#04-ex8
◇前夜祭(春)前篇
明日はこのエストールが設置された式典。明後日は待望の学園入学式となっており、街中が準備に追われている、そんな夕暮れ時。
エストール駅に真紅のカラーリングの皇帝専用車両が到着した。
何分、この専用車両が線路の上を走るのは初めての事であり、近衛も警備隊もエストール領軍も恐る恐るといった面持ちでの対応となったが、乗ってきた等の本人は気楽そうなもので……
「ここが、エストール駅か……なんだか暗くないか?」
「陛下、こちらホームが地下5階の専用ホームですので」
「宰相、これと同等のものを帝都に作れと言ったら作れるか?」
「まあ、まず無理でしょうね。何かのはずみで生き埋めになりたくなければやめておいた方が良いかと」
「だと思った。で、ここで待っていればよいのか?」
「ルイテル様が迎えに来てくれる予定ですね」
「シュヴラン伯は?」
「今日は色々と仕事があるそうなので」
「まあ、準備することもあるだろうな」
そんな話を宰相としていた現皇帝であるところのライザルト・ラウレンツ・ヴィーラント。周囲には厳戒態勢で警備が行われているが、正面のエレベーターから降りてきた兄の顔は非常に気の抜けたものだった。
「やあ、思ったより早かったね」
「兄上、もう少し威厳のある対応とかはありませんかね」
「今更ライズにそんなことしてもねぇ、あ、シッファー伯、奥様もつれてきたよ。ライズは僕が引き継ぐから、伯は奥様と娘さんを迎えに行ってあげるといい。タイミングが良かったね」
「おお、ありがとうございます。ヴィーラント公」
「陛下、御無沙汰しております。大き目の車を一台回してもらっていますから、子供たちを拾って帰りましょう、旦那様」
「あら、お姉さま。私には挨拶なしですか?」
ライズの影に隠れていた女性がコレットの前にでてくる。
現皇帝ライザルトの側妃であるフィーネ・クサヴェリア・ドローレス。コレット・シッファー伯爵夫人の実妹である。
「あら、久しぶりね、フィーネ。というか、あなたが来るのね。結構大事な式典になると思うのだけど」
「テレーザ妃は西の御爺さんたちがうるさくて出てこれませんでしたわ」
「なるほどね。といっても、クロート公爵家もしっかり東側貴族なのですがね……」
「クロート公は前皇の弟だからどうとか言っていましたけれどね」
「苦しい言訳ですね」
「あ奴らのせいで話がややこしくなるしクロート公もドローレス候も迷惑しているよ。全く」
「まあ、そういう話はあとでゆっくり聞こうじゃないか。とりあえず、ライズとフィーネは僕と一緒の車に乗ってくれ。護衛としてアーリックに同乗してもらって、もう1人ぐらいならいけるけどどうする?」
「フィーネの侍女だけでいい」
「よろしいんですか?」
警護官のひとりがライズに尋ねると、
「兄上とアーリック殿が一緒にいて、私が傷を負うようなことがあるならば、警護がいてもいなくてもそう変わらん」
「まあ、そうだね。じゃあ、行こうか」
シッファー伯と一時的に別れ、シュヴラン伯爵邸に向かう皇家御一行。
「そういえば、今日はどちらに泊まればよいのだろうか」
「ああ、ナギが要人用のホテルみたいなの作ってくれてるからそこ自由に使っていいよ」
「えらく準備がいいな」
「まあ、鉄道引いたとしても流石にエストールを日帰りで訪れる貴族はいないだろうし。近衛のみんなも、メイドも執事もそっちに案内するように手配してるから」
「それはありがたいが、兄上の屋敷は?」
「父上が我が物顔で居座ってるけど、一緒がいいかい?」
「それは嫌だな」
「でしょ?」
皇族同士の会話というか、触れるとこちらの首が飛びそうな話をする兄弟に戦々恐々としながら周囲を固める警護官たち。
