第2章ー㉖ 剣を振らない闘い
前回の続きです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
訓練場に選ばれたのは、かつて街の外縁にあった工業区画だった。
今は稼働を止め、半ば崩れた建屋と錆びついた配管、割れたコンクリートの床だけが残り、風が吹くたびに金属が擦れる低い音が鳴る。
空は晴れているのに、視界は悪く、影が多く、どこから何が飛んでくるのかを判断するには不向きな場所だった。
ロゼッタは、剣を手にしたまま立っていた。
構えは自然で、呼吸も整っている。
闘技場で何百回も繰り返してきた「始まる前の身体」だ。
だが、開始の合図と同時に、その感覚は一瞬で崩れた。
乾いた破裂音が空気を切り裂き、次の瞬間、足元の床が砕け散る。
爆ぜた石片が脛に当たり、鋭い痛みが走るより先に、身体が勝手に跳ねた。
反射だった。
闘技場で培われた、「攻撃が来たら前に出る」反応。
だが前に出かけた瞬間、視界の端で別の破裂音が重なった。
空気が震え、音が遅れて追いかけてくる。
弾丸が通過した軌跡だけが、粉塵の中に一瞬、線として残る。
ロゼッタの背筋が凍りついた。
剣で受けられない。
弾くこともできない。
避けるしかないが、どこへ避ければいいのかが分からない。
身体が、勝手に低くなる。
瓦礫の影に滑り込むように身を投げ、息を殺す。
心臓の鼓動が耳の内側で暴れ、外の音が遠くなる。
次の銃声は、さっきより近かった。
遮蔽物だと思っていた壁が砕け、コンクリート片が雨のように降り注ぐ。
安全だと信じた場所が、音を立てて否定される。
ロゼッタは、初めて理解した。
ここでは「場所」は味方ではない。
時間と角度だけが、生存を許す。
呼吸が浅くなり、視界が狭まる。
闘技場では、相手の全身が見えた。
観客席のざわめきも、血の匂いも、すべてが把握できた。
だが今は違う。
敵の姿は見えず、殺意だけが飛んでくる。
それは視線でも感情でもなく、数値と距離で計算された死だった。
瓦礫の影から、ほんのわずかに顔を出した瞬間、銃声が重なる。
反応する前に、弾がそこを通過する。
「見たから撃った」のではない。
出ると予測されて撃たれたのだ。
背中を冷たい汗が伝う。
闘技場では、相手が動いてから反応すればよかった。
だがここでは、動いた時点で遅い。
ロゼッタは、剣を強く握りしめる。
使えない。
使えないことが、これほど心細いとは思わなかった。
音が移動する。
発砲点が変わったのが、空気の揺れで分かる。
床に散らばる小石が、微かに震える。
ロゼッタは、初めて「周囲」を見る。
敵ではなく、地形を見る。
柱の太さ。
壁の欠け方。
弾道が通らない角度。
闘技場では不要だった情報が、今は命そのものだった。
一歩。
次の一歩。
身体を低く保ち、音を立てないように足を運ぶ。
剣は振らず、ただ邪魔にならない位置に固定する。
銃声。
さっきより遠い。
ならば、今の位置は――。
判断が、初めて間に合った。
ロゼッタは、崩れた配管の影へと滑り込み、そこに身を伏せる。
数秒後、さっきまでいた場所が撃ち抜かれ、粉塵が舞い上がる。
遅れて、理解が追いつく。
――あそこにいたら、死んでいた。
膝が震える。
だが、それでも立っている。
剣は振っていない。
敵も倒していない。
それでも、生きている。
銃声が止む。
風の音だけが戻り、金属が軋む音が耳に届く。
ロゼッタは、その場に座り込んだ。
全身が熱く、指先が冷たい。
闘技場での勝利とは、まったく違う感覚だった。
何も成し遂げていないのに、
何かを決定的に学んでしまった感覚。
――強さだけでは、足りない。
――見せる戦いでは、生き残れない。
その理解が、言葉ではなく、恐怖の形で身体に刻まれた。
遠くで、誰かが終了を告げる。
ロゼッタは、顔を上げずに、ただ深く息を吐いた。
この世界では、
剣を振らない瞬間こそが、
生きるための戦いなのだと――
ようやく、身体が知った。
第2章ー㉗へ続く
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