向かっていった。
「お前らの演奏楽しみにしているよ」
シュタンとレベンの背中にトムが言葉を投げかけた。シュタンは一度トムの方を向いて会釈をし、レベンは元気に右手を上げて、その手を振った。そして、すぐに「カラン、コロン」とくすんだ、響かないベルの暖かい音を響かせた。
外に出ると、新鮮な空気が二人の周りを一気に包み込んだ。シュタンは思いっ切り息を吸い込むと、体の中を新鮮な空気が駆け巡った。
「で、受付をしているのはどこだっけ?」
シュタンは頭を掻きながら、横を歩いているレベンとは反対の方向を向いて尋ねた。
「それって、自分で言ってなかった~?」
レベンは嫌味ったらしいニンマリ顔を作って、シュタンの顔を覗き込んだ。
「さっきの会話で忘れたんだ。もう頭の中はさっきからガンガン鳴り続けている」
「店内のジャズが?」
「不協和音だ。もしジャズだったなら、心地よい気分になっている」
レベンはただ笑った。大きい声を上げ、何かを吹き飛ばすわけではなく、ただ俯いて、ひっそりと笑った。
風が吹き渡る。レベンの長い黒髪が揺れ、シュタンは飛ばないと知りつつも、帽子に手を当てる。人波が行き交う音がぶつかり合うその間をすり抜けながら、レベンは足音を風に乗せるよう高らかに鳴らし、その歩幅を広くしていく。シュタンはその様子を、後ろから眺めながら、あの店のジャズのビートを刻んだ。
「さあ、来たわよ! アンダンテ第三区!」
レベンが第三区の看板を見つけたその直後に、大きくバンザイをして、それに負けないくらいの大声で叫んだ。コンテスト会場の準備をしているせいか、今までの街の賑わいようにさらに拍車をかけた状態である。
「発情するな」
「つまらないわね、その言い間違い」
「お笑い評論家ほど信じなくていい奴ほど、この世にはいない」
「何? また遠回しにイヤミを言ったの? もっとストレートな言葉でかかってきなさいよ」
レベンはその場でシャドーボクシングをし始めた。「シュッ、シュッ」と息が漏れる。その姿と息遣いに目と耳をくれることも無く、歩みを進めた。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「誰だい、君は?」
シュタンは振り向いてレベンを見る。
「どれだけ私の今の行動が恥ずかしかったか、あんたの対応でなんとなく分かったわ」
レベンは後悔と苦悶に満ちた表情が、赤くなった顔に滲み出していた。
「だから、お前は誰だ?」
「いやいや、もういいから。私、ものすごく反省しましたから。もう許してくださいよ、シュタン君」
シュタンはすぐに元の方向に顔を向けた。そして、口に手を当て、うめき声を低く上げた。
「ど、どうしたの、シュタン!?」
「それは嫌がらせか?」
「な、何がよ」
「お前が、俺の名前に『君』をつけたこと。それが嫌がらせかと聞いているんだ!」
シュタンは青ざめた顔を上げて、レベンに詰め寄った。
「それはね、私からのサービスよ。だって、かわいい女の子から『君』付けされて呼ばれるなんて、至極幸福なことに決まっているじゃない?」
「お前は、つくづく幸せな人間だよ」
レベンはどんどん、右の眉が吊り上っていく。そんなレベンの無言のオーラが満ち溢れているのを感じ取ったシュタンは、この場の収束を最優先にした。
「まあ、全て演技だから。気にしなくていいから」
レベンは言葉を一言も発することができなかった。シュタンへの気遣いが全て水の泡。さっきの『会話』で疲れているだろうと、自分との会話などの頭を使う行動を取らないようにしていたというのに、シュタンはその思いに気づいてなかった。
「さて、受付を探しにいくか」
「あんたね、私に言うべき言葉があるんじゃないの? ねぇってば!」
振り返ることもしないシュタンに、レベンは言葉をぶつけながら、後をついていった。
「は~い。こちらで受付やってま~す」
