六十一話 誰だって縁は欲しい
「ふむ、なかなか悪くない名前じゃな」
「そ、そう?」
深く考えた名前ではないので自信はあまりなかったが、褒められると日陰もほっとする。魔王本人が名前などどうでもいいと言っていても、やはり名前は大事なものだと彼は思う。だから変な名前は付けられない。
「私も悪くない名前だと思うけど、字は何を当てるんだい?」
「字とは?」
「ほら、あたしとか日蔭君の世界というか文化だと漢字も使うから」
「そ、そこまでは考えてなかった、かな」
日陰が考えたのはその読みだけだ。
「まあ、それは文化も違うのだし必要なかろう」
「それもそうだね」
そもそも呼び合うだけなら問題はないし、文字にして書く機会も今のところないのだ。
「どうでもいい話はもう終わりか?」
そこに痺れを切らしたように不機嫌そうな魔王の声が響く。
「どうでもよくはなかろう、お主の名前についてじゃ」
「私がそれをどうでもいいと思っていると言ったのはお前だろうが」
それを言質として魔王が反対できなくしたのだから。
「そうじゃったか?」
とぼけるようにユグドは首を傾ける。
「まあいずれにせよお主も少しはその態度を改めたらどうじゃ?」
「私はお前たちとなれ合うつもりはない」
目的のために膝は屈したが、それでプライドを投げ捨てるつもりも彼女にはなかった。
「しかしもうわしらはともかく日蔭殿とはただの他人というわけでもなくなったのじゃ。少しばかり歩み寄る姿勢くらいは見せてよかろう?」
「…………それはどういう意味だ?」
「日蔭殿はお主の名付け親になったわけなのじゃから、それはただの他人ではなかろう?」
「!?」
一瞬魔王の表情が驚愕に染まる…………が、すぐに憤りへと変化する。
「私の親は母様だけだ!」
「別にそれは否定しておらんよ」
ユグドは悠然とした態度で彼女を見返す。
「確かにお前の母親はツクヨという神なのであろうが…………そこに日陰殿という父親ができたところで矛盾はしないじゃろう?」
親は親だがその二つは被るようなものではない。
「と、父様…………だと!?」
魔王が困惑したようにユグドを見る。
「いやいやいやいや」
そこに日陰が流石に口を挟む。
「僕は名前を付けた、だけだし…………父親なんて、年齢でもない、から」
単純に年齢だけで言えば魔王は日陰の何倍生きているかもわからない。
「しかし名付け親となったのは事実じゃろう? それに存在として日陰殿の方が上位におるのだから形の上でもおかしくはない」
「いやおかしい、よ?」
日陰は突っ込むがユグドは聞こえていないように彼から目を逸らした。
「まあ、結局のところ本人が納得するかどうかじゃな」
「…………好きにすればいいだろう」
魔王はユグドの視線から目を逸らす。
「私にとってはどうでもいいこと、だからな」
しかし今度はそれが免罪符になっているような物言いに聞こえる。父親という単語は彼女の心の深いところにずいぶんと刺さった様子だった…………まあ、生まれた時失っていた母親の復讐だけに生きていた彼女にしてみれば、庇護してくれる存在ができるかもというのは抗えない者であったのかもしれない。
「…………悪い大人だねえ」
「なんのことかわからぬの」
思わず呟いた冥利のその一言に、素知らぬ顔でユグドは肩を竦めた。
◇
「さて、それで魔王…………いやヨミか。力は戻ったのかの?」
「…………そのようだ」
話がひと段落したところでユグドが尋ねると、ヨミと名付けられた魔王がそれに頷く。
「えっ」
それに驚いたのは日陰だった。なぜなら彼はまだヨミの力が戻るようにとかそういう意識をしていなかった。
「つまり無意識化で日陰殿はヨミへの警戒を解いたということじゃよ」
力を返しても問題ない、そう本能的に判断したのだ。
「それで、どれぐらいやれそうじゃ?」
「どれくらいも何も本領発揮には程遠い…………はずなのだが」
分け御霊であるヨミの力は神には遠く及ばないがその本質は神に近しい。だから彼女にも自身の領域を構築する性質があり、最大限の力を発揮できるのは自らの領域の中だけだ。そして彼女の領域はあの魔族の本拠地があった場所に他ならない。
だから今のヨミは自身の領域のバックアップを受けられない弱体化の状態…………のはずなのだが、その領域にいた時と同じような力を感じる。
「恐らくお主の領域をこの部屋を日陰殿が繋げておるのじゃろう」
だからその領域のバックアップも受けられる。それ以外の可能性もいくらかは考えられるが別にその解釈で問題はないだろう。
「大事な娘のために、の」
「…………力を存分に使えるのなら理由などどうでもいい」
からかうようなユグドの笑みから魔王は顔を背ける。
「しかし私が全力を発揮できたところでアマテには勝てんぞ」
「そうじゃろうな」
話題を逸らすように口にしたその言葉にユグドは同意する。もともとその力に大きな差があるのだから全力を発揮できようがあまり関係はない。
「しかしやりようはあるものじゃ…………さっきも言ったが、力の大きさというのは絶対ものではない。やりようによっては弱いものが強いものを殺せることは過去に幾度となく証明されておるのじゃからな」
「…………具体的に言え」
まどろっこしい言い方をするなとヨミはユグドを睨みつける。
「つまりじゃ、わしらは最終的に勝てばよいのじゃから…………わざわざ正面から挑むこともなかろう?」
正面から殴りこめばそれだけ純粋な力勝負になってしまう。
「つまり?」
「ちくちく嫌がらせをしようではないか」
自信を持って、ユグドはそう言った。
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