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18/23

参

 実はさ、お前の親父さんと話したんだよね。

 言うとするならこんな台詞、ではあるが清次さんと会って色々と話をしたのを姫子に話すべきかと溜め息をつきながら考える日が何日か続いた。

 少しだけでも話しておけば清次さんへの蟠りは雲散の一歩を踏み出すのではないか、なんて。

 それにしても姫子は相変わらずだ、何か変わったとすればバイトの時間が最近は昼間が多くなったので家に帰るとすれ違いであいつが家を出るような日が減ったくらい。

 何でも最近バイトがまた一人増えたらしくて、希望した時間帯が夕方からだったので姫子は昼から夕方までにバイト時間が変更になったらしい。

 新人が慣れるまでは夕方にちょくちょく補助としてバイトが入る事もあるのでそのうち夕方にはいつもバイトを終えた姫子がいる生活になるのではないだろうか。

 そうなったとして、どうだという?

 もしかして今俺はちょっと嬉しいとか思った? いやまさか、そんなわけがない。

 けど家に帰って誰かがいるっていうのは、悪くない。

 それだけ、それだけだ。

 だから玄関の扉を開けて、靴を脱ぎ、居間へと向かい、テレビの音と笑い声が聞こえる方へと足を進めるやソファの前、覗き込むと横になってポテチを頬張っているジャージ姿の姫子を見て肺に入った酸素全てを吐き出すほどの溜め息をついて、それだけ、それだけだ――と、再び頭の中で呟いた。

 最近の姫子はやけにだらけている、不自然なほどに。

 まるで俺にこうしてだらけているので動きませんとアピールしているかのような、絶対に奏の事を考えてるはずなのに何も行動を起こさないのが妙だ。

 写真を撮って俺に渡してもらって終わり? まさかな。

「ただいま」

「おかえりちゃん」

 素っ気無い声、こっちを見向きもしてくれない。

 まったく、そのポテチは俺が買って隠しておいたものなのにどうしてすぐ見つけてしかも了解も得ずに食べてしまうんだお前は。

 台所に行けばまな板の上に包丁が置いてあり、皮むきもしてないにんじんが縦に刺さったままになっていた。

「これ、何?」

「……え、あっ」

 片付け忘れた、そんな顔で姫子は俺を見て視線が交差するや即座に逸らした。

 近くのゴミ箱を見てみると冷凍炒飯の袋、テーブルには皿とスプーン、それにコップが置いたままという状況から彼女の説明を聞く前に答えは出ていた。

 料理に挑戦しようとしたがどう作っていいかも解らずにとりあえずにんじんに手を出したものの、他にもいいものがあるんじゃないかと冷蔵庫を開けたら冷凍炒飯が目に付いてそれを食べて満足。

 とはいえ冷凍炒飯は量が意外と少ない、そこで俺が隠しておいたポテチを見つけて現在テレビを見ながらポテチを食べている、大体そんな流れだったに違いない。

「せめて片付けて欲しかったな」

「す、すまなんだ」

 すまなんだって何なんだ。

「ほら、片付けて」

「ポテチ食べ終えてから……」

「打撃を与えていい?」

「か、片付けるわ」

 しなやかな身のこなしで即座に片付けてくれるのはいいが言われなくても自分からすすんでやって欲しいな。

 一旦服を着替えて次に俺は脱衣所へ。

 ここには洗濯機があり、洗い物も本来ならば二人分だが今は三人分。

 女性ものの下着はなんとも……こう、洗濯機へ放り込むだけの作業とはいえ抵抗がある。

「私のは自分でやるから!」

「了解、洗濯機には触るなよ。絶対だぞ、絶対だからな?」

「振り?」

「振りじゃねーよ」

 どうしてこれほど念入りに言うのかというと、以前に姫子は自分の洗濯物は自分でやると言って洗濯機を使ったら洗濯機からありえないくらいの泡を出して洗い物を泡まみれにした事がある。

 それで解ったのだが、こいつは説明書を読まないタイプだ。

 どうして洗濯機がこうなったのかと聞いたところ、洗剤を丸々全部入れて泡立ててからふたを閉めてスイッチというスイッチを片っ端から押したとか言っていたから無闇に機械には触らせたくない。