雲ひとつ無い晴天の下、やる気の無い言葉を宛も無く出している若い男の声が、シュタンとレベンの耳に入ってきた。一瞬二人は顔を見合わせた。レベンは、今上空で輝いている太陽にも負けないくらいの満面の笑みだった。シュタンはその顔を呆れながら見つめ、その声が聞こえた方向へと歩みを進めた。
「今、『受付』と言いましたよね!?」
「ええ、言いましたよ」
青年が前かがみになると、茶色がかった長い前髪が顔の前にかぶさった。青年はその髪に対しても、前髪を払うその動きも面倒くさそうな目線を送った。シュタンは興奮しているレベンの後ろから、冷ややかな目線を送った。
「じゃあ、登録お願いします!」
「へ~い。じゃあ、ここに参加者の名前を書いてください」
手元にある白い紙と黒のボールペンを手渡すと、レベンは一心不乱に、そして無我夢中に書き始めた。
「すまん」
「はぁ、なんですか?」
シュタンは、やることが無く、すぐに頬杖をし、レベンの様子を眺めている青年に話しかけた。
「なんで、こんなに手続きが適当なんだ」
「ああ、だって、これ、やる必要がほとんど無いんすよ」
なれない敬語を使い終わった青年は、大きな欠伸をためらいも無く、レベンとシュタンに見せつけた。レベンはっまったく気にしてはいないようではあるが。
「どういう意味だ?」
低い声でシュタンは質問を続ける。
「ちょっと怖いっすよ、お兄さん。ちゃんと説明しますから」
シュタンは目の前の青年を見下ろした。その視界の中には、何かを考えているレベンの様子も入ってきた。
「これ、飛び入り参加オーケーな、フリーダムコンテストなんすよ」
「なんだそれ? フリーダムコンテストなんて聞いたことが無いぞ」
「あ、それは俺が作った言葉なんで、仕方が無いっす」
青年は無邪気に笑って見せた。シュタンは歯を食いしばって、握りこぶしを作り、震えが止まらない右手を左手で押さえ込んだ。
「つまり、どういうことなんだ」
「つまりっすね、この手続きは、参加者の見込みを知るためだけに存在してるんっすよ。だから、この手続きはそんなに重要じゃないんっすよ」
青年は止めていた頬杖をまたし始めた。
「じゃあ、金糸雀の噂は何だ?」
「これは俺の推測なんすけど、ここアナリーゼに近いじゃないっすか。だから、スカウトもこのコンテストを見ているかもしれないじゃないっすか」
「つまり、そのスカウトの注目を集めれば金糸雀も夢じゃない……と」
「まあ、そういうことじゃないっすかね」
青年は退屈そうに、頬杖をしていないほうの手で、余っているボールペンをクルクル回し始めた。シュタンは呆れた様子で、レベンが書き終わるのを待ちながら、その様子を眺めていた。
「はい、できました」
「どうもで~す。それで出番は……ま、コンテストは夕方から始まるんで、おやつの時間ぐらいに来ればたぶん大丈夫っすよ」
「もっと詳しく言え」
満面のレベンの後ろから、鋭い目つきで睨むシュタンの視線と言葉が、青年に真っ直ぐ突き刺さった。
「す、すいません! え~と、午後三時くらいにここに来て頂ければ……」
「ああ、分かった」
その答えを聞いたシュタンは、すっかり怯えてしまった様子の青年の受付所を足早に立ち去った。レベンは何か言うこともできず、オロオロとしていたが、「まあ、気にしないでください」と優しい言葉を青年に投げかけ、シュタンの後を追いかけていった。
レベンが歩きながら下を見ると、シュタンが歩いた道が異様なまでに綺麗になっていることに気づいた。道はもちろんきちんと整備されているが、道端に落ちている小石たちは、極端なまでに道の端に無造作に避けられていた。スピードを上げていくシュタンの足元からはカツンという音が聞こえてきた。
「シュタン、怖いよ~。石なんか蹴飛ばしたら、危ないよ~」
「うるさい。今の状況、説明しなくても分かるだろ。お前、被害に遭いたいのか?」
「いやぁ~、それは嫌だな~、シュタン」
突然、シュタンとレベンの後ろから陽気な男の声が聞こえてきた。
「あ、パース! ひっさしぶり~!」
「やあ、レベン。元気にしていたか、コノヤロー!」
