第1章ー㉔ どんなにあがいても、生きろ
前回の続きです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。
少し長めになってますがお楽しみください
右腕を失ったロゼッタの身体が、突然、石像のように硬直した。
筋肉が凍りついたように動かず、赤い視界が暗転していく。
【おい……ロゼッタ? オィ……?】
スパルタカスの声が、初めて混じりけのない焦りを帯びた。
【……クソ……身体が……止まってやがる……!】
皇帝が片方の手をロゼッタへ向けて掲げていた。
指の一本一本がゆっくりと開き、重い鎖が引きちぎれるような音が精神に響く。
「やはり……“覚醒体”は違う。
反応速度も、意識の密度も、他の個体とは比べ物にならん。」
皇帝の手がロゼッタの額の前で止まり、
黒い光が指先に滲み始める。
「だがその肉体……今は私の“制御領域”に入った。」
ロゼッタの意識世界が、突然、泥のように沈み込む。
現実の廃都市が、ざらつく砂の線となって溶けていく。
【オイ……来るぞロゼッタァ!
そいつ……直接こっちへ手ェ突っ込んでくる!!】
スパルタカスが叫ぶのと同時に——
皇帝の黒い指が“意識世界の天井”を破って差し込んできた。
◆
精神領域は暗い地下闘技場のようだった。
赤黒い砂地、天井はなく、空間は果てしなく広い。
その中心に、ロゼッタとスパルタカスの意識が佇んでいる。
スパルタカスの姿は、古代の剣闘士を思わせる巨体。
筋繊維がむき出しで、顔は炎のように揺らいでいた。
【来やがったなァ……化け物野郎。】
天井が破れ、“黒い裂け目”がゆらりと降りてくる。
そこから現れたのは、肉体ではない“皇帝の意識の影”。
巨大で、冷たく、そして異常なほど静か。
皇帝の影は言った。
「スパルタカス。
お前の覚醒意識……私に渡す。」
【アァ? ナメやがって……
てめェみてぇな“鎧の亡霊”に、俺の魂がくれてやるかよ!】
スパルタカスが地を踏み鳴らすと、精神世界の砂が爆ぜる。
その腕が巨大な斧のように膨れ上がり、皇帝の影へと叩き込まれた。
衝撃は世界を揺らし、赤い空が雷のように裂けた。
だが——
皇帝の影は揺るがない。
まるで風に触れただけのように、黒い煙を揺らしただけだった。
次の瞬間。
皇帝の影が、スパルタカスの腕を素手で掴んだ。
【なッ……!?】
黒い焼き印のような紋様が、掴まれた腕から広がっていく。
数秒で筋繊維が腐食し、赤い火花が散って消えた。
「強い。
だが……“核”が未熟だ。」
皇帝の影は、スパルタカスを地面に叩きつけた。
精神世界が地震のように揺れ、ロゼッタは吹き飛ばされる。
【クソッ……ロゼッタ! 下がってろ!!
こいつ……ただの化け物じゃねぇ……!!
“オリジン”が本気で取りに来てる!!】
皇帝の影が、無音でスパルタカスの背後に回る。
巨大な手が、炎のように揺らめくスパルタカスの頭部へ伸び——
その指先が、核心へ触れようとしていた。
「スパルタカス。
お前の“覚醒人格”……
私の中で、ようやく完全体となる。」
ロゼッタは叫ぼうとするが、声にならない。
現実の肉体が麻痺し、精神の声すら封じられている。
【……ロゼッタ……すまねぇ……
少しだけ……時間稼ぐ……!】
スパルタカスが最後の力を振り絞り、皇帝の影を押し返す。
【オイ、皇帝……
テメェに譲る気は一欠片もねぇ。】
【俺はな……
“戦う奴の心”に宿る。
てめぇみてぇに、ただ強さしかねぇ奴の中で……
燃えられっかよ!!】
力強い咆哮。
精神世界の砂嵐が巻き起こり、ロゼッタの視界が赤黒く染まる。
だが、皇帝の影は微動だにしなかった。
「ならば……奪うまでだ。」
皇帝の手が、スパルタカスの“意識核”へと触れた。
世界が、静かに、そして深く、崩れ始めた。
皇帝の影の指先が、スパルタカスの“意識核”へ触れる。
深紅の火が凍り、精神世界が軋む。
ロゼッタの身体は硬直したまま、声すら出せない。
スパルタカスの巨体が、押し潰されるように沈む。
【……クソ……ッ……!】
皇帝の低い声が響く。
「終わりだ、スパルタカス。
その意識を——私の力とする。」
黒い指が、“核”を引き抜こうとする。
精神領域そのものが悲鳴をあげ、
空が裂け、地が崩れ、ロゼッタの視界が白く飛ぶ。
その時だった。
スパルタカスが、ふっと笑った。
苦痛に歪んだ顔でもない。
絶望でも、怒りでもない。
長い戦いの中で、ただ一度だけ見せる“戦士の笑み”。
【……皇帝よォ……
ひとつ教えてやる……】
広大な精神世界の中心で、
スパルタカスの胸が赤黒く光り始める。
皇帝の影がわずかに後退した。
「……これは?」
スパルタカスが叫ぶ。
【“核”は……ひとつじゃねぇんだよ……!!】
瞬間、スパルタカスの意識核が五方向へ裂けた。
火花のように散るのではない。
それぞれが、ひとつの“人格”“魂”“戦意”として自律し、
全く違う色と熱を帯びて震え始める。
深紅の魂。
白火の魂。
黒鉄の魂。
琥珀の魂。
紫電の魂。
五つの“スパルタカス”が、同時に立ち上がった。
皇帝が低く呟く。
「……分裂……?
いや……これは——分岐体……!」
スパルタカスは笑う。
【テメェに全部奪われるくらいならよォ……
世界に散らばってでも、生き延びてやるッ!!】
五つの魂が、轟音とともに精神世界の天井を突き破る。
皇帝の影が手を伸ばす。
「待て——!」
だが遅い。
魂は**“五つの方向へ”**飛び去った。
世界中へ。
まだ見ぬ地へ。
その瞬間、精神領域に残った“最後のスパルタカスの声”が、
ロゼッタへ向けられる。
優しい声ではない。
仲間の声でもない。
だが——
魂の底から絞り出される、戦士の本気の一言。
【ロゼッタ。
いいか、よく聞け……】
世界が崩れ、音が遠のく。
5つに別れたスパルタカスの声だけが、真っ赤な光となって心臓に焼き付く。
【生きろよ。
どんなにあがいても、生きろ】
【泥水をすすっても。
腐肉を食べてでも、耐えろ】
【生き残るために
考えろ 工夫しろ 己を鍛えろ】
【勝てなくても。
逃げてもいい それは負けじゃない】
【どんなに強くても 名を残しても
死んだ時点で……剣闘士は ”負け” だ】
そして5人の声が重なる
【あばよ また1つになって暴れようぜ
その時までもっともっと強くなれ 剣闘士】
光が爆ぜ、精神世界が破壊される。
皇帝は掴み損ねた空間を見つめ、
面頬の奥で低く舌を打つ。
「……逃がしたか。」
ロゼッタは意識の海へ沈みながら、
胸の奥にまだ熱く燃えるスパルタカスの言葉を感じていた。
その熱が消えることは——二度となかった。
第1章ー㉕へ続く
今までより少し長めになりましたが、ご容赦ください。
読んでいただいてありがとうございます。ご意見ご感想お待ちしております。