 でもどうしてパソコンだけは俺よりも出来るのやら。

 デジカメもパソコンの知識の延長なのか、写真をプリントするのをいともたやすく出来たのだからもう少し知識の幅を生活必需品まで広げて欲しい。

 洗濯の役割は姫子が自分の洗濯物を洗濯機に投げ入れ、俺が洗剤を入れてボタンを押す。

 洗い終わればあとは姫子が自分でやるが最初の作業、本来は二人も必要ない。

「あんたのは一緒に洗っちゃ駄目だからね! 絶対よ!」

「振り?」

「振りじゃないわよ!」

 女は男物と一緒に自分の下着を洗われるのは嫌らしく、毎回確認してくる。

 俺が自分の洗濯物を入れないのを見届けてから姫子は安心して居間へ行き、俺は自分の洗濯物をかごに入れていた。

 その時、僅かだが妙な音がした。

 洗い忘れてた上着、その上着のポケットに何か入ってるようで固さを感じさせる音はこのまま洗うのはよろしくない警告音。

 何か入れたままにしてたようだが、何を入れていたのかは思い出せず、ポケットの中に手を入れてみても、何なのか解らず取り出してからようやく思い出した。

「USBメモリ……」

 いつだったか、奏から貰ったものだ。

 中には何が入ってるんだろうな、ちょっと気になる。

 居間へ戻って俺はパソコンを見る、おそらく姫子が起動させたようでつけっぱなし。電気代はうちが払うんだから少しは節約っていうものを意識して欲しい。

 彼女はソファで横になったままで今はパソコンを使わないようなので着席して、USBメモリを挿し込んでみた。

「何それ」

「USBメモリ」

 これくらい知ってるんだぜ、なんてちょっと得意げに言ってみる。

「それくらい知ってるわよカス」

 ……カスって言われた。

 女の子にカスって言われたのは初めてだ、貴重な体験ですよねこれ。

 それも眉間はハの字に、目はやや大きめに開いて完全に人を見下す視線で。

「あんたがなんでそんなものを持っていてそれは中に何が入っているのか、どこでそれを手に入れたのか、どうして今中を見ようとしたのかくらいすぐに答えなさいよ」

「出来るか!」

「それで、パソコンの操作は出来るの?」

「あ、それは出来る」

 マイコンピュータをクリックして、USBメモリがあるからそれをクリック、操作といってもマウスを軽く動かして人差し指で二回叩くだけだ。

 出てきたのはいくつかのファイル。

 資料、患者リスト、症状についての考察など、どれも開いてはいけない気がしてならない。

「これ、どこで手に入れたの?」

 起き上がって姫子は俺の後ろに。

 ちょっと寄りかかり気味で若干重い。

「か、奏から貰った……」

「奏から貰ったと書いて、落ちてたのを拾ったぜグヒヒ、若しくは偉そうな人から盗んだぜグヒヒって読むの?」

「違う、しかもなんでそんな笑い方なんだよ!」

 グヒヒって笑う奴は探してもそうそう見つからないぞ、これまでの人生を思い返してみるも生まれてこの方そのような笑い方をする奴とは未だに会った事が無い。

「ねえ、これ見て」

 中身は俺が見ていいものでは無いと、マウスを動かしたその時に姫子の指が画面へと伸びる。

「風間浦……奏?」

 彼女の名前がついたファイルは右下にあり、それほど注意して見てなかったので気がつかなかった。

「見ていいのかな」

「見ていいと思うお」

 語尾に“お”とか付けて言うのはやめて欲しいお。

「何か面倒な事になったらこいつが勝手にやった事です、私は何も知りませんでした、それに何も見てもいませんって言うけど」

「蜥蜴の尻尾切りか!」

「ええ、そう」

「認めないで!」

 不敵な笑みを浮かべて彼女は俺の肩に顎を乗せた。

 呼吸する度に僅かに揺らぐ空気が衣服から、便乗するかのように温もりも伝わり始めて心臓の鼓動が少しだけ駆け足へ。

「多分これ私知ってる」

「知ってる?」

「ええ、知ってるわ。多分は撤回してもいいくらいに多分知ってる」

 この風間浦奏という名前のついたファイルを彼女は限りなく心当たりがある、と捉えていいんだと思う、多分。

 唐突に姫子は俺の手に手を重ねた。

