七十話 引き籠りを無理やり外に出してしまった
自分でありながら自分でないものが引き裂かれて行く感覚は独特だった。間違いなく自分の体が引き裂かれているような感覚があるのに生身の自分には何事もなく、その矛盾が痛みと共に困惑をもたらす…………そしてそのまま終わりは訪れた。
何か決定的なものがプツリと切れたと思ったその瞬間に、強い喪失感と共に景色が一変する。アマテの掴んでいた窓枠を中心に彼の部屋は二つに分かれ、その端から消えていった。
「っ…………!?」
急に寒気を覚えて日陰は頭を抱えてしゃがみ込む。とりあえず視界を隠してさえしまえばこの現実に向き合わなくて済むとでもいうように。
「日蔭殿!?」
「アマテ貴様っ!」
ユグドはうずくまる日陰に視線を向け、ヨミはアマテを睨みつける。しかしそれにアマテはにゅうっと唇を吊り上げた。
「心配しなくても死なないわよ」
ようやく留飲を下げられたというようにアマテはヨミを見返す。
「生まれたての神は神域との接続がまだそこまで強くない。だから神域を失ったとしても死ぬようなことはまずないわ」
神から力奪うのなら神域を破壊することが一番だが、普通の神であれば神域との結びつきが強く破壊することで神自身も死んでしまう可能性が高い。
しかし生まれたての神であればその結びつきがまだ強くないから、それが破壊されても死ぬまではいかない…………ただ神域の力を失って強いショックを受ける程度で済むのだ。だからこそ日陰を殺すわけにはいかないはずのアマテは彼の神域を破壊できた。
「さて、これで完全に趨勢は決したわけだけど」
余裕を取り戻したからか落ち着いた様子でアマテが日陰たちを見る…………しかしその内側からにじみ出るような嗜虐心は隠せていなかった。
「あなた達は私の慈悲を拒否したわよね?」
まさか今更それを翻して縋ったりはしないよねとアマテは嗤う。
「あ、でも安心して」
けれどすぐに朗らかな笑みを彼女は見せた。
「あんたたちはすぐに殺さないから…………ちゃんとそこの新しい神の心を折るために使ってあげる。彼が私に従順になるようにあなた達を使って教育してあげるわ。私に逆らうようなどうしようもない愚か者でも無駄なく使ってあげるんだから私って本当に慈悲深いわよね」
くすくすと、アマテは目を細めてユグド達三人を見る。何もできない絶望を存分に味わうがいいとあえて猶予を与えるように。
「…………勝ち目はやっぱりないのかい?」
「ない」
一応尋ねるヨミが断言する。
「口惜しいが、父様の神域を失った時点で私たちは詰んでいる。抵抗しようとしたその瞬間に全ての力を奪われるだけだ」
日陰の神域が引き裂かれて消えたことで四人はアマテの神域の中へと出てしまった。他者の神域の中ではその主が絶対であり、その事は日陰の神域に侵入したことで敗北してしまったヨミが証明している…………その気になればもうアマテはいつでも四人をどうとでもできるのだ。
「わしらにできる唯一のことは、今すぐに死ぬことくらいじゃな」
アマテは日陰の心を折るためにユグド達を使うと言っている。少なくともここで三人が自決すればその為の材料にはできないだろう。
「あら駄目よ」
しかしそれを聞き逃さずアマテが指を鳴らす…………たったそれだけでユグド達三人の体は全く動かなくなり、それどころかユグドもヨミも何の力も使えなくなった。
「ちゃーんと、私の受けた屈辱の分だけお前たちには苦しんでもらうから」
にっこりとアマテが嗤う。
だから自ら死ぬことすら、アマテは許さない。
◇
怖い怖い怖い怖い怖い。状況も何もわからない中でそれだけを思う。部屋がない。部屋がない。だって部屋がないのだ。今まで何度か部屋を出てみようと決意したことはあったが結局踏み出すことができなかった。
ユグドの世界に繋がったあの時が恐らく一番のチャンスだったのだけれど、それでも怖くて踏み出せなかったのだ…………繋がっていないはずなのに。
元のあの世界とは繋がっていないはずなのに、あるはずのないその可能性が怖くて彼は外に出られなかった。
だってそれくらいそれを見てしまうことが、見つけてしまうことが怖いのだから。
もちろん日陰が引き籠り始めた時はそんなことはなかった。きっかけは別に大したことではない。虐めを受けたわけでもなく勉強についていけなかったわけでもなかった。単に高校に上がった時に新しい人間関係をうまく築くことができず、何となく居心地の悪くてある日行くのをやめてしまっただけだ。
しかしそうなってしまうと親と顔を合わせるのも気まずく部屋から出ずらくなって、大した理由でもなかったはずなのにその引き籠りは長引いていった。
だけどその頃は別に全く外出しなかったわけでもない。人と顔を合わせない時間帯であればコンビニへ行ったり、どうしても必要なものがあればそれ以外の時間でも買い物に行くことだってあった…………それが完全な引き籠りになったのは外の世界が変わってしまってからだ。
そのことに気づいたのは両親が帰ってこなくなって数日経ってからで、もう何もかも手遅れだった。
「そ、外は……嫌だ」
だって見つけてしまうかもしれないから。それを見つけてさえしまわなければ現実は確定しない。周囲と隔絶されたあの部屋であればいくらでも外のことは想像できた。想像する余地があった…………けれど今この場には存在しない。
彼は部屋を失ってしまったから。
あの部屋だけが彼の心を保つことのできる唯一の場所だったのに。
「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
耐えられず叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ…………そして求める。心の底から願う。あの世界で唯一安心することのできたあの場所を取り戻すことを。
「なっ、がっ!?」
不意にアマテが苦しんだように胸を抑えてしゃがみ込む。
「何が…………日陰殿!?」
それに伴って拘束が解かれたのかユグドは体の自由を取り戻す。そして日蔭の方へと視線を向けると彼の周囲が一変していた。それまではアマテの神域である白い床が広がっていたその周囲が板張りのフローリングへと変わりつつある…………それは元の日陰の部屋の床と同様のものだった。
「神域を塗り替えようとしているの、か?」
呆然としたようにヨミがその光景に呟く。
「え、それってアマテの神域を日蔭君の神域に変えようとしているってこと? そんなことできるの?」
「普通は無理だ」
そう、そんなことできるはずがないとヨミの中のツクヨの記憶も言っている。
「だが父様は今自身の神域を失ってしまっている…………それは神であれば本来死んでいてもおかしくないくらいの危機的状況だ。つまり父様の神としての危機本能は今この瞬間最大限に発揮されている…………それがこういう形で働いてもおかしくはない」
本来であれば神は自らの神域を破壊された時点で死ぬ。しかし日陰は生まれたての神でまだ神域との繋がりが弱かったから生き残った…………そして生き残ったがゆえに神域を失ったことで最大限に本能を刺激された。そしてその本能は神域の再構築を求め、その為の材料としてアマテの神域を侵食しているのだ。
「ぐ、このぉ!? こんなっ!?」
ただ破壊されるのではなく内側からの浸食であるからかアマテは明らかに苦しんでいる様子だった。そんな体験をするのも初めてだからなのかすぐさま対処することもできていない様子だった。
「こういうのを、因果応報と言うのかね」
アマテに起こっているのは全てアマテ自身の行いが返ったものだ。
神に対して祈ることは元から冥利はしてこなかったが…………そういう因果が存在することに、今はアマテではない神へと彼女は感謝した。
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