漆
それから十分――いやニ十分ほど右へ左へ、記憶を頼りに坂を上ったり下ったりで歩いていると、昔目印にしてた大木に行き着いた。
樹齢何年? 何十年かな、正確にはわからないけどここは大木と簡単な一言で済ますとする。
この大木には矢印を刻んでいたがまだ残ってるかな。
俺の目線から手を当てて下へ下へと手を下ろしていくと凹みを感じた。
尖った石で昔に掘った矢印だ。
矢印は右側を指しており、このような場面のたびに昔の思い出を回収している気分になる。
「これだよこれ、あと少しだ」
「待って」
時間の焦りもあって早く速くと足を進めようとしたが姫子の声で足を止めた。
「栄子、背負って」
「は? マジ?」
「マジ」
「あいつは?」
「あいつには道案内に集中して欲しいから」
何について話し合ってるのだろう、背中に届く声が気になって俺は振り向いてみた。
「よいしょっと。……軽っ! 何食ってるんだよこいつ」
「け、健康食……」
そこには栄子さんに背負われている奏、目はやや虚ろな気がする。
「奏! 大丈夫か!?」
「見りゃわかんだろ。さっさと行け」
そ、そうですね栄子さん、すみませんでした……。
にしても栄子さんの言うとおり奏の運動機能が低下してきている。
限界だと思ったら連絡すべきか……?
俺は足を止めた。
ポケットには携帯電話が入っている、この状況なら奏の阻止も無いし連絡するのは簡単だ。
その時、
「行こう?」
姫子は俺の服を引っ張って、そう一言呟いた。
表情は不安そのもの、お互いが頭の中に漂っている不安もおそらく一致しているはず。
それでも姫子は行こうと言った、彼女の覚悟、俺はそれを間近で感じて頷き……足を進めた。
もうすっかり日が暮れて森の中にいる俺の目の前はもはや懐中電灯の光で照らすのは難しい。
薄暗くも足元を確認して思い出の染み付いた体に従って道を外れぬよう慎重に前へ前へと進んだ。
高低差もそれほどなくなってきたあたりから丘に近づいてきてるのが解る。
「思い出してきた」
姫子は懐かしんで近くの木に触れながら足を進めていた。
「いつもお前は途中で川がある方向に進んでたよな」
俺も、こうして一緒に歩いていると昔の記憶がどんどん溢れるように思い出してきてる。
「でも師匠が道案内してくれたおかげで川に行かずに済んだ」
師匠って言うなや。
「あの丘、昔のままだったらいいな」
「そうね」
「ついたら何する?」
「さあ、考えてない」
「俺の作ったベンチまだあるかな」
「もう壊れたんじゃない?」
そんな酷い予想しないで。
といっても解らなくも無いがな。
あれから何年も月日が経ちすぎた、積み重なった年月はあの丘をどう変化させたかは定かではないが記憶のまま残っているっていうのはありえないだろう。
もしかしたらすっかり無くなってるなんて事も考えられる。
「まだつかねえのかあ……?」
歩数を重ねるだけ重ねた良い時間、栄子さんが弱音を絡めた弱々しい声で俺達に問いかける。
「そろそろ着きますよ」
「さっきからそればっかじゃねえか!」
そう、この会話も実に四回目。
暗いおかげで進行が遅れているのと、体感であとどれくらいの距離で着くかというのも見誤っているおかげで、そろそろという言葉を使って対応していた。
でも、だ。
そろそろ着く。
それは確実に、そろそろな距離だと体が確信している。
少しだけ、少しだけ足を早めた。
懐中電灯で少し先を照らしてみると光は木々にぶつからなくなったからだ。
木々が減っている、これはもう木々の生えていない丘がすぐそこにあるという意味。
一歩一歩踏み出すたびに、着実に近づくその距離。
心臓の鼓動が徐々に高まっていく。
もう目と鼻の先、俺は足を止めて後ろを向いて三人に一瞬だけ視線を送って、やや大股で一歩を踏み出した。
その先は、伸びた草が一本も無く靴から伝わったのは石が多めでかなりごつごつとした感触。
「着いた?」
「ああ、着いた」
「くっそ疲れたんだけど、こいつ早くおろしていい?」
着いたには着いたが、記憶の中では芝生みたいな草が生い茂っていたはずではあるが、地面を照らしてみると草はほとんど生えてない。
雑草がちらほらとあるくらいだ。
「ねえ……あれ」
姫子が何かを見て指差した。
その先には大きな影、何かがそこにはあった。
近づいてみて、懐中電灯を当ててようやく把握する。
