第七話第二章
「……私にはできない」低く、しかし確実な声だった。藍の目が一瞬大きく見開かれる。左近は続けた。
「刀を探すことは、私の仕事ではない。鍛錬し、刀を鍛え、武器や護身を超えた一品を作るのが私の役目だ。それ以上は……余計なことだ。」藍は黙って聞くしかなかった。
左近の目には迷いも、揺らぎもなかった。ただ淡々と、職人としての信念がそこにあった。刀の意味を理解しつつも、行動の線を一歩も踏み越えない。その姿勢が、藍には切なくも頼もしく映った。
藍は諦めきれず、ゆっくりと前に出た。手を組み、低い声で頼むように言った。「左近さん……どうかお願いです。父の遺した刀は、私にとって大事なものなんです。せめて、場所を一緒に確認していただけませんか。」
左近は黙って藍の目を見つめ、火床の隅に残る灰を見やる。鍛冶場の静けさが二人を包む。彼の指先はわずかに動き、刀の角度を微調整するだけで、言葉には出さない拒絶の意思を示していた。
「……私は断る」左近の声は冷静だが揺らぎはない。藍は一瞬息を詰めた。頼み込むだけではどうにもならない。
「左近さん……どうして、お願い……」藍は悔しさと焦燥が入り混じった表情を浮かべるが、左近の決意は揺るがない。どんなに言葉を重ねても、彼の意思は硬く、譲らない。藍は小さく息をつき、わずかに肩を落とす。だが諦めるわけではない。静かに、次の行動を考えるために、立ち上がる。
火床の灰が微かに光を反射し、刀身の冷たい鋼の表面が朝の光に揺れる。鍛冶場には再び沈黙が訪れた。藍は左近に背を向け、外の光に目をやる。心の中で、父の手記の刀を見つけるための次の手を、静かに計画しているのだった。
栃木の小さな旅館に滞在してから二日が経った。藍は朝から晩まで、旅館の部屋で手記を何度も読み返していた。父が残した文字の一つ一つを、まるで父の手が自分の肩に触れるかのように確かめながら、地図と照らし合わせ、行き先を推測する。
だが、左近からの連絡は一度もなかった。鍛冶場で見たあの無言の決意と、断固とした態度を思い返すたび、藍は胸の奥に微かな焦りを抱えた。手記の情報を共有したのに、なぜ左近は動かないのか。父の刀の存在が、彼にとってどの程度重要なのか。藍は何度も考え、ため息をつくしかなかった。
旅館の窓から見える山並みは穏やかで、木々の間を吹き抜ける風は柔らかい。しかし藍の心は穏やかではなかった。目の前の静けさと、自分の焦燥のギャップに苛立ちを覚えつつも、どうすることもできない。仕方なく、手記の中の文言を声に出して読み上げることしかできなかった。
一日目が過ぎ、二日目の夜、藍はまた旅館の庭を散歩した。夜空に星が瞬き、静かな水面に映る月明かりが美しい。だが、心の中では父の刀の存在が頭から離れず、左近の返事がないことへの苛立ちが募る。
「どうして……」小さく独り言を呟きながら、藍は足を止める。旅館の小道に立ち、夜風に髪を揺らされながら、左近のことを考えた。鍛冶場で見たあの職人としての無言の力、決して揺るがぬ姿勢。それは同時に、誰にでも心を開かないという壁でもあるのだろう。
その夜、藍はようやく眠りについた。しかし眠りの中でも、手記の文言が浮かび、父の声のように耳元で囁く。どれほど注意深く読み返しても、場所の特定はまだ遠い。だが、あきらめることもできず、朝が来るのを待つしかなかった。
――――――翌朝――――――
旅館の電話が鳴った。藍は眠りの中で目を覚まし、受話器を取った。相手は、思った通り左近だった。声は低く、穏やかでありながら確固たるものだった。
「藍さん。刀を探すこと、話をしよう。今日、時間はあるか」
藍は驚きと安堵が入り混じった気持ちで頷いた。返事は自然と震えながらも力強く出た。「はい、わかりました。どこで待ち合わせましょう」
「カフェで。駅から徒歩五分のところだ。」電話を切ると、藍は急いで身支度を整えた。旅館を後にし、栃木の静かな町並みを歩きながら、心は高鳴っていた。左近と話すのは久しぶりだ。だが、単純に話すだけでなく、父の遺した刀の話をするのだ。
カフェに着くと、藍の目は思わず釘付けになった。テーブルに座る左近――その姿は、鍛冶場で見た仙人のような風貌とはまるで違っていた。髭はきれいに剃られ、ボサボサだった髪も整えられていて、黒いスーツに身を包んでいる。淡々と座るその姿は、職人の鋼のような存在感を保ちながらも、都会的で整然としていた。
藍は一瞬言葉を失い、顔が自然と赤くなる。心臓が少し早鐘を打つのを感じ、思わず手をテーブルの縁に置き、目をそらそうとした。しかし視線は離せず、左近の深く沈んだ瞳が、まるで何事もなかったかのように藍を見返してくる。
「……左近さん……」藍の声は小さく、思わず震えた。頬の熱を感じながら、彼女はようやく座る。恥ずかしさと驚きが入り混じり、自然に顔を赤らめてしまう自分に気づく。