パースは屈託の無い笑顔を二人に見せた。シュタンはそれを目に入れた途端に、先ほどまで持ち合わせていた怒りなどの毒が抜けていった。パースの背中には、シュタンがいつも背負っている荷物と同じようなものが見えた。
「なんだ、仕事は無いのか?」
「お前も知っているだろ? この時期は基本的に暇なんだよ。で、本部でぶらついていたらさ、ここでコンテストが開催される! みたいなチラシ見つけたからよぉ、ちょいと足を運んでここまできたのさ」
「ギターを持ってきたということは……」
「ああ、これはさっき寄った楽器屋で一目惚れしてしまってなぁ、ついつい買ってしまった代物だよ」
恥ずかしそうにパースは話した。まるで、初めて自分にできた恋人について友人からしつこく話せと言われ、その押しの強さに対抗することができず、逆に長々と話してしまうようであった。
「そういえばお前ら、昼飯食べたか?」
「いいや、まだだ」
「よし! じゃあ、一緒に食べよう。行きつけの店があるんだ。昼は定食、夜は飲み屋のオールマイティな場所があってだな、なんでも旨いんだよ。そうだな、俺のオススメと言われたらだな、やはり、マスターが作るオムライスだな。あれは絶品だな。うんうん。チキンライスが一味違うんだよ。こう……料理に精通していない俺が食べてもその違いが分かるんだよ。スパイスが効いているって言うかさ。あ、でもスパイスが効いているというならば、生姜焼き定食も捨てられないな。あの肉の焼き加減とスパイスの風味がバランスよく混ざり合うんだよ。そうだ、混ざり合うといったら、カルボナーラを忘れたらいけないな。クリームとチーズの濃厚さといったら……」
「ああ、重々分かったよ。お前がその店を好んでいることは。だから、早く行かないか?」
「そんな話をされたら、お腹の部分から背骨が透けて見えてしまうわよ。早くその店に連れてってよ、パース」
シュタンとレベンは、パースが饒舌に語る品々の様子を、想像しては、脳内で何を食べるかシミュレーションをしていた。そして、それがもう抑え切れなくなった。
「まあ、慌てるでない。こういうのは前情報が……」
「「いいから!」」
二人は自然と声を合わせて、パースに迫っていた。
「す、すいません……」
二人の激昂に触れてしまったパースは、シュタンとレベンを連れてトボトボと店に向かって歩き始めた。
「休日はキスで始めるぜ。マシンガンのようさ、フッフゥ~!」
パースは鼻歌を撒き散らしながら先頭を歩いていた。レベンはその歌に気付いて先頭のパースに追いついて話しかけた。
「ねぇ、そのフレーズなに?」
「これか? これはな、俺が作った曲のAメロだよ」
「へぇ~。凄くキャッチーな曲だね」
「だろ! 多分この曲、売れると思うんだよね! レベン、いるか?」
パースが続きを歌おうとした。レベンもその歌の続きを今か今かと待っている。
「止めとけ、レベン。それはダサい」
パースが歌おうとしたときに、後ろから横槍を入れるかのごとくシュタンがレベンに釘を刺した。レベンは頬を膨らませる。
「どうして! せっかくパースがくれるんだよ! もったいないじゃん!」
「そうだそうだ!」
パースはレベンに加勢して、一緒になってシュタンを批判する。
「いらないもの貰っても仕方がないだろ」
「おい、シュタン。いらないものって何だよ。そいつは聞き捨てならねぇぜ」
「いい曲だったら他の人にはあげないさ。いい曲でなくとも、売れるならなおさらだ」
「う…」
パースはそこで黙ってしまった。レベンがその顔を見ようと覗きこむと、パースはレベンの顔が無い方へと顔を向けた。レベンがそれを追うと、パースは逃げた。
「パース…信じていたのに…」レベンが声を詰まらせていく。
「ごめんよ、レベン! ああ…こんなに可愛い女の子を泣かしてしまうなんて…」
「なんてね!」レベンが思いっきり笑った。
「知ってたよ!」
二人はその後、渋い顔をしているシュタンのことなど忘れて、パースお手製の曲を二人で元気よく歌った。
