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五話 とりあえずの安堵

「即答とはまたずいぶんな反応じゃのう」


 自身の提案を即座に却下した日陰にユグドは微妙な表情を浮かべる…………とはいえその反応を予想していたのか不快というよりは呆れるような反応だった。


「とはいえわしもそうですかと引き下がるわけにもいかん。脅しのようで気は引けるが日陰殿には己の立場を思い出してもらわねばいかんのう」

「た、立場って…………」

「水も食料も限られておるのじゃろう?」

「それは、うん」


 日蔭にとっては否定もしようもない事実だ。


「つまりわしの提案を断ればそう遠くないうちに日陰殿は死ぬわけじゃ…………それもそれなりの時間を渇きと飢えで苦しんで、の」

「!?」

「驚くふりなどせずともよい」


 こんなことは考えるまでもなくわかっているはずのことなのだから。


「もちろん限界が訪れる前に状況が打開される可能性はあるじゃろうし、少し苦しくなった時点で考えを改めてわしに助けを求めるかもしれん…………しかしその時にわしが再びやってくるとは限らぬし、その際には条件をより自分に有利なものへとわしは変えるじゃろうな」


 そもそも日陰が外に出ないのであれば連絡手段もないのだからユグドとの交流は彼女の来訪を待つしかない。しかしその提案を断られたならユグドが再びこの部屋に訪れる理由はないし、もし再訪したとしても状況が変わっていれば取り分に変更があるのも当然の話だ。


「ゆえに決断すべきは今じゃ…………無論日陰殿がこの部屋でこのまま果てたいというのなら無理にとは勧めぬがの」


 そうなればユグドとしても有望な避難先が消えてしまうことになるが、彼女からしてみればこの部屋への来訪は偶然で最初からなかったと思えば諦めもつく…………とはいえユグドは断られると思ってはいなかった。この部屋が彼女のいる世界に繋がったのは日陰が無意識に希望を求めてのことだと考えているからだ。


「うぅ………お願い、します」


 そしてその予想は違わず日陰は折れた。元々水がなくなるから行動を起こそうと考えるくらいに危機感は覚えていたのである。それがユグドに出会ったことで薄らいでしまっていたが、彼女に現実を再認識させられたら選択肢などない。


「契約成立じゃな」


 満足げにユグドは頷く。対照的に選択肢のなかった日陰は気落ちした表情だ。


「ではこれはとりあえずの手付けじゃ」


 だからというわけではないだろうが、ユグドは木彫りの水筒と大きな葉の包みを取り出して彼へと差し出す。


「えっと、手付けって?」

「手持ちのものになってしまって申し訳ないのじゃが、現状ではこの部屋に出直せるという保証はないからのう。そうでないにしてもこの部屋と繋がるのは週に一度ということだってあり得なくもないじゃろう…………じゃからとりあえず手持ちの物をおいておく」


 仮に一度出て戻ってこられないとしたら、何も置いていかないのはユグドも気が引ける。手持ちではわずかな延命にしかならないだろうが、そうして延びた間に別の世界に部屋が繋がる可能性だってあるだろう。


「…………ありがとう、ございます」


 言われてみればそういう可能性もあるのだと気を重くしながら日陰は礼を述べる。彼は一度ユグドの提案を蹴ったが、それはプライベートスペースを侵されるのが嫌だっただけで彼女に嫌悪感があったわけではない。そもそも彼にしてみれば久しぶりの会話ができる他者であり完全に絶縁したいはずもないのだ。


「では今日のところはお暇するとするかの…………可能であるなら早いうちに正式な対価を持ってくるとするのでな、幸運を祈っておってくれ」

「あ」


 立ち上がろうとするユグドを日陰は一瞬引き止めようかと迷うが、一度提案を蹴っておきながら虫が良すぎるだろうと恥じて諦める…………それに彼女を引き留めたところで水も食料も限られているのだから共倒れになるだけだ。


「ではまたの」

「うん、また」


 日陰にできることは、彼女のくぐった扉からまたユグドが戻ることを祈ることだけだった。


                ◇


「…………はあ」

 

 ユグドが去った後で力が抜けたように日陰は布団へと倒れこむ。もう慣れたと思っていたのに一人になったという孤独感を強く感じる。それくらい自分は他者との会話に飢えていたのかと自覚すると同時に彼女の存在が恨めしくなる…………再びこんな気分を味わうくらいなら出会わないほうが良かったとすら思える。


「戻って、来るよね?」


 それでも孤独の辛さを思い出してしまってはそれに縋るしかない。しかしユグド自身が懸念を告げていたように再び戻って来れるという保証もないのだ。なぜなら彼自身もどうしてこの部屋が異世界に繋がってしまったのかなどさっぱりわからないのだから。


「…………」


 とはいえそれを確認する方法は簡単だ。日陰の向けたその視線の先にある扉を開けてみればいい。その先があの森に繋がっていればユグドは問題なく戻って来れるだろう…………仮に本来あるべき廊下に戻っていたのだとしても当初の予定通り水の補給はできる。


「そういえば、水貰ったんだった」


 しかし日陰は布団から起き上がろうとせず視線を外してそう呟く。それは現実逃避以外の何もでもないが喉の渇きを覚えたのも事実だった。元からあったペットボトルの水もまだ多少は残っているが彼はユグドから渡された手彫りの水筒を手に取る…………そう、使い捨てではない水筒なのだ。それならば彼女が戻って来た時に返せるよう先に消費しておくべきだ。


「あ、なんかうまい」


 なんというか普通の水以上にみずみずしいというか生命力に溢れている感じがする。ユグドの暮らす森は世界樹の恩恵があると言っていたから飲み水も特別なのかもしれない。飲んだだけで健康になった気分を日陰は覚えていた。


「…………こっちもうまいの、かな」


 思い出したように空腹を感じて彼は木の葉の包みへと視線をやる。思い出してみるとそれが何かをユグドは説明していかなかったが、話の流れからすると食べ物である可能性は高い。掌ほどの大きさの包みだから中も大した量ではないだろうが、水の美味しさを思えば素材の味には期待ができる。


「これは…………クッキーかな?」


 植物の蔓で結ばれた包みを解くと中には茶色い板状のお菓子のようなものが数枚重なって入っていた。蜂蜜の甘い香りがするから恐らく甘い。丁寧に焼き上げられているのか香ばしい香りもする。


「エルフも、火を使うんだ」


 日陰の中ではなんとなく使わないイメージだったが、考えてみれば生活するうえで火を使えないというのはかなりのデメリットだ。森での火の使用は使い方を考えるべきではあるが、森と共に生きているエルフなのだからその辺りは熟知しているのだろう。


「ん、これも美味い」


 小麦粉と蜂蜜を練って焼いたようなシンプルな作りだが、サクサクとしていて程よく甘くてなんだか滋養に溢れているように感じられる。市販のクッキーであれば二枚三枚と食べてしまうものだけど一枚で十分な満足感を日陰は得られた。


「ふう」


 一枚だけ食べて包みを丁寧に戻して日陰は満足げに息を吐く。


 久しぶりに生きた食事をしたような、そんな気分だった。


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