第十話第四章
「実は……調理部を作りたいんです」四宮は胸の前で手を組み、まっすぐ先生を見上げた。
「料理やお菓子作りが大好きで、もっと本格的に色んなことを挑戦したくて。家庭科室を使わせてもらえたらって思ったんです」
隣で志水も続ける。「私も、四宮に誘われて一緒にやりたいと思いました。普段はあまり意識してなかったけど、料理って奥が深いし、みんなで取り組んだら楽しいんじゃないかって」
春原先生は少し目を細め、顎に手を当てた。二人の熱意を感じ取ったのか、しばらく考え込むように沈黙する。
「なるほどね……調理部、か」
四宮は緊張のあまり手を握りしめ、志水は先生の次の言葉を待った。
やがて、春原先生はふっと柔らかく笑った。
「あなたたちの気持ちはよく分かったわ。実際、調理やお菓子作りを部活動にしたいって声は、過去にも何度か出ていたの。でも……」
先生の声が少し曇る。
「でも?」四宮が思わず問い返した。
「部活動として成立させるには、まず最低でも五人の部員が必要なの。今のところ、あなたたち二人だけでしょう?」
「……はい」
四宮の声は小さく、肩がすとんと落ちる。志水も思わず視線を床に落とした。
「それとね、もう一つ大きな問題があるの。顧問を務める先生の時間」
春原先生はため息をつき、机の上に積まれた書類を軽く叩いた。「私は今、手芸部と生活指導委員、それに合唱部の顧問も兼任しているの。正直、これ以上は手が回らないのよ」
四宮は必死に食い下がる。「でも、私たち本当にやりたいんです! 自分たちで買い出しして、掃除や片づけも全部やります。だから……!」
「気持ちは嬉しいの。でも学校の規則がある以上、顧問なしでの活動は認められないのよ」
その一言に、二人は返す言葉を失った。沈黙が家庭科室に広がる。窓の外では部活動に向かう生徒たちの声が響き、対照的にここだけ時間が止まったようだった。
志水が口を開く。
「……じゃあ、無理なんですね」
「今のままでは、ね」
春原先生の表情は厳しくも、どこか申し訳なさを含んでいた。
「だけど、諦めるのは早いわ。他に顧問を引き受けてくれる先生を探す、あるいは家庭科研究会のような“同好会”として活動を始める方法もあるの」
「同好会……」志水が繰り返す。
「そう。正式な部活じゃないけれど、ある程度自由に活動できる場を設けられる場合もあるわ。ただし、やっぱり最低人数と顧問は必要になるのだけど」
四宮は俯いたまま拳を握り締める。悔しさと諦めきれない想いが入り混じり、胸が熱くなる。
「……私、絶対にやりたいんです。もっとたくさんのお菓子を作って、みんなに食べてもらいたい。志水くんと一緒に」
思わず名前を口にしたことで、志水の頬がわずかに赤くなる。だが彼は真剣な表情のまま、四宮に頷きを返した。
「私も。四宮とならやれる気がします」
二人の言葉に、春原先生は小さく笑った。
「あなたたちの気持ちは伝わったわ。本当にいい仲間ね。……ただ、今すぐ調理部を設立するのは難しい。でも、もし本気なら、まずは仲間を探すことから始めなさい。それと、顧問になってくれる先生を見つけること」
四宮は小さな声で「はい」と答え、志水も「分かりました」と頷いた。
先生は最後にこう言った。
「調理ってね、ただ食べるものを作るだけじゃないの。人を笑顔にする力がある。だから、その夢を簡単に諦めてほしくないわ」
家庭科室を後にした二人の足取りは、重いようで、どこか決意を秘めていた。廊下を並んで歩きながら、四宮がぽつりと呟く。
「……悔しいな。でも、諦めない。絶対に」
志水は横顔を見つめ、静かに言葉を添えた。
「私も手伝うよ。四宮の夢だろ。それなら一緒に追いかけよう。」
夕焼けに照らされた二人の影は、並んで長く伸びていた。その影の先に、まだ見ぬ“調理部”の未来が確かに続いているように感じられた。
調理部をつくるには最低五人の部員と顧問が必要――その現実を春原先生に告げられた日の帰り道、志水と四宮は廊下で立ち止まっていた。
「……やっぱり、仲間を集めるしかないよね」四宮の声は強がりの響きを含んでいた。
「そうだな。でも、簡単じゃないと思う」
「うん……分かってる」
