#scene04-23
さて、ここで地理の話をしたいと思う。現在ナギたちがいるコーニッシュという土地は、グンナル公国の北端にあたる場所に存在する。ここから、国の中央にあるバヘッジまでは、昼夜休まず歩き続けて、旅になれている大人の足で3日ほどかかるだろう。
ザヴィアー伯爵が、旅になれているはずもなく、失血気味の兵士を連れた状態では、最寄りの街まで2日はかかる。そこから馬を借りて進めば明々後日の昼頃にはバヘッジに着くと思われる。
ナギに設定された期限は10日間で、バヘッジに移動するだけでおよそ1/3がつぶれることになる。ただ、そこまで移動しなければ、地方の統括ギルドでは、賠償に相当する金額を動かすことが出来ないのだった。
5000万Eという額は、伯爵家の資産から見ると莫大――というほどの金額ではないが、そこらの兵士の年収の100年分にあたるような額である。普段の伯爵であれば、このような賠償は不服として支払い拒否してしまうぐらいのことはするのだが、今回はヒューゲル伯爵家と帝国のシュヴラン伯爵家という大陸で1,2を争うレベルで敵に回してはいけない類の家に喧嘩を売ってしまったので、今回ばかりは大人しく支払っておいた方が吉、とするしかなかった。
幸い、ザヴィアー伯爵領は、産業も安定しており、今回の回復をするのにはさほど時間もかからないだろう……と伯爵は考えていたのだが、
ザヴィアー伯爵が諸手続きを終えて、自らの領地に帰還したのは「戦争」からおよそ8日後の事だった。
その日は雨が降っており、そのせいで活気がないのだと思っていた伯爵だったが、翌日になってそれが間違いだったことに気付く。
――人口が減っている。
街には空き家が目立つし、農地を耕している農夫の数も明らかに少ない。呼び出した家令に、いったいどういう事かと詰め寄ると、多くの者が家族を連れて街を離れたというのだった。
さて、ここで地理の話に戻るのだが、2日半ほどかけてバヘッジの街に向かい、そこで行政的な手続きなどを行っていた伯爵の後ろをすり抜けるようにして、今回見殺しにされた元騎士たちはバヘッジの街を通過。
馬車を乗りついで、伯爵が帰還する3日前には自分たちの家に帰り、すぐに家族を説得してザヴィアー伯爵領を脱したのだった。
推定で1000人の人間が一斉に街を出たことになる。税収で言うと5000万Eほどの損害が出ることが予想された。さらに、街を出た者たちが運営していた農地や商店が停止したことにより、領内の流通には多大な影響が出ていた。
歴史あるザヴィアー家はこの年、家が出来てから初めての極大の赤字を出すことになる。
☽
――と、そんなことを知ってか知らずか、ナギたちはエレノラを連れてエストールの街へと帰ってきていた。
今回のことは事情が事情な為、バヘッジにて政府への苦情を入れ、ついでにエレノラの絶縁状の提出を行ったところで、その日のうちにエストールへと帰ってきていた。
街を開けたのはほんの数日だったのだが、街を出る前よりは明らかに建物が増え、発展している様相である。
「やはりキーリーを置いていったのは正解だったな」
「そうね。まあ、若干調子乗ったのか変な建物が建ってる気がするからそれは折檻するとして」
「まあ、それは任す。シャノン、後でいいから西から移民が入る可能性があるってことをアレル市長に連絡入れておいて」
「承知しました」
「エレノラは、あの件について進めれる状態になってると思うから」
「任せておいて」
「あの件?」
「いや、魔導書やらなんやらが割とすごい量になってきたから」
「まあ、あなたとキーリーとエレノラとパンドラとアイヴィーの分合わせると図書館できそうなぐらいあるわね」
「まあ、家に置いておいても邪魔だから比較的安全そうなやつを今度創る学院の蔵書として寄贈しようと思ってな」
「比較的安全って誰基準で?」
「ルイテル」
「それ、ダメじゃない?」
「ああ、うん。結果としてペトラにすごい怒られたから、一般人の目に触れない方がいいやつは禁書指定で図書館の地下書庫に押し込んだ。で、その封印の管理をエレノラに投げた」
「相変わらずの雑さね」
「……まあ、本邸の研究室にはもっとヤバい本がゴロゴロしてるけど」
「参考までに聞くけど、どんなの?」
「兄弟子の一人が書いた人体錬成系の本とか?」
「焚書しなさいよ……」
「いや、結構有用なことが書いてあるから今研究中。主にアイヴィーの脚のために」
「1から人間を作ろうとしなければ大丈夫なはず」
「……ナギとエレノラのお墨付きは信用に値しないわね」
「ひでぇ」「ひどい」
そんな話を聞いていたシャノンが、そういえば、と切り出す。
「エレノラは春から学園に入るんですね?」
「うん。ナギに結婚してって言ったら成人してから出直せって言われたから、せっかくだから18まで勉強しようかと」
「あなたね」
「え?オレのせい?」
「まあ、結婚のことはこの際置いておきますが、何を勉強するんです?」
「一応魔法科に籍を置くけど、勉強内容は主に軍務と政務。あとは今まで通りの仕事に加えて、図書館の禁書管理」