そしてしばらく歩くと、パースは足を止めた。それに合わせてシュタンとレベンと歌が止まった。二人の左側にある店を見上げると、看板には「ルーティーン」と豪快に書かれていた。店の概観は、お世辞にも綺麗とは言えずチラシなどが多く貼られていた。それが逆にこの店の庶民的な雰囲気を醸し出していた。
「着いたぜ。ここが俺のオススメのユートピアだ!」
パースはいつにもまして自信満々だった。少し鼻息も荒く、理由は分からないが興奮を抑えられない様子であった。
「さ、入るか」
「そうね」
一呼吸おいて、シュタンとレベンはそそくさと店の中に入っていった。
「俺と出会った瞬間の反応と今の俺の扱い、あまりにもかけ離れすぎてはいませんか? お二人さん?」
二人の姿はもう店の中に消えてしまっていた。
「まったく、あの二人は恥ずかしがり屋なんだから」
「うるさいんだよ、お前は。とにかく、入って来い。お前がいないと何も始まらないんだ」
入り口の影にいたシュタンの強い声が聞こえてきた。
「す、すいません。今行きます……」
パースは、自然と謝罪の言葉を口にしていた。
「ねぇ、さっきから俺、謝ってばかりじゃないか? 俺の立場って一体……」
その事実に気づき、前を歩く二人に語りかけるものの、反応を示してくれない。パースはついさっきまで持っていたあの雰囲気を取り戻すどころか、さらに失った状態で、二人の背中を追って、店の中に入っていった。
シュタンとレベンが見た、パースのユートピアである「ルーティーン」の内装は、オレンジに輝く木材に囲まれており、どこかの高級店を髣髴させるような装いであった。パースから飲み屋と聞かされていたシュタンとレベンの目に飛び込んだ光景はそれだけではない。ライトがセットされたステージは、今すぐにでもライブができるように準備されており、個人で飲むためのカウンター席の奥側には色とりどりのボトルがキチンと並べられている。素人目にはそのボトル全てが高級酒としての堂々としたその立ち振る舞いを、シュタンとレベンの二人に見せつけていた。
「なんというか……飲み屋じゃないよな」
シュタンは嘆息とも取れる言葉を漏らしていた。シュタンの隣でレベンは、海水を全て飲み干してしまいそうな勢いで目と口を開いていた。
「そうか? これぐらいが普通だろ?」
「お前の基準は狂ってやがるな」
「そうでもないぞ。この内装やあのカウンターの奥にある酒だって全てに……」
「それ以上言うと、お前の首から上が風船のように膨れ上がるぞ」
パースが何かを言いかけた瞬間だった。いきなり立派な上腕二頭筋がパースの首に、獲物を狙う蛇の如く絡みつき、そのままパースを持ち上げた。パースは首に巻きつく屈強な筋肉を何度も右手で叩き、降伏の意を唱えるものの、その血管が浮かび上がっている腕が離れる様子は無かった。
「あの……カルボナーラはここに御存在でございますか?」
レベンは気の動転が三回転ほどしてしまったかのような、訳の分からない言葉を、呂律の回らない口で出していた。
「もちろんあるぞ! で、そっちの兄ちゃんは?」
その表情は笑顔だった。パースがそこにいないかのような振る舞いでレベンとシュタンに話しかける。その傍らでパースは、顔を真っ赤に染め上げ、ひたすら右手で太い腕を叩き続けていた。
「じゃあ……生姜焼き定食で」
「OKだ。すぐに用意しよう」
そう言うと、片腕一本で持ち上げていたパースを床に下ろし、一度右腕をグワンと回した後、筋肉隆々の後ろ姿をレベンとシュタンに見せつけながら厨房の方向へと足取り軽く向かって行った。床に取り残されたパースは「ゲホ……ゲホ」と大げさに咳き込んで、俯いていた。立ち上がる様子は、この広い店の中を見渡したところで、見つけることはできなさそうだった。
「で、あの豪快親父は一体なんだったんだ?」
シュタンとレベンは近くに空いていた四人用の席に座った。パースも二人に続いて、背負っていたギターをレベンの向かい側の席に立てかけ、パースは残ったシュタンの向かい側の席にわざとらしく大きい音でイスを引いて座った。
「ここの店長だよ」
「ガタイ、良過ぎないか?」
「あの人の趣味は、筋肉と会話をすることなんだよ」
