三十四話 間に挟まれてもどうしようもない
「…………なんで本当に、入って来るんですか!」
「??」
お風呂場に入って来た冥利とその後ろのユグドへと朝斗は湯船から叫ぶ。あんなことを言っていたが彼が湯舟まで浸かるまで入っては来なかったのでてっきり冗談なのだと思っていた。しかし冥利はそんな彼の戸惑いを不思議そうに見返す。
「背中を流すと言ったじゃないか」
「言いました、けど!」
本当に流しに来るとは思っていなかったのにと日陰は冥利とユグドから目を逸らす。当然のごとく二人は裸でしかも自分の肌を隠す気が一切ない様子だった。
「なんで裸、なんです!?」
「お風呂だからに決まってるじゃないか」
今更気づいたように叫ぶ日陰に冥利は怪訝な表情で返した。
「そんなことより背中を流してあげるから出て来たまえよ」
「…………」
ぶくぶくと逆に湯舟へと日陰は顔を沈める。
「なぜ沈む」
「まあまあ、日陰殿は奥ゆかしいのじゃよ」
本気で疑問を浮かべる冥利を窘めるようにユグドは声をかける。
「いきなり肌を触れ合わせるのではなく慣れが必要じゃ…………少し時間をかけなくてはな」
「む、そういうものなのか? 昔からあたしは研究ばっかでどうにもそういうのには疎くていけないね」
「なに、それこそ慣れじゃ」
流石は年長者というか冥利を宥める流れに、それを見ていた日陰はほっと息を吐く。このまま帰ってもらって今後風呂に入る時は二人が寝ている時にしようと彼は決めた。
「そんなわけじゃから、お互い慣れるためにまず湯舟に浸かろうではないか」
「なるほど、そうしよう」
「!?」
しかし予想外の展開に日陰は思わず湯舟から顔を上げて水しぶきを飛ばした。
「な、なんで!?」
「じゃから、慣れさせるためと言うたが?」
「な、慣れないよ!」
「それはやらねばわからぬことじゃ」
そして日陰の承諾を得る必要はないというように、ユグドは冥利と共に彼の方へと近寄っていく。彼は咄嗟に逃げようとするが湯舟は風呂場の奥にあるので後方には逃げ場がない。そして出口に逃げようとしてもそちらには二人がいるのだ。
「では失礼するぞ」
「すまないね」
「ちょ、三人も入れない、からっ!」
「わしは小柄だしいけぬことはなかろうさ」
日陰の抵抗もむなしく二人は湯舟へと入り込んで溢れたお湯が外に零れる。確かに冥利の設計した湯舟は大きく三人では入れないこともなかったが、だからと言ってお互いのスペースがとれるほど広くもない。必然的に三人は密着するようにして湯舟に浸かる形となった。
「っ…………!?」
何がどこに当たっているかもわからない密着間の中で日陰にわかるのはなんだかやわらかいものに挟まれているという感触だけだった。その事実にかあっと全身が熱くなって頭の中が真っ白になる。
「狭いは狭いがこれはこれで悪くないのう」
「ふむ、湯船につかるというのもなかなか心地いいね」
「おや? 日陰殿の世界と似たような文化と聞いていたが、冥利殿は風呂に浸かる習慣はあまりなかったのか?」
「ほら、あたしの世界は水が貴重品だったから生活に使える水は最低限でね、湯船にたっぷりお湯を溜めて浸かるなんて文化はすぐに廃れたよ。だから決められた短い時間のシャワーで体を洗うしかなかったのさ…………その水にしたって濾過循環の使いまわしだしこんな新鮮な水は初めてだね」
なにせ世界樹の生みだした水だ。日陰も飲むだけで体が奇麗になるような気がした代物で、それにたっぷりと浸かっているのだから冥利の世界の基準で言えばとんでもない贅沢だ。
「…………」
そんな日常的な会話をする二人の間に挟まれて日陰は縮こまるように湯舟に顔を沈める。なんで二人がそんな平然としていられるのか彼にはまるで理解できなかった。
「しかしこうして改めて見るとやはりユグドは小柄だし若く見える。それで私の何百倍も年上なんて知らなければ想像もできないよ」
「成長せぬ体というのもあまりよいものではないぞ? どれだけ努力してもこの見た目から変わることがないからな…………正直に言えば世界樹の巫女となって間もなき頃にはもう少し成長したいと色々と努力したこともあった。結果は見ての通りじゃがな」
「あたしみたいな俗物からすると不老長寿とか羨ましいけどねえ」
「わしとしては冥利殿の背丈とその肉付きがうらやましくもある」
「あー、これ? 持ってる身からするとそんなにいいもんじゃないんだけどね。重くて肩こるし野郎共から鬱陶しい視線は来るし…………まあ、あの戦時下でも飢えずにたくさん食べて栄養とれた結果だと思うと文句も言えないんだけど」
その胸元の大きな二つの膨らみを冥利は持ち上げて見せる。ぶかぶかの白衣でわからりづらかったが彼女のその下の肉体はモデルもかくやという肉付きをしていた。ユグドが羨ましいと口にするだけあるその膨らみは必死で視線を向けまいとしている日陰の努力を嘲笑うように触れる感覚だけでその存在を主張していた。
「むう、明らかにわしより反応が良い」
それにユグドは眉をひそめて自身の体をより確かに日陰へと押し付けた。それにびくりと彼は身震いして逃げようとするが、当然彼女は逃がさないしそもそも逃げ場はない。
「ユ、ユグド!?」
「慣れじゃと言うておろうに」
「なれ、慣れない、からっ…………こんなの!」
「どんなことでもいずれ慣れる。それはわしが証明しておるとも…………しかしこれはなかなか新鮮ではあるがの」
こんな体験はユグドもこれまでしてこなかったから。
「もう出る、出るから!」
「まあまあ、そう言わずに。ゆっくり浸かろうじゃないか」
「そうじゃぞ、確かあれじゃろう? 百数える前でてはいかぬのであろう?」
「もう百くらい経ってる、から!」
二人が入る前から朝斗は湯船にいたのだ。
「しかしまだわしらは日陰殿の背を流しておらんし」
「頼んでないし! そもそも、背中は湯船に入る前に流す、ものだから!」
「む、そうなのか」
エルフには湯あみをする文化はない。代謝が低いのか老廃物もあまり出ないので基本的には濡れた布で体を拭けば十分に事足りるからだ。それでも世界樹は温泉を涌かせたりもできるので娯楽として入ることは偶にあったが、日陰の口にしたような作法が発展するほどエルフの中では一般的なものではなかった。
「まあ、湯船にゆっくりと浸かることを考えたらその方が衛生的だね」
ユグドと同じようにお風呂という文化からは遠い冥利ではあるが、現実的な見地からそれは正しいものの見方だと認める。
「でももう入っちゃってるから今更だよね」
「そうじゃな」
そしてそれをあっさりと放り投げた。
「次回は気を付けるとしよう…………もともと今回は慣れを優先するという話じゃったし」
「そうだね。日蔭君だって流石にこれで慣れただろうし、その時は恥ずかしがらずに背中も流させてくれるだろうしね」
「…………」
そりゃあこの状態に比べれば背中を流されることなんて恥ずかしくもなんともないよ、と思いながらも日陰はそれを口に出せなかった。精神的にも物的にも溜まった熱が彼の思考を白く染め始めていたからだ。
「…………きゅう」
日陰の全身から力が抜ける。
「む、いかん、のぼせたかの」
「あわわ、急いで外に出して冷やさないと!」
動揺したような二人のその声も、日陰にはもう聞こえていなかった。
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