「土……? いや、石や岩も……」
大量の土砂だ、他の場所には木材がいくつも積み重なっていたりで昔の面影がまったく無い。
「かっ、だろうと思った」
栄子さんはあたりを見回して言葉を投げる。
「だろうって……?」
「住宅地拡大の話くらい聞いた事あるだろ、場所があれば資材置き場にするか住宅地にする準備で土をいじるのは当然の話ってこった。そのうちここら一体も住宅地に変えるんじゃねえの?」
姫子は栄子さんの言葉を止めず、反論もしなかった。
何も言わず、空を仰いだ後に地面へ視線を落とす。
「わっ、ちょ、おい! 下ろすから、解ったから下手に動くな!」
奏がどうやら下りたそうに動いたらしい。
栄子さんは奏を下ろして一安心と、溜め息、ついでに煙草。
覚束無い足取りなので俺は駆け寄って手を引いて一緒に歩く。
奏にこんな風景を見せるべきか、悩んだけど俺は奏の傍へ寄って懐中電灯であたりを照らした。
隠しても仕方が無い。
「無くなっちゃった」
「無くなっちゃったな」
俺が作ったベンチは、元々あった場所を照らすと土砂の山。
疲れたからベンチが残ってたら座ろうかと思ってたので残念だ。
もはや思い出を回収できるような光景は何一つ無い。
「匂いも消えちゃった」
「消えちゃったな……」
森を抜けたら森の香りなど一蹴する一方的な土の匂い、鼻腔は特に否定しない匂いではあるが森の香りがここには無いのが悲しくなる。
木々を伐採せず木材や土砂の置き場としてはこの丘が最適だったようだが、だからといってここの環境を崩してしまうなんて、酷い。
「でも、来てよかった」
奏の瞳からは涙が流れ、頬を伝っていた。
「ここに、貴方と、姫子といけて、よかった」
栄子さんが後ろで「あたしにも感謝しろよ」って言ってるけどここは流すとする。
「多分、ここがどうなっていても、よかったんだと思う」
「というと……?」
「皆でここに向かう、それが大切だったの。だから、心は満たされてる」
それならよかった、俺も嬉しくなるな。
姫子はそっと奏を背中から抱きついて、肩を震わせていた。
姫子の手にそっと奏は触れて、薄らと笑みを浮かべる。
「予想はしてたけど、やっぱりここか」
ふとその時、森とは逆の方向から声がして二つの影が近づいてきた。
栄子さんは慌てて煙草を隠してあたりに漂っている匂いを手で扇いで証拠隠滅。
暗くてよく見えない、懐中電灯を当ててみるとする。
「ちょ、まぶしっ」
「浩太? 隣は宗助? でもどうして……」
意外な組み合わせ、昔は普通な光景ではあったが。
「宗助がいきなり来て思い出の場所憶えてるかって聞かれてね、親父には無理行って二人でここに向かったわけなんだよ」
俺に電話しても繋がらない、思い出の場所をはっきりと憶えていそうな人をと思い当たった人物が浩太だったようだ。
でも後から来た割りには意外と早く来れたな。
それに森から出てこないで別な方向から来たのは森の中を通るよりも簡単な道でもあったのかな。
「帰りは森より俺達が来た方から帰ろう、工事関係者のために作られた道があるんだよ」
「そうだったんだ……」
帰りは楽そう。
「奏、帰ろう」
「もう少し、だけ」
「駄目だよ、皆心配してるんだ、迎えも来る」
「ちょっとだけよ」
「……こら」
「……ごめん」
なんか和むやりとり。
危機を感じたのか、奏は俺の後ろに。
ついでに姫子も一緒に後ろへ来てしまったじゃないか。
「宗助、あのさ……」
「何も言わなくても解ってるよ、奏が行きたいって言って師匠を連れ出したんでしょ?」
細かいところを付け加えるなら姫子の懇願もあったり。
「「申し訳ない」」
後ろから二人で声を揃えての謝罪。
ふと後ろを見てみたが栄子さんの姿が無い、面倒事を嫌って逃げたかな……?
「ほら、帰ろう?」
宗助が手を差し出す。
しかしすぐに奏はその手を握ろうとはせず、俺の背中に言葉を流す。
「今日は、ありがとう……」
「こちらこそ、ありがとよ。また皆揃ってここにいるのはお前のおかげだよ」
昔の仲間達が今ここに集っている。
そりゃあ年月がこの思い出の場所をすっかりと変えてしまったけど、それでも皆揃ってここにいられてるだけで満足だ。
「よし、皆で一緒に帰ろうか」
浩太の提案に全員賛成。
肩を並べて、近いほうの帰り道へと足を進めた。




