第2章ー㉘ 初めてのおつかい
前回の続きです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
朝の街は、まだ完全に目を覚ましていないようで、石畳の上に落ちる光もどこか遠慮がちで、ロゼッタはその静けさの中を小さな足音を立てながら歩いていた。
胸の前で紙袋を抱える仕草が少し大げさなのは、中身を守るためでもあり、同時に不安を抑えるためでもあった。
「……おつかい」
自分に言い聞かせるように、小さくつぶやく。
闘技場で名前を呼ばれる時とも、帝国施設で番号を告げられる時とも違う、柔らかくて、少しだけくすぐったい言葉だった。
最初の露店が見えてきた瞬間、ロゼッタの背筋がぴんと伸びる。
金属部品を吊るした簡素な屋台、その向こうで、白髪交じりの商人が欠伸を噛み殺していた。
「……あの」
声をかけると、商人は少し驚いた顔でロゼッタを見る。
視線はまず彼女の顔に、次に右腕に、そしてもう一度顔に戻った。
「おや、嬢ちゃんかい」
「はい。……これを、ください」
ロゼッタは両手でメモを差し出した。
その動きが妙に丁寧で、まるで大事な証書を渡すようだった。
商人は品を確認し、値段を口にする。
その瞬間、ロゼッタの眉がほんのわずかに寄った。
(……高い)
胸の奥が、きゅっと縮む。
ベルベットの言葉と、バルカの低い声が、同時に頭に浮かんだ。
――迷ったら、表情を使え。
――一拍置いてから、聞け。
ロゼッタは、すぐには答えなかった。
代わりに、商人をじっと見上げる。
少し困ったように、少し申し訳なさそうに、唇をきゅっと結んで、首をほんの少しだけ傾ける。
闘技場では使う必要のなかった、「弱さ」の表情。
「……あの」
声が、少しだけ柔らかくなる。
「もう少し……安く、なりませんか?」
商人は一瞬、言葉を失った。
交渉というより、お願いに近いその言い方と、必死に勇気を振り絞ったような表情が、思った以上に効いたのだ。
「う、うーん……」
ロゼッタは追撃しない。
ただ、両手をぎゅっと握りしめて、じっと待つ。
「……初めて、なんです」
ぽつりと、正直すぎる一言が落ちた。
商人は深く息を吐き、頭を掻いた。
「まったく……しょうがないな」
少し値段を下げて告げられた数字を聞いた瞬間、ロゼッタの顔がぱっと明るくなる。
その変化があまりにも分かりやすくて、商人は思わず笑ってしまった。
「……ありがとうございます!」
深く頭を下げる動きが少しぎこちないのも、また可愛らしい。
通りを進むたびに、ロゼッタは小さな「初めて」を積み重ねていく。
視線を合わせて話すこと、値段を確認すること、怪しいと思ったら引くこと。
ある店では、露骨に高い値をふっかけられ、ロゼッタは困ったように眉を下げ、でも今度は逃げなかった。
「……それは、相場と違います」
声は小さいが、はっきりしている。
商人の目が一瞬、真剣になる。
「詳しいね」
「……教わりました」
誰に、とは言わなかったが、胸の中にはαチームの顔が浮かんでいた。
別の店では、視線を感じて一歩下がり、首を横に振る。
その動きもまだ拙いが、確かに「自分を守る選択」だった。
そして、最後に辿り着いた通りで、ロゼッタは焼き菓子の屋台を見つける。
甘い匂いに、足が勝手に止まる。
(……少しだけ)
紙袋の中身を確認し、残った硬貨を数える。
何度も確認してから、一つだけ買う。
「……ください」
受け取ったそれを、恐る恐る一口かじった瞬間、ロゼッタの目がまん丸になる。
「……あまい……」
声に出してしまってから、慌てて口を押さえる。
だが、その頬は、ほんのり緩んでいた。
拠点に戻ったロゼッタは、少し誇らしげに紙袋を差し出す。
その姿は、朝よりほんの少しだけ背が高く見えた。
「……できました」
バルカは中身を確認し、短く頷く。
「上出来だ」
その一言で、ロゼッタの顔がくしゃっと緩む。
ベルベットは、彼女の持つ小さな包みを見て目を細めた。
「それも成果か?」
「……はい。甘かったです」
照れたように視線を逸らすロゼッタを見て、αチームは確信する。
この少女は、
戦うためだけに生きる存在じゃない。
世界に触れ、迷い、可愛らしく失敗しながら、
それでも前に進いていく。
初めてのおつかいは、
ロゼッタにとって、
**初めて“自分で勝ち取った、ささやかな勝利”**だった。
――そして、その笑顔は、何よりも尊い戦果だった。
第2章ー㉙へ続く
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