三十一話 別れは直接じゃない方が言いやすい
「さてこの辺りなら良いじゃろう」
日陰とユグドはクローゼットの中へと移動していた。
世界樹によって広々とした空間になっているその場所には今のところほとんど物が置かれていない。一応世界樹の苗木の周辺にはユグドの生活に必要なものなどが置かれてはいるが、それ以外のスペースのほとんどはただ土があるだけの状態だ。冥利の指定した広い場所としては申し分がない。
「では押すぞ」
「あっ、待って」
早速地面の上に置いた箱のスイッチを押そうとするユグドを日陰が止める。
「なんじゃ?」
「僕が押すよ」
「気持ちは嬉しいが何かあれば対処できるのはわしじゃぞ?」
「だから、だよ」
それだからこそ自分が押すのだと日陰は言う。
「自分で開けるより、見守ってたほうが早く対応できるよね」
それはほんの一瞬の差でしかないが。ユグドがスイッチを押す場合はそこから起こった減少に対応するための意識の切り替えに僅かながらタイムラグが発生する。しかし時にはそのほんの僅かな時間が生死を分けることもあるだろう…………だからユグドには最初から起こる何かに対応するべく構えていて欲しいのだ。
「わしが対応できねば日陰殿が危険じゃぞ?」
「そ、それは…………信じてる、から」
「くふふ、それは責任重大じゃな」
まんざらでもない表情でユグドは微笑む。
「あいわかった。わしは起こる何かに備えよう」
「お願い」
ユグドが承諾してくれたことにほっと息を吐き、彼女に代わって日陰は箱の前に立つ。
「じゃあ、押すよ」
「いつでもよいぞ」
ユグドの返事を聞いて日陰は身を屈め、その箱のスイッチを押す。
「警告! 警告! 箱から五メートル以上距離を取ってください!」
するとけたたましいサイレン音と共に警告を告げる声が響く。女性のものではあるが冥利の声とも違うそれは人工音声のように聞こえた。
「え、なに!?」
「なにかはわからぬが、せっかく警告されておるのじゃから下がるのじゃ!」
「え、あ、そうだね!」
手を引かれるまま日陰は箱から距離を取った。五メートルかどうかはわからないが十分にそれを超えているだろうと思える距離まで下がる。
「範囲内に障害物がないことを確認。展開します」
すると警告音が鳴り響いて箱からそんな声が聞こえ…………視界が一気に埋まった。その前後の繋がりがわからないくらい唐突に、日陰にはいきなり目の前に小屋のようなものが出現したようにしか見えなかった。
それは一見すると高級なプレハブ小屋のような印象だ。傷や溝などの一切ない乳白色の壁面で形作られたその小屋には、扉らしきものが一か所あるだけで窓のようなものもないようだった。
「む、これは…………」
しかし訳の分からない日陰と違いユグドにはどこか引っかかるもののある様子だった。
「なにか、わかる?」
「…………いや、入ってみるのが手っ取り早かろう」
「それは大丈夫……かな?」
中に入ったら捕らえられるとかそういう可能性もあるかもしれない。
「まあ、問題はないのではないか? わしらを捕らえるつもりであるならあのような警告など出してこんな小屋など出さずに即座に捕まえる仕様にすればよいし…………そもそもここでわしらを捕まえても回収できまい」
「あ、そうか」
日陰が招き入れない限り今のところ彼の部屋には外部から侵入はできない。つまりここで二人を捕まえたところで何の意味もないのだ。
「恐らくはまあ、本当に冥利殿の告げた通りわしらへのお礼なのじゃろう」
散々勿体つけはしたが結論から言えばそうなる。
「そうだね、じゃあ入ってみよう、か」
日陰は頷いて小屋の扉らしきところへと向かう。その扉には取っ手らしきものが見えなかったが、二人が近づくと自動で扉は開いた。
「自動ドア、なんだ」
「便利じゃな」
一様の感想を述べて二人は中をのぞき込む。
「これは…………お風呂?」
「ふむ、確かに日陰殿の世界の書物で見た物に似ておるの」
洗面所と棚の置かれた空間があって、その奥の曇りガラスの扉の先には洗い場と湯舟が置かれた風呂場らしきものが見えた。小屋の大きさからしてそれほど広くはないものの家庭用の風呂場より少し広いくらいの大きさには見えた…………普段使いには十分だ。
「やあ、驚いてくれたかな?」
中に入ると不意に冥利の声がその場に響く。
「ユグドさんの空間圧縮の魔法の理論を応用して物体を自由に縮小する技術を開発した。それを風呂場にしたのは日蔭君に対するお礼だ。入りたがっていたよね?」
「…………それは、そうですけ、ど」
まさかお礼に風呂場をプレゼントされるとは思っていなかった。
「出来れば二人の驚く顔を直接見たかったけれど、残念ながらあたしにその時間は無くなってしまった。この技術を転移技術の代わりに上に提出してやろうと思っていたんだけどね、その前に君らの世界との繋がりが発覚してしまった…………できる限り時間は稼いでみるつもりだけどまあ長くは持たないだろう。だからもうあたしの世界に君の部屋は繋げてはいけない…………これは警告だ」
「冥利さん!?」
「ああ、わかっていると思うけどこれは録音だ。君がこれを聞いている頃にはあたしは研究室ごと爆散している可能性が高い…………だけど気に病まないでくれ。どんな形にせよ私の未来にいずれ終わりが来るのは確定していた。最後に二人とした交流はとても楽しかったし、終わりとしては相当に恵まれたものだと思う」
冥利の世界は世界そのものが詰んでいた。その結果としていずれ訪れるろくでもない死を待ち続けるよりは、気に入った人間を守って死ぬ方がずっといい…………だからその録音には後悔の感情はまるで感じられなかった。
「こんな話の後だからすぐに楽しむなんてことはできないと思うけど、気が落ち着いたらゆっくりと湯舟に浸かって見て欲しい…………なにせそれはあたしの最後の、多分一番マシな科学者としての発明品だからね」
「冥利さん!」
録音とわかっていても思わず日陰はその名前を読んでしまう。
「それじゃあ、名残惜しいがここまでだ…………さようなら」
それを最後に声は聞こえなくなった。呆然と、静かになったそこで日陰は立ち尽くす。
「日陰殿、どうする?」
その沈黙を破ったのはユグドだった。じっと問いかけるような彼女の視線を、日陰は目を逸らすことなく見返した。
「そんなの、そんなの…………助けに行くに決まってる!」
啖呵を切って日陰は風呂場を出ると一直線にクローゼットの出口へと走る。
たとえ間に合わないのだとしても、今は動かないという選択肢はなかった。
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