「よく知っているな。お前、あの店長と仲いいのか?」
「まあ、よくここには食べにくるからな。それに……」
「どうせ、可愛い子がライブでもするんだろ? 店の奥にあるあのお立ち台は、『雛』が活動の拠点にしているステージだろ? お前の考えは浅はか過ぎて、考える必要など無いよ」
シュタンは帽子をギターが立てかけてあるイスの上に置き、パースが一目惚れしたというそのギターをケースの上から下へと舐めるように視覚で吟味する。
「パースは下心が見え見えだから~」
レベンは真正面からパースの目をジーッと見た。シュタンはその傍らで、黒に輝くファスナーを「ギィィィー」と音を立てながらケースを開け、その中に存在するまだ見ぬ音への高揚感に駆り立てられていた。
「いや、違うぞ! 俺はただ、ここの店長の飯が好きで来ているだけで……」
レベンの視線から逃れるように、空に飛び出す程の勢いで立ち上がり、大きなモーションを作りながら御託を並べ続ける。
「お客様? 店内でも正直に生きなければ、地獄しか見ることはできませんよ。いや、もう肉やら魚やら食してしまっているので、地獄行きはもう決定しておりますね? では、今から逝ってみるか? パース」
店長の搾り出す高音から、野太い低音ボイスへと変わっていくと同時に、パースの体の震えが共鳴し大きく揺れる弦のように増大していく。
「おい、パース! これ、ロボットじゃないか! 俺はお前を見損なったぞ。あんなにもギターを愛していたというのに……」
震えが止まらないパースに、シュタンが怒りに任せた呟きを、パースに聞こえるように放ち始めた。シュタンがギターの一、二弦を響かせた直後にチョーキングをする。音が鳴り止んだ後には、僅かにずれたチューニングを直すために、ギターのヘッド部分から微かに「ウォォーン」とモーター音を漏らしながら、ペグを自動的に回していく。
「何だ!? その昔の恋人発言は!?」
「え、それロボットなの!? リモコンはどこ? そのギターが変形して歩き出すんでしょ!?」
三人が各々の方向性を示しながら、一斉にパースに津波のように畳み掛ける。店長は立派な上腕二頭筋に力を入れ、さらに大きくしていく。シュタンはチョーキングからのモーター音をパースの耳元へと、徐々に近づけていく。レベンは瞳を千年の眠りから目覚めたときに初めて見つめる、目が眩むほどの朝日の太陽の輝きのような瞳を、三百六十度の方向に光らせている。
逃げ道を確保しようとパースは周りを見渡すものの、三人の急造フォーメーションの中には、どこにも隙が無い。右に行こうとすれば、シュタンがギターを近づけ、真正面を突破しようとすれば、レベンの無垢な瞳がパースの心を刺す。左に行こうとすれば店長が凶器のスマイルを見せつけ、後ろに逃げようと目を向けると、店長の立派な右腕と、シュタンのやけに長く見レベン左腕が背中を取り囲む。冷汗が溜め息に変わり、その溜め息と同時に、言葉を発した。
「俺に考える時間は……」
「「「必要ない!」」」
「で、ですよねぇ……ハハハ……」パースは、それ以上何も言える気がしなかった。
ぐったりと背もたれに寄りかかるパースを尻目に、店長は生姜焼き定食とカルボナーラをそれぞれレベンとシュタンの目の前に、そして、金色に輝く半熟トロトロのオムライスをパースの座る席の前のテーブルに置いた。
「ほら、お待ち」
チーズと生姜の混ざり合った匂いが、シュタンとレベンの鼻の中に無抵抗のまま入っていく。食欲はそそられないものの、目の前にある食物を早く口にしてしまいたい欲求が、のうに刺激を与え、自然とシュタンとレベンの手は、箸やフォークに手を伸ばしていた。
「あ、おいしい」
「そりゃ、この俺が作っているからな。当たり前に決まっている」
店長は声高らかに「ガッハッハ」と笑った。繊細な味付けとは裏腹に、無粋な笑い声であった。人は見た目だけではなく、料理の腕からでも、人を判断できないものだとシュタンは感じた。レベンはニヤケ顔を保った状態で、カルボナーラをフォークで丁寧に巻き取り、口に運んでいる。かたやパースは、先程の恐怖がまだ残っているのか、それとも安堵からなのだろうか、オムライスを運ぶスプーンは震えており、眼は軽く充血していた。