本当はあんまり耳に入れたくないような気もするが、車に乗り込むまでは離れるわけにもいかない。
車に乗り込んでさえしまえば伯爵邸まではすぐである。
「フィーネはこの後晩餐だけど着替えるかい?」
「まあ、一応は皇妃なので……」
「今日はそんな格式ばったものでもないんだけどな」
「シュヴラン伯の沢山いる奥方の親が一斉に来るのではなかったのか?」
「まあ、来てるね。というか、そんなややこしいときに皇帝が来るとかマジでやめてよね」
「皇帝が来てその物言いをするのは兄上だけだが、まあ悪かったとは思うが、式典やるのに昼からとか締まらないだろう」
「まあ、それはそうだけど――とりあえず、フィーネは着いたら部屋押さえてるからそっちで着替えるといいよ」
「ありがとうございます」
シュヴラン伯邸はいつもよりもあわただしく――主にルイテルの屋敷から連れてきた侍従たちが――晩餐の準備と客の案内に追われていた。
「流石というべきか、帝都よりも整った街を作られると何とも言えない気持ちになるな」
「退位したらこちらに住みませんか、ライズ様」
「まあ、アリだな」
「退位の話する前に子供作りなよっていう。さて、」
普通ならここで家主を呼んだり、案内係を呼んだりするのだろうが、そんな面倒なことはしない。
さっさと自分で扉を開けて、貴賓室の一つに弟を放り込んだ。
「ナギ呼んでくるからここで待ってて」
「別に構わんのだけど、皇帝にこの扱いはどうかと思うぞ」
「まあ、今更気にするなライズ」
貴賓席で優雅に茶などを飲んでいるのは、前皇ヨハネスと両妃、畏まっているフェーレンシルト伯と、前皇の正面で同じく茶を啜っているエッゲルト公爵だった。
「……エッゲルト公はなぜここに?」
「私が友人の結婚式に来てはいけませんか、陛下」
「いや、友人っと言っても」
「陛下なら我が領の、我が国の発展にも多大な貢献をしてくれている、人間としてもなかなか面白い若伯爵と、道理の通らん事しか言わぬボケ老人とならどちらと付き合いますかな?」
「……伯爵だな」
「そういうことです。まあ、ヴィーラント公の情報操作でいつの間にか私は東側派閥に寝返ったことになっておったんですがね」
「寝返るもの何も貴様元から西側の連中と仲悪かったであろう」
「そうはいうが、ヨハネス。最近は奴らとまともに会話が成立したことがないぞ」
年寄同士が盛り上がっているのをやれやれという顔で眺めるのは次期エッゲルト公のトライド。
「トライドも久々に会ったな」
「陛下、お久しぶりです。まあ、そろそろ私が公爵を継ぎますので近いうちに挨拶に伺うとは思いますが」
「おお、遂にか」
「早々に子供作っておいて、なかなか継がせんと思ったら、息子飛ばして孫とは」
「こればっかりは才能と本人の性格の問題だからな……嫌がっておるのに無理やり公爵など継がせられるか。まあ、トライドがいてくれてかなり助かったが……」
「お義母様方、御無沙汰しております」
「フィーネ、久しぶりですね」
「フィーネちゃん久々だね」
「お二人が来て問題ないのであれば、テレーザも来てもよかったのではないのでしょうかと思いましたが……」
「私たち実家の話聞く気がないから……」
「若いときは煩かったですけど陛下に口添えして実家締め上げたら口出さなくなりましたよ」
「私たちの実家は別に何も言ってこないので……」
「あら、そういえば着替えに行きましょうか。そろそろ時間だわ」
「そうね。昨日キーリーさんに仕立ててもらったシンプル系のドレスを着ましょうか」
「そうですね」
「キーリーさんというと、シュヴラン家の?」
「はい。優秀な錬金術師ですし、優秀なデザイナーですよ」
「そういえば、お二人とも依然お会いした時よりもかなりお若くなりました?」
