第2章ー㉙ ハンターギルド登録 旅立ちの時
前回の続きです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
ハンターギルドの建物の中は、昼が近づくにつれて人の気配が濃くなり、朝の静けさはすっかり飲み込まれていた。
鎧の金属音、依頼書を剥がす紙の擦れる音、笑い声と罵声が混ざり合い、ここが「生き残った者たちの場所」なのだと否応なく感じさせる。
ロゼッタは、その喧騒の中に立ちながら、自分がきちんと装備を身につけていることを何度も確かめるように、胸元や腰の留め具に触れていた。
αチームが選び、直し、サイズを合わせてくれた装備は、どれも少しだけ重く、そして驚くほど安心感があった。
「……ここで、登録ですよね」
声は小さいが、以前より震えていない。
バルカは頷き、短く答える。
「ここから先は、お前の足で歩く場所だ」
その言い方が、どこか区切りを含んでいることを、ロゼッタは感じ取った。
だが、今はそれを問い返す勇気はなかった。
受付で渡された書類を前に、ロゼッタは再びペンを握る。
前回よりも、指先の力は抜けていた。
「名前を」
受付の女性の声に、ロゼッタは一度だけ目を閉じる。
(……私は)
その一言で、ロゼッタの手が止まる。
今まで名乗る必要などなかった。
番号で、役割で、価値で呼ばれてきた。
だが、ペン先を見つめているうちに、ふいに思い出す。
赤い砂、血の匂い、歓声の渦。
誰かが叫んでいた、あの名。
「……ロゼッタ」
ペン先が、紙に触れる。
「ロゼッタ・スカーレット」
書き終えた瞬間、胸の奥に、はっきりとした輪郭が生まれた気がした。
自分が“誰なのか”を、初めて世界に告げた感覚。
その名を耳にしたαチームの反応は、それぞれ違った。
ベルベットは目を細め、意外そうに笑う。
モヒカンは小さく息を吸い、何か言いかけてやめた。
ドグは短く口笛を吹く。
そしてバルカだけが、何も言わずに、ただその名を心の中で繰り返していた。
「ハンターランクは最低からよ」
受付の女性の言葉に、ロゼッタは迷いなく頷く。
「はい。……大丈夫です」
“最低”という言葉が、以前なら怖かっただろう。
だが今は、それが「始まり」を意味していると分かっていた。
写真撮影は、やはりうまくいかなかった。
背筋を伸ばしすぎて、表情は硬く、視線は真剣すぎる。
「……そんなに戦う顔しなくていいのよ」
そう言われても、ロゼッタはどうしていいか分からず、結果としてぎこちない一枚が出来上がった。
写真を覗き込んだベルベットが肩を揺らす。
「新人丸出しだな」
「……新人、ですから」
その返しがあまりに素直で、今度はドグまで笑った。
登録証を受け取ったロゼッタは、それを胸の前で両手に挟み、しばらく見つめていた。
自分の名前と、簡素な記号、そして最低ランクを示す印。
「……私」
言いかけて、言葉を探す。
「私、ここに居て……いいんでしょうか」
その問いは、ギルドではなく、αチームに向けられていた。
少しだけ、沈黙が落ちる。
それは答えを迷っている沈黙ではなく、言わなくても分かっていることを、あえて言葉にするための間だった。
バルカが、ゆっくりと口を開く。
「ここは、通過点だ」
ロゼッタの指が、登録証の端をぎゅっと掴む。
「俺たちは、いつまでも隣に立てるわけじゃない」
否定でも、拒絶でもない。
ただの事実。
ベルベットは視線を逸らしながら、軽く肩をすくめる。
「ガキの成長、間近で見すぎるとな。別れが面倒になる」
モヒカンは何も言わず、ロゼッタの頭にそっと手を置いた。
その大きな手は、不器用だが、確かに温かい。
ドグは短く息を吐く。
「でもよ、覚えとけ。助けた借りは返さなくていい。生きてりゃ、それで十分だ」
ロゼッタは、言葉が詰まって、すぐには返事ができなかった。
胸がいっぱいで、喉が熱い。
それでも、はっきりと顔を上げる。
「……はい」
声は震えていたが、逃げなかった。
「ロゼッタ・スカーレットは……生きます」
その宣言に、バルカはわずかに口角を上げる。
「それでいい」
ギルドの入口から差し込む光の中で、
ロゼッタは一歩、前に出た。
振り返れば、まだそこにαチームはいる。
だが、同じ場所には、もう立っていない。
この別れは、終わりではない。
それぞれが、それぞれの道を歩き出すための、静かな分岐点だった。
そして同時に——
誰かに守られるだけの存在では、もうなかった。
ロゼッタ・スカーレット。
最低ランクの、新米ハンター。
ぎこちない写真と、借り物ではない名前。
そしてその背中を見送るαチームは、
この先、彼女が自分たちの手を離れていくことを、
もう疑っていなかった。
別れは、まだ言葉にならない。
だが確かに、
この日、この場所で、始まっていた。
第2章ー最終話へ続く
次回で第2章最終話です。お付き合いお願いします
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