三話 交渉
「さて、結論から言えばわしはただここに繋がった扉をくぐって来ただけでしかない。ゆえに何故繋がったのかという疑問への答えは持っておらぬ。正直に申すなら統合前のわしはその答えを求めて扉をくぐったようじゃしの…………その先にどのような相手が待ち受けておるのかもわからぬというのに実に愚かな話じゃが」
かつての自身に呆れるようにユグドは溜息を吐く。未知の扉の先に待っているのが穏当な相手かもわからないし、そもそも自身が生存可能な空間であるかもわからない…………そんなところにいきなり突っ込んでいくのは無謀としか言えない。
「とはいえ原因がわからずともこの部屋の現状は想像できる…………それでそもそもの話じゃが、日蔭殿はどうしたいのじゃ?」
「え、どうしたいって…………」
じっと自分を見るユグドに困惑したように日陰は見返す。
「今はわしの世界と繋がっているであろうこの扉を元に戻したいのか、という話じゃな」
「そ、それは…………」
勿論と言いかけて日陰は言葉を詰まらせる。確かにこうなる前に彼は水を取りに行くために部屋を出ようとしていた…………けれどそんなギリギリの状況になるまでに水を取りに行く機会などいくらでもあったのだ。
部屋の外に保管してあった水の量などたかが知れている。安全を考えれば早い段階で全て運び込んでおくべきだったのにそれをしなかったのは…………できる限り部屋を出たくなかったからだ。
「どうしても外に出たくない時、外の世界を否定する時に確実なのはその扉の向こうが別の世界に繋がっていることじゃろう…………それならば絶対に元々の外へと出ることはあり得ないのじゃからな」
「僕が願ったから、こうなったって、こと?」
「現状ではそう思えるという話じゃ…………それを確実にするならそこの窓を開いてみればよい」
「それは駄目だ!」
カーテンに覆われた窓へと視線を向けたユグドに日陰が血走った目で叫ぶ。
「あ、開けると…………危ない」
「確かに、その先にどんな世界が広がっておるかわからぬからの」
しかしすぐに消沈して気弱な表情を浮かべる日陰にユグドが肩をすくめて見せる。
「わしの見立てではこの部屋はすでに日蔭殿の元いた世界に存在してはおらん。恐らく世界と世界の間の狭間とでもいうべき空間にあるはずじゃ。ゆえにその窓はわしの世界ではなく別の世界に繋がっている可能性は十分にあるのう」
「せ、世界の狭間…………」
思わずといったように日陰は自分の部屋を見回す。そこはいつもと変わらない光景なのに、存在している場所そのものが変わってしまっているというのは想像しがたい話だった。
「だから、確認したければその窓の外を見てみればよかろうに」
「…………」
ユグドの言葉はもっともだ。カーテンの隙間から窓の外をちょっと覗き見るだけでいい…………けれどそのちょっとに日陰の体は動かない。だってそこは外なのだ。部屋の扉の向こうにあるはずの廊下ではなく、外の世界が広がってしまっているのだから。
「やはりこの部屋の状況は日蔭殿にとって都合がいいのではないのかな?」
問われたその言葉を日陰は否定できない様子だった。
「さてそれを前提に話を進めるとなれば、日陰殿がこれからどのように生きるのかという話になるとわしは思う」
「い、生きる?」
「わしの見る限りこの部屋に食糧生産の力はなかろう? 水は確保できておるのか?」
「…………」
食糧も水もないというのが日陰の現状だった。それで彼は保管してある場所に行こうとし…………こんな良くわからない状況に置かれてしまったのだから。
「それでじゃ、こちらの条件を呑んでくれればわしが水と食料を供給してもよい」
「…………条件って?」
はっきり言ってしまえば日陰に選択肢などなかった。仮に扉が本来の廊下に繋がっていて水を補給できても結局はそこにあるだけしかない。こんな異常事態にならなかったならばあと二か月程度で彼は困窮して衰弱するか、トラウマを乗り越えて外へと踏み出す以外の選択肢はなかっただろう…………そういう意味では確かにこの状況は幸運ともいえる。
「何そう大した条件ではない。日に数時間ほどこの部屋に滞在させてもらいたいだけじゃ」
「…………」
「露骨に嫌な顔をするのう」
心から嫌そうな顔をする日陰にユグドは呆れた表情を浮かべる。自分だけの空間を他人に侵される気持ちは彼女にもわからないではないが、この切羽詰まった状況でも取り繕いすらしないのは狭量を通り越してもはや豪胆だ。
「しかし今の日陰殿に選択肢などあるまい?」
「…………」
その通りで、彼は押し黙るしかない。むしろ条件としては破格でそれを渋る日陰のほうがおかしいのだ。例えば部屋にあるものと交換などであれば有限でいつか限界が来るが、場所を貸すだけとなれば彼に減るものはない。
「正直なところ弱みに付けむようでわしも気が進まぬのじゃが、こちらにも事情がある故この条件は譲れぬ。その事情がなければ日陰殿にわしの村で暮らさぬかと勧誘しても良かったくらいなのじゃがな」
彼がそれを受け入れるかどうかは別としても複数の選択肢を提示することに意味がある。選択肢が一つであれば押し付けられたと思うかもしれない。しかしそれが二つあったのならどちらかを自分で選んで決めた結果となるからだ。
「じ、事情って?」
「ぶっちゃけわしの置かれている状況があまり芳しくなくての」
やれやれというようにユグドは肩を竦めて溜息を吐く。
「わしらの暮らす里…………あー、日陰殿はエルフの生活についてはどの程度の知識があるのじゃ?」
「えと、森で暮らしてる、くらいのイメージ、だけど」
「その認識で間違ってはおらぬが、正確には世界樹を中心として広がった森で暮らしておる」
「世界樹」
エルフとセットでよく聞く単語だと日陰は思い出す。
「ものすごくでっかくて、神聖で特別な、樹だっけ」
「立派ではあるが、恐らく日陰殿が想像するほど大きくはないぞ」
「…………そうな、の?」
「世界樹の表す世界はあくまでわしらの暮らす世界という意味合いじゃからな」
世界全体を司るようなものではないのだとユグドは説明する。
「わしらエルフの生活は世界樹との共生で完結しておるのじゃ…………わしらは世界樹とそれに連なる森を管理する代わりにその恩恵を受けて暮らす。世界樹の恩恵によって森の気候は安定しておるしその恵みも絶えることはないから生活に困ることはない。それゆえに不測の事態を持ち込まれぬよう里は結界によって外界と閉ざしておるのじゃ」
なるほど確かにそれはひとつの世界だと日陰は思う。世界樹とエルフによってその生活は完結しているから外は必要ないのだ…………その生活に変化さえなければ永遠の安定がエルフたちにはもたらされているのだから。
「ええとでも、話の流れからすると、外から厄介ごとが持ち込まれたって、ことだよね?」
「そうなるの」
ユグドは頷く。
「たとえ結界で里を閉ざしてもわしらの存在そのものが世界から消えるわけではない。他者を拒むということはそこに貴重なものがあると喧伝するようなものでもあるし、実際に外の世界では手に入らぬものが里に山ほどあるからのう」
自分達だけで引き籠っていたいで許してくれるほど世間は甘くないのだ。
「それでもこれまでは何とかうまくやって来たのじゃが、今回は難儀でな」
大変そうに、しかしどこか他人事のようにユグドは話す。
「里始まって以来の存亡の危機、という奴じゃ」
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