五十五話 殴りたい奴を殴りに行く
「えっ…………えっ!?」
日陰ならアマテのいる場所に繋げて殴りに行ける。そんなことを冥利に言われた彼はただ戸惑うしかなかった。出来るかどうかもわからないし、そもそも彼にアマテに喧嘩を売りに行くという発想は全くなかった。
「たいむ、たいむじゃ」
そこにユグドは割り込んで両手を広げる。
「ちょっと冥利殿と話がある」
しかし流石に魔王を残してクローゼットの中にはひっこめないからか、ユグドは冥利の肩を掴んで部屋の隅へと引き寄せる。
「…………何を考えておるのじゃ」
「何をも何も今口にした通りだよ」
小声で二人は話す。
「彼女に本懐を遂げさせてあげれば全部解決するだろう?」
「それは確かにそうじゃが…………」
その発想それ自体はユグドも認めるしかない。
「勝てるはずもなかろう」
「うん、それはそうだろうね」
冥利は頷く。挑むどころか世界を渡ることすらできない魔王にアマテを倒すのは不可能だろうと冥利も理解している。
「でもそれならそれでいいじゃないか。確かに彼女は死ぬことになるかもしれないけど、別にあたしたちが殺すわけじゃないし」
冥利たちはただその本懐を遂げさせてあげるだけだ。チャンスを与えるだけでその結果まで責任を持つ必要はない。
「これなら全員が丸く収まるじゃないか」
魔王はその本懐を遂げ、空いた土地を二人が貰い、日陰はプライベートスペースを取り戻せる。
「まあ、それはそうじゃが…………」
問題はそれを魔王が受け入れるかだ。
「全部聞こえているぞ」
そこに魔王が口を挟む。二人は小声ではあったがそれでも距離は近いし魔王の身体能力は常人のものではない…………全て筒抜けだったようだ。
「私はそれでも構わない。このまま朽ち果てるよりアマテに一矢でも報いる可能性があるならそちらを私は選ぶ」
元々長く報われない復讐に疲れ果てていたのだ。万が一でも一矢報いて散ることのできる可能性があるのなら彼女はそちらを選ぶ。
「言っておくが、一矢報いる可能性などゼロに近しいぞ」
まるで彼女を思いとどまらせるようにユグドは忠告する。
「お主の力は神に及ばぬが、その性質は神に近しいのであろう? それであればお主の本領が発揮されるのは自らの領域の中じゃ…………逆に他者の領域に踏み込めばどうなるかは今まさに体験しておるじゃろう?」
憤りに任せてこの部屋へと飛び込んだ結果、魔王は無力化されているのだから。
「神ってそういうものなのかい?」
「そうでないなら魔族など使わずこ奴が直接わしらを滅ぼすために出張って来ていたはずじゃ」
「なるほど」
この部屋に飛び込んでくるまで魔王の力は圧倒的だった。あれだけの力であれば魔族の再現などを利用せずとも直接ユグド達を滅ぼせたはず…………それが出来なかったのはあくまでそれだけの力を発揮できるのは自身の領域だけという制約があったからだ。
「考えてみれば君と世界樹の関係のようなものか」
「世界樹も神に連なる存在ではあるじゃろうからな」
似たような性質であっても不思議ではない。
「別にそんなことはお前たちには関係ないはずだ」
「そうでもない」
放っておけと言わんばかりの魔王にユグドは首を振る。確かに魔王が勝手にアマテに挑んで死ぬのであればユグドは構わない…………しかしそこに加担するとなれば話が変わる。
「確実に死ぬとわかっていて送り出すのであれば殺すのと変わらぬであろうが」
「えー、そこを気にしちゃうのかい?」
冥利が意外そうな声を挙げる。
「そもそもあたしたちは彼女を殺すつもりだったのに」
「それと今では状況が変わったじゃろう」
ユグドは冥利を見る。
「冥利殿は何のために人種と魔族のどちらが悪いと確認したのじゃ?」
「あー」
「そういうことじゃ。確かにわしは魔王がどう死のうと構わぬし、それに自らが加担することも気にせん…………しかし日陰殿はそうではあるまい」
ちらりと、部屋の隅に座ったままの彼をユグドは見やる。
「世界を脅かす悪者に爆弾を放り込むのと、母親の仇を討たんとしている健気な娘を死地に送り込むのではまるで違う」
それこそその実行には天と地ほどの重さの違いがある。
「じゃあどうするのさ」
魔王の持つ恨みはアマテに直接ぶつけることでしか果たせない。このまま解放しても彼女はその部付け所のない恨みをこれまで通りあの世界の魔族以外の全ての生命へと向けるだろう。かといってただ殺してしまうには三人は魔王の事情を知り過ぎた。
「…………考えてみれば、わしもアマテという神に対して思うところがないでもない」
ふと思い出したようにユグドは口を開く。
「ツクヨという神に頭を下げる、たったそれだけでよかったはずじゃ…………ほんの少しの間自らのプライドを収めるただそれだけで全ては丸く収まったはず。それだけであの世界に魔族と人種が共存していた可能性だってあったじゃろう」
そう、本当に些細なことなのだ。その些細なことをアマテがしなかったがゆえに平和な未来は失われて約体もない争いが延々と続いた。
「わしら被造物がいくらアマテが創造主であろうと、なぜそのわがままにここまで振り回されなければならないのじゃ」
魔王の恨みは正当だがそれをぶつけられるユグド達にとっては理不尽なものだ。そしてその原因は全てアマテにあるのだ。
「つまり、ユグドもアマテに一矢報いてやるつもりなのかい?」
「そんな気分ではある」
頷き、ユグドは冥利を見る。
「冥利殿はどうじゃ?」
「別にあたしはそのアマテとやらに恨みはないんだけど…………」
いやな奴だなあとは思うが、彼女にしてみれば文字通り別世界の話だ。
「でもまあ、神とやらにあたしの技術がどれだけ通用するか試してみたい気持ちはある」
だからにっと笑って冥利は返す。新しくできた友人の力になってやりたいという気持ちもあるし、魔王に対する同情もあった。
「では決まりじゃな」
ユグドは魔王を見る。
「元々ゼロのような可能性が僅かに上がった程度じゃろうが、それでもマシじゃ」
「…………お前たち」
戸惑うように魔王はユグドを見る。
「礼は言わんぞ」
「わしのほうこそお主の感謝など聞きたくはない」
二人の関係は敵ではなくなった、ただそれだけでしかない。
「…………」
そんな二人のやり取りを見ながら、日陰は思う…………自分はまだ何も、承諾はしていないんだけどなあと。
しかし部屋の空気は完全にもう決まってしまっていた。
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