エピローグ 今は一人ではないから
アマテとの一件から数日が経った。それから日陰たちの生活が変わったかといえばそれほど変わってはいない。もちろんその生活の中にヨミという新たな住民が増えはしたが、彼女も日陰には気を遣ってユグドの暮らすクローゼット内の空間に居住している…………そしてそれであれば彼は見えずともそこに他者がいるというだけで不快感を覚えなくなっていた。
ただそうなるとヨミが元暮らしていた魔族の本拠地は空いてしまうが、そこはせっかくだからとユグドがエルフの里の生き残りを招くことにした。彼らも最初は魔族の本拠地跡ということに難色を示していたが、新たな居住地も決まらずまだ放浪していたこともあって最終的にはユグドの説得に応じたようだった…………その説得の中に新たな神の導きとか、日陰にとって不安な単語は混ざっていたが。
ともあれユグドの世界に纏わるあれこれはそれで完全に終結したといっていいだろう。ヨミは本来の復讐相手であるアマテへの恨みを晴らしたので、もはや魔族を再現してあの世界へ生きる者たちへと八つ当たりをする理由もない。
魔族という脅威から解き放たれた国々は少しずつ繁栄していくことだろう。いずれは元は魔族のものであった大陸に調査隊を派遣する国も出てくるかもしれないが、それに移住したエルフたちがどう対応していくかはおいおい考えていけばいいことだ。
「それで、今日はなんでみんな集まってるの?」
日陰の部屋にはユグド達三人の姿があった。ここ数日の間は食事などで顔を合わせることがあっても基本的にそれぞれの領域に籠っていたのに、だ。神域が再構築されたことで日陰は三人が神域の中にいても拒否感を覚えるようなことはなくなったが、それはそれとしてやっぱり部屋に居座られるのに思うところがないわけではない。
「なに、今日は日陰殿に用があっての」
「僕に?」
「うむ、ここ数日冥利殿やヨミとも話し合っておったことがあってな」
「えっと、なにを?」
わざわざ話し合っていたと言われると日陰も思わずなんだろうと身構えてしまう。
「一つは日蔭殿への報酬に関してじゃな」
「…………報酬?」
何の報酬だろうと日陰は首を傾げる。
「ほらあれだよ、日蔭君だけアマテに挑む理由がなかっただろう?」
「ああ」
ヨミはツクヨの敵討ちだしユグドもアマテの勝手で被ったその巻き添えの恨みを晴らすためで、冥利は二人に比べればちょっと薄いが神に対して自分の兵器がどれくらい通じるのか興味という理由があった。
しかし日陰は三人と違い特に理由がなく。しかし彼がいなくてはアマテに挑むことすらできないからとその協力の報酬をユグドが提示したのだ…………すっかり忘れていたがそれは何だったっけと日陰は記憶を掘り返す。
「うむ、わしらの操を捧げるという約束じゃったな」
「っ!?」
そうだったと日陰は思い出す。半ば強引にそれを承諾させられたのだ。
「まさか今更いらぬとは言わぬよな?」
「そ、それは…………」
正直に言えばいらないと言いたい。三人のことは別に嫌いではないがそういう対象でまだ見れていないのだから…………というかヨミに関しては知り合って本当に間もない。あの時は仇を討つためと言う強い意思があったがそれを果たした今はそうでもないはずだ。彼女が嫌がっているようなそれを理由に何とかと彼は彼女を見る。
「…………父様が望むなら」
まんざらでもない表情をヨミは浮かべていた。正面から見るのは恥ずかしいのか視線を少し逸らしているところがいじらしい。
「まあ、急ぐものでもなしすぐにはと言わぬよ」
報酬のはずなのに要求する立場のようにユグドが言う。
「なにせ時間はあるのじゃからな…………日蔭殿がその気になるまでゆっくり待つとも」
「え、あ…………いいの?」
「日蔭殿はこの報酬のことを忘れずに追ってくれればとりあえずそれでよい」
それなら助かるけれど、なんだか日陰は拍子抜けした気分だった。
「では本題じゃ」
「え」
「一つは、と言ったじゃろう?」
つまりは二つ目があるということで、そしてそれが本題らしい。
「えっと、それは…………なに?」
一つ目の内容が内容だっただけに、本題と言われるとさらに不安がよぎる。
「それは、そうじゃな…………日蔭殿にわしら聞きたいことがあるというか、聞かせて欲しいことがあるというか」
ユグドにしては珍しく言葉に迷っているようだった。
「つまりだね」
見かねてか冥利が引き継ぐ。
「私たちは日蔭君の力になりたいんだよ」
じっと、冥利にしては珍しく真剣な表情で彼を見た。
「僕の、力に?」
いったい何の力になりたいと言うのか日陰には心当たりがなかった。彼は生まれたての神であるらしいが今はまだ世界を創りたいという欲求もないしその力でしたいこともない。三人に力になって欲しいと思うようなことは浮かばなかった。
「父様には、悩みというか気に病んでいることがあるのではないか?」
日陰のことをまだほとんど知らないはずのヨミが心配そうに日陰を見る。
「なんで、そんな…………」
「今の私は父様の一部のようなものだからな。父様が何かを大きなものを抱えてしまっているのがわかる」
だから話して欲しいとヨミは彼を見る。
「アマテの一件を別にしてもあたしやユグドは日蔭君に大きな恩がある…………それを返させて欲しいんだよ。だからさ、君がどうしてこの部屋から出るのが嫌になったのか、元の世界に戻りたくないのはなぜなのかを教えて欲しい」
「教えて、どうするの?」
「原因があるのであればそれを解決する…………もちろんそれはわしらの手には負えぬものかもしれぬが、手助けすることは出来るかもしれぬ」
結局は日陰の手を借りることになるかもしれない…………それでも、今のままであれば彼はずっとそのことから目を背けたままだろう。だけど代わりに解決は出来なくとも彼が目を向ける勇気を出す手伝いはできるとユグドは思う。ここにいるのは彼一人だけではないことを思い出させてあげられるのだ。
「わしらは日蔭殿のおかげで新たに生きる道へと足を踏み出すことができた…………じゃから日蔭殿が同じように新しい道へと踏み出す手伝いをさせて欲しい」
「あ」
その言葉に日陰は胸の奥へとずっと封印していたものが溢れ出しそうになる。考えてはいけない。考えれば意識してしまう。意識してしまっては心を保てない。外など見えないこの部屋の中であれば意識さえしなければ起こっていないも同然…………そう思い込める。
「僕、は」
ああでも、押さえつけていた胸の奥はずっと痛んでいた。全部さらけ出して楽になりたいと叫んでいた…………けれどその勇気がなかった。だって彼は一人だったから。全部ぶちまけたってそれを支えてくれる人はいない。だから見ないふりを続けていたしその事実を認めたくなかった。だから一人がいい、一人でいいのだと思い込もうとしていたのだ。
だけど今の彼は一人ではない。
彼を助けたいといってくれる人たちがいる。
だから彼は話し始めた、全ての始まりから。
彼が引き籠り、世界が終わったその日までのことを。
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