三十六話 追い出す先はどこなりや
「そういうわけ、だから…………今すぐとは言わない、けど、出ていく努力を、してください」
「なんとも急な話じゃのう」
改めて話があると朝斗から言われて集まった時点でユグドは半ばその予想はしていた。現状で日陰が話したいことなんてそれくらいしかないからだ。しかしわかっていても急な話であることは変わりなくユグドは困惑する。
「あー、もしかしてお風呂の一件かな…………あれはあたしたちも本当に悪かったと思っているんだ」
「…………それは、もういいですけど」
謝罪もされたし二人に悪意があったわけではないのも日陰はわかっている。
「とにかく、嫌なんです」
「そこまではっきり言われちゃうとお姉さん傷ついちゃうんだが…………」
ショックを受けたように冥利がしょんぼりとした顔を浮かべる。
「あたし、そんなに日蔭君に嫌われるようなことをした?」
「…………いやだから、そういう話じゃ、ないです」
静かに日陰は首を振る。
「二人のことは、その…………嫌いじゃないというか、変な意味じゃなくて、好きです」
二人を嫌う要素が日陰にはない。ユグドにはお世話になっているのもあるし、冥利も気のいいお姉さんという感じで好意こそ抱いても嫌うことなんてない…………もちろんそれは恋愛的なものではないが。そこまでの気力がまだ彼にはない。
「ならば何が嫌なのじゃ?」
それでもなお二人を遠ざけたいという日陰の気持ちをユグドは問う。
「その…………近い」
「近いとは距離の話か?」
「うん、それに…………部屋にあんまり入って、欲しくない」
二人は好きだが、それはそれとしてそれが日陰の本音だった。
「ええっと、あたしの研究室をユグドと同じクローゼットの中に移すのでは駄目かい?」
「…………近い」
ユグドに対しても近くて嫌だと言っている時点で、冥利が同じ場所に移動したところで意味がない。
「ふむ、しかし出ていけと言うが日陰殿とてわしらがおらねば生活が立ちいかぬことは理解しておろう?」
「…………それはわかってる、けど」
確かに冥利はともかくユグドがいなくては日陰も水食糧を入手できない。彼女は滞在の対価として潤沢に水食糧をくれたからしばらくの蓄えはあるけれど、それが無くなったら補充する手段が彼にはない…………ただ、それを理解していても嫌だという感情は消えない。
「ふむ、理屈ではなく感情ということじゃな」
だからこそどうしようもない。理屈であれば定まった答えはあるが、感情であればその答えは人によって千差万別。あっさり見つかることもあれば永遠に見つからないことだってあるのだから。
「あたしもユグドも日蔭君に接触するのをこれまでよりも抑えるのは駄目かい?」
「…………」
冥利の研究室をクローゼットの中に移せば、少なくとも彼女がユグドに会いに行くのに日陰の気を遣わせることはなくなる。それであれば後は最低限ユグドが日陰に水食糧を渡すときにだけ接触するようにすればいい…………しかし日陰の反応は芳しくなかった。
「駄目じゃよ冥利殿、日陰殿はわしらのことを自身の領域を侵す異物と認識してしまった。それは回数や時間ではなくそこに存在することだけが問題なのじゃ」
「えぇ…………日蔭君は私たちのことは好きだって言ってるのに」
「それとこれとは別問題なのじゃよ。親しき中にも礼儀ありというのじゃろう? 冥利殿だって自分の研究室に他人が入って来るのは好ましくないのではないか?」
「それはまあ…………うん、わかるけれども」
誰にだって友人や家族にだって入って欲しくない聖域はあるものなのだ。
「日陰殿も今まさに新たな道を切り開いているその最中。本能的なものがより強く顕れてもおかしくはあるまいよ」
「いやそれはよくわからないけれど」
新たな道とか言われても日陰にはわからない。彼はただ先の見えない部屋の中で身じろぎしているだけのような状態だ。今のこの状況だって日陰自身が何かしたわけではなく勝手に周囲の状況が変わっただけだ。
「まあ、それは日蔭殿が意識する必要はない…………問題はわしらがどうするかじゃ」