「こちらは普通にシュヴラン伯に化粧品や美容用品を用意していただきました」
「クリスはまだ30代前半といっても全然いけるね」
「カタリーナ様もかなりお若く見えるのですが……というかそんなに効くものですか?」
「特に効いたのが人体に害のないレベルで代謝能力を再活性化する魔法薬ですね。あとは、美味しい食事と適度な運動、音楽や娯楽に、エステとお風呂をしばらく続けてたらこうなりましたね」
「……すごいところですね、エストール」
女性陣が身支度の為侍女を連れて別の部屋に移ったところで、シッファー伯が貴賓室を訪ねてきた。
「ヨハネス陛下、エッゲルト公、御無沙汰しております」
「おや、シッファー伯。そろそろ、領地に引っ込むと聞いたが、後任は?」
「ミュラー侯爵の次男に。彼はとても優秀ですからね。ライザルト陛下とも歳は近いですし、話しやすいでしょう」
「ミュラー候のとこのか……まあ、アレなら問題はないだろう。また、西の連中が騒ぐかもしれんし、帰りにフローエ候にも伝えておくか……」
「そういえば、シッファー伯の方はこちらの貴賓室には通されなかったのだな」
「ええ、ここと同じような貴賓室があと3つありますから。私はディースブルグ候やオイレンブルグ候と同じ部屋に」
「ほう、そちらも後で顔を出しておくか」
「といっても、女性陣の準備が済めば始まりますがね」
「興味本位で聞くのだが、今日はどれぐらい人が来るのだ?」
「本日の晩餐の参加者でしたら、40人前後だと聞いていますが」
「……えらく多いな」
「お待たせして申し訳ありません、陛下」
ルイテルが突然入室したかと思うと、それに伴ってナギがやってきた。
「いや、随分大人数が来ているようだし、準備も忙しいだろうし、特に気にしてないが。まあ、久しいな、シュヴラン伯」
「はい、おかげさまで。エストールの方もほぼ軌道には乗っかりました。農林業ばかりはもう少しかかりますがね」
「見事な手腕だな」
「先月時点で税収が州都並みになってるぐらいには儲かってるよ」
「そんなにか」
「鉱山の方も結構産出できるようになってきてるし、重工業もエッゲルト公やオレインブルグ候のおかげでかなり儲けてるし」
「まあ、うちの方は高速船と領軍用の護衛艦をある程度揃えれば注文を終えると思うが、オレインブルグ候の方は海軍設置に忙しいようだし、しばらくは儲かるな」
「レンギン家とドローレス家のほうからも注文来てますからまだしばらくは大丈夫でしょう。海路の管理についてはオレインブルグ候に投げましたし」
「まあ、それが良かろう。海軍が設置されれば結局そちらに管理が移ることになるだろうしな」
「明日にはドローレス候とレンギン伯もこちらに来るようだし直接話せばいいよ」
「奴らが来るのは中々珍しいな」
「まあ、北側の貴族たちはエッゲルト公やレンギン伯を中心にあまり出てこないし、ドローレス候は西側になぜか目の敵にされているからな……」
「宰相夫人と皇帝の側妃を出してりゃそうなるだろうけどね……まあ、そんな話はいいとして、晩餐の会場に行こうか」
ルイテルの号令で偉い人たちが移動を開始したころ、2つ目の貴賓室にはアーリックが声を掛けにやってきていた。
「失礼します」
「おや、クラウジス子爵」
「晩餐の準備が整いましたので、会場の方にどうぞ。奥様方は直接会場に案内するようにいたしますので」
「承知した。助かるよ。さあ、行こうかカミル」
「父上、なんだか急に緊張してきたのですが」
「気にすることないよ。ちょっと陛下たちがいるだけさ。子供は気にせず食事をしているといいよ」
「そうだな。まあ、少々無礼なぐらいでどうこうするような狭量な方はおらんだろう。それよりも私は空腹だ」
「父上、俺も緊張が」
「ギルスもカミルも王都に何度か行っているはずだが、その時はそんなに緊張していなかったように思えるが」
