表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

第三話第三章

 バイト先のカフェは、週末の午後になると学生や家族連れでごった返す。注文が途切れることはなく、厨房からもカウンターからも声が飛ぶ。華飂とリアはいつものように分担して作業を進めていたが、疲れと焦りが重なり、徐々に不穏な空気が漂い始めた。


 「リア、もう少し落ち着いて! その順番じゃ、料理が混ざっちゃう!」華飂は小声のつもりだったが、自然と声が張る。


 リアは一瞬手を止め、眉を寄せる。

 「なにそれ、私だって必死なのに!」声が震え、手に握ったトレーが微かに揺れる。


 「必死なのはわかるよ!でも、焦りすぎるともっと混乱する!」華飂は言葉の鋭さを抑えられずに叫ぶ。


 「じゃあ、あんたは黙って見てろっていうの!?」リアの顔が真っ赤に染まり、声はさらに大きくなる。周囲の同僚が驚いて振り返るが、二人の世界はもうその声しかない。


 「……黙って見てろ、なんて言ったつもりはないじゃなか!」華飂も負けじと声を張る。

 「なら、言い方をもう少し考えろっていうの!いつも私ばっかり怒鳴られて……」リアの手が震え、トレーを置いた手がカウンターにぶつかる音が響いた。


 その瞬間、店内の空気は凍りついた。注文の列も、厨房の音も、何もかもが遠く感じられ、二人だけの世界になった。華飂は手を下ろして立ち尽くす。リアも肩を震わせ、目を伏せる。互いに呼吸が荒く、言葉は出てこない。


 「……もう……話さない」リアは小さく呟き、作業を放り出して店を飛び出した。ドアが閉まる音が、二人の間に亀裂を刻む。


 華飂は手元の注文表を握りしめるが、もう何も手につかない。胸の奥に冷たい何かが流れ込み、苛立ちと自己嫌悪が混ざる。

 「……私も、もう無理に仲直りなんてしなくていい」心の中で呟く。言葉に出さなくても、空気は確実に断絶されていた。


 その日から、数日間。キャンパスでも図書館でも、バイト先でも、二人は互いに目を合わせようとしなかった。

  喧嘩の夜。リアは店を飛び出した後、人気の少ない道を一人で歩いていた。冬の冷たい風が頬を打つが、熱くなった心臓の鼓動は収まらない。悔しさと悲しさと、自分への苛立ちが混ざって、胸がぎゅうっと締めつけられる。

 「どうして、あんなふうに言っちゃったんだろ……」

 けれど同時に、「華飂だって、もっと優しく言えばよかったのに」とも思ってしまう。相手の言葉が頭の中で繰り返されるたびに、涙がにじみ、歩みを止める。


 一方、華飂もまた店に残りながら心を乱されていた。手元の片付けを済ませても、頭の中はリアの声でいっぱいだ。

 「いつも私ばっかり怒鳴られて」――その言葉が胸に刺さり続ける。

 冷静にしていれば、もっと違う言い方ができたはずだ。だが同時に、自分も必死だった。互いに余裕がなく、爆発するしかなかったのだ。

 「……私は最低だな」小さく呟くが、今さら追いかける勇気は出なかった。


 一日目

 大学の講義室。普段なら隣に座るリアの席は空いている。華飂は黒板を見つめながらも、目は時折入口に向かう。だがリアは現れなかった。

 「風邪かな……いや、私のせいか」思考が堂々巡りする。


 リアは別の講義に出ていた。友人に誘われて空いていた席に座るが、心ここにあらず。ノートに文字を写しながらも、内容は頭に入ってこない。ふとペンを止め、窓の外を見つめる。「……謝るべき、なのかな」胸の中で呟くが、すぐに「でも、あんな言い方されたら無理だよ。」と感情が逆流する。


  二日目のバイト先。偶然にもシフトがかぶった。店長は二人の気まずさに気づいたのか、言葉少なに配置を分けた。

 「今日は私が、レジ担当で」

 

 「……わかりました」リアは短く答え、調理場へ。


 休憩時間も別々に過ごし、目が合えばすぐに逸らす。以前は自然に交わしていた笑顔や軽口が、そこにはない。代わりに漂うのは、重い沈黙と周囲の気まずい視線だけだった。その日の午後も。


 五日目の夕方、バイトのシフトが終わった後、華飂は店の前で立ち尽くす。冷たい冬風が頬を打つが、心の寒さはそれ以上だ。店の灯りが二人の影を長く伸ばす。そこに、遠くからリアが歩いてくる。背中は少し縮こまり、肩をすくめた後ろ姿。普段なら無邪気に手を振る彼女の姿は、どこか小さく、慎重で、それだけで胸が痛む。


 「……来た」華飂は低く呟く。声は冷静を装うが、心臓は早鐘を打つ。リアは足を止め、少し間を置いて振り返る。互いに言葉を発する前から、緊張感が漂う。


 「……ごめん、華飂。あの時は……言い過ぎた」リアの声はまだ震えていた。小さく頭を下げ、目は地面を見つめている。


 「……私もだ。言い方が悪かった。お互いに、変に意地を張ってしまったな」華飂はゆっくりと歩み寄る。沈黙の重さが消え、二人の距離が再び縮まる。


 互いに少しずつ目を合わせ、ぎこちない笑みが戻る。リアの手がそっと華飂の手に触れた瞬間、数日の沈黙で冷たくなっていた胸が、一気に温まる。


 「……もう、大丈夫だよね?」リアが小さく訊ねる。

 

 「……ああ、もう大丈夫だ」華飂も頷き、二人は手を握ったまま、冷たい冬の夜道を歩き始める。喧嘩で生まれた亀裂は完全には消えていないが、互いに歩み寄ったことで、信頼と愛情は再びつながった。


 「次は、もう少しお互いを思いやろうね」リアが微笑む。

 

 「……ああ、約束だ」華飂も静かに応じる。


 大喧嘩を経て、二人の間には言葉よりも強い絆が生まれていた。互いの大切さを再確認した瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