第1章 廃都市からの逃走
ロゼッタが目を覚ましてから数分。
彼女はまだ自分の身体の変化に慣れていなかった。四肢に走る微細な振動、視界の端で勝手に調整される焦点、胸奥で金属が鳴らす規則的な脈動。
——これはもう、人間の鼓動ではない。
だが、その事実に怯える暇もなかった。
廃都市の空気は、静かすぎて逆に不穏だ。
折れた鉄柱が風に唸り、砕けた窓ガラスがかすかに揺れる。
そのひとつひとつが追手の音に聞こえてしまう。
「——行くぞ、ロゼッタ」
機械棺桶の再起動を成功させた張本人、修復士ホーゲル が彼女の腕を取り、崩れた通路へと急いだ。
白髪を後ろで束ね、重い工具袋を抱えたその姿は、技師というより古い鍛冶屋のようだ。
ロゼッタはよろめきながら半歩踏み出す。
その瞬間、身体が羽のように軽く跳ねた。
「……これ、私の身体なの?」
「機械棺桶が身体機能を換装した。君が生き延びられるようにな」
金属音が割れた廊下に響いた。
ガンッ。
廃ビルの奥、暗闇の中から重い足音が連続する。
機械仕掛けのように規則的で、しかし人間には出せぬ質量を感じる音。
ロゼッタの本能が警鐘を鳴らした。
「あれが……追ってきている“敵”なの?」
ホーゲルは短く息を飲む。
「《処分者》だ。帝国が旧世代機械兵を再起動し、危険因子を“処分”するために放っている。君の蘇生も……検知された」
巨大な影が姿を現した。
錆びた装甲。
赤い単眼。
人間に似せて造られているが、骨格は軍用強化外骨格そのもの。
そして胸部には黒い竜の刻印。
ロゼッタの瞳が揺れる。
「あの紋章は……!? うっ」
覚えているが、思い出せない。言葉が出ない。
「いいから走れ!」
ホーゲルはロゼッタの背を押す。
ロゼッタは廊下を駆ける。床の破片を踏みしめて疾走したが、身体の反応は想像より遥かに速く、鋭かった。
後方で、回収者の足音が炸裂する。
鉄の塊が跳躍するたび、床が振動するほどだ。
「くっ……!」
恐怖と反射が重なり、ロゼッタは右腕を後ろに振る。
内部で火花が走り——
ビシュッ!
衝撃波が放たれ、回収者の脚部を斜めに裂いた。
巨体が崩れ、鉄骨が揺れた。
ロゼッタは自分の右腕を見た。
「な、なに今の……? 私、こんな機能——」
「説明はあとだ! 上層へ行け、出口は近い!」
ホーゲルは彼女の手を引き、階段を駆け上がる。
ロゼッタは息を切らしながらも、追い迫る疑問を抑えられなかった。
(私の身体、どうなっているの?)
生身の身体とは明らかに違う感触
問いただすより先に、階段の上から別の影が降りてきた。
赤い単眼。
ロゼッタの髪色と同じ赤だ。
——いや、それは偶然ではなかった。
まるで「赤髪の少女」を識別して追跡しているかのように光が収束する。
ロゼッタの胸が震えた。
「どうして……私だけを狙うの……?」
ホーゲルは、痛むような表情を隠せなかった。
「ロゼッタ……お前は、帝国の……兵器計画の生き残りだ」
さらに強烈な踏み込み音が階段を揺らす。
「説明は必ずする……だからまずは――生き残れ!」
階段を駆け上がり、廃ビルの別区画に滑り込んだ瞬間——
ロゼッタの視界に、突如として“ノイズ”が走った。
ザーッ……!
金属音と共に、脳の奥がきしむ。
足が止まり、ロゼッタは壁に手をついた。
「ロゼッタ、大丈夫か?」
追いついたホーゲルが声をかけるが、ロゼッタにはもう聞こえていない。
彼女は、記憶の底で“何かが開く”感覚に飲み込まれる。
■ 断片 1:焔の庭
——赤い花が揺れていた。
空は黒煙に覆われ、焦げた鉄の匂いが漂う中、
少女は一人、剣を握りしめて立っていた。
まだ幼い、十歳になるかならないか。
「ロゼッタ、お前は負けるな。
この髪の色は……“反乱の焔”の証なんだから」
優しい声が耳に残っている。
しかしその声の主の顔は、光の中で見えない。
焔のように赤い髪。
小さな拳を握りしめた自分。
——誰と、何を、約束した?
断片は煙のように消えた。
■ 断片 2:帝国研究施設・第七棟
次に現れたのは、白い部屋。
壁も床も、無機質な白。
その中心で、ロゼッタは無数のケーブルにつながれ、浮遊ベッドに横たわっていた。
耳元で聞こえる男の声——低く、冷たい。
「《覚醒候補 No.17》
身体能力は適合。
精神抵抗値は……まだ未成熟だな。
だが鍛えれば“ス……の器”となる」
ロゼッタはその言葉に、幼いながら強い反発を覚えていた。
——私は道具じゃない。
その瞬間、心拍が跳ね上がり、
部屋の警報が鳴り響いた。
赤い光。
拘束具がきしみ、金属がひび割れる映像。
「これ以上は危険だ、眠らせろ!」
白衣の影がいっせいに近づき、視界が暗転した。
■ 断片 3:黒竜部隊の紋章
そして最後に浮かんだのは、巨大な影。
黒い竜——
まさに今追ってきている回収者の胸に刻まれた紋章。
その紋章の前で、ロゼッタは剣を突き立てていた。
「あなたたちなんかに、奪わせない……!」
怒りで震えながら叫ぶ小さな自分。
その目には涙が滲んでいた。
——でも、守ろうとした“何か”が思い出せない。
赤い光と衝撃。
そして、暗闇。
「ロゼッタ!」
ホーゲルの声と共に、意識が現実に戻った。
息を荒げ、額には汗が浮かんでいる。
「……見たの。私、昔……あそこにいた。
帝国の研究施設。覚醒候補……って呼ばれてた」
ホーゲルは目を伏せる。
「……やっぱりか。お前の過去に何があったのか、全部は知らん。ただ——」
彼はゆっくりと彼女の肩に手を置いた。
「お前の中に眠る"何か"を帝国は今も狙っている。
俺が蘇らせた理由も……帝国に渡さない為だ」
ロゼッタは握りしめた拳を見つめる。
(私は……なにを守ろうとしていた?
なにから逃げようとしている?
そして——なぜ蘇ったの?)
廃都市の風が、割れた窓から吹き込む。
ロゼッタの記憶の断片は、まだすべて繋がってはいなかった。
しかし、その向こうで“真実”がこちらをじっと見つめている。
第1章ー②へ続く
話の都合上 前回よりも長くなってます。