「物騒なものが加わったわね」
「そういえば、リュディも入学させるんですね?」
「まあ、少しは他の子たちと触れ合う機会がいる間って思ってな。募集年齢は13~18までで入学試験合格必須。在学期間は2~4年ってとこかな」
「卒業生は全部うちで雇うの?」
「うちの領内どころか、クニス州・ヘルツ州・ヴェルテ州・帝都に推薦出せる準備はしてる」
「とんでもないわね」
「ペーニッツ州はエッゲルト公に打診してる最中だけど、たぶんいけるだろう」
「そうなってくるとエメリヒ州とトレンメル州も抱き込んでしまいたいところですね」
「まあ、その二つならたぶんこっちがそれなりの成果を出せれば了承してくれると思う」
「西側は難しいですか?」
「州都の公爵家だけなら話は通せると思うんだが、何しろあっち側は老害が多くてな」
「まあ、しばらくは放置ですね」
領主のくせに、街にはいれば平然と徒歩で自らの邸宅まで歩くナギたち。
どこの領主にとっても異端であるが、街の内部に入ってしまえば領民全体が眼であり、盾であるような状態なのが今のエストールだ。
良く街をふらふらしているせいか、組織としての末端の子供ですらナギの顔は良く知っているし、その親たちがほぼ確実に何かしらの恩を受けてこの街にいるため、教育も行き届いている。そもそも、ナギが試しに作った菓子やらなんやらを子供にやったり、一緒になって遊んでいたりするせいで、若干舐められている節はあるが、一応は貴族なのでそのあたりの教育は徹底的に行っている。
そのため、以前宰相が視察に来た際は、子供ですらきちんと頭を下げて、畏まった口調で視察中の宰相ファミリーに挨拶をするという中々に特殊な事態になっていた。
今日この日も、帰宅中にふらりとどこかの商人がナギに近づこうとした、その瞬間に、領民たちはわざとらしく挨拶をし、ナギの気を引き、別の者が領軍に通報。その間に、シャノンが視線を送り、何者かが一瞬で商人の意識を奪い、路地裏に引きずり込み、駆け付けた紫色のラインの入った制服を着た隊員が回収していった。
「何もここまでしろとは言ってない」
「いいじゃない、恨まれるよりは」
「領民に恨まれてる領主は領主じゃねぇよ」
「何とも言い難い言葉ね」
「貴族は恨まれるのが仕事だ、と父が言ってた気がする」
「まあ、その結果があれだよな」
「なるほど」
「エレノラ、あなた、自分の父親に容赦ないわね」
「基本的に嫌いだし、もう縁は切った」
「まあ、そうだけどよ……」
グダグダと話しながら、領主館まで歩く。
途中、シャノンは政務館に向かうために分かれ、諸々の手続きの為エレノラもそれに同行したが、ひとまず無事全員での帰宅だ。
早速出迎えてきたのがルイテル。自分の家かのように領主館でくつろいでいる。
「やあ、お帰り」
「ただいま。何か変わったことあった?」
「あったあった。ダンツィから馬鹿が攻めてきたよ」
「まじかよ」
「で、どうなったの?」
クレハの問いにルイテルが笑いながら答える。
「いや、そもそもフェッツに入る前に全部パウル子爵が追い返してくれたよ」
「ええ……何しに来たんすか……」
「まあ、とりあえず代理で礼状とかは出しておいたけど、ナギもなんか送っておいてね」
「それは了解。で、結局のところどうなったんだ?」
「もちろんそんなふざけた真似したんだから、ディースブルグ候に報告上げたし、弟あてに文も送った」
「流石だぜ」
「それで、ディースブルグ候から制裁が入って、領民をほぼ全員ディンガーに引き上げられたみたいだね。それで税は倍納めるらしいから、来年には一族とその一派全員首吊るんじゃないかな」
「まあ、あそこの普通の領民は100%被害者だから妥当な判断だよな。州を治めるディースブルグ候としては自分の民が不当に扱われているのに近いし」
「なんか結構喚いてたみたいだけど、どんな州知事でも州内の発展への協力とダンツィの2000万倍の生産力を持ってるうちの領を優先するのは当たり前だよね」
「うちの領地そんなに稼いでたか?」
「まあ、それなりだよ。今は、作らないといけないものが多くて結構投資に消えてるけど、ほぼ借金なしで街創ってるのはここぐらいさ。そもそもダンツィの生産力が無に等しいってのあるかもだけど」
「言われてみればそうだな」
「というか、錬金術が反則なのよね。鉄筋コンクリートの建物とか一瞬で作られると、もうね」
「なんでクレハはこっちをディスってくんの?まあ、ディースブルグ候とパウル子爵にはお礼を贈らないと……まあ、ちょちょっと行って街区の整備とかでも全然かまわないんだけど」
「あ、それいいね。でもそれ許されるのは基本自分の領内だけなんだよね。職人の仕事奪うから」
「だよな」
「無難に食べ物とかでいいんじゃない?」
「そんなんでいいのか?」
「パウル子爵はまだしも、ディースブルグ候は当たり前の仕事をしただけだから、あまり過剰にするとよくないよね。まあ、パウル子爵も自分の領地素通り、もしくは街に被害出そうだったから叩くのは当然ともいえるし」
「言われてみれば……まあ、なんか考えとくよ」
「よろしく頼むよ」