五十九話 信用の担保
「えっとそれじゃあ、早速繋いでみる、よ」
やることは決まったし日陰も覚悟を固めた。その覚悟が鈍らないうちにと早速彼はそう提案する。アマテに挑むにしてもまず日陰がその神域にこの部屋を繋げるか同課を確認して見なくては始まらないのだし。
「ああ待つのじゃ日蔭殿」
しかしそれを少し慌てた調子でユグドが止める。
「えと、なに?」
「それを試すのは全ての準備を整えてからじゃ」
「え、でも…………」
仮に日陰がアマテの神域へとこの部屋を繋げなかったとしたらその準備も無駄になる。だからまず繋げるかどうかの確認をするのが大切だと彼は思うのだ。
「先ほども説明したが神の領域たる神域はその神の肉体の延長のようなものじゃ…………そこに空間を繋げるということはその体に直接穴を空けられるようなものである、らしい」
語尾をやや自信なさげに語りつつ、ユグドは魔王を見やる。
「そうなのじゃろう?」
「…………そうだ」
「なにを拗ねておるんじゃ、お主」
元々好意的な態度ではなかったが、どこか不貞腐れた態度の魔王にユグドは眉を顰める。
「別に拗ねてなどいない」
つんけんとした口調で魔王はそれに返す。プライドが高いからこそプライドを傷つけられたからだとは口にできなかった。
「お前の言った通り神域はその神にとって自身の体も等しい。そこにこの部屋を繋げたのだとすれば即座に気づかれるだろう」
それを誤魔化すように魔王は自身の内にあるツクヨの知識を口にする。神当人の記憶によるものだからそれは確かな知識だ。
「…………日陰殿、そういうことじゃ。下手に試して気づかれれば自ら不意打ちの機会を放り捨てるだけになりかねぬ。試すにしても戦う準備を整えてからというわけじゃ」
「戦う準備、って…………」
「少なくともそこに転がっておる奴を戦力せねばならんじゃろう」
現時点で魔王はアマテどころかユグドにすら勝てない状態だ。そのことにまた魔王がプライドを傷つけられた表情をしたがユグドはそれに気づかないふりをした…………指摘してもいいのだが流石に魔王をからかって遊んでいられる状況でもない。
「で、でもどうやって?」
そもそも魔王が力を失ったのも日陰の自覚あってのことではない。無意識の防衛本能の結果のようなものらしいが、だからこそどうすれば戻せるのかわからなかった。
「私に力が戻るように意識しろ、それだけでいい」
この部屋は日陰の神域でありその死が反映される…………だから別に難しい話ではなくそれだけでいいのだ。
「…………戻った?」
一応念じて見て彼は魔王を見る。
「もっと本気でやれ!」
「そ、そんなこと言われて、も」
憤るように日陰を見返す彼女にびくりと彼は身を縮ませる。
「これ、そういう態度があかんのじゃろう」
呆れるようにユグドは魔王を見下ろす。
「日蔭殿はお主に同情はしておるが信用はしておらん。だからこそ無意識にお主の力を戻すことを拒否しておるのじゃろう」
同情するのと信用するのはまた別の問題だ。日陰は魔王に同情したからこそ彼女を殺すことは望まなかったが、同情とは一方的なものでしかないのだ。同情された側がした側に無条件でほだされる理由はないどこにもない。同情に悪意を返されることなんてどんな世界でも日常的に起こっているようなことなのだから。
「この部屋にいる限り私の力なんてまた奪うのは造作もないはずだ」
もしも魔王が翻意を見せたらその瞬間にまた力を奪えばいい…………それくらいこの部屋においては日陰と魔王の間には差がある。
「命のやり取りが力の優劣だけで決まるのならばお主の母はアマテに負けなかったであろう。そのことが神とて隙あらば何者に殺されてもおかしくないことを証明しておる」
ツクヨとアマテが同格の神であったと説明したのは魔王自身だ。力は同格であるのにツクヨが敗北したのは戦いに対する覚悟や経験の差であったろう。それはつまり神々であっても単純な力量以外のところで勝敗が決まるということであり、それこそ性格的に戦いに向いておらずまだ神としての自覚の薄い日陰であれば魔王が隙を突くチャンスはいくらでもある。
「そもそも私が今更お前たちに逆らう意味があるか?」
「まあないじゃろうな」
それはユグドも認める。魔王にしてみれば数千年以上も歳月の中で唯一訪れたアマテへの復讐のチャンスだ。いくら隔意があろうともここで日陰たちに喧嘩を売ってそのチャンスをふいにする理由はない。
「しかし信用とは理屈だけで得られるものではないからの」
相手の心の中が見えない以上、重要なのは信用だ。そしてその信用は理屈だけではなく情や実績によって得られることが多い…………そのどちらも魔王にはないのだ。
「では私にどうしろと?」
「誓いを立てよ…………日陰殿やわしらに対して決して敵対せぬとな」
無論それはただ口にするだけではない。物理的に縛られることとなる魂の誓約だ。一度誓いを立てれば生半可なことで破ることはできなくなる。
「…………わかった」
裏切ることを考えていたわけではない。しかしそれでも魂の誓約には覚悟が必要だ。破ることのないその誓約は利用されれば魔王自身に致命的な状況を作りかねない。極端な話その誓いを立てた途端に日陰たちの方から裏切られれば魔王は抵抗できずに殺されるだろう…………しかしそれであれば今も同じだ。その覚悟を決めるだけで一定の信用が得られるのなら今の彼女に選択肢は他にない。
「起き上がってもよいか?」
「いいじゃろう」
許可を得て、せめて姿勢だけでも正したいと魔王は起き上がる。そして誓うべき対象である日陰をじっと見つめた。
「私はこの魂にかけて誓う…………今後お前たち三人に敵対しないことを。もしもこの制約を私が破ればその魂は砕かれて転生も叶わぬ身となり果てることを」
傍目からはただ口にしただけ、しかしその言葉は彼女自身の魂へと刻み込まれる。もしもその誓いを彼女が破ればその魂は誓った通りに砕け散るだろう…………それがわかった。ただその声を聞いただけのはずなのに日陰にはそれが見えるようだった。
「これでいいだろう…………力を戻せ」
「あ、えと…………うん」
じっと自分を見る魔王に日陰は頷く。彼女がもう裏切るようなことはないだろうと彼にはわかる…………だからそれに異存はないのだけれど、まだ気にかかることがあった。
「どうした?」
「ええっと…………」
別に彼女の力を戻すのに関係のある話ではないのだけれど、彼女を信用できるようになったからなのかふと気になってしまったのだ。
「その、君の名前って…………聞いて、いい?」
そういえば、魔王の名前を聞いていなかったなと。
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