七十三話 限りある選択の中で最善を
結果からすると日陰はアマテの神域を離れなかった…………なぜなら彼が離れるよりもその前にジャッジメントの入った子箱が全て消え失せたからだ。爆発を抑え込まれたのではなく爆発する寸前で全て消し去られた…………そしてそれを成した人物は倒れ伏すアマテの前へと立っている。
「お前は!?」
その姿を見てヨミが驚いた声を上げる。日陰たちは初めて見る相手だが彼女には見覚えがあるらしい。
「やあ、久しぶりだね…………ええと、今はヨミと呼ばれているのだったかな? 君に名前で呼び合うような関係性の相手ができて何よりだよ」
その態度は久しぶりに会った親戚の子供に接するような親しみがあった。
「なぜアマテを助けた!」
しかしヨミからすれば彼は一度会ったことのある相手でしかなかった。命を救われた恩義はあるがそれでアマテを今助けたことを帳消しにはできない。
「ヨミ、まずはあれが何者かを教えてはくれぬか?」
しかしそれがわかるのは当人だけで合って日陰たち三人は蚊帳の外だ。だから話が進んでしまう前にユグドは口を挟んだ。
「…………以前話した事があっただろう。母様が死に際に生み出した私を殺そうとしたアマテを止めたのがあいつだ」
「ああ」
ユグドは思い出す。ヨミを助けて今後定められるであろう神々の約定を説明して彼女の安全を保障した他の神がいたのだと聞いたこと。
「しかしそれではなぜアマテを助ける? 以前はヨミのことを助けたのであろう?」
「確かに僕はアマテを助けたがそれは彼女の味方だからじゃない…………正直に言えば心情的には君らの側だよ」
「ならばなおさらなぜアマテを助けるのじゃ?」
「不要な争いを起こさないため…………強いていうならそれが君たちのためでもあるからだ」
「ほう」
ならばそれを話せと促すようにユグドは彼を見る。
「僕が君たちに情を抱いているようにアマテに対して情を抱いている神もいる。確かに君たちはまだ約定の外の存在でその恩恵だけを受けている状態と言えるが、それでもいずれは約定を受け入れなければならないし殺さずとも報復する方法はあるものだ」
「だからそもそも恨みを買うような真似をするなということか」
「そうだ」
彼は頷く。
「しかしアマテに情を抱くような神がそんなにいるのかい? あたしが見た限りでもとても親しいお付き合いをしたいような人格じゃなかったのだけれど」
冥利がそう尋ねたのは明らかにヨミが不満そうな顔をしていたからだ。理屈はわかるかが納得はできないという彼女のためにその詳細を話すように促す。
「ほとんどの場合子供は無知でわがままなものだ。それを微笑ましいと思って見守るものがいてもおかしくはないだろう?」
「…………子供?」
きょとんとしたように冥利は彼を見る。
「神々の基準で言えばアマテはまだ子供だ」
「いやいや」
冥利は信じられないと首を振る。
「少なくとも彼女は数千年以上を生きているんだろう?」
「たかだか数千年だ」
きっぱりと彼は言った。
「君は確か冥利だったか…………そして日蔭。君らのどちらでもいいが、君たちの元の世界が生まれてどの程度経過していたか教えてくれないか?」
「え、ええと…………」
不意に問われて日陰はそれを思い出そうとする。昔授業でちらりと習った覚えがあるが日常的に思い出す物でもないのでうろ覚えだ。
「確か…………百、何十億年、か?」
「あたしの世界も同じくらいだね。138億年だったかな?」
日陰が答えて冥利がそれに付け加える。
「で、それが?」
「つまり君たちの世界を生み出した神は最低でもそれくらいの年齢を重ねているということだよ」
「あ」
世界を神が生み出したというのなら確かにそういうことになる。
「なるほど、数千年程度ではまだまだ子供か」
その差を考えれば子供どころか赤ん坊ですらない。ユグドも自身の世界の基準では長い時を生きているが、そんな彼女であっても想像のつかないスケールだ。
「もちろん子供だから何もかも許されるわけではないし、子供であろうがアマテを嫌っている神もいる…………僕のようにツクヨを気に入っていた神なんかがそうだね」
「…………母様を?」
「確かに彼女は内向的ではあったけど、表からは見えづらいだけでその内情は他者への慈しみに満ち溢れていた。彼女や彼女の創る世界に対して好意を持っていた神であればアマテに対していい感情は持たないし、君たちのことを擁護するだろう」
「だったら!」
ヨミが彼を睨みつける。アマテに対してあるのはもう哀れみのみだと彼女は言っていたが、それでもアマテがのうのうと生き続けるようなことは許せないのだろう。
「君たちが彼女を殺せばその報復に動く神と君たちを守ろうとする神とで争いになる…………僕は感情的には君たちの味方だが、その事態は看過できない」
「母様を殺したそいつをただ見逃せと言うのか!」
「もちろんアマテも相応の報いを受けるよ」
その感情を宥めるように彼は言う。
「神々から何かしらの罰が与えられると?」
「いや、そういうのはないよ。ツクヨの時は約定が結ばれる前だし、今回に関しては君たちが仕掛けた側になるからね」
ツクヨの復讐という理由はあるものの今回アマテ自身が何かしたわけではないのだ。ツクヨの一件に関してもそれが神々の間で約定が結ばれる契機にはなったが、効力持つのは結ばれた後だから遡ってアマテを罰することもできない。
「では一体何が罰になるというんだ!」
「君たちに負けた、それ自体が大きな罰になる」
納得できないというヨミにあくまで落ち着いた口調で彼は答えた。
「君たちに敗北したことでアマテは見る影もない程に弱体化しているし、何よりもその事実はすぐに神々の間で知れ渡るだろう…………何なら僕が広めてもいい。アマテが生まれたばかりの神に自らの神域を蹂躙されて負けたのだというその屈辱的な事実を」
「あー、言わんとすることがあたしはわかったよ」
少なくとも冥利であれはその留飲は下がる、そんな表情だった。
「えっと、アマテは今後ずっとその恥を抱えて、生きるってことですか?」
「そうだ」
それを口にして尋ねる日陰に彼は頷いた。
「殺されない限り神々の寿命は無限だし、その記憶が薄れることもない。例えアマテが一人前の神として認められたとしても彼女が生まれたばかりの神に負けたというその事実は神々の中で永遠に残り続けるだろうし、プライドの塊のようなアマテにとってそれは永遠に屈辱が続くということでもある」
死ねば苦しみは一瞬だが、ここで生かせば苦しみは永遠に続く…………だからそれで満足しないかと彼はヨミに問いかけていた。
「そいつが恨みを晴らそうとして来ない保証はないはずだ」
アマテの性格を考えれば逆恨みしてきたっておかしくはない。
「彼女の性格を考えれば当分の間は自分の神域に引き籠るだろうし、今の君たちに対抗できるような力を取り戻すにはかなりの時間がかかる」
それにその間に日陰だって今よりも成長するだろう。つまりその差が縮まることはほとんどないわけで、アマテが彼に復讐にするに足る力を取り戻すのは相当先だ。
「それに君たちがこれを受け入れてくれるなら僕が責任もってアマテの動向を監視する。何かあれば君たちに伝えるし、そうなる前に止められるなら僕が止める」
それはヨミに母親の復讐を諦めるよう頼む彼の責任であり義務だ。それにヨミはじっと彼を見つめ、次いでユグドと冥利を見回し…………最後に日陰を見た。
「わかった」
そうして彼女は受け入れた。
アマテを、母親の仇を生かしておくことを。
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