「わわっ、な、何?」

「ちょっと貸して」

 そう言うので俺の手ごと貸してやった。

 画面に映るマウスポインタがゆっくりと俺達の手と連動して動き、人差し指を叩かれるとマウスポインタも反応してファイルが開かれる。

 そこにはびっしりと文字が並んでおり、本はあまり読まない俺にとってこの光景は辛い。

「ああ、やっぱり」

「やっぱり?」

「やと、小さいつと、ぱと、りよ」

 一文字一文字丁寧に言われなくても聞き逃すはずも無くさっき言ったのがやっぱりというのは解る、何故にやっぱりと言ったのかを俺は知りたいわけでよければ教えて欲しいんだが。

「全部読んで」

 姫子は既にこの大量の文字を既読済みらしい、確認せずともそんな口振りだ。

 俺は苦いものを口に放り込まれたかのような顔をするや、姫子は俺の頬を抓り始めた。

「痛いんだけど」

「じゃあ読め、朗読でね」

「なんで朗読なんだよ」

「あんたがちゃんと読んでるかを確認するため」

 そうですかい。

 目が痛くなるこの文字、行数、読み終えるには中々の時間を消費しそうだ。

 姫子は読む必要無しとすぐにソファへ向かい横になってはテレビを見始めた、声はここまで聞こえるようにちゃんと朗読しろよ、そんな雰囲気を纏いながら。

 雰囲気に従って俺は朗読し始めた、特に面白みも無い朗読だ。

 途中途中で、

「そこはもういいから次の行に飛ばして」

 など読んでいると姫子から度々指令が下るので言うとおりにする。

 読んでいるうちに解った事があった。

「幼少期に階段からの転落によって意識が戻らなかったその数日間で彼女の精神に変化が……起きた?」

「完全にそれらは二つに分かれるが二重人格と少し違うのは、一方の人格が得た記憶をもう風間浦奏本人の人格が受け取ってしまうので、一方の人格は記憶力が弱い」

 全て暗記しているかのような、いいや……姫子は暗記しているからこそ俺が次に言おうとした文章を先に言ってみせた。

 その記憶力には驚かされたね、一語一句間違いが無かったのだから。 

「さらに問題なのは、ほら、続き読みなさい」

「あ、ああ。えっと、さらに問題なのは……風間浦奏本人の人格は表へ出てくる頻度も減っており、人格自体が徐々に消え始めてい……る?」

 思わず俺は姫子へと視線を向けた。

「私を見てもその行、その文字、その事実は変わらないわよ」

 そりゃあそうだけど……。

「精神面がお互いに負担を与えているものと思われる、人格が消えるまでの時間は不明だが、退院する頃には完全に消えると予想する……」

 説明を付け加えて姫子は溜め息で締めた。

 再び俺は画面へと視線を戻した。

 この行数だ、もしかしたら読んでいるうちに実は奏の人格は消えませんでしたとか、そういうのが書かれてるかもしれない。

「読んでも無駄無駄、その後は入院中のカウンセリングとか、多くの医者が治療を試みたけど無理でしたーみたいなのしか書いてないから」

 出鼻を挫かれて、結局俺は一行読んでそれ以降、読むのを止めた。

 目を痛くしながら文字をなぞっていくより姫子に聞いたほうが早い。

「奏はその、あれか? 二重人格だけど、二重人格とはちょっと違うみたいな?」

「馬鹿っぽい台詞ね、簡単に言うとそうよ」

 馬鹿っぽいと言われると悲しい。

「やけに明るい奏は、奏が作った奏で、その奏はいつも表にいて裏に引っ込んでる奏は奏が記憶したものを受け取ってるから記憶力の乏しい奏が出来上がってるわけ」

 今何回奏って言ったんだろう、それにちょっとややこしいから区別して欲しいな。

「思い返せば……いつもとは雰囲気が違う時があった、かも」

 最後に病室で話した奏は特に、だ。

「かももねぎもない、それは確かに本当の奏よ」

「退院までには消えるって事はあと二週間くらいか……」

「そうよ、それにもう一つの人格も消えないとは限らない。不安定らしいの」

「思ったより、やばい?」

「ちょーやばい」

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