第3章ー⑫ 鉄の狩人
前回の続きです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
男が地面に転がり、足首を押さえて呻くその姿を前にしても、ロゼッタの剣先はすぐには下がらなかった。
刃は微かに震え、呼吸は荒く、胸の奥ではまだ熱が燻っている。
――殺せ。
――今だ。
――立ち上がる前に、首を落とせ。
闘技場の記憶が、濁流のように頭の中へ逆流してくる。
砂に染み込んだ血の匂い、観客の怒号、勝者だけが許される息遣い。
負ければ終わり、躊躇すれば死ぬ。
それが、剣闘士として刷り込まれた“正解”だった。
ドクン……ドクン……
心臓が強く打つたびに、視界の端が揺れる。
倒れた男の喉元が、妙に鮮明に見えた。
(……違う)
ロゼッタは、歯を噛みしめる。
頭の中で、別の声を必死に呼び起こす。
――選べ。
――その時、その時で、自分が何者かを。
バルカの声。
低く、重く、逃げ場のない言葉。
(私は……)
剣を握る指に、力が入る。
一歩、前に出そうになる身体を、無理やり止める。
(私は、剣闘士じゃない)
男が、血に濡れた顔でロゼッタを見上げる。
恐怖と憎悪が入り混じった目。
「……やれよ……」
「同類なんだろ……?」
その言葉が、最後の引き金になりかける。
ザワッ……
背後で、戦場の音が戻り始める。
斧が唸り、銃声が弾け、怒号が交錯する。
だがロゼッタの耳には、ほとんど届いていない。
――殺せ。
――それが、楽だ。
――それが、慣れている。
(……違うッ!!)
ロゼッタは、はっきりと首を振った。
剣先を、ゆっくりと下げる。
「私は……ハンターだ」
声は震えていたが、言葉は揺れなかった。
「裁くのは、私じゃない」
剣闘士なら、ここで終わらせる。
観客はいないが、勝利は確実だ。
だが――
「生かすか、捕らえるか、
それを決めるのは……」
ロゼッタは、胸元に下げたギルドの徽章を、無意識に握りしめる。
「ハンターギルドだ」
その瞬間、頭の中で何かが、音を立てて外れた。
血の記憶が、少しずつ後退していく。
――殺せ。
――殺せ。
まだ聞こえる。
だが、それはもう“命令”ではない。
(……聞こえるだけだ)
ロゼッタは、深く息を吸い、吐いた。
刃の震えが、ゆっくりと収まっていく。
倒れた男は、信じられないものを見るように目を見開いた。
「……なぜだ……」
ロゼッタは答えない。
ただ、剣を構え直し、距離を保つ。
その背後から、重い足音が近づく。
斧を肩に担いだグレンが、血と土を踏みしめて現れた。
状況を一目で把握し、短く頷く。
「……生け捕り、だな」
ロゼッタは、静かに頷いた。
その瞬間、胸の奥に、奇妙な感覚が広がる。
怖さと同時に、確かな安堵。
(……私は、選べた)
闘技場では、選択肢はなかった。
だが今は違う。
ロゼッタ・スカーレットは、剣を振るう理由を、
自分で決められる場所に立っている。
血の匂いの中で、
彼女は初めて、ハンターとしての一歩を、確かに踏みしめていた。
ーロゼッタがハンターとしての選択をした後
逃げ腰になった無法者たちが、戦場の端で一斉に動いた。
視線を交わすこともなく、互いの背中を押し合うようにして、崩れかけた建物の隙間――外へと続く出口へ向かって走り出す。
「かなわねぇ、おい逃げるぞ!」
誰かの叫びが上がった瞬間、ロゼッタの身体が反射的に前へ出た。
剣を握り直し、地面を蹴る。
“逃がすな”――闘技場の本能が、即座に判断を下す。
だが。
「――待て」
低く、腹に響く声が背後から落ちた。
同時に、ガシッと肩を掴まれる。
振り返ると、そこにはグレンがいた。
斧を片手に持ったまま、微動だにせず立っている。
「追うな」
短い言葉だった。
だが、命令ではない。
“経験”そのものが、そこにあった。
「でも……逃げます!」
ロゼッタの声は切迫していた。
逃げられれば、またどこかで被害が出る。
それが分かっているからこそ、足が前へ出ようとする。
グレンは、ロゼッタを見下ろし、ほんのわずかに口角を上げた。
「いいから、見てろ」
その視線が、出口の方へ向けられる。
無法者たちは、瓦礫を踏み越え、外光の差し込む出口へ雪崩れ込んでいく。
安堵と焦りが入り混じった表情。
生き延びたという確信が、背中に滲んでいた。
――その瞬間。
ゴォォォ……!!
地鳴りのような重低音が、空気を震わせた。
ロゼッタは、思わず息を呑む。
出口の外。
そこに、大型の装甲車両が横付けされていた。
分厚い装甲板、剥き出しのサスペンション、そして――
車体側面から突き出した、異様な存在感を放つ重火器。
次の瞬間。
ドガガガガガガガッ!!
轟音が炸裂する。
空気が引き裂かれ、土と瓦礫が吹き飛び、出口一帯が一瞬で地獄に変わった。
逃げ出した無法者たちは、悲鳴を上げる暇すらない。
”弾幕” という言葉の意味を、自らの体を持って体現する。
ズドン! ズドン!
榴弾が壁を吹き飛ばし、
**バーン!**と金属音を立てて、遮蔽物ごと破壊する。
人が、物のように吹き飛ぶ。
申し訳程度の装備などこれらの前には無意味だった。
身体、あるいは一部が宙を舞い、地面に叩きつけられ、動かなくなる。
ロゼッタは、その光景から目を離せなかった。
(……これが……)
剣ではない。
技でもない。
ただ純粋な ”力” がそこにあった。
「これが……車を持つ、ハンター…… 《鉄の狩人》 」
闘技場で、どれだけ強くなっても、
こんな“力”は存在しなかった。
戦いそのものを、成立させない火力。
ロゼッタの喉が、無意識に鳴る。
「……すごい……」
呆然と呟いた声は、爆音にかき消されそうだった。
グレンは、その様子を横目で確認しながら、斧を肩に担ぎ直す。
「これが、ギルドの“本気”だ」
淡々とした口調。
誇示も、慢心もない。
「逃げ道を用意して、
そこを叩く。
追いかけて切るより、よっぽど確実だろ?」
ロゼッタは、ゆっくりと頷いた。
(……私が、追いかけようとしたのは)
剣闘士の発想だ。
目の前の相手を倒すことしか、考えていなかった。
だが、ハンターは違う。
(戦い方そのものを、選ぶ……)
爆煙の向こうで、装甲車両のエンジン音が低く唸る。
仲間のハンターたちが、無線で淡々と状況を確認し合っている。
個の強さではなく、
装備と連携と判断。
ロゼッタは、胸の奥で何かが静かに書き換わっていくのを感じていた。
(……まだ、知らないことだらけだ)
剣を握る手に、力を込め直す。
だがその力は、先ほどまでの衝動的なものではない。
“次は、どう動くべきか”を考える力。
ロゼッタ・スカーレットは、
この瞬間、剣だけでは届かない世界を――
ハンターという生き方の、現実を、はっきりと目の当たりにしていた。
続く
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