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第三話最終章

 あの大きな喧嘩から二年。あの時の痛みは確かに残っているが、それを超えた今の二人は、互いに支え合う存在として以前よりもずっと近くにいた。


 大学四年生になったリアは、卒業を目前にしながら、珍しく深刻な表情を浮かべていた。

 夕暮れの体育館。練習を終えた静まり返ったコートに、彼女はひとり腰を下ろし、膝にバスケットボールを抱え込む。天井のライトに照らされる汗の雫が、ゆっくりと頬を伝う。


 ――就職か、あるいはプロを目指すか。

 選択の重さに、胸は押しつぶされそうだった。仲間たちは進路を決め、未来に向けて走り出している。その中で自分だけが足を止めているような気がして、焦燥感ばかりが募る。


 「……私、本当にどうしたらいいんだろ」

 声に出した瞬間、涙に似た苦しさが胸に広がった。


 そのとき、体育館の扉が軋む音が響いた。振り返ると、石清水が立っていた。教科書とノートを抱えたまま、穏やかな目でこちらを見ている。


 「こんな時間まで残ってるなんて。リアらしくない。」

 軽く冗談めかした声が、静かな空間に落ちる。リアは思わず目を逸らした。


 「……華飂にまで、弱いとこ見せたくなかったのに」


 彼は隣に腰を下ろし、しばらく無言で一緒に天井を見上げていた。二人の間に流れる沈黙は、昔のような気まずさではなく、不思議な安らぎを帯びている。


 やがてリアは、堰を切ったように思いを吐き出した。

 「就職するか、プロを目指すか……決めきれないの。どっちを選んでも後悔しそうで、どっちも失いそうで」


 華飂は少し目を伏せて考え、それからリアを見つめた。

 「答えは簡単には出ないよな。でも……私はどんな道を選んでも、リアを信じてる。だから、最後までやりたいようにやってみたら?」


 その真っ直ぐな言葉に、リアの瞳が揺れる。二年前なら素直に受け止められなかっただろう。だが今は違う。彼の支えがあるからこそ、怖さに立ち向かえるのだと感じられた。


 リアはふっと笑い、肩を預けるように身体を寄せた。

 「……ほんと、ずるいんだから。そんなふうに言われたら、泣いちゃいそう」


 「泣いてもいいよ。私しか見てないし。」

 そう返す華飂の声に、リアの胸に少しずつ光が差していく。


 ――迷っても、悩んでも。隣に彼がいてくれるなら、きっと大丈夫。


  卒業式を迎える頃、リアはついに進路を決めていた。プロの舞台に挑むのではなく、企業で働きながら、地域のクラブチームでバスケットを続けていくという道だ。


 「プロを諦めたわけじゃないの。ただ、私のやりたいのは“バスケを全部にする”ことじゃなくて、“バスケと一緒に生きていく”ことだったんだ」

 リアは照れくさそうに、けれど力強く華飂にそう告げた。


 春。桜並木の下を二人で歩く。新しいスーツに身を包んだリアは、学生時代よりも少し大人びて見える。バスケットのユニフォーム姿しか知らなかった彼女の真剣な横顔に、華飂は心の奥がじんわり温まるのを感じた。


 社会人生活は決して楽ではなかった。新しい職場、新しい人間関係、慣れない業務。帰宅するとぐったりとソファに倒れ込む日も多い。けれど、週末にはクラブチームの仲間とコートに立ち、汗を流す。ボールを弾く音やシューズのきしみは、リアに「ここが自分の場所だ」と思わせてくれるものだった。


 華飂もまた、大学4年生になり研究に打ち込んでいた。互いに忙しく、会える時間は学生の頃よりも減った。それでも、限られた時間の中で二人は工夫して寄り添った。


 ある晩、仕事帰りのリアが駅前で待ち合わせをしたときのこと。人混みの中で見つけた華飂の姿に、リアは思わず駆け寄った。

 「遅くなっちゃった、ごめん!」

 

 「大丈夫。お疲れ樣」

 その一言に、職場での緊張や疲れが一気に溶けていく。


 ふと、リアは笑って呟いた。

 「ねえ華飂。私ね、社会人って思ったよりきついけど……あなたとなら、これからもやっていけそう」


 その言葉に、華飂はただ静かに頷いた。二人が選んだ道は決して華やかではない。けれど、確かな温もりがそこにはあった。


 夜風に桜の花びらが舞い落ちる。

 リアはその光景を見上げながら、そっと華飂の手を握った。

 ――新しい生活の中で、これから何度も壁にぶつかるだろう。それでも、この人となら乗り越えていける。そんな確信が胸の奥に芽生えていた。

 

  華飂が大学を卒業してから数年。慌ただしい社会人生活を共に乗り越え、幾度も支え合いながら歩んできた二人は、ついに結婚式の日を迎えた。


 チャペルに差し込む光が、白いドレスを纏ったリアの姿を優しく包み込む。学生時代は汗に濡れたユニフォームばかり見てきた華飂にとって、その姿はあまりにも新鮮で、胸の奥がぎゅうと熱くなる。


 バージンロードを歩いてくるリアの笑顔は、これまでの努力や迷い、そして選び抜いた日々の積み重ねそのものだった。華飂の前に立つと、彼女は少し照れくさそうに囁く。

 「ねえ……私、本当にここまで来ちゃったんだね」

 「来ちゃったんじゃなくて、二人で来たんだよ」

 華飂が返すと、リアの目に涙がきらめいた。


 式の後半、友人代表のスピーチで、大学時代のことが語られた。

 「お二人は喧嘩したこともあったけれど、それをきっかけに関係を深めて……今こうして結ばれる姿を見ると、まるで物語の結末みたいです。」

 会場から笑いと拍手が起こり、リアと華飂は思わず顔を見合わせる。二人だけにしかわからない“あの喧嘩”の記憶が蘇り、そして、そこから繋がった日々の重みを改めて感じていた。


 披露宴の最後、リアはマイクを手に取り、少し緊張しながらもはっきりと声を響かせた。

 「私はバスケットを通じて、仲間と出会い、華飂と出会い……支え合うことの大切さを知りました。これからも、自分の好きなバスケを続けながら、子どもたちにその楽しさを伝えていきたいと思っています。」


 それは、リアがずっと胸の奥に抱いていた“新しい夢”――ジュニア世代にバスケットを広め、未来を繋ぐ存在になるという決意だった。


 その隣で華飂は、静かに彼女の手を握る。

 「私も研究を続けながら、リアの夢を一緒に支えていきたい。これから先も、何があっても一緒にいるよ。」


 拍手が広がり、二人は視線を交わす。

 その瞬間、結婚式という節目は「物語の結末」ではなく、「新しい物語の始まり」だと、誰よりも二人自身が強く実感していた。


 チャペルの扉が開き、外の青空が広がる。

 リアと華飂は手を取り合い、一歩を踏み出した。


 ――結婚という形で結ばれた二人の未来には、まだ無数の挑戦が待っている。

 けれど、どんな道でも並んで歩いていける。その確信が、祝福の鐘の音とともに心に鳴り響いていた。

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