「まあ、家主が嫌だというのならあたしという居候は出ていくしかないのだけどね」
冥利にしてみれば日陰は命を救った恩人でもあるし、その恩人に迷惑をかけ続けるというのは本意ではない。もちろん冥利もただ居候するわけではなく、あのお風呂場のように日陰の生活を便利にする形で恩を返していくつもりではあったが…………出ていけと言われるのならそれに従うのに抵抗はなかった。
「問題は、出ていくにしてもあたしにはその先がないってことだなあ」
なにせ冥利は自身の世界から逃げてきたところだ。戻ったところであちらの世界では国から追われる身になっているだろうし、そこから逃れたところで世界戦争の真っ只中でしかも先がないのがわかっている。戻ったところで長生きはできないだろう。
「ユグドさんの世界のほうは大丈夫だったりしないのかい?」
「生憎とわしも故郷は滅ぼしてしまったからのう…………」
文字通りぺんぺん草も生えない状態であり、戻ったところで咎めるものもいないだろうが生活できるような場所でもなくなっている。
「冥利殿の世界のように世界を道連れにするような戦争をしておるわけではないが、戦時中であるのも間違いないしのう」
「しかしあたしの世界よりは可能性はあるのだろう?」
「それはまあ…………うむ」
思案するようにしながらユグドは頷く。
「魔族と人間の争いは長いが戦線は概ね膠着…………いや、人間側が僅かに勝っている状況が続いておる。長年戦い続けているせいで開拓の進んでいない地域もあるし、そういった場所を選べば落ち着く場所もあるじゃろう」
しかしそこまで口にしたユグドは苦い表情だ。嘘を吐きたくはないので素直に彼女も答えはしたが、それは日陰が二人を追い出しても問題なく思えてしまう情報だからだ。
「人間側が常に優勢なのに戦争が終わっていないのかい?」
しかし日陰がそこに食いつくより前に冥利が疑問を挟む。それは日陰も気になったことなのか彼のほうもユグドの返答を待っているようだった。
「ああそれはじゃな、簡単に説明すると人種の住む大陸と魔族の住む大陸は分かれておるのじゃよ。人種の住む大陸のほうが広く資源も豊富で人口も多い。基本的に魔族は人種の住む大陸へと侵攻をかけてきているわけじゃが、その差もあって撃退されているというのが現状じゃな。もちろん撃退と言っても完全に追い払えておるわけではなく、ある程度の勢力が入り込んでわしの故郷のようにちょっかいをかけたりしておるがな」
「優勢だけど逆侵攻をかけられるほどの余力もないわけだ」
「うむ。やはり海を越えた大陸に侵攻するというのは生半可なことではないからな。人種は国家連合として魔族に対抗してはおるが完全な統一国家でもないしのう」
協力関係であっても一つの国家でない以上は足並みをそろえるのも難しい。国によって国力の状況も違うだろうし、そうなれば出せる戦力は国によって異なる…………しかしどの国だって自分だけが損をするのは嫌だろう。敵の大陸に乗り込むとなれば損害は確実に大きくなるし、戦力を多く供給できる大国ほど逆侵攻に否定的なのではないだろうか。
「んー、これは根本的な質問なんだけどね」
「なんじゃ?」
「その魔族と人間って…………どっちが悪いのかな」
「?」
怪訝な表情をユグドは浮かべる。
「それが重要なのかの?」
「え…………重要、だよね?」
思わずといったように日陰が口を挟む。
「日陰殿、戦争なんぞ結局は生存競争…………そこに悪も正義もありはせんぞ?」
自然界で考えれば強者が弱者を蹂躙するようなことは日常茶飯事だ。そして気取ったところで人間や魔族であろうとも自然の一部であるのには変わりない。どちらが悪いなどという考え方は結局当事者たちの主観に過ぎないのだ。
「いやそういう堅い話があたしはしたいわけじゃなくてさ」
しかしそんなユグドの話を冥利は横に置く。
「あたしが知りたいのはさ…………どっちを殴れば心が痛まないかって、話なんだよね」
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