四宮は明るく振る舞おうとしたが、その眉の奥に影があった。料理やお菓子作りに夢中になる彼女でも、クラスの中心で派手に人を巻き込むような性格ではない。どちらかといえば、仲の良い友達と小さな輪の中で笑っている方が多い。
志水もまた、人付き合いが得意な方ではなかった。むしろ静かに本を読んでいる方が落ち着く性分で、周囲からも「真面目だけど近寄りづらい」と思われがちだ。
それでも二人は挑戦することに決めた。翌日から、昼休みや放課後に少しずつ声をかけていった。
ある日の昼休み、教室の窓際で。
「ねえ、調理部って作ろうとしてるんだ。どう?」四宮が声をかけたのは、同じ女子グループの友人だ。だが返ってきたのは気まずそうな笑顔だった。
「え、でも私、部活もう入ってるし……。ごめんね」
「そっか、うん、無理しなくていいから!」
別の日、志水は男子に声をかけてみた。
「もし調理部ができたら、一緒にやってみないか?」
「え? 志水が料理? なんか意外だな」
相手は苦笑しながら首を振った。
「でも俺、サッカー部あるしさ。悪い」
何度か繰り返すうちに、二人は次第に心が折れていった。クラスメイトの反応は決して冷たいわけではなかったが、すでに別の部に所属していたり、調理に興味がなかったりで、仲間は一人も増えなかった。
放課後、誰もいなくなった教室で二人は机に突っ伏していた。
「……やっぱり無理なのかな」四宮の声はかすれていた。ツインテールの毛先が机に落ち、光を吸い込む。
「無理ってわけじゃない。ただ……私たち、あまり人を巻き込むのは得意じゃないんだと思う」
「そうだね。私も、気づいたら『美味しいものを作りたい』っていう気持ちばっかり先走ってて……」
沈黙が二人を包む。窓の外では運動部の掛け声が響き、対照的にここだけが取り残されたような静けさだった。
数日後、二人は改めて家庭科室を訪れた。春原先生はすでに状況を察していたようで、机の上の書類を片付けながら柔らかく声をかける。
「仲間集め、うまくいかなかったのね」四宮は肩を落とし、小さくうなずいた。
「はい……。やっぱり私たち二人だけじゃ、無理なのかなって」志水も続ける。
「声をかけたけど、みんな別の部活に入っていて。興味を持ってくれる人はいませんでした」
春原先生は二人の表情を見つめ、少し考えるように目を細めた。
「そうね……確かに人数が足りないと部としては認められない。でも、あなたたちが本気なのは伝わってきてる」
四宮は思わず顔を上げた。「じゃあ……先生、何かいい方法ないですか?」
「方法ねぇ……」
春原先生はしばらく腕を組み、天井を見上げる。やがて小さく笑い、二人に視線を戻した。
「一つ、提案があるわ」
「提案……?」志水が首をかしげる。
先生は机に両肘をつき、指を組んだ。
「校長先生に、あなたたちが作ったお菓子を食べてもらうの。」
「えっ!?」二人は声を揃えて目を丸くした。
春原先生は穏やかに続ける。
「校長先生は甘いものが大好きなの。実は時々、職員室でも“新作スイーツ”の話をしてるくらい。もしあなたたちのお菓子を食べて、『これは素晴らしい』と思ってくださったら、特例で活動を認めてもらえる可能性がある」
「そ、そんなことって……!」四宮は驚きに息をのむ。
「ありえるのよ。校長先生は生徒の自主的な活動には寛大な方だから。もちろん確実じゃないけどね」
志水はしばらく考え込み、静かに口を開いた。
「……つまり、僕たちのお菓子で校長を納得させろ、ということですね」
「そういうこと。仲間を集めるのが難しいなら、まず“実績”を見せるの。二人で作り上げたものが本当に価値のあるものだって示せれば、校長先生も動いてくださるかもしれないわ」
四宮は一気に顔を輝かせた。「それなら……やりたい! だって、お菓子なら私、全力で作れる!」
志水も自然と頷いていた。心の奥で、挑戦したいという気持ちが湧き上がる。
「決まりね」
春原先生は微笑み、二人を見渡した。
「ただし、本気でやりなさい。校長先生を唸らせる一品を作るのよ」
二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。その瞬間、調理部への道が新しく開けたのを感じていた。




