八話 それなりに楽しくてもずっと続くわけでもなく
「…………負けた」
「くふふ、なかなかこのパズルゲームとやらも楽しいものじゃのう」
ユグドの頭がいいのは日陰もわかっていたがその学習能力と適応力はすさまじく、教科書を渡して数日もすると日陰の世界の技術や常識に対して関して完全な理解を示していた。
そして下準備は終えたというように彼の自室に会った娯楽物へと興味を移し、今では日陰と対戦ゲームを嗜むほどになっている。しかもその基礎能力の高さもあってジャンルによっては彼に勝ってしまうくらいだった。
「ちょっと休憩」
「うむ」
休もうと提案する日陰にユグドは頷く。最後に勝っているからか彼女には名残惜しい表情もない。その勝者の余裕は少し日陰のプライドをくすぐったが、むきになるほどやりこんだゲームではないのだと口惜しさを抑え込んだ。
「ではわしはまた日蔭殿の蔵書でも借りるとするかの」
「いいけど」
漫画もユグドは気に入ったようで暇があれば読んでいる。その姿を見ていると当初の落ち着いた雰囲気はどこにもなく、おもちゃを前にはしゃぐ子供のようですらあった…………それこそ別人格だったという初対面の時のようだ。
「どうかしたのかの?」
「いや、なんというか元気だなと思って」
「それはもう、この部屋では十分に休ませてもらっておるからな」
「…………いや、そうじゃなくて」
「ああ、なるほど」
そういう意味の元気ではないと日陰が告げると、それだけでユグドは理解したようだった。
「それくらいわしにとって日蔭殿の世界のものが新鮮じゃということじゃよ」
「新鮮…………面白いではなく?」
「まあ、面白いのはもちろん前提ではあるがの」
ユグドは頷く。
「知らぬものに触れるというだけでわしの心は強く震えるのじゃよ…………なにせ数千年もの間わしは同じようなものしか見ておらぬからの」
そんな生活が続けば何もかもに飽きてしまう。そして心震えることがなければ人間の精神というのはどんどん落ちていくものだ…………だからこそユグドは何も知らない別人格を作ることで精神的な破綻をこれまで回避してきた。
「新しいものとか、なかったの?」
「ないのじゃよ…………それは世界樹による生活の安定の弊害ともいえるかもしれぬの」
変化というものは大抵必要があって起こすものだ。状況を変えなくては現状が厳しいからこそ変化を求める…………逆に言えば現状が安定していれば変化をする必要はない。むしろ変化をすれば安定が失われる可能性もあるわけで、変化をこそ恐れるようにもなるだろう。
「もちろん全く変化がなかったわけではないがの、里の外の変化に比べれば些細なものじゃろう…………思い返してみれば外の連中にいいように翻弄されるようになったのはその差があったからかもしれぬな」
変化をしないということは欠点も変わらないということだ。安定しているから争いも少なく権謀術数に弱い…………争いの多い外からしてみればエルフは付け入る隙さえあればやりようなどいくらでもある相手なのだろう。
「まあ、今更里の状況は変えられぬ…………そもそも変えようとしている連中が悪化させとるわけじゃしな」
安定に甘えすぎた結果として、悪い方向での変化が訪れようとしているのが現状なのだ。
「えっと、大丈夫なの?」
「なるようにしかならぬよ」
聞いていると詰んでいるようにも聞こえるのだけど、命の危機すらあるはずの当人はそれほど重く受け止めてもいない様子だった。そんなことよりも今は漫画のほうが気になると言わんばかりに本棚を物色する。
「む、これはなんじゃ?」
そうしているうちに本以外のものに目がいったらしく、ユグドは部屋の片隅に置かれていたダンベルへと視線を向ける。日陰からすれば見ればわかるようなものではあるが、異郷の人間からすれば変な形をした金属の塊であるのだろう。
「それは、腕の筋肉を鍛えるための道具だよ」
「ああ、なるほど…………ということは他のものも?」
「うん、それとかは握力を、鍛えるやつ」
彼女が手に取ったハンドグリップの使い方を示すように日陰が手をわきわきさせると、ユグドは納得したようにハンドグリップを握る…………強度は五十キロのものなのだが特に苦もせず彼女は握り切った。見た目は華奢で筋肉がついているようにも見えない彼女だが、身体能力はその見た目通りではないらしい。
「ふむ、多少軽いが悪くない」
軽いのか、そう驚愕する日陰を他所に彼女は彼へと視線を戻す。
「しかしこのようなものがあるとは、日陰殿は体を鍛えておるのか?」
「うん、まあ」
日陰は頷く。
「最低限は鍛えておかないと、いざという時に、動けなくなるから…………」
なにせ日陰は引き籠りだ。意識して動かない限り肉体的には衰えていく。しかし食糧事情があるから鍛えすぎても栄養が足りないし、スペースの関係上持久力を鍛えるのは無理だ。
だから彼は本当に最低限のことをしているだけだった…………どうせ外に出るつもりなどなかったのだけど、それでもやらないでいるのが不安だっただけなのだが。
「なるほどのう」
ふむふむと頷いてユグドはトレーニング器具から視線を外し、改めて日陰の自室を見回す。机とPCに折りたたまれた布団と座椅子。テレビやゲーム機に立ち並んだ本棚。それほど広くもないこのペースが現状で日陰の唯一行動できる範囲だ。
「ど、どうかした?」
「いや、それにしては汗臭くはないと思うてのう」
「そ、そこまで激しくは、やってないから」
すんすんと鼻をきかせるユグドに日陰は慌てて手を振る。これまで匂いにまで気が回らなかったが目の前でそういう仕草をされるとものすごく恥ずかしい。考えてみれば窓を開けるのも恐ろしくてこれまで換気すらできていないのだ。
「心配せずとも今しがた口にした通り不快な匂いなどしておらぬよ」
「そ、それならいいけど…………」
優しく告げるユグドに日陰は安堵する。流石に陰で部屋を臭いと思われていたら彼はショックだが、これまでの彼女の態度から考えるとそんな様子もなかった。素直にその言葉を信じてもいいだろう。
「しかし、ふむ」
そんな彼にユグドは少し迷うような表情を見せる。このタイミングでそんな表情をされると日陰は焦るしかない。
「え、えと、どうかした?」
「や、別に今の話を蒸し返したいわけではないぞ?」
彼の不安を理解してユグドが別の懸念であると否定する。
「ただ少し思うところがあってのう…………どうしたものかと思ったのじゃ」
「それは、聞いてもいいこと、かな?」
「それが迷いどころでな」
当然日陰は気になるが、ユグドとしては迷うような内容らしい。
「のう、日陰殿よ」
「う、うん」
「日蔭殿はこの先どうしたいのじゃ?」
それゆえに、根本的なことを彼女はまず尋ねた。
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