「だってあいつら態度ばっかり大きくて中身ないんだもの」
「そんなの相手にして緊張しろという方がおかしい」
「まあ、たしかに今日招かれている客人は傑物ばかりだがね……」
「そういえばパウル子爵の奥方もかなり緊張されていたようだったが」
「うちはディースブルグ候と東にいる馬鹿ぐらいしか関わりありませんでしたから……突然このようなパーティーに招かれるとは思ってもみませんでしたな……」
「シュヴラン伯も言っていたが、婚約の祝いの方は明日がメインで、今日は子供たちの入学の前祝いと親睦会を兼ねてとのことだ。あまり気にせず食事を楽しめばいい。シュヴラン伯の事だから美味い物が出てくるぞ」
気楽なディースブルグ候とオレインブルグ候。本日の客人のほとんどは普段政界で相手にしている魑魅魍魎の中でも、言語が通じるタイプの人間ばかりなのでそれほど緊張もない。
アーリックの先導に続いて晩餐会の会場に入ると、すでに多くの人間が着席していた。
純白のテーブルクロスが掛けれた円形テーブルがいくつか用意されており、こちらにも食器類の準備がされている。
「……この部屋、こんなに広かったか?」
「……いや、前に入ったときはもっと狭かったと思う」
「我々の席は……シッファー伯のところか」
「私はエッゲルト公のほうか。子供たちはエレノア嬢がいるところでいいみたいだな」
「……兄上、父上。自国の貴族についてはわかるのだが――見覚えのない貴族がいるのだが」
「紹介してあげよう。あちらか順に、クレハの義理のご両親であるところの公国はヒューゲル伯爵とその婿殿。次にジーナの親父殿の王国アルティエリ子爵兼騎士団長、シャノン殿の祖父と弟。まあこちらは最近ルーツの元伯爵家だったことが判明した、レヴェリッジ家。で、ルーツ王国の方は、アーリックの兄のアーヴィン・クラウジス次期伯爵と妹のアイリーン。アイリーンの方はエストールで学園に通うみたいだね。で、天神教会の教皇の実子で大司教のエージス・クリストル。言うまでもなく王族の家系だね。あと、法国からミリアーヌ・ロッペン司教と弟のミラン君」
「……兄上。長い」
「我が儘だなぁ……」
ルイテルの方からすっと紙が差し出される。そこには、先ほどルイテルが一息に喋ったことがほぼすべて書かれていた。
「こういうのがあるなら事前にもらえないものだろうか」
「ライズ着いたのさっきじゃん」
兄弟でわちゃわちゃしているところに着飾った女性陣が入場する。
今日ばかりはラーテングント・ヒューゲルですら、派手過ぎないドレスを身に纏い、夫の横に腰掛けた。
「エレノアちゃん、着替えなくてよかったの?」
「大丈夫、今から行ってくるから」
「え?」
リュディにそういわれて、会場を出たエレノアは2分もしないうちにばっちりドレスを着て化粧をした状態で現れた。それを見て驚いたフローラとユーディットはエレノラに詰め寄る。
「……エレノア様、それはどうやって」
「こういうこともあろうかと早着替えの魔法を作っておいた」
「それ今度教えていただいてもよろしいですか?」
「いいけど、難しいよ?油断するとメイクが変な感じなったりするし……」
そして、ナギがクレハたちを連れて入室。いつの間にか移動していたルイテルもペトラを迎え、自席に付いた。
「さて、今日はお集まりいただき感謝いたします。本日は、未来ある若者たちの前途を祝しましてささやかながら食事を用意いたしました。お客様方にも楽しんでいただければ幸いでございます」
ナギの声と同時に給仕たちが一斉に食前酒とアミューズを運び込む。
「明日の食事会ではあまり繊細なものは用意できないような気がしますので、本日はしっかりとフルコースをご用意いたしました」