シュタンは、三人の姿を見た後に、ジュイスのことを考えていた。きっと今頃は、クスナと二人でゆっくりと昼食を食べているのだろう。あの微笑を崩さぬまま、陽の当たるやさしさと温もりが共存する空間で、きっと時間も忘れてしまうのだろうか。今ここにある空間と比べるとどこか笑えてしまう。
「何笑っているの、シュタン!? 気持ち悪いよ」
「お前の見間違いだろ」
「誤魔化しても無駄です。私はちゃんと見ました」
シュタンは表情を一切変えずに、「ああ、そうか」と適当にあしらった。レベンはしてやったり、という表情から、仁王の表情になっていく。
シュタンは、もう一度頭を回転させ、今行わなければいけない内容について頭の中に挙げていった。
一つ目は、クスナに修理したトランペットを渡すこと
二つ目は、明日のコンテストに参加すること
そして三つ目が、即刻、アナリーゼに帰ることだ
一つ目と二つ目に関してはこの街で出会ってしまった、「やらなければいけないこと」なので、こればかりは仕方が無い。だが、この用件のせいで二人の平穏の生活を邪魔してしまっていたら? それに関して事実であるならば、申し訳ないことをしている。また、自分自身に課せれている家賃の払い込みもあるため、三つ目についても即刻行わなければならない。と、事実を羅列し、今後の活動についてある程度、予測をつけようとした、その時だった。
「お前ら、いつの間にか、俺の生姜焼きが無くなっているのだが……」
震えるシュタンの声を聞くと、パースとレベンは、たるんだ笑顔を同時に作り、「ご馳走様でした」と漏らした。
昼食も食べ終わり、三人は外に出た。シュタンが空を見上げると、相も変わらず雲一つ無い晴天が広がっている。隣では、レベンが両手を空に手を伸ばして、うなり声を上げながら背伸びをした。その隣では、パースが空に近い状態になってしまった財布の中身を見ながら、重く圧し掛かるギターと呼応するように、嘆息を繰り返していた。
「おい、シュタン。後で飯奢れよな。このギター、いい値段したんだ。これから生活していけるだろうか……」
「勝手に人の注文した料理を食べるからだよ」
「まったく……醜いわよ、あんた達」
「いや、お前も関わっているんだぞ」
パースは軽い金属音が微かに聴こえる財布を、レベンの右耳に近づけた。レベンはそれに合わせて、耳に右手を添える。
「合わせて十三円、て、ところかしら」
「流石、レベン殿」
「よきに計らえ」
意気揚々とレベンは空を見上げる。シュタンには、レベンの鼻の先が、果ての無いこの空に伸び続けている気がした。
「まあ、お前らの演奏、楽しみにしているよ」
パースはそう言って、持っていた財布を、ジーンズの右後ろのポケットに閉まって、背負っているギターケースをもう一度背負い直した。
「いきなりなんだよ。気持ち悪いな」
「それは俺の台詞だ。だって、あのコンテスト嫌いなシュタンが出場するんだぞ? レベンの歌声は何度も聴いてはいるが、シュタンとの競演なんて学校の授業以来だ。是非とも、他の奏曲師連中共に、風穴を開けて欲しいね」
パースはどことなく誇らしげに語り始めた。シュタンは、どうやら自分の周りには、鼻を伸ばすことが好きな連中が揃ってしまっていると実感した。
「それと、シュタン」
鼻を伸ばすことをやめたパースが、シュタンの耳元に語りかける。シュタンは反射的に、「何だよ」と口走ってしまう。
「レベンにもチャンスぐらいはあげないと、な」
シュタンは口を閉ざした。何を言えるわけでもなく、何かを言いかける仕草も見せず、パースの屈託の無い笑顔を見る。
「じゃあ、俺はこれで行くからな。アディオス!」
青春映画の如く、パースは翔ぶように走り出した。「バイバ~イ!」と、レベンがその背中に向かって言葉をかけると、パースの速度が加速していくように感じられた。